ボランティア活動について一言。
先日、ボランティア活動のオファーを電話で受けた時の事である。
歌を唄ってくれると仰る女性の方から一本の電話に対応した。
頭から上から目線の言葉に、少々憤りを感じていた自分だった。
如何にも唄いにいってあげる的な口調に反発してか
心ならずも先方の申し出をお断りした。
実は、鈴鹿市ではボランティア活動が制度化され、鈴鹿市社会福祉協議会を中心に
そこに登録した介護事業所を回れば点数化され、一年の活動に対しスズメの涙程度のお金が支払われるシステムがある。
このシステムの説明会も市役所で受け、吟味した結果、当事業所はボランティアの受け入れを申し込まなかった。
その理由に、敷地が狭く駐車場がすくないこと。
もっと大きな理由として、ボランティア活動の趣旨が日本人社会では少し本来の趣旨からずれが見受けられること。
そして、認知症の人たちの生活に、歌や演劇などを押し付ける形でイベントを開催することに対し
私は反対論者の立場であること。
認知症の人が生活する上で、歌や演劇を見せられることってどうなの???と常に思っている。
自分が好きな演劇や歌手を見に行くなら話は別と考えている。其の為には家族さんと協力して
コンサートに出掛けたり、演劇を見に行く。
趣味のご披露のために介護施設を活用する、一挙両得のような響きはあるが
それらの大半は押し付けに近いものが多い。
同様に、私は認知症グループホームにおけるレクリエーションの必要性を否定している。
レクリエーションの響きは良いが、それらのほとんどは職員の独りよがりが多すぎる。
自分が認知症となった時に レクリエーションを求めるのか?と聞かれれば
必ずしもNo!ではない。時として遊びたいし楽しみたい!一人にしないでほしい!と望むであろう。
しかし、それがレクリエーションではない。
レクリエーション、ボランティア、これらの発想の起点は職員の自己満足なのか?!
さて、皆さんはどのようにお考えか??
私の実父は認知症で、うちのグループホームで世話になっていることは以前にこのブログで公開したとおり。
今、91歳となり、一度、体調不良からターミナル直前まで変化し
医療と介護職員の努力によって復活し、以前よりもまして認知症は重度化しているものの
すこぶる元気になっている。そのことに関して主治医と介護職員の方々には感謝している。
さて、そんな父も数年前まで実際に自分自身が車を運転し、妻を横に乗せて病院や買い物に出掛けていた。
もちろん軽自動車であり、おまけに車体の四方すべてに擦り傷、凹みを作っていた。
認知症の人の運転する車両が重篤な交通災害をまき散らすことで
日本の警察も黙ってみていられなくなり、とうとう認知症検査を強化し
認知症の診断を受けると車の免許証は返納しなければならない。
認知症の診断にも段階評価があればいいが、認知症=すべての機能がゼロではない。
出来ることを奪っていく事は、可能な限り避け、認知症であっても一人で出来ることは行う。
社会支援として、出来ることを伸ばす支援を目指していければ尚の事良い。
日本人はとかく技術力にものを言わせて認知症の人でも運転できる車両の開発に働く。
運転技術に関係なく動く自動車の開発にどれほどの時間を必要とするのか??
それも大切ではあるが、それよりも認知症スクリーニングテストを導入した
免許システムの改善を図る方が、ずっと早く対応できるのではないか。つまり、
認知症の度合いによって運転可能と運転不可を選別していく考え方を採用してほしい。
これと同じことを、先日のEテレ「認知症とともに よく生きる」でも取り上げていた。
認知症の人が運転して事故を起こす。それも子供の列に突っ込んでしまう。
これは非常に困った問題であり、放置できる問題ではない。しかし、
私からすれば、認知症の人が大きな交通事故を引き起こすと同様
運転しながら携帯電話を操作し、話しながら、メールしながら、ゲームしながら運転する輩が
まだまだ多く存在する。偶然、大きな事故には至っていないかもしれないが
重度認知症の人が車を運転すると同様の行為である。
成人のほとんどの人が車を運転する時代。
車が凶器とならないために、社会全体の認識を変えていかないと
認知症の人ばかりが悪者になってしまう!!
うちの親父が認知症となって、今ではうちのグループホームに入居してます。爺さん、この5月に市内の他のグループホームからうちのグループホームに引っ越してきました。
息子が経営しているにもかかわらず、僕の顔を見ると小声で訴えてきます。
ここは羊羹もだしてくれへんぞ!あかん所やぞ!と言うのでした。
久しぶりに顔をみると、とても懐かしがります。
「元気にしとったか…….」と僕
「電気は触ってないよ!」とおやじ
さんざんぱら私の事務所内で羊羹食ってお茶飲んだ挙句に果てにそろそろ帰る!と言い出したのです。何処にいけばええの?と質問してきたくせに、自分一人でエレベーター前まで歩き始め、自分でエレベータのコールボタンを押して、一人で二階のグループホームまで上がっていき、一人でエレベーターを降り、廊下に職員の姿を探しながらも楽しそうな眼をしていた。
今年の5月には92歳となる父親ですが、一頃、主治医からもターミナルの宣告を受けたにもかかわらず回復。
人のエンディングってのは、非常に難しいと感じました。
さて、人とペットを同じ次元で話をするのもどうか?と思うのですが
同じようにこの世に生を受けて、共に暮らしてきた愛犬・ショコラも今年の八月で丸16年生きてきたこととなります。
彼女も、今、ターミナル期を迎え、主治医である動物医から定期的に点滴治療を受けている状態です。
人と同じように、彼女も食事が入らない。その理由としては認知症のような症状も影響していますが
歯の問題が一番大きな引き金になったようです。
体調不良は 数週間前から急に低下しはじめ、その時に奥歯が歯根から抜けてしまいました。
歯磨きをさせない。と言うより、歯磨きの習慣を幼犬のころからしつけることができずに至ったことで
歯槽膿漏がすすみ、歯はボロボロの状態でした。
やはり噛めない=食べれない。食べれない=消化器官の障害に直結しています。
人の場合は食べれなくなって一か月、水分補給が出来なくなって数日の命と言われます。
小型犬の場合、衰弱スピードはさらに速く、数日間の絶飲食によって急激に体力の低下につながります。
何とか食べることができるように、ペーストにしたり手を尽くしていますが
これが命の最終ステージかと考えると、看取る主にとって、とても厳しい判断と決断が求められています。
生かすも殺すも・・・・と言った選択肢の問題ではなく、如何に苦しまず自然に死を迎えることができるのか?
そのサポートに際し、グループホームにおける看取りを合わせて考えています。
書き出しのタイトルとは変わった内容となってしまいましたがお許しください。
Pictuers has been taken by so many devices. Just pick few good shot out of my I-phone as pasted.
caption for above pictures from the top.
Banana glow inside of old castle of NAKAGUSUKU.
Okinawa tasty fried noodle with miso soup.
typical mass eateries and eateries front picture.
Rental mario Kart at KOKUSAI street.
power stone at the nationalpark ”Daisekirinsan”.
Green papaya and it’s flower.
Beautiful garden for the king of Ryukyu call “SIKINAEN” built 18 century.
今年で三年目の美ら島沖縄センチュリーランに参加しました。
毎年恒例となったこのイベント参加ですが
大嵐の中の大会の昨年から打って変わって、途中で小雨はあったものの
全体的に好天に恵まれました。
恩納村をスタートし名護市、本部町、今帰仁村、古宇利島を巡る100キロコースを走り切りました。
年々、歳を感じてしまう結果に、我ながら愕然とするのですが
走った翌日から体中に筋肉痛を感じるのですから
まだまだいける・・・・??!!と、懲りない人間なんでしょうか。(笑)
沖縄の気候が温暖だからか、現地の人々特にこのイベントスタッフの皆さんの
温かいウエルカムの気持ちに包まれ、毎回とても楽しい思い出と共に走っています。
毎回一人参加で、誰も知り合いもいなくロンリーライダーではありますが
楽しい思い出でいっぱいになるのが、ここのイベントの良いところ。
また来年もぜひ参加したいイベントですね。
今回の沖縄訪問は、例年より一日長く滞在しました。
4泊5日の日程で、仕事を放りだして南国の放浪旅に没頭。
これほど長く仕事を放り出させてくれたのも、太陽の家のスタッフのおかげ!