認知症と味覚って、即、病気につながるようでなく軽く見られがちだけど
これが、結構、重要な課題であり、同時に「好き嫌いの激しい人」と軽んじて評価されてしまいがちなテーマなんです。
僕はグルマンを気取り、結構味に対して煩い『人』を装っている。(実は、それほどの美食家ではないのですよ!)
この美食家なるもの、結局は人のお口の中の舌で感じた信号を、脳の中でも
特に前頭葉とよばれる部分で視覚から入る情報や臭覚から入る情報の全てを合成し、うまい!って評価を決めている。
もちろん、そこには経験値と言うものが加えられ、今までに味わった経験が「旨い!」の評価のレベルを調整してくれることとなる。
ここで、認知症となった僕は、目で見たお団子を、美味しいお団子として認識できなければ食欲もわかないはず。
お団子の櫛を片手でつまむことができなければ、どうやって口の中に入れるのか分からないはず。
食べ方を忘れることを失行。お団子と認識できないことを失認と言うのだけど、
これらの障害はアルツハイマ―型認知症、脳血管型認知症、レビー小体型認知症などの病型によっても
出現の仕方が違う。
人間いつまでも、美味しく口から食物を摂りいれたい。
美味しいね!と美食家を気取って生活を継続したい。
そのためには、認知症の早期発見、早期治療を行いながら、食事する環境をもう一度見直すことが大切になると思っている。
匂い、見た目、色彩、そして、雰囲気(照明や音楽、温度も大切)そして、何よりも「誰と食べるか・・・」が
一番大きな課題となってくるのでしょうね・・・・
認知症、上手くお付き合いしたいものです。
先日、認知症介護指導者の先輩と電話で会話していて
いよいよ、僕も研修指導者を引退しなきゃ!と言う話をした。
その理由の第一に、言葉が出てこなくなった。
ただでさえボキャ貧が課題だった自分。
更にボキャブラリーが貧祖になり、口頭で説明するにも
上手い表現が頭に浮かばない。
そして、端的に衰えを感じるのが文章力。
以前は、誤字脱字は多かったが、結構自分でいうのもおこがましいが
それなりに上手な文章で、意味の通じる分を書いていた。
しかし、ここ最近になって、文章を書いていて感じるのは
支離滅裂とした、混沌とした文章しか書けない。
機能低下と言うが、外部から見た私の変化は見えにくいかもしれないが
内面では、切実なる問題が進行しつつあるのかもしれない・・・・(笑)