さて、この空をみて、どこから撮影したのかわかりますでしょうか?
勘の鋭い職員さんにはピンとくるものがあるでしょう・・・・そうです。太陽の家の裏庭から撮影した、ある日の夕方の空です。周りの建物を除外すると、海外のリゾート地で撮影した空と言っても信じてもらえそうな空です。ちょうど、この日は、上空をゆっくりと飛行していく旅客機を見上げながら、結構低めの高度を飛行する姿をカメラに納めようと、急いでカメラを取りに事務所に戻ったのですが、やはり飛行機のスピードのほうが速かった。カメラを持って屋外に出たときには、すでに機影は上空になくジェット音も消え去っていたのです。そりゃ、当然と言えば当然で、飛行機が着陸態勢に入った状態であっても時速300Km程度のスピードで飛行場まで飛ぶのですから、太陽の家上空をうろうろしてるわけはないですね。仕方なく、せっかく持ってきたカメラ。何かを撮影してブログで紹介できないと考えました。其の時の空がこの写真です。
時間は5時をまわって、西の空が少し赤く染まり始めた頃です。連日の酷暑のあと雨が降り、その雨の影響で色々な地方で洪水が発生した、あのときの雨の後の晴れ間です。大荒れの天候で、風も強く横殴りの雨が、この地方でも丸一日降り続き、被害こそ出なかったものの、デイサービスの送迎運転手さんたちを困らせた雨がありましたね。ここ数年、雨は局地的に降り、一時に大粒で大量の雨が振ることが多くなりました。昔、フィリピンやタイなどの気候は土砂降りの雨が時折発生するので、観光客は注意するようにと言われていましたが、今の日本がそのような天候です。まるで熱帯のような、大雨。車を走らせていて、前方にウオータースクリーンではないのですが、完全に雨が降っているな!とわかるほど、ある一線ではっきりと雨と晴れの境目に遭遇することがあります。高速道路ですから、こちらの巡航スピードも100Km以上の猛スピードで雨に向かって突っ込んでいくのです。突如としてフロントウインドーを叩くような音を立てて雨粒がガラスに炸裂します。ワイパーを動かしても視界不良なのと、一瞬にして雨の川のように成り果てた高速道路の路面に恐怖感も高まり、自然とアクセルから足を離してしまうのです。
こんな突然の大雨に現代っ子たちは慣れっこになってしまったのか、雨の中、傘もささずゆっくりと歩く姿も見受けられます。まア、傘が有っても無くっても濡れることに変わりは無いのですが、ずいぶんの人の考えかたも変わりました。そんな大雨、これからは雷も増え、それによる電子機器への影響も多くなりそうです。僕も、自宅のコンピューターはコンセントに刺しっぱなし。近くに落雷すれば、それでコンピュータは大きなダメージを受けることとなるのです。お金の問題ではなく、PC内部のデータの消去やダメージが大きな損害です。データこそお金に代えられない代物。大切なものです。今年の雷対策として、面倒ですが、使い終わったPCは電源を切るだけでなく、コンセントも抜いてしまいましょう。
でも、今日の写真、なんだか一日の仕事を終えた安堵感を感じませんか?自分で言うのも変ですが、とてもうまく撮影できたと思っています。
僕は一時、パイロットにあこがれた時期がある。男の子なら必ず電車の運転手やバスの運転手などに一度は憧れるように・・・・もちろん、そんな子供時代の話ではなく、成人になってからのことで、本気で飛行機を操縦したいと思っていた。今も、飛行機の操縦には年齢に関係なく、ものすごく大きな憧れを抱いている。ジャンボジェットほど大きくなくとも、小さなセスナ機でもグライダーでもいい。とにかく大空を自由に流れるように滑空してみたい。そんな気持ちがふくらみ、其のうちに何とか免許でも取ろうか・・・なんて考えているだけで楽しめるほどである。
アメリカのネブラスカ州に会社の長期出張で滞在していた時は、本当に何度も飛行機を使ってアメリカ国内を飛び回った。アメリカにおける飛行機は、日本のバスや電車などの公共交通機関と同じくらい一般的な交通手段で、色々な土地を飛行機を乗り継ぎながら移動する。ニューヨークへの出張帰りでシカゴのオハラ空港で一時間の連絡時間をとっていたスケジュールが、ニューヨーク出発便の遅れからシカゴでつなぎの飛行機の出発時間ぎりぎりに到着したこともあった。広いオハラ空港を出張荷物を抱えて走り、ようやくリンカーン・ネブラスカへの出発窓口に着いたときには、すでに自分が乗るはずの飛行機はボーディング ゲートは機体から離れようとしている時だった。飛行機会社の名前は忘れたが、チケットを握り締め、係りの女性に訴えかけると、其の女性はインターホンをとり誰かと会話し、もう一度ボーディングゲートを機体に戻し、飛行機のドアを開けて僕を乗せてくれたことがあった。本当に滑り込みセーフの状態で、自分の予約した席に着き、同乗してる乗客に侘びを言い安堵のため息をついた覚えがある。
またある時は、サンフランシスコ空港に着いた飛行機からおりて、スーツケースを受け取りにBaggage Claimへ行ったが、自分の荷物は最後まで出てこない。周りを探し回り、荷物をのせて回るターンテーブルも停止。だだっ広い荷物引き取り場所に残るのは僕一人。仕方無しに、搭乗した飛行機会社の窓口に荷物の紛失を届出。スーツケースの色や特徴などを説明し、連絡先を告げて航空会社にお任せするしかなく、仕方無しに手荷物だけでをもってホテルに向かった。スーツケースが紛失すると一番困るのは下着の替えがないということ。毎日同じ下着で生活することもできず。デパートに行き、まずは衣類を購入しなければいけない。余計な出費だ。このときは3日後に荷物が見つかり、飛行場までとりに行った。係りの者の説明では、僕の荷物はなぜかしらハワイに行っていたそうだ。勝手にハワイまで行きおって、それなら僕も一緒に連れて行け!って思いながら帰ってきた僕のスーツケースを広げて、まずは一安心と言う経験もした。
いろいろなエピソードを経験して飛行機にまつわるもの全てが大好きな僕の一番大事なものが、飛行機のボーディングパスである。今までに搭乗した飛行機の全てのパスの切れ端が僕の宝なんだ。子供じみてはいるが、このパスには僕の飛行機の思い出がいっぱい詰まっている。空港で出発までの時間を目の前に堂々と鎮座する搭乗機を見つめながら、その窓越しにコクピットの中で出発前の計器のチェックに忙しいパイロットの姿を見ながら、ボーディングのアナウンスがあるまでの時間を楽しむ。搭乗通路を歩き、飛行機の開けはなれた入り口をキャビンアテンダントのウエルカムを受け機内に入る。手荷物を頭上コンパートメントに放り込み、座席すわりシートベルトを締める。早々と席に着いた自分は、横を通り抜けていく旅行客を観察しながら、シートポケットに差し込まれている雑誌に目を通す。 着ないアナウンスが入り、搭乗機はゆっくりと動き始める。自分たちの足元では、地上クルーの運転する特殊車両が飛行機にアームを使って誘導路まで押し戻す。機体から牽引アームを取り外し、いよいよ自力走行して滑走路の端まで移動し始める。時折、効きの悪そうな音をきしませながらブレーキをかけ、機体を操る様子が感じられる。ここで、機長による搭乗機の情報や目的地の情報、所要時間などの説明がなされる。声だけだが、このときのパイロットの話し口調がすばらしい。落ち着いており、自信たっぷりな口調に安心感を抱くのである。
滑走路の端に到着すると機体は機首を滑走路の先に向け、一瞬エンジンの音が高くなり、数秒のタイムラグの後、ゆっくりと飛行機は走り始める。大きな機体と翼を上下に揺らしながら、鳥が力強く羽ばたいて飛び立つ瞬間のように飛行機はぐんぐんと加速し、いつしかタイヤから受ける細かな振動がなくなり、機体は斜めに上昇していく。機体の窓からは飛行場の建物や周りの民家などが次第と小さくなり、大空のなかに溶け込んでいくように飛行機は一路目的地にむけて突き進む。僕は、この離陸の瞬間が大好きである。旅先への期待と夢を抱きながら、心弾む思いで飛行機の揺れに身を任せている時間。全てが旅の始まりで、現実の世界から夢の世界へと。
たくさんの人々の夢と喜び、そして中には分かれお悲しみも含めて一つの機内にのせて、パイロットは目的地まで送り届ける唯一頼れる人となる。一旦、空に上がってしまえば、大勢の命をパイロット一人の腕に預けるわけで、そこにはプロフェッショナルとしての自覚と責任をもって操縦する凛とした精神が必要となる。何の仕事でもそうであるように、自分の業務に責任をもって手抜きをしない誠実な姿勢を貫く姿に、僕はあこがれる。それは、介護の職につくものであっても同様である。人の命を預かるものとして・・・・。
まず、小さめのサラダボールを用意します。材料は、エクストラ バージン オリーブオイル、ワインベニガー、塩、コショウ。
ボールに塩、コショウをいれ、ワインビネガーをサラダの量をみて必要と思われる量の三分の一入れます。次にオリーブオイルをベニガーの倍の量を入れます。
後は、良くかき混ぜるだけ。僕は、このドレッシングに味の素を少々混ぜて食します。新鮮な野菜を水で洗い、できるだけ水気を取り除いた後に器に盛り付け、盛り付けた後からドレッシングをかけて食べてもいいのですが、これだとドレッシングを個別にかける事から無駄が多くなります。そんな時には、大き目のボールに切り分けた野菜を入れて、其のボールの中にドレッシングを入れてかき混ぜ、そこから個別に盛り分けると無駄が出なく、ドレッシングも少量で足ります。市販のドレッシングより断然うまいドレッシングは、こんなに簡単に作れるのです。
そんなわけで、今日の私の夕食は、セロリとトマトのサラダでした。セロリを嫌いな人は多いのですが、新鮮なセロリを綺麗に洗って薄くスライスし、トマトも薄く輪切りにしていきます。セロリとトマトを交互に重ねてお皿に盛って、一番トップにアルファルファをのせてドレッシングをかけて食べました。僕のイタリアンドレッシングは、料理の一番最後、完成まじかにささっと混ぜ合わせてしまうので、作るのも楽です。
食べることの喜びは何にも代えられません。僕にとって美味しいものを食べる喜びは至福の時です。 ライ麦粉を使って、ライブレッドを焼いて食べたり、イギリスのスコーンを焼いたりもしますが、自分で時間をかけて食材を探し、調理する食事にはワインがぴったり。普段から酒は飲まない僕でも、手作りライブレッドを薄くスライスして、エメンタールチーズとミラノサラミのスライスをのせて食べると最高!!です。ライ麦の風味と少し酸味がかったイーストの味がエメンタールの甘みと苦味にマッチして、口の中にはくるみに似た味が広がります。 そこに少しベリーの香りの強い赤ワインなどを流し込めば、もう最高の気分。一日の疲れも吹っ飛ぶ気分です。 時々、こってりとした肉料理から離れて、軽く夕食を食べたい時にぴったりの献立です。新鮮な野菜、ブラックやグリーンのオリーブ、チーズ、サラミと赤ワイン。南フランスの田舎の家で食べる軽食。って感じ? ライブレッドは、密度が濃い分、どっしりとお腹に感じます。食事として物足りないように思いますが、結構な満腹感があります。
今日は、比較的過ごしやすい温度です。毎日、毎晩、エアコンのお世話にならない日はない今日この頃です。熱中症で救急搬送される人も多いと聞きますが、うちの利用者さんはみな元気です。逆に若い職員のほうが体調不良を訴えることが多く、これってどうよ~??って・・・・・
若い人は、若い人で体力に過信がある分、どうしても無理をしがちである。体調の維持を考えて早寝早起き、規則正しい生活、暴飲暴食をなくす。普段から高齢者に言っている立場の者として自覚して行動するようにしましょうね。と言いつつ、僕も冷蔵庫の中のちょっと腐りかけの食品を食べてお腹を痛くしたりしてますから、まア、あんまり若い者に言えないのですが・・・・確かに、若い時は自分は死なない、病気にはならない。という過信が存在するのです。過信と言うより、『死』や『病』『老い』とは無縁なような錯覚をもちがちで、兎角時間を無駄にしがちです。甘酸っぱい青春は短く。気がつけば社会人となり、途端に世の中の厳しさに直面するのです。僕の可愛がっている学生君たち。一緒に鈴鹿サーキットのお仕事を手伝ってくれている三重大学生たちも、数年の後には卒業して社会人となり色々な経験を積んでいくようです。卒業したての頃は、学生時代に対する未練や郷愁の気持ちも強く、社会人となっても時折、連絡をくれて鈴鹿サーキットへ戻ったりすることもあるのですが、時が経つにつれ、其の足は遠のき次第次第と自分の社会を作っていくのです。また、そうでなければいけないのも事実です。
大学に入りたての彼らは、まだまだ高校生の雰囲気を漂わせながら、一年一年、本当に早いスピードで成長していきます。高校生が大人になっていく姿は、みてて頼もしいところがあります。初年度は、こいつ大丈夫か?と先行きを不安に感じながら仕事を教えていきますが、其のうちに僕よりも仕事に慣れ、手際よくこなせる様になります。彼らが卒業する頃には、一人前の大人として社会人として羽ばたいていくのです。この大学生活の4年間(中には8年間を費やす奴もいる)、無数の経験をしていくのです。写真の月が流れ行く雲にさえぎられるように明るいときもあれば、暗いときも体験し、其の中から何かを習得していくのでしょう。
三重大学の学生君と同様、私には太陽の家の職員を育てなければいけません。太陽の家の職員さんは年齢もまちまち、経験もバラバラで、そんな人たちを教えていく事は非常に難しいのです。まずはやる気を引き出し、そこに気づきを育てます。次に知識をインプット。更に腕を磨いてスキルアップ。そのような理想的な計画で進めれば幸いながら、そこには個人の人生観があり、給料を払っている身としても、なかなかスパルタ的に詰め込みも不可能であり、されどほかに方法は残されていない現実にあえいでいるのです。
月も雲も、太陽も、私たちに変わらぬ姿を約束してくれています。もちろん、情景は変わります、毎日、同じ雲の様子はないのと同様、人間の感情も毎日同じではありません。また、人間は、その心に抱く感情によって大きな影響を受けます。時には大きなストレスとなったり、其のストレスに押し流されるような弱気なときもあったり。しかし、月や雲をみてて思うのは、人間のちっぽけさです。人間と言うのは自然の前では無力です。大雨や雷、台風、地震によって、生活が大きく変貌することからも、人間の力の限界を感じますね。しかし、逆にわれわれ人間のちっぽけさを認識することは、決して悪いこと、敗者の証ではないのです。ちっぽけな存在を理解することは、其の分、己を知る事につながり、足るを知ることで、幸せの数も増える。と思うのです。
昨年の秋口まで書道を習いに通っていた先を国家試験とケアマネの試験勉強のために辞めていたのですが、今、やはり書道への魅力に復帰する事としました。僕の字は、それ程へたくそでは無いのですが、知性が感じられない(元来、知性とは無縁の人間ですが・・・・はははは・・・だからこそ賢そうに見てもらえる字に憧れるのです!)。
いずれにしても、綺麗な字をかけると言う事は素晴らしい事と思えるのです。音楽を綺麗な音色で演奏できる演奏家も素晴らしい。人に感動を与える絵を描ける芸術家も素晴らしい。僕は書道もそれらのアートの一つと考えるのです。人前で字を書く機会は多いのですが、堂々と自信をもって書ける腕がほしい。そんな自分になりたい。と思って書道を再開するつもりです。
また、自信をもって公開できる字が書けたあかつきには、このブログでも紹介したいと思います。それまで何年かかる事でしょう・・・・・はははは