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ブログ-施設長の部屋

2012/7/25
太陽の家の職員さんにわかってほしいこと。

普段から、いろいろなお年寄りの介護に精いっぱいの努力を、ありがとう。皆さんの支援によって多くのお年寄りたちが、毎日元気に生活を維持できていると確信しています。さて、精いっぱいの努力を頂きながら、更なる理解を求めるには、それなりの理由があります。まず、今の介護業界の現状を考えると、市内に増え続ける新規デイサービスセンターやグループホームなどの小規模施設の立ち上げです。増え続ける高齢者の受け皿づくりと、今後さらに増加するみこみの認知症高齢者を支える専門施設としての整備が進められているわけです。たくさんの同業施設が増えてくることは、そこには市場原理として「よりサービスの良い事業所に利用者が集中する」という現象が見えてきます。今すでに、その施設のサービスは兎も角、立地によって待機者の数に差が生まれようとしています。お陰様で、この太陽の家は、鈴鹿市内の中心部に立地し、ショッピングや交通の便を考えても、とても有利な立地条件化に位置します。しかし、問題は、これから先の話です。現状に満足し、今の環境に胡坐をかいてしまうことで、いつの間にか気が付いた時には、地域の中の同業事業所に大きく溝をあけられてしまった!と言う失敗は見たくはありません。今、他事業所との格差が微小であり、そのいづれもドングリの背比べ的状況下では、どこの施設を利用しても大差はないのですが、ここで皆さんが先々を見据えて、もう一段階のステップアップを達成してもらえれば、業界でのイニシアティブを獲得することとなると信じています。

我々の求めるものは、立地条件はOK!しかし、提供されるサービスの質によっては利用を遠慮される方もあり得るという点を考えていかなくてはなりません。ただ単に同業各社の中で企業として生き残るだけではなく、この社会福祉事業として地域に貢献し、この地区の社会福祉全般を担うだけの技量と自信を得ることは、ここに働く職員さんのサービス提供者としての自負心にも大きくつながることと信じています。

以前、私はブログの中で書いたことがあります。サービスもへったくれもなく不味いラーメンを販売していて金をとるな!と。まさしく、この理論が必要不可欠な時代なのです。国により、地方行政により、国民の多くの血税を介護保険事業に使わせてもらっているのです。ただ時間さえ満たせば(サービス提供時間だけ滞在するだけの状態)介護保険から同一の報酬が確約されている制度上の問題はあるにせよ、だからと言って、文句言われないから最低レベルの帰順させ満たせばよいという考え方に明日はない!そのような気概で前を見つめてもらえなければ、日本の高齢者福祉は破綻することは目に見えています。そして、この理論が浸透しない介護職の人が要介護者となった時に、今、要介護者が心に秘めている同じ不満感を味わうこととなるのです。

人間の欲求を100%満たすことは不可能です。しかし、100%に近づける気持ちを維持することは可能です。自分の独りよがりではなく、複数の者が同じように満足できる到達点を求めて、ともに学びを進めていかなければいけません。このように、私は考えるのですがいかがでしょうか?

2012/7/20
落雷のいたずら?

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うちの居宅のケアマネが昼食時に帰ってくるなり、「ブログネタ!獲ってきました!」と嬉しそうに言う。彼女のことだから、きっとうちの年配の看護師のおふざけ写真と思いきや、掲載した信号機の写真だった。彼女の話によると、今朝がたの雷鳴とどろく雨空の中、居宅の業務で出かける際中の出来事だったそうで、幹線道路を走行中に赤信号で止まった途端に、写真の通り、交差点のすべての信号が消失したそうだ。幹線道路だから、その時の車両走行量も多いはずが、信号が消えても、しっかりと全社停止し、交差する側の道路から、適当な時間だけ往来があり、また車両が自発的に停止し、幹線道の方の車列が動き出したそうだ。誰が支持するでもなく、その場に居合わせたドライバーが、指示なく規則正しく走行していた。と言う点でびっくりしたとコメントしていた。

 普段は黄色信号はすすめ!のドライバーマナーを嘆きながらも、いざと言うときには秩序を持って運転できるんだ!という驚きがブログのネタだそうだ。

2012/7/16
愉快な看板、見つけた!

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この看板は知る人ぞ知るガソリンスタンドの看板です。下の76は、カリフォルニアを中心にシェアーを伸ばしてきたユニオン ガソリン。上の78の看板は、三重県内の国道沿いに見つけた看板です。残念ながら、このスタンドはすでに廃業となっていました。コピー大国の中国みたいな雰囲気がかわいらしく、思わず手持ちのカメラで撮影してしまいました。こんなユーモアたっぷりのガソリンスタンドが近くにあったら、僕なんか一辺にファンになりそう。次いで、こんな恐ろしい前ふり看板は見たことなく、昼の日中ではあったのですが、用を足しながらも、その無防備な間中、体が構えていました。恐ろしい看板ですが、不審者がでます!って断言されてもなあ~って感じですね。

2012/7/16
学校問題その2.

前回に引き続き、今話題の学校の問題について書いてみたい。

イジメに関して、社会全体が大きな関心を示している今、あらゆるテレビ局のワイドショーにまで取り上げられるいじめ問題。全体的に教育者や教育現場である学校と言う組織が標的となっているように思うが、これって、どうなの~???

 日本の社会の典型的のような事象が、今のいじめ問題への社会の視点ではないか?何を改善すれば良い理論ではなく、誰をターゲットにして改善を求めるのか?と、社会の視点に偏りが出ているように思えて仕方ない。確かに、今回の大津市の教育現場で発生した、生徒の自殺に絡んだ諸問題は教育委員会や学校側の対応のまずさが標的とされ、今ではマスメディアのすべてが、学校長や教育委員会バッシングに傾倒している。イジメの根本に隠されている本質も、イジメの捉え方も議論されず、ただ単に子供を守ることができなかった学校組織を敵視する方法は、中世ヨーロッパの魔女狩りのように思えるのは、日和見的な僕だけの感情かしら・・・?

以前、うちの施設で働いてくれてたスタッフが、このようなイジメが起きやすい社会の中で成長してきた子だった。就労期間はそれほど長くはないが、それでも一生懸命に働いてくれた。ただ少しだけ、自分中心のものの考え方が介護の世界では通用しないものがあった。高齢者は、自分の余生が限られている分、ある意味我儘な存在である。また、重複する持病による苛立ちや不安感情が若者よりも多く、その分生きる希望を失いがちである。そのような現場にいて、若者視点で現代の流行を押し付けても、高齢者はなじんではもらえない。逆に介護する者として、周りからも浮き上がってしまうようになってしまった。前回のブログにも書いたように、話さなくても分かり合える時代から話してもわからない時代の子なのである。高齢者どころか我々、管理者側からも理解できにくい状況に悩んだものであった。この子は、この子なりに一生懸命、社会福祉を学び、自分なりに努力してなじもうとしていたはずである。しかし、この子と周囲との壁は厚く、高くなる一方でった。そして、最終的に事業所を去って行った。

 小学生でも中学生でも、学校に来ている以上は、その子たちの命を守る義務が学校にはある。義務と言うより、学校の教育者として、きょうしとして自らの倫理観から自分の教え子たちを守ろうとするはずである。しかし、ここには、教師と生徒と言う普段からの主従関係の構築があって初めて成り立つ観念ではないのだろうか?今の学校には、親と同じだけの思いやりを持った教育者が少ない。その理由に、親族が他人である教育者による躾や教育を望んでいないのではないか?!少子化社会となり、親が四六時中、我が子をかまい、躾けることが可能となった今、自分以外の大人に左右される子供には育てたくない感情が親の方にも存在する。そのくせ、一つことが起これば、すべての責任は教育現場の教師に押し付けられる。これは、完全に不公平な状況ではないか? 親が教育者に自分の子供の教育を託すことができない社会となりつつあるのであれば、そこに生徒同士のイジメが発生しても、それは親の責任ではないのか?ましてや、そんな現場に警察が介入することは、古来からの信頼関係の厚い日本社会の崩壊ではないか?

 このイジメの問題で揺れる学校で教育を受けている子供たちが、次の社会福祉を担う人々となるわけだが、学校で無難なく時間を過ごさせてもらい、家庭では、父親よりも尊重され大事に、自由に、そして家庭の中心的存在として育て上げられた子供たちである。高齢者介護なんて、面倒くさい、臭い、キツイ仕事について、自分の我を捨てて専門性に徹することって可能なのだろうか?大きな疑問である。

 イジメをイジメとして理解するのではなく、一つの厳しい社会勉強であり、そんな社会にも順応できるたくましさを教える機関が求められる。別の組織ではない、文部科学省直轄でも何でもない、昔のように単なる近所のおっさんやおばちゃんたちの輪や、世話焼き婆の存在こそが、社会的な苛めの撲滅や、ヤンキー撲滅につながるソサエティーの姿ではないのだろうか?

 世の中の定年退職を求められた60歳以上の中年オッサンやオバやんこそ、子供達の目の上のコブの存在になるべきであろう。そして、こんな機関を作って、定年後の第2の人生に行政が支援を行えば、それこそ一挙両得ではないのか?

2012/7/13
大津の中学生の自殺と教育員会の対応問題について

このところの新聞テレビでは、大津の中学生の飛び降り自殺に関する学校側の対応のまずさに関する報道が大きく取り上げられている。特に学校や教育現場で発生する諸問題は、最近の傾向として、非常に大きく取り上げられる傾向にある。生徒のイジメや自殺に対して、社会全体がとても神経質にならざるを得ない。そんな殺伐とした若年社会の成り立ちに、大人社会が対応でき切れていない現状では仕方ないのかもしれない。

 こと若年者の自殺と言う課題に対しては、過去も現在も隔たりなく存在した。とかく社会のセーフティーネットが問題視されがちではあるが、ある意味、自殺者を救うことの難しさは過去よりも今の時代の方が大きいのではないかと思われる。私たちの子供のころにもイジメは存在した。イジメだけではない、教師によるあからさまな依怙贔屓(えこひいき)も存在した。特に裕福な家庭の子供は優遇された。また、社会自体が高度成長のどっ真ん中の時代、どこの家庭も共働きで、家庭を顧みない親父や、子供だけが誰も居ない家に帰って、一人でやるべきことをやっていた時代でもある。俗に言う「かぎっ子」の時代である。そんな家庭環境は普通であり、生きていくためには「仕方ない・耐え忍ぶ」状況を子供たちも理解していた。文学青年は己の純真さを守るために自殺を選び、汚染された社会に染まることを拒み続けた。

 以前の僕のブログでも書いたが、自分たちが子供のころには、多面的な生き残れる組織が形成されていた。それぞれの組織にはガキ大将が存在し、それらの大将に守られながら、ひ弱な子供たちは守られていた。徒労を組むと言う表現があるが、まさしくその通りの組織が存在したのである。気の合ったもの同士、同じ趣味や活動を絆として結びつきやすい軍団である。我々の子供時代は、今の子供たちに比べれば、このような人間関係に守られ、同調しながら生活ができた時代である。それに比べると、今の子供たちは、家庭と学校の二つに一つしかソサエティーなるものが存在しないのではないか?学校教育の場以外では習い事や塾に追われ、プライベートな生活を機械相手のゲーム対戦にしか求めることができない。非常に人間関係が希薄になった社会となってきているのではないか?!

それと今、僕が読んでいる社会学の本が、今の日本社会、とりわけ、今回の自殺に対応する学校関係者の問題を端的に物語っているように思うのである。榎本博明著「すみません」の国と言う本である。榎本氏は、この著書の中で、日本人特有のコミュニケーション方法として、悪いと思っていないのに、とりあえず謝る日本人であり、そこに潜む思いやりに基づく奥ゆかしい美しい二重構造が、日本人が他者に対して、自分自身の意見や思いを伝え、理解してもらうことよりも、まずはその場の雰囲気をよくすることを目的とすると解説する。場の雰囲気を保つことで、相手を傷つけることなく、暗黙の了解を取りえることを一番の目的とするコミュニケーションのあり方を日本流としている。

 同時に多種多様な人種の寄り集まりの欧米社会に比べても、単一民族の日本人社会では「話さなくてもわかる」という状況が存在しうるのである。しかし、高度成長の時代から、田舎から都会へ、都会から田舎へ、仕事の都合によって日本人社会にも大きな移動が始まり、海外からの文化も大量に流入し始めた今、今までのような「はなさなくても分かる」そのような環境が崩壊し始めているのかもしれない。

 日本人のワビ・サビと言う、古来の文化は、相手の心情を徹底的に考え、相手を逃げ場のない環境に追い込むことのない配慮を持って成立していた。この配慮こそが、欧米人からすれば理解に苦しむ日本流と言われるコミュニケーションの文化である。

 今回の自殺にからんで状況説明を行っている教育関係者に対して、社会全体がバッシングを与えているよう雰囲気である。確かに、あの東日本大震災の時の原発事故に対応していた東京電力の応対の仕方や、今回の教育現場の人々の事情説明にしても、歯がゆいばかりで革新に到達していかない。嫌な日本流のコミュニケーションが、そのまま表出しているのである。しかし、確かに子供の教育現場でイジメを放置したり、自殺を未然に防ぐことができなかった事は大きな問題ではある。しかし、この問題は、日本人であって、日本の社会で生きる上では、ある意味仕方ない社会の歴史ってのが大きな影を落としているようで仕方がない。社会が欧米化しきれてない、日本人特有の理念が時代に沿っていない。大きなうねりの中で、人の力では何ともしようのない、厳しい現実社会が立ちはだかっているようで、被害者家族の気持ちも理解できるし、学校関係者の気持ちも理解できるのだが・・・・これを日和見というのだろうか・・??


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