金曜日からF-1マシンの走行が始まる。
今朝は、僕が仕事するGPオフィースのスタッフが、今年のF-1記念としてレーシングコース上で記念撮影を行った。僕はスタッフの一人ではあるが、外部の人間であるから、全員とのスナップは存在しない。
唯一、女性スタッフと共に写真撮影を行ったが、この人とは唯一10年以上前から同じGPオフィースで働く女性スタッフの方で、長く英国で暮らしたことのある方である。GPオフィースとは、グランプリ・オフィースの略称であり、主に外国人チームのレース運営のお手伝いを行う部署である。
今でこそ「ホスピタリティ」が叫ばれるが、ここでは10数年前より「コンシェルジュ」として、多方面のサポートを実践してきた。決してノーとは言わない。要望されることには真摯に応える。それを理念に掲げている。
雨の予報の金曜日は快晴となった。朝7時30分。早くもチームの一部はチームのピット前でタイヤ交換の練習を行っている。4本のタイヤを交換するスピードの速さ。これは、ただ単に「すごい!」の一言しかない。インパクトレンチの回転する音が二回。それで、タイヤを外し、はめかえて締め付ける。この工程が終了する。2回・・・それも4本が同時に行われるために、2回にしか聞こえない。ただし、この交換作業だけに関わるスタッフは20数名が関わる。まるでハチの巣に群がる働き蜂のように、マシンを取り囲み、一気に作業を貫徹する。この作業と言うか、動作は素晴らしい芸術作品のようである。
レーシングコースど真ん中。この仕事だからこそできる写真撮影であった。僕の人生の1ページ。
いよいよF-1日本GPも本番近くなって、鈴鹿サーキットのパドックも騒がしくなってきた。昨日までのパドックには、各チームのホスピタリティ テントの設営準備やピットの整備などで忙しく働くチーム関係者でいっぱいだったが、決勝日まで3日となる今、すべての準備は整い、ドライバー、スポンサーなどを迎え、一段と活気が出てきた。
さて、そんなF-1、ここ数年トップを突っ走るチームに、レッドブル レーシングがある。毎回のレースで首位を走るチームで有名であるが、ただ単にエンジン性能が良いとか、ドライバーの腕が良い!と言う理由だけではないようだ。
その理由に、昨日の水曜日、誰しもが準備に奔走している中、レッドブルだけは違った。昼過ぎの3時ころより2時間みっちりと、ピットクルーと呼ばれるスタッフを一堂に集めてミーティングを行っていた。ほかのチームで、クルーたちを集めてミーティングをしている姿を見たことがない中、さすがに首位を独走するチームだけはあると感じた。
我々の実践している高齢者介護、特に認知症ケアにおいても、チームケアや情報の共有化が叫ばれる中。全くの畑違いのF-1業界においても、個々のクルーの情報を共有し、チームとしてマシンを走らせる姿勢が、トップチームとして君臨できている証拠かもしれない。
今日、10月8日火曜日、いよいよF-1フラッグが掲げられた。鈴鹿サーキットのコントロールタワー上、パドックエントランスの二か所、計3か所のフラッグポールにF1旗があげられた。
ここ数年、F-1開催の10月は、台風の影響を受けやすい気候になっており、今日も午後から大雨。至る所で雨水が川となり、F1の準備に追われていたチーム関係者に、辛い雨となった。今日一日で、本来ならばF-1を走らせるための中枢機能をもつピット、スポンサーたちを持て成すホスピタリティ テントなどを仕上げて、明日からの稼働に備えるべき大事な一日だが、この雨の影響で作業が滞ってしまった。
我々の作業も、この雨の影響で作業が一日に集中してしまうことを懸念する。なんせ、今週末にはすべてを終える。作業が一日も無駄にできないときの雨は大きい。
巨額の資金が投入されるF1。単なる趣味の範囲ではなく、個々のチームとしても生き残りを賭けた一戦一戦。成果を残してなんぼの世界。遊びではない、真剣で厳しいビジネスの社会がここに凝縮されている。
七里の渡しだったかな? 桑名まで来ちゃいました。
国道1号線を桑名へ、七里の渡しを見ながら国道23号線をかえってきました。途中、四日市の市内を走行中に偶然出くわした「祭りの山車」何のお祭りか知らないけど、子供たちが山車を引いている姿をスナップ。写真に写っている方々の了解を取ってないので、目隠しをさせてもらいました。
桑名までの往復で60Km程度。いつものツーリングとそれ程大差はないけど、車の量と歩道の整備は行き届いてなく、非常に走りにくい印象が残りました。草が伸び放題、ゴミだらけ、段差と亀裂が多く、ロードサイクルでは走りにくいことこの上ない。また、この写真は別のページで紹介しましょう。
一年の歳月をかけて練り上げた一大イベント「東海地区 認知症フォーラム2013 in 三重」も終わり、その後に控えていたF-1日本GPも来週末で終わろうとする今。全ての事柄が矢継ぎ早に過ぎ去っていく。
瞬時に過去に変化していく時間軸の中、僕ももれなく年老いていく渦中に存在する。過去・現在・未来は、すでに過去・過去・未来と変化していく。若かりし頃の一日、一週間、一年は過ぎ去るスピードが遅かった。しかし、その感覚も、年々とスピードアップしながら、40歳を超えたころから過ぎ去る時の加速度が年々増加していくように自覚し始めた。還暦を迎え、さらにスピードアップした時の進行速度は、さらにスピードアップして、直ぐに一つづつ年齢をやみくもに重ねていくような危機感を抱き始めるのである。
こうなると一年の持つ意味が大きく且つ重くなる。はたして一年で自分がどのように役立つか?どのように成長するのか?そんな思いを巡らせていると、今の太陽の家を利用する爺さん婆さんの気持ちには、察するに余りある。そんな少し侘しさも感じるこの頃である。