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ブログ-施設長の部屋

2011/6/9
明日の4時40分。この時間をどう考える?

東京都庁も段階的ではあるがサマータイムの導入に踏み切った。通常より一時間早く業務時間を繰り上げて都民サービスを開始し始めた。そして、この4時40分。明日の三重県の日の出の予想時間である。朝の4時40分って、普通の健康的な人の生活リズムの中で、目覚めているべき時間なのか?って言う疑問が出てくる。人生に悩みを抱えている者や高齢者で昼夜が逆転してるような人ならともかく、普通、この時間はまだベッドの中。もう暫くの惰眠をむさぼりたい・・・・そんな重要な時間ではないか・・・・・? そんなトキ、すでに日の出が始まっている。 惰眠をむさぼる頃に4時40分である日本の時の基準をどのように判断するか? これを勿体無いから一時間早く基準点を繰り上げて、日の出を5時40分としてあげれば、日の出とともに仕事をはじめ、日の入りと共に就寝する。そんな生活が可能となる。人は自然の明かりと共に寝起きし、仕事や余暇を費やし、宇宙規模の回転のサイクルに人間の生活を沿わせることが可能となる。とても自然ではないか・・・・!

徳島県についで、東京都庁もサマータイムを導入。不ぞろいな国民性なのか?決断力の無い政治家なのか? 何度も言うようだが、世の中、いっぱい頭の良い人が多く居るにもかかわらず、なんでこんなにも訳分からない、説明もつかない、全てのシステムが不ぞろいでかみ合わないのだろう・・・・?

 もったいない!

2011/6/9
ブログを書いてると時間を忘れる。

個々数ヶ月、しっかりとブログの更新が出来ている。月の日数以上のブログ更新は出来ている。とても優秀である・・・・(?)しかし、ブログを書いていると、結構時間の経過に驚くことがある。それ程の長文でもないのに、良さ公開ボタンを押して時間を見ると深夜の一時を回っていたり、「ありゃ・・・・・!」って感じで、逆にブログのお陰で眠気まで飛んでしまい、今更眠りにつくということが難しい状況。こんなことをやってると不健康そのもの。前のブログでないけど、朝の僕の顔を見るなり「顔色、悪いよ!大丈夫???」と言われそうである。

また今晩も、眠り損ねるといけないので、そろそろ寝ることにしよう!それでは、皆さん、おやすみなさい。

2011/6/9
他者を思いやる言葉掛けの間違い!

「顔色、悪いよ!・・・大丈夫?」って言葉掛けはNGだろう! 本人が顔色悪い事実を認識できていない場面ってのはごく限られた場面であって、其の大半の部分で本人は自分で体調不良って分かっている場合が多い。分かっていると言うより、本人には気分が優れない何がしかの理由が有って、それなりに最低の気分を必死に我慢して、不安な思いで一杯のときに「顔色悪いよ!」と声かけられてうれしいわけが無い。

年寄りに対しては、特に気を付けてもらわねばなんねえけど、元来、年寄りってのは、タダでさえ不安な気分に陥りやすく、常に死との恐怖の毎日を過ごしているといっても過言ではない。当然、夜も良く眠れない。気分はミズラブル!目ははれぼったい!血圧も幾分普段よりも高そう・・・!そんなときに、顔色わるいよ!と言われると、暗示にかかってしまいそうになり、更に自分自身が病気を作ってしまいがちである。

どうか。顔色悪くても、様子がおかしくっても、その状態の悪化したことを本人に告げたところで何の解決にもならない。其のことを理解して、それなりに適切な処置の出来るラインにつなげたほうが正しいと思うのです。高齢者の場合は、担当のケアマネジャーや看護師などに・・・・病は気から!と言う部分が大きく作用するのが高齢者。年寄りには逆に常に健康的な嘘八百でも並べ立てて励ましていくほうが、精神的にも安定した日々を送れそうである。

2011/6/8
tamaちゃんのたわごと・・・・2

玉ちゃんのたわごと-2を書こうと思い立った。月も新しく変わり、これからさらに面白いネタを公開するにふさわしいきっかけを、このテーマに絞り込んでみたい。さて、今回は、どんなたわごとか・・・・って。

 たわごとでも呟くには、それ相応の気力と言うモノが必要となる。自分の気持ちがブルーの時には「たわごと」なんて一切出ることは無い。考えてみれば当然のことで、気持が滅入っている時に、楽しい夢について語る事は出来やしない。そして、例にもれず僕自身も、このタイトルを書いたものの、なかなか本題に触れることができずに保存エリアに仕舞い込まれていた。

 うちの職員さんにも色々な人生、色々な経験を強いられ今に至る人が多い。個人的な問題である為に、なかなか一緒に悩んであげることも出来ずに、ただ単に少し遠巻きに心配そうな顔をして見守るだけしかできない時が多い。ただ単に見守るだけと言いながらも、実際に深く自信を喪失し、悩みの底を低迷する人に、軽はずみな声かけはしない方が良い。もちろん、声がける方は軽はずみな意識は全くないようであるが、それが悩める人には、何でも無い言葉の一言がずっしりと重くのしかかる場合がある。僕の場合も、幾多かの体験をしている。例えば、自分の中でも心配で心配で、考えれば考えるほど頭の中に痺れを生じさせ、このまま神経の束が音を立てて切れてしまいそうになる時などに、わざわざ、触れられたくない部分に触れ、おまけに強い痛みを感じませんように!と祈られた時には、これは完全に逆作用。勇気づけるどころか、逆に痛みや苦痛に対する不安感を増幅させるだけになってしまっている。そうでしょう!少しでも痛みを感じないで済みますように!と祈ってくれているのは、逆説的に判断されがちだ!と言う事で、通常、痛みは強いものだ!と言われているのと同じなのである。かくなる私も、この手の励ましに胸を痛めて、さらに不安になり、夜も眠れず、マイナススパイラルの罠にはまってしまうのだった。

 まあ、そんなわけで、「たわごと」は、その人の精神状態が健康であることを絶対条件とし、まずは健康であること。それに尽きるのである。何度も言う様であるが、高齢者に限らず、人が人を介護するには、介護する側は健康であること。精神、肉体の両面で健康でなければ介護は出来ない。自分が病気の悩みを抱えながら、他人さんの体、精神の不調まで関与し、出来るようなサポートなんて想像できないではないか。

 僕も今年になって入院を経験してきた。生まれて初めての入院である。男がこんなに気弱な生き物なのか!、僕も偉そうなことを言いながら、とても気の小さな小市民ではないか! そんな自戒的な言葉でさらに落ち込む日々だったが、本当に沢山の人達に助けられてきた。特に5月、6月には、色々な支援を頂戴し、気持ち的にもかなり前向きな発想が可能となってきた。皆の前で、また能天気に「たわごと」について語れる日が近づいていると嬉しい。

2011/6/7
予防給付と要支援者の自立度の因果関係

予防給付は、果たして高齢者の機能低下を予防することが出来ているか?という課題に対して、特定高齢者から疑わしき高齢者をピックアップして、介護予防サービスを提供し始めると途端と言ってよい程、その高齢者は次第しだいと、それまで出来ていたことも出来なくなり、自力で歩いて散歩できていたのに歩けなくなったり急激な機能低下を起こし、周囲の者達からも「急に老けこんでしまったね・・・・!」と言われるケースもある。本来、介護認定とは年寄りにとって何を意味するのだろうか?僕は、この介護認定こそ介護者と事業所にとって都合の良い仕分けであり、年寄りを分類し世の中から隔絶されている度数であると考えている。認知症高齢者は、其の高齢者を取り巻く社会が縮小傾向にあり、同時に其の社会の中に自分の活躍する場面が減少することから孤立感、孤独感、閉塞感などの将来への希望や展望が閉塞傾向にあることが大きな要因として認知症の諸症状が悪化していく傾向にある。予防給付はまさしく、この認知症高齢者への道を、行政組織や福祉事業者が推し進め、十分なインフォームドコンセントもなくサービスを受けることは、健康な高齢者を維持できるものと信じさせてしまっている。その実、単純な発想で風呂、食事、適度な休息、レクリエーションを目的として、楽しければ良いと信じている無能なデイサービス事業者に絡んでしまい、気がついたら利用者の頭の中には空っぽ、今まで計算できてた足し算もおぼろげに・・・・こんな現象が起こっている。

 要介護認定はともかく、予防給付によって要支援1ないし要支援2などの認定を行うことは、逆に年寄りの機能を認定度数にはめ込む事と同じ意味を持つ。そして、そのように年よりは、想定される身体機能に応じた能力へむけ暗示を掛けられ、次第と機能の低下も「普通」であると思わせられる。そんな恐怖が予防給付を受ける年寄りに存在する。

 私の父は、最近めっきり記憶に問題を抱え始めている。同じ事を繰り返し言う。心気症的な不安感にさいなまれて苦しんでいる。身体機能が低下しており、なんでもない段差にもつまずくことが増えてきている。この現状を聞いて、世間一般としては、即介護認定を受けたほうが良い。と判断されるところである。しかし、家には父と二人で生活する母が要介護認定を受けており介護サービスの一部を利用している。また、定期的に整形外科の受診を余儀なくされており、其の病院への送り迎えには父の自家用車の運転が必須なのである。確かに車の運転はボーダーラインすれすれの危険性をはらんでいる。交通事故のリスクも多く含んでいる。それでも、尚のこと認定を受けずに、突っ走っている。今の父の意識の中に微かでも残っている生きがい、自分の役目としての母の送迎である。他は何も自分が守り通さなければ池にものは無い。特に金銭的に困っているわけでもない。しんどい!しんどい!を繰り返しながらも、母の送迎を行うことによって、家族の中の役割の確立、社会的責任の維持等が、父の認知症の進行を少なからずのんびりとさせているように感じる。

 要するに予防給付による支援度というものは、年寄りや其の家族をそのようなレベルで見てしまいがち。知らず知らずの内に、年寄りを一般概念の枠内に押し込んでいこうとしている。そして、結果として年よりは決められたレールの上を訳分からずにケアマネジャーに言われるまま突き進んでいくのである。


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