


認知症となる人が増える!と叫ばれ、地域支援の輪を膨らませ
いろいろな支援体制の拡充と拡大を目指してきた。
今は、そのような地域資源の和を元に、地域共生社会の構築と叫ばれる時代である。
さて、そのような地域の中で、まずは認知症の予防は予てよりの課題であり
不老長寿の妙薬の開発以上に喫緊の問題として社会全体の大きな目標でもある。
認知症を根本的に根治する薬の開発は期待薄であり、社会全体には認知症にならないことに対する
諦めの意識の方が高まりつつある。その証として、認知症の保険が、急激に販売を伸ばしているそうだ。
さて、本当に認知症は予防できないのか?については、医学者ではない自分が言うべきことではないものの
現状では認知症は予防することは困難であると考えている。
この理由として、人の寿命の延伸が大きく影響している。医学の進歩と国民皆保険制度によって
国民全体が医療と密接に結びつき、手厚い看護が行われることとなり
同時にそれまでの人の加齢に伴った死に至る病(例えば癌など)を乗り越えてしまった。
それにより平均寿命は延伸され、そのことによって老衰のような臓器の経年的劣化(・・・?)くらいしか
死ぬ理由がなくなってしまったというのが現実なのだ。
この寿命の延伸の過程において、脳細胞の器質的変化がおこり
人々は認知症を発症していく。この流れは、人の寿命が延びれば延びるほど
傾斜はきつくなり、高齢者の認知症はほぼすべての人において
認知症となるリスクを抱えているといえる。
言うなれば、高齢化は同時に脳の衰退が起こることは、逆に言えば自然の現象である。
このように認知症は根治出来ないわけで、そのような社会の中で生きなければならない自分たちは
今後、認知症となっても、その認知s機能の障害が生活の障害とならないよう支援することが必須となる。
地域連携、共生社会の構築とは、そのような支援体制をつくることと僕は理解している。
まずは、人が90歳を超えて長生きする世の中には、老衰で死ぬのと同じように認知症となってしまう。
そのことを全ての人が理解する事が重要となる。
認知症ともなると今まで出来ていたことが出来にくくなるのですね。
だから本人にとっては、なんだか最近、何が何か分からなくなってきた!と言う発言が増えてくるのです。
まずは考えがまとまらない。いつものように色々な事を思うことはあっても
それを整理しながら考え、回答を導き出すことが出来にくくなる。
そして、同時に同じことを何度も考えてはいるけれど、思考が堂々めぐりしているだけの状態が続く。
そうこうしているうちに、最初に頭に浮かんだことが何だったのか?を忘れてしまう。
つまりは、悩みごとの種を忘れ、今度は新たに悩みごと事態を探し始める。
この繰り返しによって、脈絡もないトンチンカンな話をし始める。
周囲の者にとっては、その人の一番の困りごとを察してあげる事が難しくなる。
回答のないパズルのようなもので、何を考えてよいのか?何を解決したいのか?
このような状態に認知症の人の頭の中は混乱が続くのです。
これらのことから、認知症の人は集中して物事に取り組むことが出来にくくなることはご理解いただけただろうか?
筋道を立てて物事を理解するためには、なるべく単純に、明確な言葉で、一つ一つ細かく分けて説明することで
これらの混乱や集中力の減衰には対応できるはずです。
とにかく、短気は損気!気長にお相手してみましょう!
| http://taiyo-ie.com/blog/332.html |
ときどき、この太陽の家のホームページのアクセス集計を確認する時があるのですが
色々な人が、毎日、このホームページを閲覧して下っているわけです。
そして、その閲覧も、どのページを見て頂いているかが気になるところで
私自身、閲覧ページを読んでみることがあります。
その中で、ちょうど私が相談援助業務の実習に市内の知的障害者施設でお世話になっていた頃のブログに遭遇したのです。
十数年前に自分が書いたブログを読んで、今の自分が忘れていたことを
蘇らせてもらうこととなりました。
あの頃は、こんなことを思っていたんだ!と驚き、そして、その時を思い浮かべて
ウルウルしたり・・・
あれから随分と時間が経過して、自分の考え方も変わったように思えて
逆に非常に寂しくも、懐かしくも感じてしまいました。
あの当時お世話になった人たちに、随分とご無沙汰してしまっています。
この業界には入り、ホームページを立ち上げて以来、ずっと書き溜めたブログ。
時には読み返すことも必要ですね!
認知症は、今では多くの人の理解が進み、昔の様に認知症である家族をひた隠しにすることもなく
今までと同じ様に在宅生活を継続できる世の中人ありつつあります。
認知症ってのがポピュラーな症状であり、加齢に伴い誰にでも発症する可能性あることが知られ
以前ほど、認知症という者に対して恥ずかしいと思うことも少なくなってきましたね。
そうなんです、認知症だからと言って、家族が恥ずかしがることは無いですし
地域社会にご迷惑をお掛けするわけでもないのですから、いたって普通の生活を続けてもらえれば良いのです。
さてと、しかしながら、世間に対する気持ちだけではなく、ご本人に関する家族の気持ちってのは別問題として
場面によっては、家族の精神的負担は非常に大きなものがあります。
例えば、意思の疎通が計りづらくなり、今までの役割分担が持ちにくくなることや、
家族のはずなのに、家族の認識が崩れてしまったり、幻視、幻覚、幻聴などの訴えが増え
家族には見えないものが、その人に見えたりすることもあります。

全てにおいて、今までと違う、何かが変わった!と言う場面に
家族として将来的な不安感にさいなまれて、夜も満足に眠れないこともしばしば。
このような事が続くと、認知症の当事者よりも先に家族の精神状態が滅入ってしまいます。
私の父が認知症であることは知りつつも、一緒に暮らしていなかったことから
その当時、父を介護していた母のストレスには、それほど気がついてはいなかったのですね。
今思えば、あの頃の母の受けていたストレスってのは、かなり大きなものだったんだろうな!と
今思えば悔やまれます。
認知症の人を抱える家族の気持ち、そこには他者からは計り知れない苦労が伴うようです。
社会全体で更なる理解を示して頂き、共に支える地域でありたい。
その役割を少しでも担いたいと考えている次第です。
人間、誰しも歳をとるのですね。
どんなに社会的に立派な人でも、どんなにも頭良い学者さんでも歳をとります。
こんな自分も老けてきました!(笑)
髪の毛が白くなってきます。
目がかすみます!
階段上るたびに膝関節が痛みます!
排尿に時間がかかります!
耳が聞こえにくくなります。
そして何より、愚痴っぽくなります。
誰も好き好んで年齢を重ねるわけではないのですが
知らないうちに高齢者とよばれる分類に仕分けられてしまいます。
今はまだ、かろうじて自分の身体の全てのバランスは保ててますが
この中の一つでもバランスが崩れてしまうと、それを引き金に色々な部分の調子が悪くなります。
この状況をフレイルといいます。俗にいう”虚弱”ですが、
私たちが常に健康寿命の延伸を目指している現状、
要介護の認定を受けている人たちも共にフレイルに陥らないよう
気持ちだけは元気で、若々しい毎日を目指したいですね。