


先日、職員から質問があった。
その内容とは、要介護者どうしでのお付き合いに関してである。
世間一般的に介護される者が、同じく介護される者の個人的なお付き合い について
その可否に関する質問である。
介護職員として、そのような関係に発展しそうな状況に「くぎを刺す」べきなのか・・・・?
もしも、あなたのご家族が伴侶を失い、おひとりで暮らしてるとしよう。
認知症に関しては、非常に軽度の認知機能の低下は認められるものの
自制心や自立心の喪失までには至っていない場合。
そんな男女の高齢者が、携帯電話の番号をひそかに交換し合っているとすれば・・・
賛否両論あることは承知の上で、僕は、ある程度のところまでは自由にさせてあげるべきと考えている。
お互いに分別ある大人どうしのこと。一人住まいで話し相手もなく
さみしい余生を送っている人ならば、少なくても話し相手くらい求めても不自然ではない。
なまじっか介護施設を利用し、介護職の支援を受けているから、そのような行為は不適切!と
一刀両断に切り捨てるべきなのか・・・・?!
ぼくは、人間が人間を介護する上において、そこに人としての思いやりが不可欠と考えるのです。
大人の人間として、他者と意気投合して、お茶飲み友達として会話するくらいは当然必要なことであり
それによって、自分の気持ちも高鳴り、前向きになるのであれば、両得ではないか。と考えるのです。
一部の人からすると、もう少し話は飛躍して、そんな二人が結ばれて
大人の関係(すでに大人だけど・・・)にでも発展したら、どうするの?と心配する人もいるだろう。
でも、そこに至るまでには、いろいろな変化が見え始めるはず。
私たちがすべき支援は、どのような支援なのか・・・
いよいよ高齢社会となり、戦後生まれの要介護者が出てき始める時代。
介護の内容も変化しつつあるようです。
昨日、某自動車教習所にて70歳以上の高齢ドライバーの免許更新に際する高齢者講習を受けてきた。
実車を使ったドライビングテスト、目の検査、座学を含め2時間の所要時間。
元警察官のにおいをぷんぷんさせて現れた教官。
独特の雰囲気がありますが、そこは元その道のプロ。
しっかりと高齢者の運転が危険で危ないか?!を強調してました。(笑)
教習所に集まった高齢ドライバー、男女合わせて15名。
当然、70歳オーバーの人ばかり・・・
各個人の名前が貼ってある席に座りなさい!と指示を受けて教室へ。
そこには、私の名前の席はなく、ほかの人の名前が書かれた空席があった。
また、受付の女性スタッフに、席がないことを告げると、けげんな顔して
居室の状況を確認しに来てくれた。結局、一人のオジサンが、僕の名前の席に座っていた。
目の検査を順番に受けながら、同時進行で実車の路上テストに順番に呼び出される。
その両方の順番が呼ばれるまでは、自席にて交通教本を読むように言われ、老眼鏡をかけて本に目を通す。
路上テストの様子が、教室からよく見えるが、窓際に立って他者の運転具合を見ないように注意されてても
実際は、教本を読むどころか、窓にべったり張り付いてテストコースに見入っている高齢者たち。
教室に入ったら携帯電話の電源を切るよういわれ、ネットやメールなどをしないように言われながらも
教官が実地テストに出ていると、勝手に電話をいじり始める高齢者・・・
年齢に関係ないかもしれないけど、なかなか指示通り動いてくれないのが人情なんでしょうか・・・・?
三重県の令和5年の免許証保有者数1,244,340人 うち70歳以上389,091人(全体の31.3%)
市町で走っている車の3割は70歳以上って話。 そりゃ事故も起きるわな!!と感じた次第です。
認知症高齢者にとって、よくある問題として「トイレに行く回数」があることは、以前のこのブログでもご紹介しました。
はっきり結論から言いますと、「これには、介護側は打つ手はありません 。」
戦う前から「Give Up!!」「降参!!」なんです。
何か、その人の気持ちを切り替える、本人が興味を示すことを探すのですが・・・
認知症の人は記憶力も障害を受け、同時に何に対しても興味を示さなくなってくる障害があります。
どのようなアプローチも効果なく、今のところお手上げ状態が続いています。
その中で、当事者がトイレに行き来する道中で転倒事故のないよう、周囲への配慮を行います。
また、周りの人たちの関心を当該認知症の人に向かないよう心配りを徹する。
行きたければ、いつでもトイレに行ける。そんな環境を作り、本人の気持ちを阻害しないよう
職員は、ゆっくりと静かにトイレに誘導する。
そんな環境整備くらいしかできないことを介護側は理解することとが重要と思います。
先ほどトイレに行ったことを忘れるだけでなく、常におしっこが漏れそうな恐怖と本人は戦っています。
常に不安なんです。その気持ちを理解し、周りの者が「ボケ老人!」と揶揄しないよう心配りをする。
そんな支援を繰り返すにつれ、長い時間はかかりますが、トイレに繰り返し通うことも減少してくるのです。
それと、これから施設な自宅のトイレを改修する計画があるならば、節水型の便器を採用することがお勧めです。
一回の排水量が5リットルも流されては、それこそ一時間に10回以上通うわけですから、50リッター/時間は
水道代が心配となりますからね・・・
今日、地元の総合病院のMSWを訪ね、あるケースについて相談した。
今、深刻な介護力の低下が問題視される時代となり、この私の地元においても
年々、高齢者も増加し要介護者も増えている中、家族の介護力は反比例し低下していくのです。
子供がいながら、親の介護に無頓着。無頓着というより、医学が進み、それに伴いいろいろな契約や
承認や保証が求められる時代となり、一般的な住民では医療や介護にかかわる諸条件をクリアーしていくには
あまりにも多くの労力と忍耐が必要な時代である。
ただでさえ、親の加護の元、社会的な交わりや役割を避けて過ごせた若年層にとっては
非常に煩わしい作業を求められる。当然、それらのわずらわしさに疎い世代ですから
そんなのすっ飛ばして、関わることを避ける。
つまり、入院加療が必要であっても、入院させることも煩わしい、公的サービスを利用するにも手続きが煩わしい
そして、結果的には、親の体調も認知症も最終段階と言われるほど悪化するまで放っておくこととなる。
8050問題とは別に、何もできない世代が親の介護、看護を見て見ぬふりをする・・・
そんな課題が生じている・・・
ありゃ・・・表題と違った内容となってしまった。
こりゃ、こりゃ、私も認知症の始まりだア・・・
認知症とは関係ないお話ですが
世の中、最近では非常に個性豊かな暮らし方が流行っているようで
高齢者専門のディスコがあったり、高齢者専門のコンサートやダンスパーティーが存在するようです。
私の記憶違いかもしれませんが、それらの集まりをG&Bクラブ(爺と婆のクラブ)と称しているようです。
今高齢者となる人々の40年50年前にはやったミュージシャンを呼んでコンサートを開いたり
その頃に流行ったディスコミュージックに合わせて踊ったり・・・
先日、この日本の活発な高齢者社会の姿を、NHKの『クールジャパン』という番組で紹介していたmpです。
僕は、高齢者だから、歳相応の隠居生活をしなければならない風潮より
このような活発な高齢者の余勢の過ごし方に感服します。
これこそ、認知症予防そのもの・・・いつまでも外に出て、他人の目を意識し
自分の在り方を考え、ふるまう習慣っていうのは、うらやましい限りです。
残念ながら、このクラブは都会にしかありませんが、この鈴鹿にも
このような活動が存在すれば、率先してクラブに入って踊り狂う毎日を過ごすかもしれません。(笑)