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2026/9/5
認知症道中膝栗毛 第109話 『Wの悲劇――恋の歌が、僕を冬の夕陽へ連れていった』

Wの悲劇――恋の歌が、僕を冬の夕陽へ連れていった

最近、なぜか薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」をよく聴く。

と言っても、僕は若い頃から薬師丸ひろ子という女優さんに、とりたてて興味があったわけではない。むしろ、彼女の映画、特に松田優作との映画などは、当時の僕には少しガキっぽく感じられて、あまり見る気になれなかった。

世の若者が「松田優作、かっこいい!」と言っていた時代にも、僕には、あのシニカルな俳優スタイルがどうも好きになれなかった。

だから、「Wの悲劇」が青春時代の思い出の曲だったわけではない。

ところが、数年前のこと。

テレビで、デビューから何十年という節目を迎えた薬師丸ひろ子のコンサート映像を観た。

そこで歌っている彼女を見て、

「あっ、これ、いいな」

と思った。

若い頃の彼女とは違う。

歳月を重ねてきた人の声だった。

声そのものに、彼女が積み重ねてきた人生の重みがある。柔らかさがあり、少しの翳りもある。そして、声だけではなく、その声が醸し出す空気がある。

僕はそのとき、「Wの悲劇」を改めて好きになった。

そしてタワーレコードでCDを買い、携帯に入れた。

その頃は、今通っているジムではなく、チョコザップでトレッドミルを歩いていた。歩きながら「Wの悲劇」を聴くことがあった。

今では、イタリアのラブソングを聴きながら歩いているのだけれど、以前は薬師丸ひろ子だったわけだ。

ところが、不思議なのはここからである。

「Wの悲劇」は、もちろん恋の歌だ。

でも、僕がこの曲を聴いても、女性の姿は浮かんでこない。

昔の恋愛を思い出すわけでもない。

僕の中では、この曲から「女っ気」がすっと抜けてしまっている。

では、何を感じているのか。

あるとき、それに気がついた。

僕はこの曲を聴くと、若い頃の冬のある時間を思い出すのだ。

寒い冬の日。

夕方になると、部屋の中にオレンジ色の夕陽が差し込んでくる。

その光の中で、僕は一人でジグソーパズルをしていた。

ただ、それだけの時間。

何か大きな出来事があったわけでもない。

誰かとの特別な思い出でもない。

でも、「Wの悲劇」を聴くと、その部屋の光景が浮かんでくる。

不思議なものだ。

僕は若い頃、この曲を聴いていたわけではない。

薬師丸ひろ子の歌を聴いていたわけでもない。

それなのに、今の彼女の声を聴くと、なぜか昔の自分が戻ってくる。

考えてみれば、記憶というものは、出来事を順番にしまってある引き出しではないのかもしれない。

音楽を聴いて、曲名を思い出す。

歌手の名前を思い出す。

そういう「知識としての記憶」だけではない。

音や声をきっかけにして、

その頃の空気、
部屋の明るさ、
季節、
匂い、
温度、
そして、そのときの自分の感情まで、

一緒になって蘇ってくることがある。

僕の場合、「Wの悲劇」が呼び戻したのは、恋愛の記憶ではなかった。

冬の夕陽の中で、ジグソーパズルをしていた若い自分だった。

だから、僕がこの曲に感じる「懐かしさ」は、恋の懐かしさではない。

もしかすると、

「自分にも、こんな時間があったんだな」

という懐かしさなのだと思う。

そして、もう一つ大切なことがある。

歌っている薬師丸ひろ子も、僕も、あの頃とは違う。

彼女は歳月を重ねた。

僕も歳月を重ねた。

だから今、彼女の声を聴くと、彼女が歩いてきた時間と、僕自身が歩いてきた時間が、ほんの一瞬だけ重なるような気がする。

若い頃の彼女の声ではなく、人生を積み重ねた今の彼女の声だからこそ、僕の中にある「過ぎてきた時間」に触れるのかもしれない。

そう考えると、「Wの悲劇」は、僕にとって恋の歌でありながら、恋の歌ではない。

むしろ、

「人生を重ねた人の声を通して、自分自身の人生の時間を感じる歌」

なのかもしれない。

そして、このことを考えていたら、認知症の方の記憶についても、少し違った見方ができるのではないかと思った。

認知症の方に、昔の歌を聴いてもらう。

「この歌、知っていますか?」

そう尋ねても、歌手の名前が出てこないかもしれない。

曲名も出てこないかもしれない。

歌詞を最後まで歌えないかもしれない。

でも、それだけで「記憶がない」と考えていいのだろうか。

その歌を聴いたことで、その人の中に何かが動いているかもしれない。

昔の部屋の空気。

家族の気配。

若かった頃の自分。

ある季節の匂い。

誰かと過ごした時間。

あるいは、言葉にはできないけれど、「なんだか懐かしい」という感覚。

それは、本人にも説明できない記憶かもしれない。

僕自身がそうなのだから。

「Wの悲劇」を聴いても、僕は薬師丸ひろ子との思い出があるわけではない。

ましてや、この曲を若い頃に聴いていたわけでもない。

それでも、彼女の今の声を聴いた瞬間に、何十年も前の冬の夕陽が、僕の中にふっと現れた。

だったら、認知症の方の心の中にも、僕たちには見えない形で、そんな「記憶の入口」が存在するのかもしれない。

大切なのは、

「思い出したか、思い出さなかったか」

だけではないのかもしれない。

その人の中で、何かが動いたか。

何かを感じたか。

ほんの一瞬でも、過去の自分とつながったか。

僕たちには、それを確かめることができないことも多い。

だからこそ、音楽を聴いてもらうときには、答えを求めすぎないことも大切なのだと思う。

「この歌、知ってる?」

ではなく、

「この歌、なんだか懐かしいね」

それだけでもいいのかもしれない。

記憶というものは、必ずしも言葉になって帰ってくるとは限らない。

音楽や匂いや光のようなものになって、そっと心の中に戻ってくることもある。

そして僕自身、歳を重ねてから、それを少しずつ分かるようになってきた。

若い頃の僕は、冬の夕陽の中で、ただジグソーパズルをしていた。

今の僕は、その光景を思い出して、

「ああ……あの頃の俺にも、あんな時間があったんだな」

と、少し温かい気持ちになる。

それで十分なのだと思う。

人生の記憶というのは、案外そういうものなのかもしれない。

そして今夜もまた、「Wの悲劇」を聴く。

恋の歌なのに、僕の中に浮かぶのは女性ではない。

冬の夕陽。

オレンジ色の部屋。

そして、若い頃の僕。

不思議な歌である。

でも、だからこそ、好きなのだ。

――「認知症道中膝栗毛」、今夜は少し寄り道。

Wの悲劇という歌に連れられて、何十年も前の冬の夕陽の中まで、歩いてきた。


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