今日、地元の総合病院のMSWを訪ね、あるケースについて相談した。
今、深刻な介護力の低下が問題視される時代となり、この私の地元においても
年々、高齢者も増加し要介護者も増えている中、家族の介護力は反比例し低下していくのです。
子供がいながら、親の介護に無頓着。無頓着というより、医学が進み、それに伴いいろいろな契約や
承認や保証が求められる時代となり、一般的な住民では医療や介護にかかわる諸条件をクリアーしていくには
あまりにも多くの労力と忍耐が必要な時代である。
ただでさえ、親の加護の元、社会的な交わりや役割を避けて過ごせた若年層にとっては
非常に煩わしい作業を求められる。当然、それらのわずらわしさに疎い世代ですから
そんなのすっ飛ばして、関わることを避ける。
つまり、入院加療が必要であっても、入院させることも煩わしい、公的サービスを利用するにも手続きが煩わしい
そして、結果的には、親の体調も認知症も最終段階と言われるほど悪化するまで放っておくこととなる。
8050問題とは別に、何もできない世代が親の介護、看護を見て見ぬふりをする・・・
そんな課題が生じている・・・
ありゃ・・・表題と違った内容となってしまった。
こりゃ、こりゃ、私も認知症の始まりだア・・・
認知症とは関係ないお話ですが
世の中、最近では非常に個性豊かな暮らし方が流行っているようで
高齢者専門のディスコがあったり、高齢者専門のコンサートやダンスパーティーが存在するようです。
私の記憶違いかもしれませんが、それらの集まりをG&Bクラブ(爺と婆のクラブ)と称しているようです。
今高齢者となる人々の40年50年前にはやったミュージシャンを呼んでコンサートを開いたり
その頃に流行ったディスコミュージックに合わせて踊ったり・・・
先日、この日本の活発な高齢者社会の姿を、NHKの『クールジャパン』という番組で紹介していたmpです。
僕は、高齢者だから、歳相応の隠居生活をしなければならない風潮より
このような活発な高齢者の余勢の過ごし方に感服します。
これこそ、認知症予防そのもの・・・いつまでも外に出て、他人の目を意識し
自分の在り方を考え、ふるまう習慣っていうのは、うらやましい限りです。
残念ながら、このクラブは都会にしかありませんが、この鈴鹿にも
このような活動が存在すれば、率先してクラブに入って踊り狂う毎日を過ごすかもしれません。(笑)
先日、私の手元に「運転免許証更新」に伴う講習通知書が届いた!
特に免停となったわけでもなく、私はれっきとしたゴールド免許保持者(笑)
これこそ、悪評高き「高齢者講習」の通知である!
70歳を超えると、近隣の自動車教習所にて高齢者講習と実地テストを受けないと
免許証の更新手続きができないと記載されていた。
とうとう、こんな段階にまできてしまった!!!と渋り顔の自分であるが、
こればかりは、免許返納するには、まだ早いし、免許証の更新手続きは必要である。
テレビや新聞の報道では、やたらと高齢ドライバーの事故を取り上げる機会が多くなってきいている。
確かに、高齢ドライバーは事故を起こす確率は高いかもしれないが、
これだけ頻繁に高齢者の事故を報道されると
高齢ドライバーのイメージはおのずと低下していくし、同時に変な色眼鏡で社会から見られそうで恐ろしい。
もとより運転技術ってのは年齢に関係なく、その人の持つ運転スキルによる部分も大きいのではないかと
私は考えている。私自身、車の運転には、それなりの自身を持っているわけだが、逆に言えば
この「自信」ってやつも曲者で、自信=過信につながり、そして思わぬ事故につながる可能性もある。
しかし、百歩譲ってもらって、若い人にだって、自信過剰は事故のもとといえるという評価のもと
私は今なお、運転を続けている。
さて、それでは、高齢となって、どの時点で運転免許証の返納を検討し始めるのか・・・・?
もちろん認知症の診断が確定されたときには、当然、免許証の返納しなければならない。
しかし、この認知症の確定診断ってのも、かなりあやふやな要件で
自分が、もしくは家族が、半強制的に認知症を疑い、専門医の診断を受けなければ確定されない。
私の場合、おそらく、この「無理やり」職員又は家族に促され、認知症専門医を受診する。
そんなケースとなりそうである。
以前、アメリカの交通事情について少し触れたことがある。
アメリカは日本の国土の何十倍もある広大な国土に
道幅広くまっすぐな道路が整備され、目をつぶっていても運転できるほど広い道路が整備されている。
日本の道路とは雲泥の差。あの広い道路であるからこそ、多少の運転未熟者であっても車を運転できるというもの。
しかし、この狭い日本、入り組んだ道路網、狭い道路幅、やたらと多い交差点や信号・標識。
運転しながらも、頭をフル稼働させながら運転していないと安全な運転は保証されない。
年齢とともに運動神経が鈍り、反射神経が衰え、視覚の衰えから標識が見えづらい。
そんな状況が自覚されるようになってきたとき。それが免許証の返納するタイミングかと
私なりに考えている。
まだまだ、まっすぐ走れる!ではなく、反応スピードが劣ってきたことを自覚するとき
それが免許証の返納の時と・・・
しかし、免許証を返納すると、この地域での活動は限定される。
活動領域を限定される心配も、考え方によって何とでも活動の幅を維持できるのかもしれない。
自転車を使う、徒歩を中心に、公共交通機関を使うなど・・・・
逆に車移動に頼っている時よりも健康的かもしれない
その頃には、わざわざチョコザップに通って、ランニングマシンを使う必要もなくなる。
免許証更新に伴う高齢者運転講習のはがきが、一石を投じた感じである・・・・
いずれにしても、歳は取りたくないもんだ・・・・!
認知症の人の困った問題点で多く言われる事象に何度も際限なくトイレに行くことがある。
うちの通所介護を利用する女性にも、本当に頻繁におしっこに行く方がいる。
通所利用中にトイレに歩く回数を数えると50回を超えてトイレに・・・・
うちの通所施設には、女性用トイレ2か所、車いす用トイレ2か所の四か所が使用できる。
しかし、朝方と帰宅時間頃には、結構、沢山の利用者がトイレに行かれるので
多少の順番待ちが出来上がってしまう。
当然、待っている間、ご本人にとっては「尿漏れ」の恐怖と闘いながら「待つ」ことが必要となる。
おしっこしたいのに、トイレが空いてこない・・・イヤ~おしっこ、漏れるーーーーう!!
今日も、相変わらず認知症の人と悪戦苦闘しています。(笑)
認知症の人と関わる術として、私たちは、その人の心に寄り添って
自己決定の尊重を目指すべきと学んできます。
認知症の人にもいろいろなタイプの人がいて
脳の器質の編成による認知機能の低下と合わせて
その人の性格や人生経験、その時の環境によって
認知症の人の訴える症状は変化します。
介護に携わる者すべてが、認知症の人の困った症状に悩み、苦しみながら
暗中模索状態の介護を続けています。
職員さんと話をしていると、いつも話題に上がるのが
そのような認知症の人のお世話にかかる困りごと相談が多いです。
そして、よくよく話を聞いていると、介護職員さんの悩みの根本に
虐待防止法や身体拘束回避の世間一般の鋭い視線を意識し
それらの規定や介護職員としての理念の板挟み状態が感じられるのです。
以前、僕は、うちの通所介護に通う男性利用者の困った症状についてご家族とお話をしたのですが
家族さんも施設側も対応のしようのない困った症状に
家族さんから「殴ったって下さい!」と言われたことがあります。
そして、その言葉を受けて、私からも「殴ったりますけど、いいですね?!」とお話したことがあります。
利用者の頭をはたくことは、虐待にあたります。告発を受けて刑事事件となる可能性もあります。
職員としては、実際に告発を受けることも恐ろしいですけど、
それよりも介護の現場で暴力に訴える自分に腹が立つ。介護職としての自尊心に傷が残ります。
これが一番恐ろしくて、一線を越えずに我慢して仕事を継続させているのです。
僕は、これは決して介護職員の精神的健康によくありません。
だからと言って、虐待を容認するつもりはありませんし、そのような行為が
介護施設で起こることは避けなくてはなりません。
しかし、ここで介護職員の皆さんに、殴りたくなる気持ちを理解してあげることは
管理者として、職員の上司としては理解してあげることが必須であると考えています。
相手を認知症の人だから・・・と言われてきましたが
認知症の人も、やはり人間です。人とつぃてお付き合いすること。
人としてお付き合いする中には、会う人,合わない人もあります。
好きな人も、嫌いなタイプの人もあります。
それでいいのです。嫌いな人として、どのように仕事を成立させていくのか・・・
そこが問われている気がします。