トヨタのコマーシャルで(・・・僕の話題ってテレビの話題が多いなあ~と自分でも思う。よっぽどのテレビ好きなのか?どうなのか?・・・)、北野武氏とジャン・レノの登場するコマーシャル。あのCMの大半は、僕には意味が分からない部分が多いのだが、唯一、トンネルの中を走行している車の運転席のたけし氏が、つぶやく場面。「トンネルの出口だ!」につなげて、ジャンレノが「未来への入り口でしょ!」と言う。そして、ドラえもんの何処でもドアのどちらが入り口で、出口?の問いに、「どっちも!」と答えるドラえもん役のジャンレノ。この二つが面白い!
Fly Me to the Moon、 And let me play among the stars
Let me see what spring is like on jupiter and mars.
In other words, Hold my hand
In other words. daring,kiss me!
苦しみ、悲しみ、辛い毎日も、一夜明けるまでもなく、今、生活している場面がすでに未来の入り口と考えることができれば、気持ちはある程度楽になる。入り口か?出口か?この辛い時が、どれほど続くのか?という問いかけに絡めて考えれば、ドラえもんの何処でもドアってのは、いつ、どのように通り抜けたにせよ、そこには新たな一歩を刻むことにつながる。人生、長いようでいて短い。明日をも知れない人生であれば、その時、その瞬間を精一杯生きて、生き抜くことが、ドラえもんの何処でもドアを通り抜けた瞬間ではないか・・・と感じるから好きなんだ。
自分たちの歩いたステップは、足を動かす瞬間から「過去」と変わっていく。自分たちが歩を進めるたびに後ろを振り返らないように、私たちも過去を気にせず、常に前向きに一歩一歩、確実に前進することを目指していくしか方法はない。そこで色々と不必要な懸念や心配事を考えたとしても、それはすでに過去の産物となり得る。過去を振り返らない。自分の思う道を自信を持って前進すれば、いつかはマイナススパイラルから脱することが可能となるのではないか・・・・!
貴方の住み慣れた街はどこですか?って聞かれて、「サンフランシスコ」って答えたら・・・ちょっとオシャレでしょ! 事実、僕の青春時代は、サンフランシスコにある。別に自慢するわけではないけど、添付している写真、両方ともサンフランシスコに通ずる有名な橋である。赤いブリッジはゴールデンゲート・ブリッジで、もう一枚の大きい方がベイブリッジと呼ばれ、サンフランシスコとバークレーを結ぶ橋である。この橋の真ん中にトレジャーアイランドと呼ばれる島があり、アメリカの海軍施設として使われている。一般の者も、この島の一部に入ることは可能で、そこからの夜のシスコの夜景は絶品である。ゴールデンゲートからは、湾内に浮かぶアルカトラズと言う小さな島があり、その昔アルカポネが収監されていた有名な監獄の島が見える。そして、橋を渡りきると右手にサウサリートと言う小さな町があり、アーティストが多く住んでいる。シスコって町は、有名すぎて説明が不要なほどの街であって、そんな街を夜を徹して徘徊していた青春時代。あの頃は、横着というか若気の至りというか、夜の街で遊んでいても恐怖感はなかった。今、思えばかなり危ないことをやっていたものだと恐ろしくなる。観光客でなく、現地で生活する者として金はないし、高価な装飾品も持っていない貧乏学生の事だから、周りから見れば危ないのは僕らの放つ印象の方が危険だったのではないだろうか・・・。
そんな思い出話はともかくとして、僕のパソコンの壁紙にベイブリッジの写真を使っているのだが、自分が考え事をするとき等に、自然と見つめてしまう写真が、このベイブリッジの写真である。遠くにサンフランシスコ・ジャイアンツのホームグラウンドであるキャンドルスティックパーク(野球場)が見えたりして、とても懐かしく思え、その当時に目にしていた光景の中に自分自身が吸い込まれていくような気がするのである。僕が年老いて(もうすでに一歩、足が入っているが)認知症となったら、このような写真を見つめて、さも自分はシスコにいるような気分で、ブロークンな英語をつぶやいているのかもしれない。
自分の一番思い出に残る場所。そして、そこに自分の心が残されているほど、認知症となって自分の気持ちが平坦でなくなったとき、僕は自分をその思い出の中に溶け込ませて、そこのイメージの中に生存しようとするのだろう。サンフランシスコなんて、随分と長く離れているにもかかわらず、僕は現実社会で済んでいる鈴鹿を、不安な気持ちで眺めることとなるのだろう。きっと「ここはどこ?サンフランシスコではない!」と不安な気持ちで、周りの者たちに訴えかけているはずだ。
人にとって、一番良かった時代。それが幼少のころであれば、その頃の自分に戻ろうとする。それは、自分で自分が見えなくなってしまい、その理由も原因も分からない自分を不安に思うとき、そんな時が人は自分を守るために他人を傷つけようとする。他者から見れば「問題」である。この認識のずれが介護を難しくしている。ここで説明すると、客観的に問題とされる点が、その人の行動であり他人に与える危害などの現実行動である。しかし、本人にとっての問題は、今の自分がどこにいるのか、サンフランシスコと思ってはいるけど、周りの状況が似てもにつかわない環境にい面食らっているわけで、その問題意識をしっかりと介護する側が理解してくれて、それなりの安定を図ってもらえれば精神的に安定を促すことは可能である。
認知症の人。その人の人生観、生活歴、病歴や人格などが、殊更介護に重要な要素となる点、少しは理解いただけただろうか?
羽田空港でのショット。 何の図柄がデザインされているのかは忘れたが、とにかくド派手な飛行機が飛び立っていった。
これも羽田空港のスナップショット。オブザーベーションから見た駐機中の787機。期待不良で空を飛べなくなる前の画像だから、結構古い写真であるが、あの当時は787にあこがれをもって眺めていた。飛び立つときの主翼のしなりや、いろいろな部分でとても興味があった。
これはセントレアの駐機場でのスナップショットである。飛行場ってどれも同じように見えるが、これでいて結構、その場所によって特徴がある。滑走路の向こうの景色や駐機場にあるゲートなどの様子が、それぞれの飛行場によって顔が違う。写真では伝わってこない、ジェットエンジンの音や轟音、カーゴ車両の走る音など、いろいろな音が聞こえてくる。いつも、飛行場に行って、飛び立つ準備が整った飛行機から順にエンジンの高鳴り、専用車両によって押し出されていく飛行機を眺めていると、今にも自分もどこか遠くに旅立とうとしている気分になれる。美香氏の僕のブログでも書いたと記憶しているが、その昔、サンフランシスコで生活していたころ、ホームシックとなって家を思い出すと、飛行場に行ってはボーディングゲート近くの椅子に座って飛行機を眺めていたことを思い出す。
飛行場には色々なドラマがある。喜びも、悲しみも、エクサイトメントも感動も・・・あの鉄の塊が空を飛ぶなんて・・・と言う方もいるが。僕は、あの流線型の機体と天高くそびえる尾翼を眺めていると、本当に美しいと感じてしまう。飛行場を鑑賞するには、井丹空港のオブザーベーションが面白い。旅客ターミナルとは、滑走路をはさんで反対側に滑走路沿いに設けられているオブザーベーションは飛行機の理発着を眺めることができる。それこそ、飛行機好きにとってみれば、お弁当を片手に一日中でも飛行機を眺めて過ごせる、格好の場所である。
僕もなんだかんだ言いながらブロガーの一人なんだよね!昨夜、パソコンで自分の過去のブログを読み返してみた。まあ、誤字脱字の多いこと。これは、自他ともに認める、僕の抱える弱点なんだ!そして、過去のブログに写真の少ないこと!これについては、某パソコンのソフト開発会社の社長にアドバイスをもらって以降、ブログを如何に見やすく、読む気になってもらうか!を心がけるようになったからなんだ。まだまだ、自分の書く文章力も未熟で、読み進むうちに意味ぷ~な点も多く、過去のブログを読み返すと冷や汗が流れる場面も多くあった。
ブログってのは、書いてみると意外に難しいものである。過去の自分のブログは、自分自身の感情的な熱い部分は表現されているものの、そこに中身が伴わない場面が多かった。思い付きを書いているから、そのような散文となってしまったのではないかと自分なりに理解している。僕のブログの当初の目的は、うちの職員さんへのメッセージであった。自分なりの考え、それも介護に限らず、お遊びや趣味嗜好の部分も含め、自分自身を理解してもらうことを第一目標としていた。その当時、うちの職場の人間関係はもめにもめていた時代である。個々の職員の介護に対する熱意は、強烈すぎるほどあった。しかし、その方向性がバラバラであった。個人の考え方がバラバラで、向かう方向を見失っていた時代である。その一番の原因は、自分自身が職員の中に受け入れられていなかったことだろう。専門職が混在する職場において、それぞれの専門性を発揮するにあたり、必要とされる方向またはポイントに集中的に無駄なく注ぐことができなければ意味がない。すべてが空回りする。協働という意味でもチームワークが形成されていなかった。そのような時代である。
だからブログで考え方を示したことが功を奏したとは言わない。そんな大それた事云えません。しかし、このブログは少なからず組織を引き締めるためには役に立った。そして、ブログを呼んだ職員たちは、個々人が自分なりに考え始めた点が大きな変化につながっていったと考えている。この職員が考え始めるという行為は、自分たちの行いを反省(・・・そこまでは疑問ではあるが・・・)見直し、気づきに結びつき、結果として自分なりに疑問を持つようになった。
僕は、この疑問を持った職員たちを褒めてあげたい。職員たちは、そこから自分で学び始め、お互いが話し合うことを始めた。誰が支持したわけでもなく。要するに僕のブログは、職員たちの話題の種をまいたことと同じ作用を及ぼしたようだ。この種が、時とともに芽生え、成長していくこととなるわけだが、その途中でもいろいろな問題は起こってくる。本当にいっぱい、それも留まることを知らない洪水のように湧き上がってくる悩みの連続は継続される。しかし、一度方向性が固まると、以前経験したような苦しみもがき改善に翻弄することなく、話し合いの場で解決していくようになった。
僕は他の事業所の管理者の皆さんに、この方法を見習ってもらいたいとは言わない。しかし、年寄りの介護を真剣理解し、そこの場所に右往左往する現場職員たちの気持ちを諮り、理解する努力は、管理者・経営者には必須ではないかと考えている。制度に縛られすぎる経営も、決して介護の質の面ではよくない。実際、高齢者福祉は儲からない! つぎ込む労力を時給換算すれば自然と理解できる。以前ある人が言った。高齢者福祉ってのは、砂漠に池を造ろうと水を注ぎ続ける行為と同じさ! そこまでひどくはないにしても、部分的に納得できるのである。そして、そのような状況下で介護者の持つエネルギーの補充を行ってあげるのが、経営者の役割ではないかと考えている。
風混じりの雨が、昨日一日この地方でも続いていた。個人的には雨の日より晴れた日の方が好きなことは誰しも一緒。でもこの時期の鈴鹿は田植えの始まりのころ。そろそろ田植えが始まっている。太陽の家の裏(南側)にはグリーンベルトゾーンと呼ばれる農振地域が確保されていて、広大な土地に稲が栽培されている。要するに、裏はすべてが田んぼ!ってことである。その田んぼに水が張られ、田植えの準備万端ってとこである。おそらく暑い夏の盛りには、新米が収穫されることだろう・・・
話は変わるが、この時期の緑が一番鮮やかできれいである。とても新鮮な緑を放っている。そして、水を張った田も夜の月明かりの中では、大きな池のような様相を作り出している。少し離れた町の明かりが反射し、月の光を受けて微妙な輝きを放っている。これが日本の春だ!ってな具合に感激も等しい。と、そのような中、夜の田んぼの散歩は恐ろしい。蛇が出てくる。水をふんだんに蓄えた田んぼに生きる小動物を狙って、夜間にニョロニョロと動き出す。アダムとイブの時代から蛇は存在するようで、僕はこの蛇が大の苦手。これほど恐ろしい生き物はいないと思っている。
さて、このような状況下で夜道を散策するときに足元を照らすライトは必要か?というくだらない質問をしてみたい。貴方も僕と同じように蛇のことを恐れるタイプの人としよう。蛇をいち早く察知するために明るく足元を照らすライトは必要不可欠と考えるのか?それとも、知らぬが仏と言うではないか、怖いものをわざわざ照らし出さずとも、見えなければ怖くないわけだからライトは不要と考えるか?この選択肢のいずれを貴方なら選ぶのだろうか?実際、僕も非常に悩んでいる。見えなければ、わざわざ見なくても済む。しかし、見えない暗闇の中で、ひょっとしてアクシデントで蛇を足で踏みつけてしまったらどうしよう・・・・?!ってなわけだ。
どう~でもいい疑問を考えている僕。これは暇な証拠?それとも平和な証拠・・・・? いやいや、違うのですよ。僕が言いたいのは、介護の現場では、このようなジレンマが無数に存在するのです。どうでもいいような問題に見えるかもしれない些細な課題。それを真剣に悩まないから、ことが重大に発展することが多いのです。フェイルセイフとかコンプライアンスとか、リスクマネージメントと言われる分野がこの例に当てはまる課題なのです。お年寄りは健康な若者より「壊れやすい」または「衝撃に弱い」。普段何気なく行っている介護が、選択ミスを起こすことで、大きな事故につながることも多い。
介護者は、気づきに結びつかない些細な変化や異変について、もっと神経質になるべきだ。それ程のこだわりを持って業務を遂行する必要があるってことを学んでほしい。見えなければいい!でなく、しっかりと目を見開いて察知する。感知する!理解する! アンテナは高く、レーダーは広く!です。