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ブログ-施設長の部屋

2013/10/28
チームワーク(横断的連携力)

介護施設におけるチームワークは、介護の質を担保するにはとても重要な課題である。職員の個人レベルでは有益な能力を有していても、チームとしてのバランスが確保できないと、全ての支援は単一的支援となり、継続性が保てない。継続性が保てないとなると、何が一番不都合かと言えば、利用者の全ての機能向上にむけて常に初期段階の支援の繰り返しに終わることである。これをリハビリに置き換えてみれば、一度向上した機能が、少し間を置くことで振出しに戻ってしまうことと同じ状態が、日常的にデイサービスの現場で行われていることと等しい。

僕自身も高齢に日に日に近づいてくる中、一日の終わりごろには足腰の痛みが出始めている。激痛があるわけでもないから病院受診する必要性はまだ感じていないが、少しでも動くことを休んでしまうと、次に体を動かす時には、それまで以上の痛みが伴うようになってきた。これも経年的身体の老朽化というものの一つではないかと考えて、内心では僕も年老いてきた!という諦めの境地に達している部分である。

このように歳をとるという事は、体のいろいろな部位に支障をきたすことであり、それによって一日の自分自身の精神的、肉体的、行動力に多少ならずも影響を及ぼしている。また精神的な苦痛として日々のストレスの際し、以前ほど自分自身が力強く払拭できなくなっているのである。精神的な力ってのも、身体と同じように加齢に伴い低下してくるのである。まず根気が減少してくる。最終的な詰めに甘さが見受けられる。人に対して寛大になれる(・・・本当・・・??)

最後の人に対して寛大になれるってのは眉唾としても、以前ほど怒鳴り散らす回数が減少してきていることは確かである。うちのケアマネが常にいうには、「丸くなった!」である。歳と共に身長も縮傾向であり、人間が一回り小ぶりになっていくから丸くなった訳ではないが、確かに他者に対する熱い想いは、年々冷却傾向にあるのかもしれない。

さて、このチームワークに本題を戻すが、如何にしてチームワークを形成するか?!この問題はなかなか難しい問題で、一晩でチームワークが作られる事は稀である。しかし、何かの事柄をきっかけに簡単にチームワークが構築される可能性も持ち合わせている。後者の場合は労働争議が良い例である。経営者の圧力に対し、従業員組合が話し合って一致団結するときがそれである。要するに何か、共通する悪に対して立ち向かう時には、一致団結しやすい特徴がある。しかし、この場合、外圧にすべての者たちが苦痛を与えられている場合は団結しやすいものの、そこに不満が蓄積していない場合には、その限りではない。

人間だれしも、自分に都合の良いように身の回りの環境を整えようとする。すべては過ごしやすいように、安楽な日常を求めて・・・

それでは、特に際立ったコンプレイニング(苦情)を持たない現場職員のチームワークの場合はどうするのか?それは、職員の目標の座標を同じ点に持つこと。つまりは、自分たちの進むべき方向をそろえることから始まり、職員それぞれの喜びの尺度は異なるものの、全員で同じものを求めていく理念を共有する。連携力に関しては、誰一人として知らない者はないくらい、横のつながりと情報の共有化が達成されていることが自分たちの自負心につながる理念である。

非常に難しい課題ではあるが、事業所で開催される行事を職員全員で作り上げることから始めたい。イベント計画から完了までに職員の持てる力を結集させることで、そこに仲間意識が芽生える。同じ釜の飯を食らう!と言う表現通り、同じ土俵で技能の差こそあれ、同じように難ケースに悩み、高齢者の笑顔に歓喜し、利用者の死亡で涙を流す。そのような繋がりを繰り返すことで、次第次第に職員間の用談的連携力は格段に向上するはずである。

2013/10/27
趣味;読書。

ほぼ毎日、本を読んでいる。テレビを見るより読書の方が多い。もちろんテレビは消した状態で本を読む。僕は、それほど器用な方の人間ではないので(いや、それ程頭が良くないので集中していないと目が活字をなめているだけで、頭の中に入ってこないからテレビなどの音のない環境でないと本が読めない)二重、三重の出来事のある環境では本が読めない。

さて、今、読んでいる本は「退陣援助職のためのスーパービジョン」と言う本を読んでいる最中である。この本の原作は英文で書かれているらしく、日本語に翻訳されているものである。翻訳本ってのは、翻訳家によって内容に開きが生じやすい。この本も御多分にもれず読みにくい本である。翻訳の仕方が理解しにくい箇所がところどころ見受けられる。まあ、偉そうなことを言うようだが、日本語に代えた場合、意味が安易になったり、逆に小難しい表現が、文章を分かりにくくしたりしてしまう危険性がある。

しかし、この中に面白い部分があったので紹介しておこう。それはストレス管理について面白い説明文があった。以下は本文からの抜粋である。

『 あるとき、ストレス管理について話していた講師がコップ一杯の水を持ち上げて聴衆に尋ねました。このコップの水の重さはどれくらいでしょうか?

その答えには20gから500gまでの幅がありました。そこで講演者は答えました。実際の重さはどうでもよいのです。問題はどのくらいながくもっていなけれbならないか、と言うことです。1分間持っているのは何でもないでしょう。1時間持っていたら、たぶん右腕が痛くなります。もし1日中持っていなければならなかったとしたら、救急車を呼ぶことになるでしょう。どの場合も、その重さは同じです。でも長く持てば持つほど、それは重くなってくるのです。』

これはストレスと同じで、常に重荷を負っているとすれば、遅かれ早かれそれはさらに重くなって、続けるじょとができなくなります。コップの水と同じように、一旦どこかで下におろして休み、それからまた取り上げるのです。元気を取り戻したときには、また重荷を運ぶことができるのです。

どうですか?この部分だけは妙に納得しました。旨い表現だと思います。皆さんも日々、ストレスにさらされ重い気持ちで仕事を続けていることと思います。毎日の仕事を家に持ち帰らない。一旦ゆっくりと自宅で静養し、気持ち新たに翌日の仕事に臨みませんか???

2013/10/24
作戦会議

今日のお昼は、太陽の家デイサービスセンターの主要なメンバーを招集して作戦会議を開いた。デイサービスの抱える課題や今後の目標を共有することが目的として行った。お昼ご飯を共に食べながらの一時間。簡潔に話をキリだしながら、それぞれの意見を聞いていった。まあ、聞いていったというものの、その大半は僕が話しているだけではあるが、それぞれの担当する専門性に対し、目標を同じくして、どの様な協働体制が取れるのかと言った投げかけである。

専門性ってのは、結構重要な問題で、これを蔑ろにすることは担当領域を侵犯することと同じ意味があり、その担当者のモチベーションを下げるだけでなく、この事業所から離職する危険性さえ抱えている。

この取り組みが功を奏するか否かは、今の時点ではわからない。しかし、太陽の家では、職員との連携に際し、出来る限りの意見交換を行うようにしている。とにかく、僕の意見をはっきり告げることから始まり、皆に考えてもらう。同調してもらえれば、後はただひたすら、その目標に向け突っ走るだけ。そのような運営を行っている。

2013/10/24
F-1こぼれ話

僕のブログで紹介させてもらっているとおり、鈴鹿サーキットで行われるF-1日本グランプリに係わらせていただいて二十数年。度あるごとに貴重な画像を紹介させていただいている。一般の観戦客では見えない、接することのできない場所などの写真も公開させてもらっている。

人に話をすると、とても羨ましがられることが多いし、僕にとっても自慢の種である。が!しかし・・・である。

僕はこの仕事をさせてもらうようになってから、一度も生でマシンが走る姿を見たことが無い。全てテレビモニターを通してしか見れないのである。この理由は、僕に与えられているクレデンシャルは、F-1走行時にピット側に出れないパスだからだ。ご存じのようにF-1グランプリは、厳格なルールで縛られており、このルールに対しては国家元首であっても曲げることができない。それはそれは厳しいセキュリティによって守られている。そのルールに従えば、僕らのようなチームサポートを主体とする業務は、レースの運営には絡む必要が無いという理由から、一線を越えることができない。もちろん、観戦券を購入して指定席に座れば、生の走行と音を楽しむことはできる。

実際、古い昔、この業務にあたる前には、観戦券を買って観たことがある。一観客としてね。アイルトン・セナやプロストが戦っている時代の話である。日本中がF-1の熱気で包まれ、園内で購入するお土産のF-1グッズが、レース終了後には売り切れる程、熱狂的なF-1ファンで埋め尽くされた時代である。

そんな時代から、時は経過し、今ではBS放送以外でF-1の放送を見ることもない。そんな不遇の時代となった今、それででも僕はF-1の走行をモニターテレビを眺め、決勝レースが開始され10周が過ぎた時点で、表彰台でのセレモニーの準備で、表彰台(ポーディウム)裏で、ゴソゴソと選手のためのタオルと水、シャンパン、トロフィーの準備に走り回る。表彰台に上がる選手の確認のために、最終結果はモニターテレビの計時チャンネルでドライバー名を確認し、その時に備える。そして、プレゼンターの方々への式典の流れの説明を通訳する。

業務として接するF-1グランプリ。とても寂しい、悲しい仕事と言えば仕事である。でも、誰もが許されない場所での仕事を託されている。ある意味、贅沢な悩みでもある。

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ここが作業場でもある、ポーディウム裏のユニラテラルと言われる場所。プレゼンターや表彰対象のドライバーが集まる控室である。スポンサーのロゴで飾られた壁は、国際映像に映し出される関係上、F-1以外の業者のロゴは一切排除される。

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F-1グランプリ用の表彰台(夜間に撮影)最近では、この表彰台ごと海外から持ち込んでくる。

2013/10/24
破壊と構築

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太陽の家の隣にあった店舗が解体工事に入った。大型の重機をもってすれば、鉄骨構造体なんて紙切れのごとく、簡単に解体されていく。真横にあった店舗だから、営業中には、数回はお世話に成ったお店である。当グループホームの利用者の皆さんと一緒に、食事に伺ったこともあって、今更ながら解体される姿に一連の寂しさもある。

世の中の物に「不変」の文字はない。鉄で作られた構造物にしろ時の経過とともに古びていく。人間だって同じである。今、私の母が近所の総合病院に入院をしている。心臓の痛みを訴えて主治医の勧めで総合病院に入院した。今年で85歳である。寄る年波には勝てない現状。歳と共にいろいろな箇所に痛みや不具合が生じてくる。

その反面、孫が子供を産む。次の世代の誕生が行われている。世の中のサイクルが、自然の営みとして確実に回っている。我々の介護の業務も、このサイクルの中に存在し、そこで必要な支援を模索しながら実践している。時には余計なお世話であったり、時には配慮不足であったり、いろいろな形で密度を変化させながら(と言うより、学びながら改善や方向転換を行いながら)絡んでいる。

破壊に伴う喪失感は、そのまま新たな構築につながることを信じ、そのような支援を行えることが我々に託された使命ではないかと思う。失っていくものに囚われ過ぎず、次のステップにどのようにつなげていくのか?そこが問われているような気がする。


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