両親は兼業農家として僕を育ててくれたが
撲は農業をやったことが無い。
田植えや稲刈りは手伝ったことはあるが
本のアルバイト感覚で、言われた作業をこなすだけ。
そんな自分が、昨年から畑で野菜を作り始めた。
このブログでも紹介してきたように、畑を耕し、色々な堆肥や肥料を混ぜ込んで
そこに野菜や果物苗を植えていった。
作物は、成長が遅く、株の大きさも小さい。
そして、収穫できた野菜自体も小さく貧弱なモノばかり。
挙句の果てに、収穫間際になってカラスに横取りされ
青虫やコガネムシ、テントウムシに襲われ葉っぱものも全滅。
スーパーで買った方が何倍も安い、投資対効果を考えても
手間を考えても、非常に腹立たしい結果となりつつある。
先日、ひょっこりと畑に行ったら、鳥害防止ネットを張り巡らせたトマトを
まさしく「食事中」のカラス2羽。
僕の車が近づいてきたことに驚き、慌てふためいて飛び立とうとする。
そんなカラスが、ネットに羽を絡めてしまい大暴れ。
僕の大事な野菜畑を荒らしているカラスに腹だたしく
車から飛び降り、カラスを叩いてやろうと近寄って行ったけど、
結局、カラスを叩くどころか、石も投げることもできず
ただ、茫然と暴れながら、かろうじてネットから抜け出して飛び去るカラスを
呆然と見つめるだけで終わってしまった。
カラスが食べ散らかした真っ赤なトマトを見つめながら
来年は、もう少し頑丈な防鳥ネットを張らないとだめだな~と思った。
農業ってのは、自然まかせ、天候、虫、鳥や野獣を含め
ぼ~っとやってんじゃァダメなんだな~と反省している。
本当に、難しいわ!!
昨日の盆踊りに関する話・・・No.2
昨夜は、日曜日の夜7時から6人の爺さん、婆さんと
グループホームの職員の全員が手伝ってくれた。
たった6人。と思うかもしれないが
認知症の人たち6人を屋外に連れ出すのは難しい。
まず、足腰が弱くなったなあ・・・と車への乗降動作を見て感じた。
一人を送迎バスに乗車させるのに、時間と力が必要となる。
全員汗だくになって、6人を乗せ、6人を降ろし、おつまみや飲み物を手配する。
スタッフ全員は、ボランティアとして協力してくれている。
自分の仕事を終えてから同行してくれたり
休みなのに出てきてくれたり・・・
認知症の人を地域に密着したサービスの提供は
むちゃくちゃ労力が必要だ。
皆汗だくで、自分の夕食も食べずに参加協力してくれている。
このスタッフの協力が無ければ、盆踊りなんて参加することはでない。
大変な重労働に職員の気持ちが有り難かった。
屋台で販売しているのは不味い焼きそばやフレンチフライポテトや唐揚げ。
職員に配れるのも、そんな不味い焼きそばくらいしかなかったが
何とか腹の足しにはなったようだ。
今回の協力に際し、管理者には皆の分のオーバーワークの手当の申請をするように指示した。
昨日の日曜日の夜、太陽の家の住人たちと一緒に
西条町の盆踊り大会に参加させてもらった。
親父も一緒に参加した。
今年の盆踊りには参加できないかもしれない・・・と危うんでいたが
結構、頑張って生きている。
今年で93歳。医者からはいついっても 不思議ではない・・・と言われ。
僕も妹も、それなりの覚悟をしたが、ところがどっこい!
まだお迎えが来ない。
昨日の夜ご飯を食べた後に盆踊りに参加して
そこで提供された唐揚げやソーセージなどを平らげ、
これだけ食べれたら、逝かないよな~と思わず笑えてくる。
何だかんだ言いながらも、母を失くして、父の寿命も風前のともしびとなった今
いつまでも生きていることはできないのは理解しつつ
やはり父として頼りたい気持ちが自分の中にある。
例え認知症の父であって、意思の疎通が難しくても
やはり父は父なんだと昨日の盆踊りに参加して
殊更、強く感じた。
親父93歳、息子66歳・・・いつまでも子供です。
久しぶりに津方向へツーリング。
千代崎、鼓ヶ浦、白塚から三重大裏の海岸通りを通り江戸橋の交差点
国道23号線を辿って帰宅
総距離50Km
暑かった!! ウオーターボビン1本では到底足らない。
途中コンビニで水分補給
上の写真は鼓ヶ浦海岸手前の樹木
吹き付ける海風に樹形が変形したようだ・・・
大型クルーザーは出港中?! ドックには停泊してなかった。
全線開通。堤防道路を走って河芸から江戸橋までつながった。
サウジアラビアでは、東京都の半分の面積に相当するリゾートパークを計画しているらしい。
パークの中にはサーキットも計画されているとか・・・
そんなニュースを見ながら
そんなでかい場所のテーマパークに
何日もかけて遊んでられないだろう・・・と
他人事ながら、密かに心配してる自分に
歳とったな~ァと感じた。
チャレンジ精神が影をひそめ
守りの体制丸見え。
歳はとりたくないものだ。