この6月から高速道路の料金体系が変更になる。平日の時間帯によっての割引制度は廃止。土日祝日の高速道路料金の上限金額が1000円から2000円へアップ。名阪鈴鹿から名古屋西までの高速料金は通常、普通車で1250円。今までのシステムだと土日の場合は半額の750円で走れた。しかし、この6月からは上限が2000円だから、割引は無し。通常の1250円の支払いが必要となる。また、通勤時間帯の半額割引が廃止されることで、夕方の5時以降の高速料金半額も無くなる。結果的に鈴鹿~名古屋西は通常の料金の支払いが必要となってしまう。その反面、伊勢自動車道と紀勢道は社会実験区間として完全無料となる。
現在の割引制度と相まって、新名神が名阪と合流した以降、関、亀山、鈴鹿、四日市の区間の高速道路が常に渋滞を繰り返していた。伊勢道の無料化、名阪の料金高騰の反作用によって、今後は伊勢から名古屋方面に帰るサンデードライバー達は津インター近辺で一般国道へ降りる事と成るのではないだろうか?すると、これから先、津近辺の国道が渋滞し、高速道路は関より先はスムーズに流れ始めることと成るのだろうか?まったく先が読めない高速道路の状況だが、もう少し、一般道も高速も含めて偏りの無い交通システムは考えられないものか?
高額の税金を投入して、道路が道路として機能しないインフラ整備に首を傾げてしまう。三重県は縦に長く、尾鷲や熊野から三重県の中心部に出てくるには高速道路網が完成していない今、まだまだ陸の孤島的な孤立した感がある。尾鷲まで距離が離れていなくても、津から鈴鹿間の20数キロに1時間もかかる事態、日本の交通システムの不備と言われても仕方が無い。車社会と言われるアメリカ合衆国においてもロサンゼルス市内のフリーウエイは日本の道路と同様、通勤時間帯の渋滞がひどい。特に海岸沿いを走るフリーウエイであるベンチューラからサンタバーバラなどへの道は片側5斜線もあっても車でいっぱいとなってノロノロ運転が続く。基本的には車の絶対数が多すぎるわけだが、その中でも一台の車に運転手だけという、一人を運ぶために車一台が動く状況が交通渋滞の原因となっていることは事実である。
1970年代のオイルショックの時代に。この渋滞で有名なロスのフリーウエイですら、一台も車が走らない時があった。ガソリンが手に入らない時代であり、自家用車に乗って移動するなんてことは考えられない時代であった。この頃、アメリカでは、乗り合わせて移動を呼びかける運動が始まった。同じ方向へ向かう赤の他人同士が寄り合って一台の車両に乗り移動する方法である。(生憎、ガソリン不足が緩和されるにつれ、このシステムは忘れ始め、一部のエコロジストが守り続けている程度と成った。)また、ガソリンスタンドの販売にも規制がかかった。車両ナンバーの末尾、偶数・奇数によって給油しても良い曜日を決めたりして、ある一定の制限を設けていた。この規制はある程度のガソリン需要にブレーキをかける役にはたった。 その頃の日本では、一般市民がこぞってトイレットペーパーを買い占めていた頃の話である。 高度成長期の日本の締めくくりに大阪万博が開催され、万博終了とともにオイルショックの到来を経験し、何のすべも無く、トイレットペーパーが無くなる噂や、市場から粉石けんのな消滅する噂に翻弄されていただけの日本であった。
この時代から30数年。今の日本も同じような究極の選択が今行われようとしている。行財政の無駄をそぎ落とすべく必殺仕分け人が社会機構の隅々まで重箱の隅をつつくように整理整頓を目指している。人間が生きていくうえで無駄の無い生き方は存続できるのだろうか?世の中の全てがガラス張りで見通し良く公平な世界となって、本当にこの世界の過激な競争社会で生き残れるのだろうか?政治家が打ち出す打開策が効力を発揮するでもなく今の日本は混沌とした泥沼の中でもがき苦しんでいるようだ。政権交代が成されてから、僕には尚更、日本の政治が国民から遠ざかっているような気がしてならない。
ここ最近、鼻や咽に違和感を感じ頭もいつもより重く感じる日が続いているので、前の薬屋さんへ薬を買いに行った。薬剤師さんに「花粉症かもしれないので、薬ください!」と相談したが、その薬剤師さんは薬に頼り始めると症状が悪化しますよ!と言われるので、もう少し薬に頼らず様子を見ることとした。そのまま、薬屋さんから直行で帰れば良いものの、ついでだからと併設のスーパーマーケットに足が向いてしまった。
スーパーマーケットってのは、野菜や果物を眺めているだけで食欲がわいてくるように陳列され、物を良く見せるための照明にも配慮が行きとどいた場所なのですが、陳列されたイチゴにしても赤く色づいた美味しそうなイチゴのパックを見てるだけで涎が出そうな・・・本当、美味しそうなのです。イチゴはかろうじて買わずに、鮮魚売り場へ。流石に生魚を見て買いたいと言う衝動こそ涌かなかったのですが、その後にお菓子売り場へ自然と向かってしまった。
このスーパーの計算された陳列方法が強烈に僕をお菓子売り場へ足を運ばせたようで、チョコレートからクッキー、ポテトチップスなどの商品を眺め、誘惑の魔の手を振りほどきながら出口へと急いだつもり。
本当に急いで帰るつもりが、とうとう捕まってしまった。あられコーナー。美味しそうなピーナッツ揚げの袋入りに目がとまり、一つくらい・・・いいさ!と勝手な言いわけをしながらレジへ。お金を払ってウキウキ気分で自宅に戻ったのでした。今、その時のお買い上げ商品の袋から一粒づつピーナツ揚げを口に放り込みながらブログを書いている。最近また太り始めた自分を戒める気持ちと、食べ物の誘惑に簡単に負けてしまう自分と二人の自分の葛藤の毎日を過ごしています。
楽しい時の過ぎ去るのが早く感じられるのは誰にも共通の感覚である。逆に苦しいときや辛いときは時間の過ぎ去るスピードは非常に遅く、その辛い時間が永遠に続くようにも感じてしまう。時計の針は同じスピードで、同じように、時を刻むのにもかかわらず、我々の感情がそのような感覚に差異をもたらす。僕にとって時間を早く感じる時とは「勉強している時」・・・・と言いたいところだが、その逆で遊んでいる時が一番早く過ぎ去ってしまう。特に旅行などは最たるもので、出発までの時間の経過は、本当に亀ほどのろい!目的地に着くまでの道中も、最近の交通機関のスピードアップしているにもかかわらず「遅い!」 以前のブログにも書いたように新幹線のぞみによって時間が短縮されるにつれ移動中の味わいが少なくなって、ただ快適な席に座って到着を待つだけになったことから移動の道中がつまらない。これは高速道路を自家用車で走っていても同じで、日本全国、どこを走っても高速道路は同じような顔をしていて面白みは無い。 そこにおまけに事故が重なり交通機関が途中でストップしてしまうようなアクシデントでもあろうものなら最悪のシナリオとなってしまう。新幹線はまだしも自家用車で移動中の渋滞、通行止めなどに遭遇すると最悪である。運が悪かったと諦めようとするが、生体の摂理には勝てない。こんな時の一分一秒は、さらに長く、次第に苦痛に変わっていく。
まぁ、そんな訳で目的地に着くまでの時間は、本当に首を長くして待ちこがれ、逆に旅先では時間が超特急で過ぎ去っていく。目的地についてやれやれ!と安堵するやいなや、帰る仕度をしなければならないほどだ。(・・・少し誇大表現ですが・・・)特にめったにこれないような地を訪れている時などは時間の経過が早い。このように、自分の思いによって時間のスピードは違ってくる。
楽しみの中の時間の経過スピードも早いが、自分にとっては避けたい苦痛が先に見える場合も時間は早く過ぎていく。例えば、数日後に監査が予定され、監査に向けての資料作成の場面では時間が不足気味となる。また試験勉強中の日々は意外と早くやってくる。いずれにしても、時を止めることは出来ないうえに、更なる時間的猶予を求める気持ちが逆に速く時を進めるような感覚としてしまう。理屈は分かっていてもこの感覚に翻弄され、結果的に遣り残したような妙な気持ちとなってしまいがちである。
人間には寿命と言うものが存在する。若いときには感じなかった自分の持つ時間の尺の長さ。歳を重ねるにつれ尺の長さが減少していくことを痛切に感じる。私たちが普段から接している高齢者の方々は、この私の感じている残り時間感覚の数十倍の意味を持って感じているのだろう。一年の重み。いや!一日の重みが若者のそれとは比較に成らないほど重みを持って高齢者達に圧し掛かっているのであろう。時間をいかに受け止め、生きるのか・・・若い介護職員の方々はもう一度考えてほしい。
学生の頃にユースホステルという簡易宿泊所(?)を使って安い旅行をした事を思い出した。ユースホステルとは会員制の宿泊施設で、協会の会員となれば全国(全世界だったと思うが・・・記憶は定かではない)に点在する施設利用が安価で出来る点で貧乏学生には非常に使い勝手の良い宿泊施設である。食事は大衆的な家庭料理を食堂に於いて他の宿泊客と一緒に食べる。部屋食なんて高級旅館のような待遇を期待しても無理である。おまけに男女別々の部屋で、時には赤の他人と同室の場合もある。本当に食べて寝れると言うだけの施設ではあるが、これが意外と人とのコミュニケーションや新しい社会を知る上でとても良い経験を積める場所でもある。夕食後の団らんに食堂に集まった宿泊客の方々と施設運営スタッフとの交流も、とても新鮮で色々な事を見聞き出来る場でもあったりする。
先ごろ、近江八幡へ日帰り旅行をした時に、水郷地帯にユースホステルの看板を見つけた。今どきの若い人たちから、ユースホステルの利用話を聞いたことが無いので、最近では本当に限られた若者が利用するだけに終わっているのかもしれないが、僕は若いうちに一度は経験する事をお勧めする。 僕がユースホステルを利用した理由は、学生時代に自転車で旅行に出た時、宿泊先として事前にルート計画を立て、そのルート近辺のユースホステルを予約してからツーリングに出かけたことから始まる。最初は友人と共に出かけていたが、その内に自分ひとりで宿泊するようになって、次第と新しい出会いが生まれ、とても楽しく貴重な体験が出来たと思っている。
それ程上質なサービスは期待できない。全てにおいて自分自身が行動に起こさなければいけない。セルフサービスが徹底しており、その分、自分自身が開拓していく力が求められていく。人生に於いて、難問や分厚い壁にぶち当たる時に正面切って当たっていくことが出来るようになったのも、この時の経験が大きな影響を与えていると思う。
最近では格安に宿泊しようと思えば、カプセルホテルや24時間営業のネットカフェなどの利用で誰にも邪魔されず、誰にも干渉されずに宿泊する事が可能である。昔に比べればプライバシーの確保には苦労する事が無くなった。その分、想定外の他人の干渉に際し、自分自身では処理できない精神的にストレスを感じることとなり、挙句の果てはストレスに負けてしまうような人が増えているように感じる。若いうちに沢山の人と交流を持ち、社会的通念を体験し、人間関係の構築に悩み、社会を如何に泳ぐかを学んでいかないと社会生活を営む上に於いて苦労することとなりそうだ。
デジタル、ハイスピード、高品質な生活に早くから慣れることも必要ではあるが、また一方に於いて超アナログ的であり各駅停車の生活を経験する事も大切でもある。自分ひとりが誰にも干渉されずに目的地に到着するだけの旅行だけではなく、色々な人の知恵とアドバイスを頼りに各駅停車な旅行をすることも楽しいもんだ!
毎日、電話を使った営業活動が多い。今日もインターネットのホームページのウイルス管理を請け負うらしき(らしき・・・と言うのも、この手の勧誘は、本当に疑わしい)業者から電話があった。経営者と直接交渉したいと言う。いずれも営業活動の電話を直接、代表者に回す事が出来ないので私が承ります!と言ったが、相手は頑として経営者との直接交渉を譲らない。相手が相手だけに、こちらも意地になって譲らない。相手も相手で、この手の勧誘電話歴も長いのか話口調に自信があふれている。私自身、インターネット上のホームページ管理に関してはど素人であり、専門用語を並べられると、会話がチンプンカンプンで、まったく理解できないが、専門用語を使い相手を煙に巻く戦法は、尚の事、危険な臭いがプンプン漂い始める事を知らないのか、最初からそんな事は無視してるのか・・・相手の顔がみえない事を武器に、電話の先では一方的に話を始める。
しばらく以前には、電話回線の営業が多かった。それと先物取引の勧誘も多かった。「儲かり話」のあの手のやつである。私なら儲かる話は他人には伏せておくし、自分だけ黙って儲けておくだろうに・・・しかし、それらの勧誘電話はご丁寧に、お人好しにも赤の他人に自分で電話代を払ってまで儲け話を教えてくれる。考えてみれば奇特なお人なのです。
次に電話回線を光通信に切り替えて電話代金を節約しませんか?!的勧誘電話も多かった。全てが大手通信会社の代理店を名乗って、如何にも大手通信会社の直轄事業のようなニュアンスで話しかけてくる。
自宅に於いては、外壁塗装の保守メンテナンスを営業してくるところもあった。今なら足場代金ゼロとかを強調し、営業を行っている。本当に多種多様な業界からのお誘いの電話が常にかけられている時代である。どの情報が一番自分に、会社にとって有益であるのか?を冷静に判断していかなければ、とても危険な状況に巻き込まれてしまう世の中である。
「ご近所まで営業活動で来ていますので、ぜひお時間を頂戴してお話をさせていただければ・・・・」の常説に騙されて直接交渉にでもチャレンジしようものなら、相手はその道のプロ。あの手この手で、こちらに断り難い状況を作る事ぐらいは訓練されている。
俺オレ詐欺は、今でも被害者が出ている。昔は電話を引いている家庭は限られている時代だった。時と共に人は裕福になり各家庭に電話回線が引かれる世の中になり、とても便利になってきた途端、そのメリットを利用して悪徳な商売に結び付ける輩が増えてくるのは残念であるが、世の中が便利になればなるほど、自己防衛出来るだけの技が必要になってくる。新幹線からリニアへと変わっていくなかで、旅の風情が減少していくと以前のブログにも書いたが、世の中の変化に合わせて自分自身も変わっていかなければならないのもシンドイ!