太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/6/6
デイサービスのショッピング

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太陽の家デイサービスセンターでは、今回、向いのショッピングセンターのご理解とご協力を得て、デイサービスの利用者の方々をショッピングにお誘いした。この企画は、単なる物欲を満たすためのショッピングと言うよりは、精神的な満足感を充足させることに重きをおいた企画である。

 スーパーマーケットに並ぶ季節の野菜や果物をみて季節感を感じてもらい、同時に今販売されている物の値段を感じてもらいたく、ついでにご自身の欲しいものを購入して帰ってくる企画である。精神的な満足度を求める以上、ショッピングの時間は、その人のためだけに費やしたいと願い、マンツーマンでの行動を実施した。だから、一日に出かける人数にも限度があり、結構、長期間の日程で、利用者の方々も気長にご自身の番を待って頂く事となってしまった。しかし、今回の企画は、利用者の皆さんにはすこぶる評判も良く、期待度もかなりのものだった。その興奮度は、小学生の子供が遠足を待ち望む、まさしくあの待ち焦がれる感覚だった。

 今回の企画にいたる理由には、以前からショッピングにその日のデイサービス利用者全員を送迎車両に分乗してショッピングセンターまで出かけていた時の反省から端を発している。利用者全員と言えば、何十人と言う団体さんを3人をひと束として職員一名が担当してお買い物にお付き合いする方法が主流であった。 職員も3人の利用者のお付き合い。また利用者も利用者同士が他者のお買い物の付き合い。結果として、相手を思うあまり自分の買いたいものは探せず、いつも不完全燃焼となって時間ばかり費やしてしまっていた。こんな遠慮しながらのショッピングって、辛いよね!という職員の感想が元となり、今回のマンツーマンでお買い物と言う企画に至った。

 マンツーマンは、それなりに贅沢と言えば贅沢である。介護保険の制度から考えれば、良い事だけど余分なこと。的な感覚でしか判断できない事例なのである。つまり、この企画は、蛇足を超えて、その足に靴下まで履かしてあげると言う、非常に贅沢な考えを基本に置いているのである。しかし、そこまでしても、実施する意義は大きいと判断した。デイサービスの利用者の方々は、外出に飢えているわけではない。ましてや、お菓子類の食べ物に飢えているわけでもない。何も飢えているものも無いのに、大きな意義とは?それは、このショッピングが、その人のために準備されたと言う事が重要なのである。

 僕は、その意味に置いて、ショッピングを利用者一人の為に企画したのであれば、それを完璧に成し遂げるためにレジでの支払いは本人にやってもらいたい。と願っている。時間がかかっても良い。時間がかかったら、その都度、後ろに並ぶ一般のお客様やお店の人に付添人の我々が誤れば良い。とまで思っている。こんな素晴らしい企画を実施する以上、最後まで完全にやり遂げてあげたい。

2011/6/6
恐ろしい写真

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悲しい写真ですが、この二枚の写真は太陽の家の敷地の横にある公用の排水溝の現状です。通称「赤道」(セキドウではないですぞ!あかみちと読みます)。田んぼが埋めたてられ土地の高さがかさ上げされ、其の分、あかみちは深い溝となって。それは格好のゴミ捨て場へと変わっていった姿です。誰もゴミ捨て場という認識は無いはずですが、現状は、心無い者達がゴミを捨てていく場所となっています。空き缶は元より、折れて壊れた傘、マクドナルドの空容器、かき氷の蜜、もっと変なものでは数体の人形などが捨てられているのです。

 日本の街の中で、このようなゴミの捨てられている惨状をみると、今の日本の文化レベルと世界の中の位置関係が見えてきます。ひと時、日本はアメリカについで世界第二位のGDPを誇る経済大国でした。しかし、近年の中国やインド経済の発展の影響などを受け、日本の経済成長は鈍化し、それに追い討ちをかけるように今回の東日本の大震災による経済活動の低迷です。国が衰退していく現状を、こんな些細なことですが如実にあらわしているように思えます。この現状を分かりやすく例えてみれば、新車の車を大切に大切に乗っていたある日、気の緩みからブロック塀にぶつけて傷つけてしまった。車両保険にも加入していなかったので、修理も出来ずにそのまま乗り続けていた。一度、緊張の糸の切れた運転は、次第と無意識ではあるが雑になり、それ以降に幾度も小さな事故をおこし、最終的に車の四方をぶつけ傷だらけにしてしまう。こんな例えを思いついたわけですが、とにかく、自分にとって不要なものは放置する。親が何でもかんでも子供に代わって掃除したり、用意したりして甘やかして育ててきた結果、そんな子供が大人になって、ゴミを捨てても誰かが片付けてくれる程度の罪悪感しか存在しない「アホな大人」となってしまうのです。

 先日、スーパーの駐車場でショッピングカートを車の横に放置していく、無頓着で横柄なおばちゃんのことをブログに書いた。そんなおばちゃんが子供を育てれば、他人のことは気にならないアホな子供が更に思いやりも気づきも無い超ドアホな大人に成長していくんです。がんばれ日本! あほな日本のおばちゃん、おじやんに負けるな日本!

2011/6/3
普通のおばちゃんなのに・・・・!

先のブログ「普通のおばちゃん」について補足的に説明すれば、世の中、外見上のイメージで人を判断してはいけないよ!と言う教訓だったように思います。世の中、普通のおばちゃんもおじちゃんも居ないのでしょう。一見○○そうに見える!とか一見、悪そうに見えるなどのように、人は最初の見た目の印象をもとに、その人を判定してしまう。時には、その判定が災いしてしまうこともあったり、その逆に印象は悪かったが、とても良い人と巡り合った。と言うケースもある。兎に角、見た目で判断する事は難しい。そして、スーパーや色々な場所で遭遇するおばちゃん達も、見た目で判断すると痛い目にあう!と言う結論でした。

 太陽の家の職員さん。特に女性職員さんには、決してこのような中年おばちゃんとなって、周りの人に公害をばらまき散らしながら生きることは辞めてくださいね。

2011/6/3
普通のおばちゃんなのに・・・・・!

普通のおばちゃんって何ぞや・・・・?!って叱られそうなタイトルから始めるブログとなるが、本当に一般的な普通の家庭の主婦って感じの中年女性のわがまま勝手な無作法な行動について一言。僕は、ほぼ毎日近所のスーパーマーケットに買い物に出かける。車を使う時もあれば、今日のように天候が良ければ歩いていくこともある。それくらい近いところにスーパーマーケットがある。 このスーパーではレジの担当者とも馴染みになるほど、足蹴く通う場所であり、僕自身もその店の商品構成を結構気に入っている。どちらかと言えば、お気に入りのスーパーマーケットかもしれない。まあ、そんなお気に入りの場所と言う、ひいき目に見がちな視点を差し引いても、このおばちゃんの行動は解せない。

 ちょうど僕が車を駐車場の空きスペースに駐車し、車を施錠して買い物に店内へ。いつものように野菜売り場から、肉、鮮魚と眺めながら、今日の献立を考える。この献立を考えながらウロウロするのが楽しい。一端の有名シェフになったつもりで、食材の鮮度を確認しながら、生きの良い物を中心に献立を組み立てていく・・・・フリ!が楽しいのである。(結構、新鮮と思って買って帰って、包丁入れた途端、中心部分が腐っていたこともあって、あんまり玉ちゃんの見たては当てにならない!笑) まあ、そんな事はどうでもいい。要するに、僕は自分の買い物を終えて、順番通りレジを通り、持っていたショッピングバッグに購入した食材を詰めて駐車場に戻ろうとした。僕の前を歩く中年主婦もショッピングカートいっぱいの商品をもって同じ方向へ歩いていく。その女性、僕の車の真横に停めた車に近寄り、ドアを解錠してカートの荷物を車の中に入れ始めた。真横の車で助手席の方に商品を入れているから、僕は暫く立ち止り自分の車のドアも開けずに待っていた。彼女は、僕が待っている事も承知の上だと思うが、全ての商品を詰め込んで助手席ドアを閉め、何も言わずに運転席に乗り込んで、さっさとエンジンを始動して行ってしまった。僕の車の運転席側に空のカートを置きっぱなしにして・・・・・

 これってどう思いますか?皆さん!腹が立つを通り越して、呆れて物が言えない状況です。この人に限らず、ショッピングカートをカート置き場に戻さずに放置して行く人って多いのです。駐車場のあちらこちら、レジの後の袋詰エリアなど。よほど忙しくって、ショッピングカートをカート置き場に戻す事も出来ないほど急いでるのかなあ・・・・?もうそれなりに立派な年齢となる子供さんも居る事だろうに、そんなお母さんの姿を子供が見たら、どう思うんだろう・・・・?日本人は特に共有部分の使い方にルールとマナーが無さ過ぎる!人を思いやる気持ちが無い!年齢に関係なくマナーまたは躾が出来ていない!そんな恥ずかしい人種なんですか?

2011/6/3
テレビ放送について

日本にテレビの放送が開始されたのは、私が生まれた年で、すでに誕生から57年が経過している。最初はNHKがニュースやら大相撲やらと公共性を一番に考えて番組構成がされていたようだ。僕が幼稚園、小学校に入学するころには、テレビでは子供向けアニメや人形劇、また海外(特にアメリカから)からの番組が放送されていた。こんな話をしても、今の若い人には分からないだろうが、その当時は画像は白黒で、時々流れるコマーシャルなどは食料品やおやつ等の類が多かったように記憶してる。

鉄腕アトム、ナショナルキッド、月光仮面などは私達子供のヒーローであり、それらの番組の放送時間ともなると、何は捨ておいてもテレビの前に座って真剣なまなざしで画面にくぎざしの状態であった。また同時にアメリカから輸入された番組からは、生活様式の違いや着てる服、住んでる家、持っている家財道具など、全てにおいて文化的で裕福な生活をしているアメリカ人の子供たちの番組には、心から憧れていたものだ。だって、その当時の僕たちのおやつと言えば、「ふかしイモ」または「田舎あられ」といった物。例のアメリカ製お茶の間番組で、主人公のビーバー君とか、何とかかんとか君は、真っ白でアイロンのきいたカッターシャツに綺麗な色のカーディガンを着て、ダイニングテーブルに座って、綺麗なお母さんが出してくれるホットケーキとかクッキーをコップ一杯のミルクで食べてる。その点、僕たちは湯呑にそそいだお茶と田舎あられ。時々、婆さんが、吸いもの椀に田舎あられをいれ、少量の塩を加えた後、熱いお茶を入れて食わしてくれることもあった。それ程、食文化も生活様式も違っていた時代であった。

 そんな時代から50数年がたって、今ではデジタル放送の時代。この地域でみれる番組数も結構増えてきて、CS放送を加えれば都会に引けを取らない程の番組数である。僕もCS放送を数局受信しているが、一日中テレビにかじり付いてる事も出来ないので、結局は見れる番組ってのは限られてくる。しかし、それにもまして、BS放送の中でテレビショッピングの占める割合の多い事に驚かされる。コマーシャルの放送なのか?そのものが番組なのか?よく理解できないが、兎に角チャンネルを変える度に放送されているくらいだから、一日のうちにショッピング番組の占める割合はかなりのものだろうと想像する。 次に多い番組は、韓国製の時代劇または近代ドラマ等も多い。日本人と変わらぬ風貌だから、ちょっと見、日本の番組のようだが、なんだか町の風景や周りの環境が違う。よくよく見てると韓国のドラマだ!というケースが多くなってきた。

 そして放送がデジタル化して、見えなくても良い人の顔のシワやほくろなど、顔面のデコボコまでよく見えるようになってしまった。昔ならドーランを塗ってゴマ化していたお肌の調子も、今のテレビ技術の進化の前には、もっとも恐ろしく、騙しが効かない問題ともなっている。やはり何でも見えすぎ、聞こえ過ぎは良くないのですね。適当に見えて、適当に聞こえる程度が何とは無く、丸く収まるように思えるのです。


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