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ブログ-施設長の部屋

2013/4/24
地域の中心的な認知症の人の拠点になるために

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さて何ができるか・・・?認知症の人は決して特別な人ではない。我々と同様、いたって普通の人間であり、人である。この考え方が一般市民おなかに浸透しきっていない現状が存在するだけではなく、今でも認知症の人との接し方が分からずに悩み苦しむ家族は多く居る。認知症ってのは、非常に判断がしにくいのが問題と言えば問題ではある。年齢に応じた物忘れまで「認知症」に直結させる人が多いのが、その証拠である。もともと認知症って状態がクローズアップされてきたのは、医療分野の研究や技術が向上することで、人間の寿命が延びたことから、認知症を患う人が増加したわけで、それまでの社会は医療が充実していないことから、多くの高齢者たちは年齢の積み重ねとともに病に倒れ、死に至ることが大半であった。それが、今どき、癌でさえ早期発見、早期治療を行うことで完治する時代である、人は昭和の初期に比べ長生きし、同時に市民の健康意識の高まりから定年退職の年齢さえも先延ばしする時代である。

認知症は人間の脳細胞の気質変化に応じて起こり始める記憶障害だけが一般に普及してしまった結果、単なるモノ忘れさえも認知症と叫ばれ一大事件とばかりに家族の大きな問題としてしまう傾向がある。極端な隔離、幽閉、や叱責などの行為は、年寄りたちの精神状態を極限まで追い込む結果となり、それまで問題とならなかった精神的不安定さがクローズアップされてしまう結果となるケースが多い。認知症の場合、ケアする側が家族という場面が多く、家族であるが故のストレスや多方面の負荷は、第三者による介護に比べても大きくのしかかることとなる。これは、家族の気持ちの中に苛立ちを生み、そのことが虐待や身体拘束などに結びつくことが多い。

さて、そのような状況に陥る認知症の人は、良い状態、悪い状態を見極めることが重要である。

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認知症の人の悪い状態の時・・・・

 ◎ がっかりしている時や悲しい時にほったらかしにされている状態。

 ◎ 郷土の怒り

 ◎ 不安

 ◎ 恐怖

 ◎ 退屈

 ◎ 身体的な不快感

 ◎ 体の緊張、こわばり

 ◎ 動揺、興奮

 ◎ 無関心、無感動

 ◎ 力のある他人に抵抗することが困難

次に認知症の人の良い状態とは?

 ◎ 表現できること

 ◎ ゆったりしていること

 ◎ 周囲の人に対する思いやり

 ◎ ユーモアを示すこと

 ◎ 創造的な自己表現

 ◎ 喜びの表現

 ◎ 人に何かしてあげようとすること

 ◎ 自分から社会と接触する

 ◎ 愛情を示すこと

 ◎ 自尊心(汚れ、乱れを気にする)

 ◎ あらゆる感情を表現すること

・・・・・・さて、気が付いてもらえただろうか・・・・この良い状態も、悪い状態も、私たちの世代、健康な若者、誰にでもあてはまる事柄ではないだろうか?認知症ってのは「特別なもの」ではなく、いろいろな病態を見せるものの、そこにいるのは普通の人間であるということ。まず、この普通の人であることを今回のキーワードとしたい。

2013/4/23
うちのワンコ達

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うちには小型犬のミニチュアダックスが3匹いる。朝4時頃の新聞配達のバイクの音に反応し、吠える! 少し興奮した後落ち着きを取り戻すが、一時間後にはおしっこのために吠え始める。ここまでくると、そのまま放置できなくなる。なんせ喧しい。僕の部屋は二階にあって、ワンコ達は一階のフロアで生活する。この合図とともに起こされて、目覚めのオヤツを食べ、朝の7時半に朝食。お昼休憩の時間に再びオヤツ。自分が帰宅してからおしっこのために屋外を散歩させ、その後7時半に夕食。夕食後の散歩として、ベランダから外へ出て裏庭を徘徊。夜10時には就寝となるが、その前に三回目のオヤツ。うちは共働きだから日中の彼らは、誰の束縛もなくずっと昼寝。 

このような毎日ってどうなの?  人によっては一日中熱転がって定期的に食事が与えられ、食べることには何の心配もいらない日々。

アフリカの紛争地帯に生活する人々に比べれば、安全で安心した日々であろう。しかし、アフリカのそれも同様、決して良い環境ではないし、それと比較されても困ってしまうってものである。この子達にも生まれてきたには理由があるかもしれない。または、運命の悪戯として犬に生まれ、この家で飼われることとなったのかもしれない。

人間を犬に例えることに問題がないわけではない。しかし、このような生活って、高齢者の生活に似ていないか?デイサービスの利用日以外は、一日中寝て暮らす。家の中では疎外され、家族との団らんもなく、一人で部屋の中で暮らす毎日。食事こそまんべんなく与えられるものの、そこに自分の嗜好は加味されない。常に同じパターンで、年齢とともに脂っこい食事を避けて、巻きずしのパック入り、朝食は調理する必要のない菓子パンまたはコンビニのおにぎり。お茶はヤカンで朝食の時に配膳される。犬との違いは、唯一テレビが昼間のお供をしてくれている。テレビを点けっぱなしで居眠りして、家族に叱られ。どうしようもなく居たたまれず、ただ一人ふさぎ込んでしまう生活。

これは人間の生活ではない。犯罪を犯して収監されている刑務所でも、もっとましな生活をしているのではないだろうか?!

介護保険が十分に浸透した世の中にあっても、年寄りたちは、これに似たような生活を行っているのではないか。もう一度、高齢者を取り巻く環境について真剣に考えてみる必要があるのではないか・・・。

2013/4/20
う~っ、サッぶ!!

寒い! 無茶苦茶さっぶい!4月も下旬となるのにここ二日ほど、真冬に戻ったような寒さ。こんなにも毎日の気候変動が激しいと、着る服を選ぶし、大体からヤネ冬服を洗濯に出せない!今週末は、今日のような調子で寒い日が続き、来週にはまた20度を超える初夏の気温に戻るそうである。これは、年寄りには厳しい気候であるよね!

寒い日は骨身にこたえる。先日、クリーニング屋さんと話をしてて、寒いとね・・・体を動かす時が辛いのよ!なにせ、関節が軋むような音をたてて痛むの!ってな会話である。少しでも同じ姿勢でいる時間が長いと、その状態から体を動かすたびに関節が悲鳴を上げる。固まってしまって、体が動かない。膝の関節や足のくるぶしや踵などは、歩き初めに痛みが伴う。そんなクリーニング屋さんの会話に妙に納得すること多く、僕も同じような年齢であることで話題を共有できた。(結局、同じような年寄りかよ!)

まあ、話の結論は「歳はとりたくないねえ・・・!」で締めくくられるわけだが・・・・。多くの年寄りが同じような悩みを抱えながらも、仕方なく動いている状況である。こればかりは、改善の使用もなく、医者にかかっても「・・・老化!」の一言で済まされるのが落ち! 何とも仕方ない問題なのである。

しかし、実際問題として、このような状態は年齢だから!で済ましてしまうことは恐ろしい。これは若くても同じことは起こっているわけだが、そこに若若しい筋肉が伴っているから多少の無理をしても大きな怪我には発展しない。ほら!あなたも若かりし頃を思い出してみて・・・・スポーツの前に柔軟体操をやったではない。関節にじっくりと潤滑剤をまわし、筋肉をほぐしてからスポーツを始めていた。年寄りも同じで、急激な運動に入る前、例えばリハビリなどの運動前には、しっかりと関節の動きを確かめながら、ゆっくりと動作を増やしていく。朝起きた時もベッドから急に立ち上がろうものなら、それこそ足がもつれてつんのめる。下手すりゃ顔面をしっかりと床に打ち付けることとなりかねないわけで、何事もゆっくりとしたテンポとなってしまうのが年寄りの行動を緩慢にしてしまっている。

我々、高齢者を介護する者たちとして、このような高齢者の抱える諸問題に、どのようなアプローチをとればよいのか???機能訓練だけやってりゃいいのか?歌を唄って気分転換さえしてればいいのか?年寄りを、その人の気持ちになって理解することは難しい。しかし、我々は専門職として、年寄りの問題を嗅ぎ取る習慣を身に着けなければいけない。認知症だ、高血圧だ!糖尿病だ!という前に、その人を嗅ぎ取る(言い方は悪いけど、その人をわかろうと努力する姿勢を嗅ぎ取ると表現してみた)ことをめざして行けば、そこに気づきや思いやりは成長させることができる。相手の痛み。根本は、それほど難しい大きな問題ではないのではないか?寄り添うだけで解決できるもんだなのかもしれない。本当はほんの些細な問題しかないのに、そこに大きな疾病が加味されることで本質が隠されてしまっているのではないか? つまり、本人としては患っている重篤な病にたいしては諦め的な心情になっていないのか?その諦めが間違った方向に妥協し、反作用を引き起こしているのではないか?と考えてみたいのである。ちょっと、理屈っぽくなってきたが、例えば「癌」年取って、この病気にかかったとする。あなたならどうする?手術を受けて真正面から戦いを挑むだろうか?! 僕は、がんと真っ向から対決する考え方も認める。そしてその反対も認める。そして、一番重要なのは、その人がどのように癌と共生するか?を支援しなければいけないのだと思っている。

歳をとれば、いろいろなところが悪くなる。これだけ寒い日が襲ってくる異常な気象条件化に、健康を維持することがさらに難しくなる高齢者。健常な若者世代が、真守ってあげなければいけないことは、エアコンのスイッチを入れてあげることではなく、その気象条件を伝え自分なりの工夫を促すことの方が重要な働き掛けではないかと思っている。なんだか、分かったような分からなかったような・・・妙な話となってしまった。この話は、もうしばらく考えて、整理して第二弾を掲載したい。

2013/4/19
介護事故

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介護の中で事故は起こるべくして発生するものである。昨日のNHKのニュース9でも取り上げられていた救急搬送の受け入れ拒否から死亡につながる事例や、はたまた医療ミスによる死亡事故。介護の現場においても事故は発生する。転倒骨折、誤嚥、移乗中の擦過傷や打撲・・・相手は生身の体。万全の注意を払って支援していかなければ、そこには大きな落とし穴が待ち受けている。介護する側からすれば、事故を起こしても良い!という意識はない。それ以上に、介護途中の事故を誰よりも恐れながら、日々介護を続けている。

僕は、この介護途中の事故について、事故を起こした張本人に対し時と場合によって、きつく叱ることもある。事故を起こしたくて手を抜いてないことも十分理解できるし、そんないい加減な介護を行っていないこともよく理解している。本人はいたって真面目に仕事をしていることも理解しながらも、叱らなければいけない場面もある。それは、事故が続いた時である。今やスパルタ的教育はパワーハラスメントと呼ばれる時代であり、そこに暴力が加わればドメスティックバイオレンスと言われる時代。職員教育はパワーではなく、相手の理解を促しながら、優しく指導しなければならない。しかし、精神的・肉体的な痛みが伴う「事故」を起こした場合、それを繰り返す職員に対しては、ある程度の厳しさをもって教育しなければいけないと考えているからである。

自分の家族を、やむなく施設ケアに委ねなければならない家族としては、家を出た状態で家に帰してもらいたいと願うのが普通である。誰しも怪我をさせられても笑って済ませることのできる家族は存在しない。家族であるから、家族の苦痛や痛みは本人以上によくわかる。それが自分の手塩にかけた子供でなくとも、親や兄弟であれば同様、相手の痛みが自分に伝わってくるのである。そんな不慮の事故も、怒ってしまったものは取り返しがつかない。かくなるうえは、本人や家族に平身低頭謝るしか方法は残されていない。そして、真摯に責任を全うするしか方法は残されていないのである。起きてしまった事故を取り戻すのではなく、その事故の回復を手助けすることと、そこに自分たち事業所としての責任と気持ちを添えることが一番重要であり、家族や本人から求められる姿勢ではないか! 

そして、事業所としては、事故を起こした職員を十分守ることも必要である。そこに故意の事故であっても同様、そのような職員を雇用し管理しなければならない責任は事業所には存在するのではないか?!非常に不条理ではあるが、僕は、あらゆる事故から職員を守るつもりである。そして、同じようなミスを繰り返さないよう、事業所内で改善策を話し合い、事故の撲滅に働きかけることを優先すべきである。被害者の家族に施設内の問題を押し付けることは筋違いである。

いずれにせよ、介護途中の事故は起こり得る。だからと言って起こしても仕方ない!では無く、介護途中の事故の発生をできる限り起こさない努力は常日頃から実施すべきである。

2013/4/18
一日中しゃべりづめの一日。

ana-p2-02-1680.jpg  無事、タッチダウン!ってか・・・・?!

一昨日の話となってしまったが、久しぶりに一日中、話しっぱなしの日を過ごした。昨日の水曜日は朝から三重県の総合文化センターにおいて、地域密着型サービス協議会の総会があり、議長として議事の進行を行い話の連続。昼食をはさんで午後から会場を同じく三重県の総合文化センターにおいて、この9月に開催予定の認知症フォーラム実行委員会を開催。実行委員長として、愛知県、岐阜県の代表者を交えて、総勢20数名の会議を行い話しっぱなし。夕方5時に会議を終えて、とんぼ返りし、自宅のワンちゃんたちを裏庭に出しておしっこさせて、そのまま鈴鹿市の労働福祉会館へ研修講師として出席。6時半より8時半まで、みっちりと「ホスピタリティ・マインド」をテーマに介護事業者の枠を超えて、世界に名だたる高級ホテルやリゾート施設が実践するホスピタリティについて話をした。

元来、人前で話をすることが好きであるから、朝からテンションあがりっぱなしの状態で、夜の9時近くまで突っ走ったこととなる。途中、のど飴を少々なめながら、ペットボトルのお茶を少々。それでも、なんとか役割を果たすことで安心して床に就くことができた。結局寝たのは夜中の2時。いつも研修講師を務めると、その夜は眠ろうと思っても、その日の研修内容を思いだあしては身震いし、失態を思い起こしては悩むことが多い。これでいて結構小心者。口から出た言葉は訂正することができない分、悔やまれることも多い。特に昨日の研修は有料(参加費500円を払ってもらっていた)ので、なおの事責任重大である。支払った参加料に見合う内容であり結果を求められるとなると、本当にプレッシャーを感じてしまう。

まあ、研修講師の二時間も大変ではあったが、何よりもこの日を迎えるまでが、とても大変な日々を過ごしていたのである。総会の資料作り、実行委員会の資料作り、そして研修内容のと構成を考えながらパワーポイントの資料をつくる。三つの資料を同時進行で作成することが、一番大きな作業であった。何度も何度も資料を作り直し、加筆し、削除しと、やるべきことを一つ一つつぶしていく作業で、なんとか凌いだものの、やはり3つの大きな事業を同時にこなすことは避けたほうがよいと学んだ。

研修講師を終えての今日、さっそく研修を主催した事業所から受講者の評価を頂戴した。とても好意的に受け取っていただいたようで、一安心。次に、そんな評価を書いてくれた受講者の皆さんに感謝! ようやく安堵のため息が漏れた!って状況です。


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