太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2013/4/16
なぜ、高齢者の介護の質にこだわるのか?!

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太陽の家を設立して9年が過ぎ、今年で10年目の年を迎える。営利法人として、何もわからずこの業界に足を踏み入れ、沢山のスタッフに支えられ、ここまでやってこられた。特にうちのグループホームの管理者や居宅のケアマネなどの力が大きい。他にもフロアーを取り持つリーダーや相談員の人柄にも助けられて、お世辞ではなく大いに感謝しているのは事実である。手前味噌にはなるが、うちのスタッフは、全てにおいて優しく、思いやり多いスタッフが揃っている。難点を言えば、「気づき」が増えにくい。とてもいい子達だけに、大事に育てられている。大事!大事!は、全てにおいて「据え膳」の生活を保障されてきたわけで、その点で自分から行動を起こすことに慣れていない。

子供時代にいろんな痛み、苦しみ、悲しみ、辛さを味わいながら生活してきたから「気づき」が形成されるわけでもない。その痛みや苦しみ、辛さを感じ、そこに自分自身の気持ちを添えることをやって、初めて「気づき」が育つ。痛みや苦しみだけしか経験していない者は単なる意地悪な人格となる。しかし、その辛さを味わい、なんとかその辛さから抜け出る方法を考え、脱却から失敗してまた苦しみを味わってしまうことの繰り返しが、心を添えるという意味であろう。と、同時に喜び、幸せ、楽しみや感激を知っていることも重要である。私は、うちの職員さんに期待したいのは、大いに苦しみ、大いに楽しみ、大いに悩んでもらいたい。そのことで人間の感性は磨かれ、一回り大きな人間となっていくことと信じている。

さて、前置きが長くなったが、なぜ私が介護の質にこだわるのか?というテーマに関してお話すれば、その一番の要因として今置かれている高齢者の環境に不安を感じていることである。うちのデイサービスを利用する高齢者の方を見守る中で、沢山の問題点を抱え生活に支障をきたす場面の多い方々がいる。たくさんの生活環境がある中、人によってはフォーマルな支援だけでは不足するケースも存在する。ケアマネなら多かれ少なかれ、同じような問題に悩んでいるはずだ。それほど高齢者を取り巻く環境は、今の介護保険の制度をもってしても完ぺきとは言いにくいことが一番の問題ではないか。

しかし、問題はなおの事根が深い。フォーマルな支援を提供する側の質の問題が、これほど制度が厳しく変わった今なお、一昔前の人を人として扱えなかった措置制度の時代と変わらない現状に腹が立つ。自分自身も介護保険の第一号被保険者となる年齢に近くなるにつれ、こんなフォーマルな支援は受けたくはない。一生を終える貴重な時間を、そのように理解し、支援してもらえる環境が整っていない。歳をとることは自然の流れである。誰しも歳を取り身体だけでなく精神的にも機能の低下がはじまる。その局面で、ただ単に寿命を終えるまで生かされている。そんな支援がまかり通ってよいのだろうか?

毎日、騒々しく時間を忘れさせて騒ぎまくるだけの介護でよいのか?食事、排せつ、入浴だけの介護でよいのか?どの施設も同じような活動を行い代わり映えしなサービスでよいのか?たまには一人で考え事したり、演歌や童謡だけの音楽ではなくクラッシックやジャズなどを聞きたい気持ではないのか?・・・食事も与えられるものではなく、自分でチョイスする機会がなくってよいのか?自分の好きな服を自分が選んで着ることはできないのか?いつも団体行動を強いられ、ともに何かをしなければいけないのか?話したくないにも拘らず、やたらとハイテンションで話しかけられ、会話を強要することでよいのか?一人で外出することは許されないかもしれないが、だからと言って部屋の中に閉じこもることしかできない環境ってのはどうなんだ?時にはおいしい特別の茶葉を入れておいしいお茶を楽しみたい。そんなことを考えてもらえる職員を育てたいと思っている。

2013/4/11
晴れ、時々 曇り

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暖かくなったり寒くなったり、服の管理が難しい時期である。半袖T-シャツでも汗ばむような日があったり、今日のように足元がジンジン冷える日もあったり、とにかく体温調節の難しい毎日である。週間予報によれば、今週末以降は20度を超える気温の毎日が続くようである。天候も晴れの日が多い。サンフランシスコの一年は、このようなカラッと寒い毎日が一年中続く。(厳密に言えば、夏は暑いことは暑い。)昼間は暑くなるものの、夜にはカーディガンの一枚も羽織らないと寒くて仕方ない、言ってみれば過ごしやすい気候である。

しかし、日本の場合は、この寒暖の大きな春先を超えると途端に、湿っぽく毎日がジメジメしたうっとうしい露がやってくる。すぐに食中毒警報が出され、行政機関から注意喚起の文書が回ってくる。乾季、雨季、熱波と続く日本の気候を、昔の人はそれなりに諦めて逆に楽しんだ。ものは考えようであり、ムシムシ・べたべたの暑い日本の夏も、生きてる証拠と考えて、毎日の湿気を楽しむようにすれば、それなりに過ごせるものなのか・・・?テレビCMでも早々と「水虫」の薬のCMが流されるようになった。

浴衣に花火、団扇に蚊取り線香、縁台と朝顔・・・日本の夏特有の風流は、今では洋風に変わり果て浴衣の代わりに派手派手模様のユニクロのステテコとダボダボのTシャツ、団扇の代わりの電池式簡易ファンと電子香取、キャンプ用折りたたみ椅子とイボイボのゴーヤ、花火も変わった。昔ほどの火力を誇ることのできないショボイ線香花火。派手派手な社会となりっていく中で、古い昔の風流は次第次第と時代遅れの遺物となっていくのかもしれない。

昔かたぎな目立ちたがりは形を変え、テーマパークで乱稚気騒ぎをして周りの人の迷惑を顧みず、自分だけが目立っていれば嬉しいアホな学生の多い時代。わびもさびもヘッタくれもない時代なんだろうな!dsc00703.JPG

2013/4/10
近年の冠婚葬祭事情

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日本の冠婚葬祭は、年々大きく変化してきているようである。これも少子高齢社会のせいかな・・・?昨日、私の叔母が亡くなった。その葬儀のために一日を親族とともに過ごした。普段会うこともない親戚と顔を合わせ、その変貌ぶりに、このような場でなければ親戚と認識できない変化に驚くやら、成長した子供たちの姿に驚くやら・・・当日の葬儀会場は驚愕の声と笑い声が響く、ちょっと場の雰囲気もあったものではない。そのような状況であった。これも、年齢若く人が亡くなった場合の葬儀ではなく、世代交代の一部と言える別れの儀式との違いと言えるかもしれない。 そして、もう一つの大きな違いとして、葬儀に参列する人達である。年配者の葬儀の場合、参列者の方々は概ね後期高齢者と言われる人々が多く、歩くのもおぼつか無い年寄りばかり。あっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロ、いたるところにぶつかり、すべての動作が緩慢で、交わす会話の声がやたらと大きい。そして、その会話に耳を傾ければ、会話がかみ合っていないにもかかわらず、お互いが理解しあったような素振り。まったくもってデイサービスのような様相である。

一人の男性が我が父のそばに歩み寄り「こんにちは、ご無沙汰です!」。すると、うちの父は「はあ?どちらさんでした?」ときた。同じ地区に住む古くからの知り合いに向かってである。その会話を聞きながら、僕でも知ってるのに・・・と思いつつも何も口出しせずに見ていた。 第二に、火葬場の控室での話である。鈴鹿の火葬場の待機場所は和室である。おまけに上り框の段差付。皆が杖を頼りに歩きかねている爺さん婆さんたちが、和室に上がるのに一苦労。次に和室の床に座るにも一苦労。足を投げ出し、お茶や茶菓子の接待もままならない状態で、丸太が横たわるように、そこかしこに年寄りが座り込んでいる。まあ、活動的ではない、なんという無様な恰好!と一人の親戚が言う。

私の身内の世代交代が今始まりかけている。遅がけの世代交代は、老人ばかりが目立つ。ちょこっと元気な爺さん婆さんがヨイヨイの爺さん婆さんを労わって持成す。老々介護ではないが、老々接待の現場であった。今週初めは叔母の葬式、そして今週末は実の妹の娘の結婚披露宴に出席。まあ、今の時代の冠婚葬祭の様変わりに、変な興味がわいてきた。

2013/4/6
思い出

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今日はいつになくセンチメンタルな気分なのか・・・先のブログで思い出のカーメルの画像を張り付けていたら、どうも古臭い昔が懐かしく思い出されてネットサーフィンを繰り返しながら、昔、学生時分に働いていたナーセリーの写真を発見した。あの場所のにおいや空気までよみがえってくるような気がした。

僕はこの園芸屋さんで、お客さんの購入した花や肥料などを、お客さんの車まで運ぶ仕事をしてた。時々もらえるチップがうれしかったことを覚えてる。でも、アメリカの園芸用肥料は大容量で、日本のものよりも遥かに大きく、重く、そして臭かった。一日中働くと、頭から足先、全身に牛のウンコの匂いと埃にまみれ、力仕事の疲労と匂いで辛かったことを覚えている。しかし、慣れてくるにつれ、接客もさせてもらえるようになり、自分のセールスで花や肥料や消毒薬などを販売できるようになったときは、仕事が面白くて仕方なかった。

そんなちょっとした思い出のかけらを、皆さんにも感じてもらいたくって紹介します。

Los Altos Nurseryです。

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2013/4/6
ある番組・・・2355について

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毎晩、11時55分になると観る番組がある。タイトルに書いたように、その番組を数字で2355と言う。まさしく、文字どおりと言うか、23時55分のたった5分間の番組を放送しているEテレのことである。たった5分だが、この5分が面白い。そこに展開されるアートワークって言うか、発想が面白い。皆さんも一度、ご覧になると良い。クスッ!と笑えるかもしれない。

今日、紹介している画像は、アメリカ合衆国のカリフォルニア・モントレー郡カーメルのビーチに生えている糸杉の画像である。僕が滞在していたころから存在する木で、まだまだ若かりし頃、当時の彼女とともにこの木の下で写真を撮ったことを思い出した。今から思えばずいぶん昔の話である。

まだ気持ちは、その当時のままではあるが、写真を見ながら当時を思い起こすと、そこにすでに40年近い歳月が経過している。自分にとって一番輝いていたころの話だ。2355の終わりがけに必ず、明日につなげるナレーションが入る。「にいさんごーごーが、土曜日を告げます!」と。過去は今の過ぎ去った跡。今の自分は、すでに過去のものになっていく。この番組を観ながら、いつも一日の終わりに感謝する自分が居る。波乱にとんだ一日でも同じように感謝してる。明日に向かって、気持ちを入れ替え、新たなるスタートを切る、とても良いきっかけとして番組を観ている。lomberd5.jpg

サンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズを望む


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