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ブログ-施設長の部屋

2011/5/27
タコ部屋のお話し

タコ部屋と言っても、海の中のタコの話では無い。(そんなこたア言わなくっても分かるか・・・・!笑) また機会あって4人の男性と一緒の部屋に寝泊まりする機会に遭遇した自分であるが、こんな貴重な体験はめったに味わえるものではない。もしや、皆さんは、刑務所に入れられた私を想像したのではないでしょうね・・・・?刑務所では無いのですが、まあ、それに近いかもしれない。兎に角、四人が一緒に人部屋に暮らすと言う事は、色々と困った問題が生じてくる。日常生活の中では特に問題は無い。ただ、一番の問題は夜間の就寝時間にある。ここまで書けば、賢明な私のブログを読んで頂ける諸兄にはピンと察する事が出来ると思いますが、「イビキ」の問題です。年齢に関係なく、大半の男性は夜間に大きな鼾をかく人が多い。私の同室の人、全てがいびきをかく。かく言う自分も恐らく大きな鼾をかくと思う。

 四人が一斉に「よ~い、どん!」と寝床に入って、横になった途端に大いびきの奴が一番楽である。なにせ他人のイビキに邪魔されずに一人シャアシャアと眠りにつける。気の弱い私なんて、只でさえ寝床が変わり、枕が変わっただけで寝つきが悪い。おまけに必死になって目をつぶり、寝なけりゃ!と自分に暗示をかけながらも、周りのいびきは三重奏となって私の睡眠への導入を断ってしまう。何度も、何度も大きなため息をつきながら寝返りを打ち、少しでもいびきの響かない絶好のポジションを求めて枕の位置を変える。こうなってくると、最悪である。動けば動くほど目は冴え、自分の意識は遮断できずに頭の中をぐるぐる駆け巡るいびきの三重奏が際立ってくる。 寝付けないからと言って電気を付けてパソコンで遊ぶわけにもいかず、音楽を聞く事も出来ず、ただ静かに無抵抗を装うしか手は無いのである。

 次に、オナラの処理である。他のオヤジ達は何の遠慮もなく、それも思いっきり「放屁」する。臭いこそ少ないものの、部屋の天井を揺るがすほどの大音量で放屁するオヤジ達は、その後に気分もスッキリ、また大きな鼾と寝言までくわえて、盛りだくさんのオンステージ。私だって下っ腹は膨張し、ガスを抜かなければと思いつつ、なかなか思いっきり良く放屁出来ない。同室の者たちは寝入っているのだからオナラの一発や二発、何てことないや!とは思うものの、やはり小市民の私には恥ずかしくてできない。だからと言って、今更、布団から這い出してトイレにまで行くのも面倒である。ここは腹を決めて放屁するしかない!と一念発起、下っ腹に力をこめて一発!「す~っ!。ぷす~っ!」と何とも情けない放屁であった。

2011/5/26
原子力発電は必要か?不要か?

またまた、原子力発電の是非が大きな話題となっている。今、現在フランスで開催されているサミットの場が、その話題の中心となって世界に発信されているのである。今日のNHKのニュースワッチ9でも取り上げられていたが、福井県の敦賀の原発を推進する市民等の意見を取材していたものの、推進派は、それなりに原発で生活を営む人達で、住民なかにも交付金等のメリットを言う人の多さに、ことさら驚いてしまったというのが、僕の感想である。

 福島の原発でも、この震災に遭遇するまでは、原発の不安定性や危険性等は表ざたにされていなかった。日本中の国民の多くは、福島県にあれほどの原発が存在していた事すら、この事故が報道されるまで知らなかったと思う。そんな田舎町の福島も今となっては、世界に名を広めてしまった。そして、福島の原発界隈で暮らす人たちは、イブンの生まれ故郷を捨てなければいけない立場となってしまった。それもあの1000年に一度あるかと言うほどの大地震に端を発し、今なお、自分の家に立ち寄る事すら制限される身である。

 NHKのニュース9で取材を受けた福井県の敦賀の原発推進派が言うには、原発が無くなると食っていけなくなる。安心、安全を徹底して共存する事こそが重要だ!と・・・・・しかし、福島の原発推進派だった人にしても、この福井の人々と同じ意見を持って、今まで原発を受け入れてきたはずである。しかし、そんな安全ははずの原発も壊れることもあり得る事を、今回初めて知ったと言う感想を持ッているのではないかと想像する。以前は、原発様さまであった地域住民も、いざ、自分の家から放射能汚染から身を守るためにも、自宅を捨てなければならなくなった。

 僕にすれば、福井県の敦賀のひとびとが推進する原発。それこそ、正当性のバイアスが存在するのではないか?自分だけは原発に異常をきたしても死なない!という偏ったみかたである。皆が推進するから特に反対する理由もない。という群集心理に邪魔されて正論を見いだせない人々。

原子力発電を国を挙げて推進するフランス、アメリカ、日本と、先進諸国の考える理論には、必ず経済的なメリットが多いはずである。国民が裕福である為にも、国策として原子力を売りまくる。本当に原子力だけが、人々の生活を賄えれるのか?福井県で原発を相手に商売している人も、原発が無くなれば食っていけないのではなく、無くなっても食っていける「原発依存」から脱却する為の方法を考えるべきではないのか?それこそ、パラダイム・シフトが根底から必要となっているのではないか?

2011/5/25
今日もまた、空気が澄んでいましたねえ!

この言葉からスタートした昨日のブログは、何だか訳の分からない文章で、どうみても連携しない話題を無理やりに、澄んだ空気に例えてブログをかいた。よく読みなおしてみると、澄んだ空気とバイアスは、交わらないなあ・・・・と言う反省も感じている。まあ、でも広い意味で言えば、空気が澄んでいること、山が綺麗に見えること、バイアスという偏った正当な判断を阻害する考え方。空気中に沢山のゴミ(視界を阻害する因子)が浮遊している事をバイアスに准えれば理屈は通るのです。

 さて、今日の澄んだ空気は、伊勢湾の対岸、知多半島までくっきりと描き出してます。文明社会となる前の日本では、晴れた日には、必ず今日と同じ光景が伊勢湾を挟んで知多と鈴鹿の両方から見えていたのでしょう。もちろん、その時代の事ですから、コンクリート製の建屋もない時代ですから、もっともっと緑も豊富で、水の色も澄んできれいだったことでしょう。

 そんな時代に暮らす人々の社会は、今の社会と比べても、とても小さな世界だったのでしょうね。その地で生まれ、育って、その故郷から出ることも少なく、鈴鹿に暮らす人の大半は知多半島にすむ人々との交流も無かったのではないでしょうか?人生の平均寿命が40歳代の時代の話です。弱肉強食に近い時代背景もありますが、そこに暮ら事によるやりがいやニーズなどの量と質によって、人の生きる力に大きく影響を及ぼします。やはり活動範囲は、健康と長寿のバロメーターなのですね。

2011/5/24
天候次第で近く見える鈴鹿山脈

ここ数日の雨模様の後に見る鈴鹿山脈の青々とした若葉の美しい姿が非常に印象的だった。雨によって空中のゴミが洗い流されたのか、山肌を覆い尽くす若葉の一枚一枚までがみえるほど、とても近くに入道が岳を見ながら、車を運転していた。車でも入道が岳登山口まで30分の上はゆうにかかる距離であるにもかかわらず、歩いていけるような距離と錯覚しそうである。残念ながら、走行中でもあり、おまけにカメラを持っていなかったので、この美しい風景を写真に収めることができなかった事が悔やまれる。

 この日の山の景色でも分かるように、私達の周りの環境と私達自身の行動には、心理的な思考回路が大きく影響を及ぼしている。「バイアス」という言葉があるが、今回の大震災の津波被害でも、このバイアスが大きく影響を及ぼしている。バイアスとは、その人の持つ先入観的、常識的な判断基準というか、例えば・・・災害時にも自分だけは死なないとか、大勢の人が一斉に走りだすと無意識に同じ方向へ走りだしてしまうとか、要するに冷静に客観的に物事を精査し、考え、判断する事が出来なくなる心理状態を言う。今回の津波災害でも、これほどの大きな津波が襲うとは考えられず、避難せず波にのまれたケースがそれである。たびたび、私達は生死を分ける事件事故に際し、「運」という言葉を使って生死の分かれ目を表現する事がある。これも言ってみれば、自分の中のバイアスとの戦いに左右された結果であると言えよう。

 僕も時として、目先の苦痛に背を向けたくなる事は、度々経験しながら生きている。生きていると言う事は、当然のごとく「苦痛」の連続であり、決して楽な物では無い。介護を受けている高齢者が時として口にする。「早くお迎えに来てほしい!!」と言う言葉。その感情を測る時、とてもよくわかる気がするのは、僕に限った事では無いはずだ。高齢となり生きる目標もなく、一日を過ごすにも時間の経過がすこぶる遅く、特に夜間の暗闇は、それこそ一生明るくならないのではないかと思えるほど、長く暗く辛いものなんだろう。だから眠れない、眠っていられない。知らず知らずに、暗闇の部屋に明かりをともし、それでも気分は晴れず、ついつい昼間のような活動をすることで、自分の不安な感情を落ち着かせようとするのではないだろうか?認知症の高齢者に多く見受けられる、昼夜逆転現象の一部には、このような心理の働きが関与しているようである。

 さて、バイアスの話が、脱線したようだが、このブログのタイトルにも書いたように人間の行動や感情の全ては、考え方次第という事が言いたいのです。もちろん、これは自分自身にも同時に言い聞かせているつもりだが、特に高齢者介護を行う介護職員の皆さんには、高齢者と言えど、認知症を患っていても、痛みや恐怖、不安、寂しさは感じている。同時に、介護する者にも同様の感情の波は存在する。人間である以上、感情の波は大なり小なり常に起こっている。その感情の波の振幅を出来る限り安定させるために、何をすべきで、どのように考えるべきか、真剣に自分自身に問いかけながら間違った方向をチョイスしないように意識を働かさねばならない。先の「バイアス」についても同じ事が言える。災害にあっても自分だけは死なない!という感情は、そのまま「自分自身がバイアスに蹂躙されている状況である事を分かるべきなのである。」

 

2011/5/23
一日の業務終了後の雑談の話題・・・・!?

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流石に介護の現場では、男性の入り込む隙間は無い!ことを実感するような雑談であった。そこには、女性同士だからこそ話せる話題が存在すること、そして、その中に男性は加わる事の出来ない静かなる拒否権が存在していたように感じて、私もただ黙ってその場を後にしたと言う状況であった。

 太陽の家の職員さん、男性スタッフは私とグループホームの管理者以外、送迎運転手さんを除けば他誰も居ない。要するに書生の城なのである。こと業務をこなす中に於いては、男性も女性も関係なく平等に作業を行っているが、ところがどっこい!アフターファイブともなると、やはり女性は強し! 厚顔の私でさえ入り込めない。そんな雰囲気をプンプンさせながら、彼女達の雑談は続いていた。話題?・・・・・それは、ここでは言えません。私には恥ずかしくって・・・・・!

 しかし、このような書き方をしてしまえば、彼女達が非常にフシダラで卑猥な会話をしてたように邪推されるかもしれないので、彼女たちの信用を守るためにも、あえて説明するなら、胸まわりの筋肉の衰えからオッパイが垂れる!ということに関する話題でした。女性も20歳を過ぎると、色々な部分で体の変化を実感しつつ、変わりゆく自分の姿に驚愕とした思いと、あくなき美への願望というか、欲求は歳を追うごとに強くなっていくんだ!と実感した次第です。


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