太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/5/19
木金休み、土日稼働!

これは太陽の家のデイサービスの事ではないが、自動車産業全体が、節電の対策として今年の7月から9月の期間を、土日に生産工場を稼働させ、木金を休業すると決定した。太陽の家のある鈴鹿市にも大手の自動車工場が稼働しており、関連企業も含めると、この鈴鹿市の人口の大半は自動車関連で働いていると言える。今回の大震災は、日本全体の社会構造やシステムまでも根底から変えていく、とても大きなきっかけを作ってしまったようである。以前、日本福祉大学の教授が講義の度に、日本における社会福祉のパラダイムシフトやビッグバーンを予見していたが、このような形で社会全体にパラダイムシフトが起きるとは思ってもいなかった。

 話を元に戻して、仮に鈴鹿市の自動車関連企業が土日に稼働を始めると、高齢者介護にも少なからず影響が波及するのではないか?と思うのである。特にデイサービスや訪問介護等の事業所またはショートステーなどでは、土日に利用者の数が今まで以上に増加するのではないか?という問題である。今の時点で土曜日は兎も角、日曜日まで運営しているデイサービスや訪問介護は数的に見ても少ない。そこに、土日を在宅で介護できなくなる家庭が増えることから、土日の需要が増加して、供給が不足する。ショートステーにしてみれば、今でも土日の需要が多く、結構前もって予約を入れておかないと、土日の利用は困難な状態である。

 それでは、デイサービスや訪問介護の事業所でも土日に稼働させればよいではないか!と簡単に言われても、それがそう簡単に進めることができないのが問題である。高齢者介護の担い手として、幼児や児童を抱えた若いお母さん達が多い。お母さん達は、子供たちを保育所や幼稚園に預けて介護の仕事についている。土日に子供を預ける先の無いお母さんにとって、土日就労は非常に難しい現実がある。それでは、土日稼働の生産工場に合わせて地域全体が動けば、それはそれで、節電対策にはなりえない。社会全体の休日が土日から木金の二日にシフトされただけで、電力需要の少ないはずの土日が、それまでの木金にかわり需要が増加する。訳の分からない現象が起きるだけになる。

 兎に角、一度、このアイデアを実施してみて出てくる課題を見つめながら、高齢者福祉事業所も対応を考えていく時代が来たのかもしれない。言ってみれば、社会福祉自体が根底から構造改革を求められているのかもしれない。今日のニュースを見ながら、このような事を考えていた。

2011/5/17
久しぶりの送迎を担当した。

もう随分とデイサービスの送迎に加わっていなかったが、今日の夕方の送りのバスの運転手を担当した。自分で言うのも何だが、僕の送迎車の運転は、なんとスムーズで安全な運転だろう・・・!(と、自画自賛!・・・・ははは・・・・) でも自画自賛と言いつつも、実際に僕の送迎車両の運転は、本当に衝撃の少ないアクセルワークを自負していて、これは、誰にも負けない自信を持っている。決められたルートを、スムーズな運転でトレースするように、一件づつ丁寧に回って利用者の皆さんをお届けする。今日の担当地区は太陽の家の東側の地区を回った。神戸から千代崎方面へ、そこから長太方面まで足を延ばす。伊勢湾の堤防を右手に見ながら街道を走る。この方面への送迎は、馴染みでもあって目をつむっていても運転できる程。昔書いたブログの中にも紹介した、知多半島を眺めてのんびりできる最高のスポットのあるルートである。生憎、今日の天候は曇り空。黄砂も混じってるのか、全体的に埃っぽいような遠くが霞んでしまうような天候だ。

 何度も言うようだが、以前は海を眺めながら対岸のセントレアから離発着する飛行機を眺めることが大好きだった。と、今回の大震災の津波の映像を見るまでは・・・・繰り返しテレビ画面に流された巨大津波になぎ倒され、押し流される家屋や車の映像が脳裏に焼き付いてしまっている今では、眼前に広がる海にも一種の恐怖を感じてしまう。

 あの衝撃的な映像を見ながら、巨大津波が押し寄せているにも拘らず、慌てることなく走る車の姿にテレビ画面に向かって「逃げろ!」と意味無く叫んでいた時を思い出していた。実際に、堤防沿いの道路を走っていて感じたことは、車を運転している者の視点からは、堤防を越えて押し寄せる津波は、ひしめく民家が邪魔していて運転手には見えない。運転手が津波を見た時にはすでに時は遅し。車ごと波にのまれてしまうのだろうなア・・・この鈴鹿も、今回の被災地のごとく鈴鹿山脈から海に至るまでの平野に栄えた田舎の町だ。特に高層建築は海沿いの地域には存在しない。土地にも余裕のある田舎町だから、学校ですら二階建てが多く、決して充分な高さを確保しているとは言い難い。人は想像を絶する被害をみて初めて自然の威力を感じる事となるが、東日本の被災者には申し訳ないが、あのような災害は二度と繰り返す事の無い様祈るばかりである。

2011/5/16
月曜日

月曜日が過ぎようとしている。一日の過ぎるスピードが速すぎる。特に何もしてないような気分で一日が過ぎ去っていく。介護の現場に従事する職員さんには、それなりに一日の予定をこなして、頭と神経を使って一日を終えるころにはヘトヘト状態となって家に帰って疲れた体に鞭打って、家族のための家事をこなす。家事をこなすと言う点では、僕も同じではあるが、腹をすかせて食事の出来上がりを首を長くして待つ家族の数が違う。そんな一生懸命に生きる太陽の家の職員さんに敬意を表している。いやア、本当に本心からそのように思っている。おだてるわけではないが、昔、子供だった自分を一生懸命に食わせてくれた両親を思い出すと、今の彼女たちの仕事と家庭の両立に、そんな子供時代の親の苦労を重ねてしまう。これも、子供を思うあまりの親の気持ちなんだろう。子供のいない時分には、この気持ちを持つことができない。不幸と言えば不幸ではあるが、モノには考えようと言う自分にとって都合のよい考え方も存在する。しかし、それもこれも考え合わせても、今日のニュースで耳にした。若い夫婦が、また実の子供を虐待死させた。子供は夫婦のカスガイ。と言うほど、壊れやすい夫婦の絆を取り持つ強力な助っ人でもあるはず。まだまだ社会に甘えたい巣立ちの遅れている若すぎる親の犯した罪は大きい。自分の持つ貴重なものの価値を分かっていない、幸せの青い鳥を求めて旅に出たチルチル、ミチルの話、そのままの若者たち。青い鳥の話では幸せを旅から戻った自宅に発見できたチルチル・ミチルはいいけど、幸せを失ってから気づいてしまっても遅すぎる。

 僕の月曜日は、こんな風に終わっていった。

2011/5/15
惣菜の味。

惣菜というより、今日の夕ご飯にお寿司屋さんのお寿司をテイクアウトして自宅で食べた。お寿司屋さんと言っても、くるくる寿司の類の、比較的庶民的なお店のテイクアウトである。市内の大手ショッピングモールの中に入店しているお寿司屋さんから、好きな物をお願いしてつくってもらった。しかし、惣菜ってのは、食べてみるまで味の善し悪しが判別できない。大体、値段と言うのがモノの善し悪しの判断にある程度感駅はしてる。その意味では、今日のお寿司は期待できる価格である。注文の寿司を握るまで待たされ、お金を払って品を受け取った時に驚いた。一人前にもかかわらずパーティートレーサイズの円形プラ容器に入れられた大げさすぎる寿司を持ちかえって二度驚いた。寿司が円形の容器の中の片隅に転がりながら偏っていた。ネタもシャリも別々になって、上下も何もあったもんでない。この時点で、すでに切れた! 量を考えて器を調整しろよ!と、配慮の無さに無性に腹が立った。次に、ワサビをお願いしたにもかかわらず、気の抜けたワサビで、まったくワサビの風味も辛みも感じられない粗悪品をつかっている寿司ってどうなの~???第三に、ネタの大きさが値段の割に小さい。1貫のにぎり寿司を398円と400円に近い値段をつけながら、一皿100円で食える回転ずしのサイズは無いだろう・・・・!

どこの店とは言わないが、こんな最低の寿司屋、消費者を馬鹿にしたこの手の商売人に腹が立つ!一度は騙されてあげるが、二度は無いよ!もう二度と、この店にはいかないという思いを胸に、今日一日の締めくくりの大切な食事を台無しにされた憤りで、やはり自分で調理しないとダメだ!と改めて思った今晩であった。

2011/5/14
デイサービスにおける外出行事。

今回の太陽の家の外出行事は、施設の前のスーパーへ買い物に出かける。ショッピングだけが目的では無い。デイサービスを利用されている方々の在宅での生活模様を考慮に入れながら、また同時に身体機能も考えながら、言ってみれば、前のスーパーをお借りしての機能訓練である。認知症の症状や加齢に伴う生活不活発病などの停滞した生きる力、季節感の無くなった日々や、自分で決定する失われつつある主体性の回復を目的とする。そんな大きな目標を持った外出行事である。このアイデアは、太陽の家のデイサービスの介護職員から提案され、彼女たちの強い要望で持って失言されようとしている。

 全ての企画から運営まで、彼女たちが交代で、それもマンツーマンに近い環境を維持しながら、出来ない事だけを支援する介護を完成させるためにも、今回の企画を実現させたいらしい。僕の意見は、彼女たちが自分たちで思い描き、考えて、実施するのだから、黙って見守ってやりたいと思っている。

 ただ一つの心配は、ご家族の理解を得ることができるのか?である。こんな表現をすると、老人介護に無関心なご家族というイメージが起きてしまいがちだが、無関心と言うより、ご家族はご家族なりに別の心配をされることを我々は理解しなければいけない。特に在宅介護の主体は自宅での生活であり、要介護者が一日の中の大半を過ごされるのは自宅であると言うこと。そして、そこには医療にも介護にも不慣れな一般の人々が、要介護者を見守りつつ生活を共にしていること。つまり、外出行事に参加する事は喜ばしい事ではあっても、その後、自宅に帰ってから以降に発熱したり、下痢したり等の体調不良を訴える事ともなれば、ご家族として、それこそ「余計なこと」と愚痴やクレームも言いたくなるだろう。私達は自己の思いを完結するために介護をしてるわけではない。専門性を持って要介護者の生活の質を向上させながら、自宅における家族との共存を助けることを目的としている以上、やってあげたい気持ちだけで、それによる副産物に家族またはご本人が苦しむのではいけないと考えている。

 とても素晴らしい規格である事は充分に理解できる。そして、その企画を成功させるなら、事細かな点にまで考えつくし、職員全員が同じ目的、気持ち、目標を持って備えることが必要である。決して無理をしないこと!良かれと思う自分の気持ちを相手に押し付けないことにも注意しながら進めてほしい。

 


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