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ブログ-施設長の部屋

2011/8/31
人の磨き方

人は、オギャーと生まれ育った地域から、色々な人生と環境によって社会へと飛び出して行く事となるのですが、若者達には、大いに世界への道を広げて、もっともっと違う文化に触れる機会を増やしてあげたいと願うのです。若い時代、其れ自体が感性豊かであり、新しい文化や考え方を渇いた土地に吸収される水の様に、人間として重要なルールとマナーを習得していくのです。ルールとマナーの習得といっても、具体的な習得方法が分からないと言う方も多いかと思うのです。簡単に言えば、文化に触れること。例えば世界的に有名な芸術にふれるてみる。絵画でも彫刻などのアートでも、音楽であってもいい、建築物、歴史でも良い。とにかく一朝一夕では成し遂げることの出来ない文化を知ることが、とても重要であり人として責任と義務を同時に学び、簡単にギブアップしない根性を学びます。 人はすべてにおいて最初は平等に生まれます(一部、生まれながらに障碍を抱える人もいます)。その人たちが成長すると共に「格差」が生じてきます。学業に秀でたり、芸術、スポーツに秀でたり。色々な分野で優れた才能や知識の蓄積が行われていきます。このような現象をとらえて「頭が良い、運動神経がよい」と言われがちですが、それは間違いです。秀才であっても運動神経が良い者であっても、日々の努力が大きく影響していることを理解しなくてはいけません。秀才と言われるドクター、弁護士などの人々を観察すれば僕の言ってる理屈が理解できるはずです。彼らは、物事に対する集中力と決して諦めない忍耐というものが、普通の人よりも多く持ち合わせています。コレは生まれつき持ち合わせているのではなく、訓練で習得したものです。 彼らは書物を沢山読みます。沢山の書物を読むには時間が必要です。一般人は、その時間を読書に充てる事を嫌います。読書に充てる時間を、他の喜びに充ててしまうのが一般人。秀才といわれる彼らは自分の時間も作りながら読書も行うことを可能とする「速読」を習得しています。

 このように説明していくと、速読にしても忍耐にしても一瞬にして習得できる技では有りません。常日ごろからの積み重ねが重要と思いませんか?そして決定的な要素として、これらの特技は生まれつき備わっていたのではなく、生まれて以降に習得された技であるのです。僕が秀才でないのは、今のこの歳まで勉強に真剣に取り組んでこなかったからです。いつも勉強途中に嫌気が差してきて、その都度放り出してきたからです。そして人生後半戦にはいって国家資格所得を目指すことになって初めて勉強する姿勢の重要性を学んだように思います。つまり就労、学業、社会的交流など無視できないモノの両立を通して忍耐を余儀なくされ、集中力が時間配分を可能とし、諦めない努力が実を結ぶこととなったのです。人間の機能として流動性知識や結晶性知識が認知機能に大きく影響を及ぼし、記憶として蓄積される短期記憶、即時記憶や遠隔記憶などがあり加齢に伴い低下するものと維持されるものに別れるのです。特に中年以降は長期記憶に属するエピソード記憶(出来事や生活体験の記憶)、意味記憶(語彙や思考の素材となる知識)、手続き記憶(水泳や運転などの記憶)等の記憶の内、エピソード記憶の衰えが著しいといわれるように、一部の記憶は年齢に関係はするものの、それですべてを諦める必要は無いのです。

 人は常に楽なほうへ目が向きがちです。努力することにはある意味苦痛が伴います。苦痛を避けて楽なほうを選択しても、決して良い結果は得ることは出来ません。「アリとキリギリス」の話が良く引き合いに出されます。コツコツと食材を貯めて働き続けたアリは冬の季節、食料がなくなっても困らない。との反面、気候の良い時期に遊び呆けているキリギリスは冬の時期に飢えてしまう。というお話です。(実際は、キリギリスは夏を限りに活動し冬は地中に産卵して一生を終えるのですから、本来の意味には合わないのですが・・・)しかし、苦痛が伴う「努力」にい耐えること、慣れること、すると次第次第に自分の求める姿が見え始めます。これを成果と表現して自分の費やした努力に報いる言葉とすれば遣り甲斐にも繋がります。

 人はすべからず、平等に生まれ平等に育っていくべきです。不幸にして、そのような環境に無い者も自分の人生を若くして投げ出さない。大きな夢を持ち、それが実現不可能と思われても諦めないで努力する。そうすれば絶対に夢は実現するはずです。僕は、今、若くして子供を抱えて悪戦苦闘を続けている親である方々にお願いしたいのは、自分の楽しみを最優先するばかりでなく子供を磨くことに神経を注いであげてもらいたい。子供達が大人になって、社会人として恥ずかしく無い程度の知識や文化を身につけてほしいのです。

 

2011/8/30
朝晩めっきり涼しくなってきましたね。

   週末は久しぶりに、肌にあたる風が心地よく湿度も少なく過ごしやすい一日でした。この夏の猛暑というか高湿度の亜熱帯的気候に、うんざりしていた僕ですが、この日は気分転換を兼ねてママチャリを操って、市内を走ってみる気分となりました。出発間際まで吹きそよぐ風のすがすがしさしか頭になかった僕ですが、自転車をこぐ労力を考える事も無く、とても安直な気持ちでスタートさせた自分にすぐに後悔する事となったのです。ママチャリって変速機がついてないでしょ! どんな状況でも一定のスピードと言うのは良いのですが、平たんな場所でも同じ回転数、上り坂でも、下り坂でも同じ回転数で走行を強いられると言うのは、非常に無駄なエネルギーを放出し続けているわけで、その分の体力の消耗の激しい事に後になって気付いたのです。 

 そんなわけで、当初は津まで走ってヨットハーバーで休憩を!と優雅なシチュエーションを描いていたのですが、その希望もはかなく消えてしまい、磯山近辺であえなくリタイヤ。当初の予定の半分走り切らない段階でギブアップ。そのまま、Uターンして自宅まで戻る事としました。片道約5~6キロ。自転車にしては短い距離ですが、一応軽い運動をした感触は味わうことが出来ました。

 しかし、日本の道って、自転車や歩行者には優しくない構造ですね! 歩道のつなぎ目の段差がキツイ! 自転車のサドルから受ける衝撃が、長時間の自転車走ではお尻に良くない!日本の道路が如何に車専用に整備されているか!よく理解出来ると思う点である。弱者を守る交通法規は整備されているけど、実際、道路を自転車で走ってみると、車道を走る車が、如何に自転車にスレスレの状態で走りぬけていくかが分かるはずです。接触するまで紙一重の距離をキープしながら、大半の車はスピードを減速もせずすりぬけていくのです。少しでも間違えば、接触事故が起きても不思議ではない状況が、到る場所に潜んでいるようで非常に恐ろしい状況が見え隠れします。そんな道路事情が日本の現状です。

2011/8/20
今月はブログ更新に遅れが生じてます。

僕の一番反省すべき点でしょうか?!ブログの更新に波がある。何度も言うように、ブログの様な、言ってみれば「独り言」みたいな文章って、思いっきりがなければ公開する事は出来ないのですよ。こんな僕のブログでさえ、色々な立場の人にも読んでいただいてるようで、非常に恥ずかしい思いで一杯になってしまうのです。恥ずかしいけど、今更と言う気もしないでもない。もう一年以上前から書き始めた、愚かなオッさんの独り言。今更、其れを恥ずかしいなんて言えないよねと自分勝手な口実をつくっては、ブログを何とか更新している時期もあるのです。実際、公開こそしてないものの、書いてはボツにして、書いてみて公開しながらも、公開直後に削除したりしてる文章も多いのですよ。

 そのような状況の時ってのは、自分自身の気持ちの上で『弱気な時期』なのかもしれません。自分の気持ちが強いとき。そんな時に書くブログには勢いもあります。文章に力も感じることが出来ます。そして、その分、誤字脱字も多く、あとで読み直してみると逆に恥ずかしさを感じるべきときもあります。そんなこんなで、この広い社会に向かって、ブログを書くという行為は、かなり厚かましい行為なんであります。

まあ、そんな訳で、これからもドシドシとくだらない発想の小話やら気付きを書いて行きたいと思います。

2011/8/19
最近の女の子って大きいね!

今日、買い物に地元の大型ショッピングセンターまで出かけた。お盆過ぎて一段落したのか、昼間のセンター内にはお客さんの数もそれ程多くは無い。もちろん館内は節電モードでエアコンの設定温度は、かなり厳しく高い設定にされているようである。駐車場から館内に足を踏み入れても、涼しさは感じ取ることが出来ない。ただ、汗が止まる程度。乾燥はしているようである。

 少し歩いて、目的のお店に入り、購入しなければいけない物の物色を開始。ある通路に来た時、僕の前に偶然、若い女性が先を進む事となった。左右の陳列棚の商品を見ながらだけど、その女性の体で前がみえない。彼女は明らかに僕の身長より高い。僕が170センチだとすれば、彼女は180センチはゆうに超えている。おまけに慎重に比例して横にも大きい。後ろを歩くぼくなんて、すっぽりと彼女の体に隠れてしまっているだろう・・・

 以前、ある高速道路のサービスエリア内のレストランで、女子バレーボールの選手達と一緒になった事があるが、あの時も食券を購入しようと並んだ場所が、彼女たちの軍団の中に混じってしまった事がある。あれは、悲惨だった。大人の中に子供が入り混じったような状況である。今回のショッピングでも同じように、前を歩く女性の体で、前がみえない。そんな恐ろしい状況の中でお買い物をしていたと言う事でした。

2011/8/19
メダカの学校は・・・・金魚鉢の中・・・・!

最近、メダカをもらった。子供の頃の夏祭りの屋台で金魚すくいの景品として貰った金魚以来、初めての観賞魚(・・・・?)の飼育をする事となった。 ペットなんて言っても、うちにはミニチュアのダックスが居るだけ。当然、魚を飼育するだけの水槽も無い。魚を育てるためには、酸素やろ過機やら水草やら・・・兎に角、サイズはさておいても、そこに居住できる空間を造る事から、始めないといけないんでないの?・・・右も左もわからない、初めての魚。結局、大きめの金魚鉢で育てるkとに結論づけて、その金魚鉢なるものを探しにお店を回る。 昔懐かしい金魚蜂って、逆に今では古物扱い。なかなか市販で売っていない。

 ようやく希望するサイズの金魚鉢を探し当て、早速購入。施設に持ち帰り、住める環境づくりに没頭する。まず水道水のカルキを抜く作業。バケツに水をためて、日光浴を半日程・・・(今の時期、直射日光の元に半日置いとけば、熱湯となるので気をつけなければ、それこそ新鮮メダカの釜ゆでになりそう・・・・)その間に、中に石を敷いたり、水草を浮かべたりするために、必要な物品の購入。

 なんだかんだ言いながらも、何とか住める環境を整えることが出来て、メダカを放流。前の住まいから太陽に移って来るまでの間、2Lのペットボトルが住まいだったことから考えると、今の住居は水草あり、敷石あり、隠れ家になる岩の塊ありで、広さこそ少し狭い感はあるが、それでも一応の居住空間を確保できた! メダカ達も、とても元気に水中で飛び回って泳いでいます。

 こんな小さな生き物ですが、ジッと見てると、いつまでも没頭して見ている事が出来る。飽きがこないのが不思議です。そして、結構、この小魚のお陰で自分自身も癒されているのです。


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