私の事業所は、ちっぽけなデイサービスと認知症グループホームの運営を行っています。
デイサービスでは、自立支援を目標に、できることはご自身で、できないことを支援する方式で
毎日の支援を行っています。中には、認知症の方も含まれて同じような活動に加わって頂いています。
認知症を患いながら在宅での生活を継続することは
ご家族の介護負担を考え、いろいろな点で医療や多職種との連携が重要となりますが
今現在、在宅または有料老人ホームを使ってみえる認知症の方は
概ね介護負担の少ない方が多いです。
介護負担の多い方とは、認知症の行動心理症状(BPSD)の強く出ている方をいいますが
もちろん、当事業所を利用される方々に BPSDが出ないわけではありません。
大半の方にBPSDが出現する時は、その原因に体調が悪い時、日中の活動が少ない時、
それと時期的なものも加わり、季節の変わり目などには、気圧の変化や天候不順等の環境面での違和感が
そのまま人tに正の肩を不安に陥れることから始まるようです。
さて、今日の話題は「認知症でない人」の困った点についてお話をします。
前置きにも書きましたが、うちの通所介護を利用される方で認知症を患ってない方。
言葉は悪いかもしれませんが、対応に苦慮する場面があるのですね。
対人援助を専門とする私ですが、それは認知症の人の対応よりもはるかに複雑で難しい現実があります。
決して、認知症の人を「物忘れの人」だから適当にあしらっているわけではないですよ!
誠心誠意、認知症の人に関わらせていただくと、その人なりに理解を進めることが可能です。
しかし、認知症を患っていない人は、誠心誠意、対応させていただいていても、その裏を問題にしたり
人間関係をさらに複雑にしてしまったり、相談援助業務の途中から逆切れされたり
私のスキル不足もさることながら、なかなかお互いの理解に結び付きにくいケースも時にはあります。
その人からすれば、正しい言動でも、周囲のものにすれば、迷惑千万のこともあるのですが
この状況を説明し、円滑な人間関係にするための協力を得られない事象。
どこの事業所でも存在するのかもしれませんが
なかなか難しいケースも世の中には存在します。(笑)
結論として、相手を傷つけないことを最大の目標として、
利用者さんの間に立って、すべての「矢」を職員が受け止める覚悟で
毎日、努力しています。(笑)
もう先月の出来事となりますが、「若年性認知症の丹野智文氏」を津の三重県総合文化センターにお招きしました。
アルツハイマー型認知症当事者として、全国のいたるところで講演活動をされている丹野さんと
講演終了後に焼き鳥屋さんで意見交換をさせて頂きました。
丹野さんは、40歳の頃に若年性認知症と診断され、勤務先の仙台ネッツトヨタ様の理解もあって
今でもネッツトヨタで勤務されています。
全国を股にかけて講演活動をされ、地元仙台においてもオレンジドアという認知症相談窓口の運営も
全てにおいて精力的に活動されています。
写真は、丹野さんの講演風景と、焼き鳥屋さんで、ほぼ出来上がってきた丹野さんとのツーショットを掲載します。
このブログと同名の認知症に関する冊子を作成しました。
太陽の家、ますずがわ神経内科クリニック、アクア薬局桜島店にて配布しております。
もちろん無料です。
この冊子は、認知症の人を支援する人、特に初心者の方々を対象に
出来る限り簡単に事例を含めて、認知症を説明させて頂いたつもりです。
この冊子を作るにあたり、例のごとく、版下校正段階で誤字、脱字、変換ミスが多く
校正に時間がかかってしまいました。
それでも、表題の『認知症道中膝栗毛』の毛が『下』になってしまっています。(大笑)
こんな状態ですから、全く話になりません。
医学的な文言については、真鈴川神経内科クリニックの真鈴川先生にお願いし
いろいろと必要な箇所にご意見を頂戴しております。
この冊子が、何かの役に立てれば幸いです。
先週の金曜日の夜、鈴鹿市の労働福祉会館の大会議室にて真鈴川先生の講演会が開催された。
対面とZOOMの両方を使ったハイブリッド開催で、
今回も私が座長をやらせていただいた。
先生の講演会は、回を増すごとに 難しく、専門的になってきている。
そして,話しっぷりもとても良くなっている。(こんなことを偉そうに欠ける身分ではないけど・・・・ 笑)
さて、今回で第15回目の開催として、今回、認知症の新薬レカメマブが日本で承認されたこともあり
この新薬について、しっかりと先生に教えて頂いた。
詳しく書くほど僕の頭脳は明晰ではないので、簡単にかいつまんで書かせてもらえば
この新薬は軽度の認知症症状の人に適応される。
その軽度の認知症とは、どのレベルを言うのかと言えば、MMSE22点以上あること。
脳内のPET検査、CT,MRI検査によりアミロイドβの蓄積が確認できること。
と、結構、厳しい基準を有しており、専門の設備を備えた専門病院においてしっかりと診断されて
初めて新薬の投与が始まるとのことである。
色々と先生のお話を聞いていると、よほど真剣に治療を強気う望むものでなければ、
この新薬を使えるまでに至らないような気がしてきた。
検査自体も苦痛が伴う。この前までは髄液の検査も言われていたが、
これは、アミロイドPET を使うことで省略できるようであるものの
それでも、あの脳m、磯を抉り出すような騒音の中で30分間、じっと身じろぎもせず寝て待つ<MRI検査
僕にはこの検査をくぐって、新薬の投与は遠慮しておく。
まだ開発sy9置きであり、薬自体の歴史が浅く、副作用やその後の症状の状態に関するデータが
皆無なのも気になるところである。
認知症ってのは、非常に恐ろしいと言うより、認知症になると「寂しい」法が強くなると思う。
誰もかまってくれない! もうろく爺と思われ、真剣に相手をしてくれない。
やさしそうに寄り添ってはくれるが、そこまで!
寂しいから、もう少しここに居て!と言っても、忙しいから!と他の所で仕事をし始める。
認知症になりつつある僕は、もうすでに寂しいから、誰かにそばにいてほしい!と思っているが
そんなおっさんのそばに毛値をもらっても誰も寄り付かない。(笑)
だから、きっと、自分の好きな音楽を聴きながら、昔を思い出しているかもしれない。
自分が輝いていた頃の時代を・・・・
認知症であって、時間の経過とともに記憶力は低下していくだろう。
人の顔も徐々に認識できなくなり、言葉も、文字も書けなくなるかもしれない。
こんなブログで、自分の憂さ晴らしをすることもできなくなるかもしれない。
でも、この憂さ晴らしを続けられるところまでは継続していきたい。
しかし、そのために高い薬価の新薬を得て、認知症の遅延を求めるだろうか・・・・??
僕の思い出、若いころから、青洲時代、壮年期、高齢期とそれぞれに思い出がいっぱいある。
)この思い出をうまく綴れば、芥川賞も 目らえるかもしれない・・・・(笑)
このいろいろな思いでが、僕の原動力であるものの、年齢とともに記憶が薄れていくのも良いかもしれない、
上手く忘れるから、どうか妄六爺と言わないでほしい。
単なる子供帰りの爺のp法がうれしい。
皆さんの認知症の両親は、おそらくこの僕の思いと似たことを感じてみえるのではないでしょうか?
色々とトラブルメーカーの認知症の爺さんだけど、一生懸命壊れつつある自分を守ろうと努力している。
そんな気暗示がする。
私たちは医者ではない。病を治すことではなく、病の人を支える立場の人間。
心にできた穴を埋めるために何ができるか・・・・?
母ちゃん、父ちゃんの声を聴いてあげる。
ただ黙って否定しないで、聞くことにてあっしてあげる。
そして、時折相槌をうちm日おとりではないよ!と分かってもらう。
こんな生活が言い。
食べることも重要だけで度、寝ることも重要だけど、「それよりも一緒に酒酌み交わして話をしよう・・・・
あっつ!僕はあまり酒を飲まないんだ・・・・
今、なぜかしら「WOMEN Wの悲劇」にはまっている。
それも今の年齢となった歌手の唄うこの曲がとても気に入っている。
夜、眠れない時に、繰り返し、繰り返し、この曲を聴き
タバコを吸いながら、その紫煙を目で追っていると心安らぐ。
認知症ケアを仕事にして、20年。
こんなに大好きだ!とお気に入りの楽曲も
僕が認知症となってしまった時には、すべて忘れてしまうのだろうか?
それとも、かすかに古い良い思い出として甦るのだろうか。
僕は、この曲を聴きながら、すべてのフレーズと曲調に
自分の過去の思い出やエピソードを重ねて聴いている。
音楽と言うのは、すべての人が、その音楽に自分の過去を重ねて心に残すものなのでしょう。
その時、その時の自分が感じていた壮絶な、または大きな喜びや感動を音楽に重ねる。
その人の育ってきた環境、体験したこと等の思い出がいっぱい詰まった音楽。
認知症の人にも、それぞれの思い出の一曲があるはず。
僕がぼけ老人となっ他時には、この曲を聞かせれば、きっと涙を流し、思い出に浸るはずだ。
こんな思い出の曲探しも、認知症ケアの大きな役割でもあるのかもしれない・・・・
今日、認知症に関するカンファレンスを行った。
その中で、認知症の人の繰り返しの訴えや、意思の疎通の図れない困った
状況にイライラする状況について話し合った。
認知症の高齢者を支援することには、非常に困難な困った状況に直面することが多い。
実の家族でも。認知症の人と接し続けることに負担があるほどで
赤の他人の我々でも同じように精神的な負担は大きい。
イライラして、怒鳴りたくなる時もある。
認知症本人の気持ちを和らげるためではなく、介護する側の僕ら自身の思い出の曲をきくこと。
そして、何とか気持ちを静めて、もう一度再挑戦する勇気を養うこと・
そんな力を与えてくれるのではないかと思っている。