一昨日の水曜日より、丹野智文さんと共に尾鷲市の熊野古道センターにて
認知症当事者の映画「オレンジランプ上映会」、丹野さんの講演会「認知症とともに生きる」
そして、認知症カフェに参加した。
丹野さんは、この日のためにお一人で仙台から列車を乗り継いで白子駅まできていただいた。
白子駅でお迎えし、夕食を共に摂らせていただいて一泊。
翌日に、車で尾鷲市の熊野古道センターにて映画上映会、講演会と認知症カフェに参加いただき
ハードスケジュールの中、非常にエネルギッシュに活躍していただいた。
今回のイベントは、一般社団法人三重県地域密着型サービス協議会主催で開催され
尾鷲市の包括、社協、尾鷲市の行政担当者の皆さんのお力添えで100名近い方々に参加いただき
盛大に開催された。認知症当事者の丹野さんを囲んで、市内の認知症当事者の方々の
悩み事や相談を受けていただき、いろいろなアドバイスやヒントをいただいた。
丹野さんの関わる仙台の認知症当事者の会では、要介護4であり年齢も90歳の方々でも
しっかりと自分の想いを伝えることができることを映像で紹介している。
認知症ケアを実践する私たち介護のスタッフとしても、いかに普段から認知症ケアの名の元
その人の想いをくみ取っていないかが、よくわかる。
自立支援と言いながら、まったく自立支援となっていない現状に警鐘をならす
久しぶりの「おしっこ」の話題です。
その後の認知症の人はどうなったのでしょうか?
その後、主治医の先生から何の手立ても支持もないまま今に至っています。
かろうじて泌尿器科を受診することはできたのですが、泌尿器に問題はないと診断され
今なお、同じようにトイレへ行きつ戻りつを一日中、繰り返しています。
ご自宅においても同じようで、ご家族も特に静止することなく本人さんの意思に任せているようです。
もちろん、当事業所においても同じくで、ご本人が行きたいなら行ってもらう。
毎回、トイレへの案内は必要ですが、今のところ場所さえ教えて差し上げればご自身で処理されています。
さて、この方の過去の生活歴を考えてみると
ご夫婦で生活されている中で、すべての決定権はご主人にあり
ご本人はすべての指示に従って日々の生活が成り立っていたようです。
要するに控えめで、それでいて頑固な一面も持ち合わせている方。
ご主人を亡くされ、独り身となった今、毎日の生活に迷いや葛藤がありそうです。
この迷いや葛藤は、ご本人の心の中で不安感となってくすぶり続け
その不安感が唯一癒される場所として『トイレ」が存在するのではないかと私は考えています。
一人になれる場所ではなく、おそらくですよ・・・(素になれる場所として)トイレがあるのかもしれません。
それでは、自宅や施設の中で巣になれる場所を、どのように提供するのか・・・
その一つの方法として、昔なじみの家具と部屋ってのはどうでしょう?!
認知症グループホームでは、入居の際に、過去に使ってみえたなじみの家具を持ち込んでいただくことを勧めています。
まったく同じ環境は無理としても、なじみの物に囲まれて暮らす日々は
少なくても味気ない白い壁紙の貼られた個室より、心安らぐこととなりませんか?
ナンスタディという研究発表からも理解できるように
なじみの行動や同じルーティンの生活環境においては
脳に器質的変化があったとしても、それまでと変わらない生活が送れた。
そのような報告もあります。
認知症とならないために、常に刺激ある生活を!ではなく、
それまでの「普段の生活」をどうやって維持させてあげるか・・・が一番大きな課題と思います。
ナンスタディに興味ある方は、ネット検索で「デヴィッド・スノードン又はナンスタディ」で検索してみてください。
アルツハイマー型認知症とその原因究明に協力した修道女たちの研究結果を知ることができます。
認知症道中膝栗毛もいよいよ90話を超えてきた。
もっとまじめに力入れて書き込みしていれば、もっと早くに百羽を超えていたことと反省している。
さて、今日のお話は、医療と介護の連携が、なぜ認知症ケアに重要であるかについて触れてみたいと思います。
私の事業所では、インターネットの専用ソフトを使って主治医とつながっています。
メヂカルケアステーションの名称で、多職種の方々が加わるネットワークですが
薬剤師、機能訓練士、看護師、訪問介護看護の担当者を含め
その人に必要な社会資源が加わっている中で情報を共有しています。
認知症と言っても、いろいろな原因疾患があり、それぞれの疾患による独特の諸症状が表出されます。
行動心理症状(BPSD)に対しても、情報を共有する中で、今服薬しているお薬の調整が症状の緩和に
とても重要な場面もあり。そんな時に主治医の指示に従いお薬を調整していただくこともあります。
また、薬剤師の方々には、出現するいろいろな課題に際し、漢方薬をすすめていただいたり、
私たち介護の現場の状況を、我々ではドクターに伝えきれない部分(こんなことあってはいけないのですが・・・)
薬剤師の先生からドクターに補足説明を行っていただくこともあります。
認知症の人の困りごとは、ご本人では解決できない場合が多く、
大半の人が、認知症の人特有の不安感に苛まれながら、その感情の変化を適切に家族や介護者に伝えることができないのが
一番おっきな課題となっています。
この課題を、細かな情報として多職種が連携することで解決できることもあります。
文殊の知恵!と言ったところですね。
家族さんにしても、常に認知症の本人と四六時中、ともに見守ることはできません。
しかし、部分的にも関わる者同士が、その時の情報を共有することで
実態と課題が見えてきます。
情報共有と多職種の連携、特に医療との連携は、認知症の人の安泰な生活維持に欠かせないものです。
認知症の進行は、加齢とともにくる。
在宅生活を継続している高齢者の中でも、個人差はあるものの
確実に認知症は進行していく。
アルツハイマー病の進行緩和薬としてエーザイ㈱様の新薬も存在するが
なかなか一般市民には手の届かないお薬でもある。
さて、認知症の進行とは、身体が麻痺などで不自由になるわけでなく
物事を達成していく能力が衰えていくことが次第に表出し始める。
例えば、トイレの場所がわからなくなる。
物に対する認識が乏しくなり、まったく別の物に固執したり、場所の認識がなくなり不安になったり等
生活している中で、迷ったり、考え込んでしまったりと、なにかと一人では事を進めることが難しくなっていく。
脳細胞の器質変化がもととなって、考えて行動することが難しくなっていくわけだから
今まで生活できていた人が、そこに介助が入らないと生活を維持できない。
今は、行政を含めて認知症に対する考え方が変化してきて
以前のように認知症の人に対する思いやりが進んできている。
そして、早期発見・早期治療を推進してはいるものの
なかなか当事者にとって、認知症かもしれない不安な時に
わざわざ専門病院に出向いて、認知症の診断を受けたいとは思わない。
この僕でさえ、今、認知症の診断を受けるために専門医を訪ねるか?といえば答えは「NO!」となる。
結局、認知症は薬と環境で、何とでもなるといいつつも
いざ自分の身になると、認知症としての烙印は押されたくはなくなるのが人の感情というもの。
人は高齢になると自然と体力、技量、頭脳のすべてにおいて衰え始める。
どの時点で認知症の診断を受けるかは個人差があると思うが、
認知症として生きるために、本当に必要な支えは何だろう・・・・?
健康な年寄りでいたい気持ち。でも頭は衰える。
認知症となっても寄り添ってくれる人。
機能訓練でもない、時間つぶしのカラオケでもない。
はっきり言って、認知症の薬もいらない。
そっと、そばにいていくれる人。それが、認知症の人にとって一番必要な支えではないだろうか・・・?
1970年代初頭、私が未成年のころに住んでいた古巣です。
今、とても懐かしく、その当時の思い出がよみがえってきます。
そして、その当時とは様子が変わった街をみているのですが
背景につながる山の形や木々の雰囲気は、その当時のままで
建物の様子は変わっても、なんとなくその当時を思い出す。
認知症の人に も、このような地形や山の形による
おぼろげな記憶の淵をたどって、徘徊は行われるようです。
認知症の人が行方不明となりますが、その人の生い立ちやその当時の情景を考慮に入れて
探してみれば、必ずなじみの場所を目指していることが分かります。
認知症の徘徊による行方不明事故。皆さんにも昔自分が育った環境や情景を思い浮かべてみてください。