今日で今月も最終日となった。
先のブログを、今月の最後のブログとするには
暗いイメージを引きずりそうで、もう一本ブログ更新を行ってから寝る事にしよう。
今夜は珍しく夕食時に赤ワインを開けた。
本当に珍しくなんだ! 普段、酒など飲まない面白くない奴の一人でもある僕にしては
とても珍しい。 何がそのような気分にさせたか?
その理由は、今日の天候が大きな影響を及ぼしているのかなと考えられる。
日中、炎天下では汗ばむ暑さであったけど
陽が傾き始めてから以降、屋内よりも屋外の方が涼しく爽やかな日であった。
こんな日は、ベランダで夕日を肴に、おいしいワインが飲みたくなる(って、格好イイでしょう)
まあ、半分ばかりこじつけ、格好つけもあって、夕食の時にボトルを開けた。
グラスに数杯赤ワインを飲んで、ポヨ~ンとした気持ちで満足している。
週明けからは、2017年F-1日本GPの業務が始まる。
僕も連日、鈴鹿サーキットのGPオフィースでの勤務がスタートする。
そして、その皮切りにとして10月1日が僕の誕生日。
毎年、F-1の業務に重なり、誰も祝ってくれない誕生日。(大笑)
こんな人生が、僕にはとてもやりがいがある人生と感謝している。
また一人の仲間が癌で亡くなった。
今年の、二人目のがん患者の死亡。
まだ若い!死ぬには若過ぎる。
この言葉は不適切かもしれないけど
若い命が亡くなると、常に思うのが「なぜ?」
順番を無視して、なぜ若い働き盛りの人を持っていくの? と疑問に思う。
うちの親父は91歳をこえた。
そんな親父は、認知症であり身体介護 が必要な状態である。
そんな親父が生き残り、もっと若いものが先になくなる。
誰が亡くなっても、家族にとっては辛い別れであるが
それでも十分に人生を謳歌し終えて終っていく一生なら
何の悔いもない。と理解することができる。
しかし、まだまだ人生の半ばと言う年齢で終って(しまって)しまう 場合、
残された家族の悲しみは想像以上に深く、苦しいものである。
悲しみのどん底にいる友人たちに
こころより冥福を祈るばかりです。
今、70代の人って言えば、戦後間もなくに生まれた人たち。
昭和の激動の時代、高度成長の時代に青春真っ盛りの人たち。
時代は変わり、欧米の文化が流れ込んできた時代に生きた人の中に
ロックやブルースに魅了され、その世界にとっぷり浸りこんでいる人もいる。
年齢は関係ないんだよね!ロックを愛する人って…….
昨年だったか、京都に出張した時に
京都駅のホームで内田裕也氏を見かけた。
テレビで見る、そのままの内田裕也氏が颯爽と杖ついて歩いていた。
平凡な人生を送る僕から見れば型破りな人だけに
沢山の人でごった返す京都駅においても、ひときわ目立つ存在だった。
僕もレオンという雑誌に感化され「ちょいワル親父」に憧れていた。
(今は、ちょいワルになるにはお金が掛かることを知り辞めた!笑)
しかし、年齢を加えるごとに、歳をブッ飛ばす意気込みを持ち続ける姿勢に
ある種の尊敬を感じる。
最近のブログで「年齢や老い」の言葉が増え始めた僕には
ロックに燃えるオッサンたちのパワーは見習わなければいけない!!
僕も同じ時を過ごした仲間だ!
あの頃に何を考え、何を目指して日々過ごしていたか?
そりゃ、当然、試験日の自分を想像し、合格した後の自分の姿を夢見ていた。
もちろん、ただ単に夢見る毎日ではなく、そのために暇さえあれば参考書と過去問をやっていた。
過去問は、答案を全てパターン化し、丸暗記する方法をとった。
つまり、設問を読めば、答えが何番かを覚える(笑)(こんなの勉強ではないよな!)
しかし、資格取得のための勉強は、これで良いんだ。
自分の知識を深める勉強と資格取得の勉強は違う。
受験生が犯す重大なミスがここにある。
問題集を解いている時に、しっかりと理解しようとする。
もちろん、深く勉強することも無意味ではない。
でも、試験勉強の時に、深く理解をしようとするには時間が足らない。
結果的に、すべてが中途半端に終わってしまい
成績もかんばしくない。と言う事実に愕然とする自分
点数を稼ぐには丸暗記しかない。または、問題の構成に慣れることが一番手っ取り早い。
ケアマネの試験を目指すなら、あと一か月を切った。
今からでも遅くない、徹底的に今までの過去に出題された問題を片っ端から解いていこう!
介護福祉士を目指す君に、過去問を一通り実施し、問題の傾向、自身の弱い科目を
年内いっぱいは、徹底的に勉強しよう。徹底的に勉強とは、弱点と思われる科目
介護職の場合、制度、医療が弱いはず。この二点を学ぶ。
年明けには、最後の追い込みを兼ねて過去問だけに絞り込む。
ケアマネ目指す君、10月1日からは、ラストスパート!
そして、試験日の前日は、勉強はしない。
試験会場の下見でもして、気分を落ち着けよう!
僕は、ケアマネも社会福祉士の試験ともに、前日に車ではなく
公共交通機関を使って、会場の下見をした。
実際に自分の足で歩き、時間を計る。
その理由は、当日の遅刻やアクシデントを最大限避けるためだ。
このおかげで、試験当日、僕の気持ちはとてもリラックスして試験に挑めた。
何もかもに、時間ぎりぎりで行動すると焦りからミスが出る。
君たちが落ち着いて試験に臨めるよう、心にゆとりをもって行動しよう。
このアドバイスを参考に、来年には君たちの栄光を称えよう!!
大そうなタイトルに笑えるが、本当は泣ける内容かも……..
今日、仕事を終えて、親父の顔を見に行った。
夕食後の親父はパジャマ姿に義歯をはずして居間の椅子に腰かけていた。
最近、いつも首をかしげながら、何かを訴えかけようとする。
今夜も、しきりに首をかしげ、意味不明の会話を始めた。
昔話ともいえない、昔と今の色々な側面が混じりあった問いかけをしてきた。
残念ながら僕には、親父の言いたいことが理解できなかった。
しかし、その口調の奥には、いつまで此処で暮らすのか?と言っているように感じた。
一人で自宅で暮らすことが困難な状況であることを理解できず
今の境遇に対しても何の手立ても打てず
半分諦めたムードが親父の中にあることは強く感じた。
そして親父は、その諦めに対して、古い昔の思い出を引きずり出し
その思い出の中で今を生きている。
それを感じながら、僕は親父に対し呵責の念に苛まれてしまった。
その反面、太陽の家の職員たちに充分すぎる程、大切にケアしてもらえている
親父をみていると、そうでない多くの認知症高齢者からみれば
幸せで恵まれている人なんだとも思い、職員に感謝している。
太陽の家で暮らす人々、9名の家族はおそらく僕と同じような感情に悩み、
その都度思い直し、自分の選択が正しいと考えようとしているのではないかな?
親のケアを他者に任せる息子や娘の気持ちは、このように複雑な思いでいっぱいなんだろうな!