久しぶりの「おしっこ」の話題です。
その後の認知症の人はどうなったのでしょうか?
その後、主治医の先生から何の手立ても支持もないまま今に至っています。
かろうじて泌尿器科を受診することはできたのですが、泌尿器に問題はないと診断され
今なお、同じようにトイレへ行きつ戻りつを一日中、繰り返しています。
ご自宅においても同じようで、ご家族も特に静止することなく本人さんの意思に任せているようです。
もちろん、当事業所においても同じくで、ご本人が行きたいなら行ってもらう。
毎回、トイレへの案内は必要ですが、今のところ場所さえ教えて差し上げればご自身で処理されています。
さて、この方の過去の生活歴を考えてみると
ご夫婦で生活されている中で、すべての決定権はご主人にあり
ご本人はすべての指示に従って日々の生活が成り立っていたようです。
要するに控えめで、それでいて頑固な一面も持ち合わせている方。
ご主人を亡くされ、独り身となった今、毎日の生活に迷いや葛藤がありそうです。
この迷いや葛藤は、ご本人の心の中で不安感となってくすぶり続け
その不安感が唯一癒される場所として『トイレ」が存在するのではないかと私は考えています。
一人になれる場所ではなく、おそらくですよ・・・(素になれる場所として)トイレがあるのかもしれません。
それでは、自宅や施設の中で巣になれる場所を、どのように提供するのか・・・
その一つの方法として、昔なじみの家具と部屋ってのはどうでしょう?!
認知症グループホームでは、入居の際に、過去に使ってみえたなじみの家具を持ち込んでいただくことを勧めています。
まったく同じ環境は無理としても、なじみの物に囲まれて暮らす日々は
少なくても味気ない白い壁紙の貼られた個室より、心安らぐこととなりませんか?
ナンスタディという研究発表からも理解できるように
なじみの行動や同じルーティンの生活環境においては
脳に器質的変化があったとしても、それまでと変わらない生活が送れた。
そのような報告もあります。
認知症とならないために、常に刺激ある生活を!ではなく、
それまでの「普段の生活」をどうやって維持させてあげるか・・・が一番大きな課題と思います。
ナンスタディに興味ある方は、ネット検索で「デヴィッド・スノードン又はナンスタディ」で検索してみてください。
アルツハイマー型認知症とその原因究明に協力した修道女たちの研究結果を知ることができます。
認知症道中膝栗毛もいよいよ90話を超えてきた。
もっとまじめに力入れて書き込みしていれば、もっと早くに百羽を超えていたことと反省している。
さて、今日のお話は、医療と介護の連携が、なぜ認知症ケアに重要であるかについて触れてみたいと思います。
私の事業所では、インターネットの専用ソフトを使って主治医とつながっています。
メヂカルケアステーションの名称で、多職種の方々が加わるネットワークですが
薬剤師、機能訓練士、看護師、訪問介護看護の担当者を含め
その人に必要な社会資源が加わっている中で情報を共有しています。
認知症と言っても、いろいろな原因疾患があり、それぞれの疾患による独特の諸症状が表出されます。
行動心理症状(BPSD)に対しても、情報を共有する中で、今服薬しているお薬の調整が症状の緩和に
とても重要な場面もあり。そんな時に主治医の指示に従いお薬を調整していただくこともあります。
また、薬剤師の方々には、出現するいろいろな課題に際し、漢方薬をすすめていただいたり、
私たち介護の現場の状況を、我々ではドクターに伝えきれない部分(こんなことあってはいけないのですが・・・)
薬剤師の先生からドクターに補足説明を行っていただくこともあります。
認知症の人の困りごとは、ご本人では解決できない場合が多く、
大半の人が、認知症の人特有の不安感に苛まれながら、その感情の変化を適切に家族や介護者に伝えることができないのが
一番おっきな課題となっています。
この課題を、細かな情報として多職種が連携することで解決できることもあります。
文殊の知恵!と言ったところですね。
家族さんにしても、常に認知症の本人と四六時中、ともに見守ることはできません。
しかし、部分的にも関わる者同士が、その時の情報を共有することで
実態と課題が見えてきます。
情報共有と多職種の連携、特に医療との連携は、認知症の人の安泰な生活維持に欠かせないものです。