


認知症の方々をケアする中で、どこの職員さんも、ケアマネジャーを含めて
「傾眠」と言う用語を多用する傾向にある。
実際にネットで「傾眠」を検索してみるとよく理解できる。
傾眠とは本来、人の意識障害を表す用語として、医療現場で使われている言葉です。
意識レベルがはっきりとしている状態を「意識清明」と言い、
そのレベルから徐々に意識レベルの低下と共に言葉が変わっていきます。
「明識困難状態」から「昏蒙」→「傾眠」→「嗜眠」→「昏迷」→「昏睡」と言うように
その言葉によって、その時の意識レベルが表現されています。
認知症の方々が、昼夜逆転現象のあおりを受けて日中にウトウトされるのは
「傾眠」と記録してしまうのは、適切な言葉で表現していることとならないのです。
介護の専門職も、少なからず医療用語を活用し、情報の共有を図らなければなりません。
このように、介護職員さんも日々の介護記録作成においては
的確な言葉を使って多職種との正確な情報伝達を目指したいものです。
認知症と味覚って、即、病気につながるようでなく軽く見られがちだけど
これが、結構、重要な課題であり、同時に「好き嫌いの激しい人」と軽んじて評価されてしまいがちなテーマなんです。
僕はグルマンを気取り、結構味に対して煩い『人』を装っている。(実は、それほどの美食家ではないのですよ!)
この美食家なるもの、結局は人のお口の中の舌で感じた信号を、脳の中でも
特に前頭葉とよばれる部分で視覚から入る情報や臭覚から入る情報の全てを合成し、うまい!って評価を決めている。
もちろん、そこには経験値と言うものが加えられ、今までに味わった経験が「旨い!」の評価のレベルを調整してくれることとなる。
ここで、認知症となった僕は、目で見たお団子を、美味しいお団子として認識できなければ食欲もわかないはず。
お団子の櫛を片手でつまむことができなければ、どうやって口の中に入れるのか分からないはず。
食べ方を忘れることを失行。お団子と認識できないことを失認と言うのだけど、
これらの障害はアルツハイマ―型認知症、脳血管型認知症、レビー小体型認知症などの病型によっても
出現の仕方が違う。
人間いつまでも、美味しく口から食物を摂りいれたい。
美味しいね!と美食家を気取って生活を継続したい。
そのためには、認知症の早期発見、早期治療を行いながら、食事する環境をもう一度見直すことが大切になると思っている。
匂い、見た目、色彩、そして、雰囲気(照明や音楽、温度も大切)そして、何よりも「誰と食べるか・・・」が
一番大きな課題となってくるのでしょうね・・・・
認知症、上手くお付き合いしたいものです。
先日、認知症介護指導者の先輩と電話で会話していて
いよいよ、僕も研修指導者を引退しなきゃ!と言う話をした。
その理由の第一に、言葉が出てこなくなった。
ただでさえボキャ貧が課題だった自分。
更にボキャブラリーが貧祖になり、口頭で説明するにも
上手い表現が頭に浮かばない。
そして、端的に衰えを感じるのが文章力。
以前は、誤字脱字は多かったが、結構自分でいうのもおこがましいが
それなりに上手な文章で、意味の通じる分を書いていた。
しかし、ここ最近になって、文章を書いていて感じるのは
支離滅裂とした、混沌とした文章しか書けない。
機能低下と言うが、外部から見た私の変化は見えにくいかもしれないが
内面では、切実なる問題が進行しつつあるのかもしれない・・・・(笑)
この日本が、ウクライナのように他国の侵略を受けるとなったら……
認知症の人達は、どうなるのだろう?
家族が連れて難民として国外に避難するのだろうか?
それとも、死を覚悟でグループホームに居残り、いつもの生活を継続していくのだろうか?
いずれにせよ、認知症の人を抱えて家族全員が無事に国外退去は可能だろうか?
そして肝心なグループホームの職員たちは、砲弾やライフルの玉が飛び交う街に居残り、
この街にとどまりながら認知症の人の支援を継続できるのか?
人間の精神状態が極限の状態下において、冷静に安全を確保し、平和を待ち望む毎日を過ごすことは可能か?
今のウクライナの状況を報道で見る限り、戦争状態の下で高齢な要介護者を非難させることは
かなり困難なアプローチとなっている。
非難するにも瓦礫が散乱し、爆撃による穴ぼこがそこら中に存在して
車でも移動が困難な道路状況を考えると、要介護者を連れて避難することは
ほぼ不可能な状況と言わざるを得ない。
毎日のニュース報道を観ながら、日本が同じ状況となったら、どうする?と考えてしまう。
認知創となると運転免許証を返納しなければならない・・・・
車好きの私にはとても耐えがたい屈辱の様に思っている。
出来る限り、自動車に乗っていたい!ハンドルを握り続けたい!と願いながらも
最近、自分自身の老化現象を感じる始めたことをお話したい。
まず、駐車枠に後方から注射しようとする時、車体が斜めになる。
次に、変化のない平坦な直線道路を運転中に他ごとを考えていることが増えた。
そして、最大の問題点は夜間の視力が落ちた。特に雨降りの夜間の運転は非常に不安である。
若かりし頃は、一晩中高速道路を走り、東京⇔鈴鹿なんてヘッキ!だった。
そんな自分も寄る年波には勝てない。
認知症ともなると集中力が無くなる。従って、長時間の車の運転も次第にそぞろ運転となり事故を起こしやすい。
認知症ともなると、複雑な思考回路が減退する。従って、車を運転する上において
多方面への注意や 、瞬間的に変わっていく環境の変化に適応できなくなる。つまりは、突然現れる危険に対応できない。
頭はボーーーっとして、自分の今の状態を適切に判断できにくい状態で車の運転はやめたほうが良い。
こうやって考えると、やはり認知症となって車の免許を返納することは、この日本の道路事情ではあり得る話である。