1.高齢者になると頑固になる
2.高齢者は利己的になる
3.高齢者は愚痴っぽくなる
4.高齢者は疑い深くなる
5.高齢者はイライラしやすくなる
6.高齢者は不安を感じやすくなる
7.高齢者は疎外感を感じやすくなる
8.高齢者は無気力になりやすくなる
想像力、理解力、洞察力、判断力は保持されるけど
記銘力、想起力は低下しやすくなる。
知的能力の低下は個人差が大きい
心理的に不安、失望感、孤独感を抱きやすい。
環境の変化に対する適応力が低下する。
高齢者では、社会的役割の変化が大きな影響を及ぼす。(仕事の引退、親役割の終了、孫の誕生など)
喪失体験(親族、友人との死別等)
経済力の低下(年金生活など)
これらの要素が絡み合って、認知症と言われる色々な問題が生じてくるのです。
認知症とは、決して病気ではないのです。上記のような高齢となった人たちの
生活のリズムや 環境の変化によって、次第に生きる意味を失っていくこと。
それを含めた人間の脳細胞の器質的変化を言います。
出来れば、死ぬまで現役!
死のお迎えのくるまで出しゃばっていること!
生きる限り、ずうずうしく振舞ってやる!と、考えています。
急に暑くなってしまって、正直、面食らっているのは私だけでなく
日本に暮らす全ての人の思いでしょう・・・
毎日、熱中症で救急搬送されたニュース。
高齢者には命に係わる重大な問題です。
また、認知症の人にとっては、この熱中症は更に深刻な問題なのです。
認知症の人が熱中症にかかると、そうでない人に比べて重篤になるというお話ではありません。
ここでお話したいのは、なぜ、認知症の人は熱中症になりやすいのか?についてお話しします。
高齢となると色々な身体機能が低下することは、何度もお伝えしました。
そして、特に身体中に張り巡らされた検知機能が年齢と共に衰えてきます。
つまり、寒さ、暑さを感じるセンサーが本来の機能を発揮できなくなるのです。
お年寄りが夏でも長袖、厚手の衣類を着たり、真冬の湯たんぽによって火傷しても気づかない。
そのような熱感知システムの不具合が出現します。
加えて、認知症となると「見当識の障害」の出現が言われています。
時間、場所、季節等の認識が取れなくなること。これが見当識障害です。
熱波を認識できない温度センサーに加え、真夏の熱波を認識できなければ
当然のごとく水分の補給を自発的に行うことも難しくなります。
そして、水分補給も、排尿トラブルや排尿に関わる身体機能の低下によって、煩わしく感じたり
トイレに行くことだけでなく、尿漏れを殊更心配視るあまりに、水を飲まない!
そのような複数の要素が重なり、年寄りは 水を飲まなくなる。
結果的に汗もかかない、体内に熱がこもり、熱中症となってしまう。
熱中症予防のためにお酒を飲むから平気!ってのはダメなんですね!
お酒やカフェインは、利尿作用があることから体内の水分を排出する働きが多く
水分補給とはならないからです。
まあ、認知症の人でお酒を浴びるほど飲まれる方は少ないでしょうが、
若い方にしても、誤解の無いよう。くれぐれもご注意ください!
第十九話でも記載したように、認知症も重度となると自分の意思表示が出来にくくなるのです。
重度の認知障害を持つ人と会話していて、一番苦労するのが「本人の意思確認」です。
うちのグループホームでは、設立当初よりグループホームの入居者の方々の自治会を作っていました。
そして、自分たちの食べたい食事や、レクリエーションや外出先やイベントの話し合いを定期的に行っていました。
まあなかなか発言は少なかったし、毎回同じ回答を聞くこととなるのですが
それでも、皆さんの思いを想像し、協調しておやつの献立を作ったり
外出先を決めたりしていました。
しかし、入居から10年の歳月が経過し、それぞれの認知症も進行し
今では、自治会の運営もままならない程、皆さんの気質変化は激しく
意思確認が困難となってきました。
さて、このような障害は、今後、身体的に老化も合わさり
次第に内臓疾患や循環器の疾患等の医療的処置を必要とするステージとなって
どこまでの延命を望まれるのか?と言う意思表示が重要となってきます
また、ひょっとして合併症により命の危機となる場面も出現してきます。
人は自分で、自分悪氏をチョイスすることはできません。
全ては天が定めることで、自分の手で自分の命を終えることはできません。
そんな時を想定し、自分の最終エンドステージに、どのような医療を、どのような介護を
望むのか?!を、認識あるうちに記録しておくこと。これがエンディングノートです
僕も自分悪エンディングノートを書きました。
認知症となった時用、重篤な病状となった時用、死んでしまって葬儀に関する要望や
自分自身の過去の思い出などを記しています。
そして、今現在持っているクレジットカードの情報やネット契約している定期契約のパスワードやID
友人リスト(僕が死んだときに知らせてほしい人の連絡先とその氏名)
これらの記載された情報は、もしも僕が自分自身の意思表示が出来なくなったときに
残された家族や社員が、僕の要望に従って全ての処理をしやすくするためのもの。
残された者が悩み、争うことなく、僕の描いた最終ステージを演出してくれるのです。
エンディングノートは、一回きりではありません。
生きている限り、書き直したり、削除したり、追記したりすることは可能です。
ただ、一番重要なことは、最終ステージにおける医療的処置の考え方をしっかりと書いておくこと。
ぼくは、自分の延命処置について、どこまで望んでいるのかをしっかりと記載しました。
そして、最後に署名押印しています。
生前のイベントプロデューサーとしての自負心もあります。
死んだ自分の葬式を自分でプロヂュースするのです。
格好良いではありませんか!!
皆さんも、若くても結構、もしも自分が死んだら…を前提に
一度エンディングノートを作ってみたら・・・?
書字障害とは・・・文字を書いているつもりが文字とならない脳の気質変化を言います。
アルツハイマー型認知症のような脳の萎縮によって字が形を形成できないもありますが
多くは前頭側頭型認知症の方に多く見受けられる症状の一つです。
大脳の前頭部、側頭部に気質変化が生じることから
言葉を話したり、文字を書いたりすることが出来にくくなる障害を受けることです。
よく、丸時計を書いて、何時何分と時間を長針と短針を書いて表現してください。と言った問題に際し
的確に時刻を表示できないことがあります。また、屋根付きの家を、描いてください。と言った
設問に対して、的確に写生することが出来ないたって普通の人として、
このような書字障害を生じるような状態となった方々は
非常に残念ながら認知症の進行は、かなり進んでいると言わざるを得ない状態と思われます。
モノを見て認識できない。言葉をしっかりと認識して話すことが出来にくい。
そして、次に来るステージとしては、自分の姿の写る鏡に向かって、赤の他人に話しかけるように話をし始めます。
非常に悲しい姿かもしれませんが、ここまで認知症が進んでくると、逆に認知症に対する恐怖や
生きていく上においての不安感は縮小していきます。
私たちが、その様な認知症の人に支援できることは、字が書けないことを不自由に思わないで済むよう
会話が成り立たなくとも、お互いの意思の疎通ができるような気づかいさえあれば
その時々を何の不安も感じることなく過ごすことが可能です。
私たち、介護するものがやらなければならない事。
それは、その人の心に私たちの心を添えることしかないと思います。
決してバカにしたり、恥ずかしがらせることなく
いたって普通の人として、 一緒に時を過ごしてみることが重要です。