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ブログ-施設長の部屋

2011/6/17
フォーチュンクッキーって知ってますか?

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写真が、そのフォーチュンクッキーと呼ばれる物で、アメリカ合衆国の中華料理店で食後の支払いを済ませたときにもらえるクッキーなんです。このクッキー、日本で言う「固焼せんべい」みたいなもので、生地を折り曲げて焼かれ、中におみくじが書かれた紙が入っています。だからフォーチュン(将来をみる)クッキーと呼ばれる所以なんです。まあ、食べてみて特に味が旨いと言うわけでもなく、味よりも中に入っているおみくじが楽しいのです。 インターネットを広げて検索窓口で「フォーチュンクッキー」で検索してみてください。ウィッキペディアで詳しく紹介されていますから、このクッキーを考えたのが日本人だったり、中華料理に関係するものの当の中国人には有名でなかったり。それなりに面白いネタが書き込まれてました。

さて、僕がこのフォーチュンクッキーを取り上げた理由は、ウィキペディアとは違った観点で、このクッキーを解説したいと思うのです。

このクッキーがなぜ日本の中華料理屋さんでは出てこなくって、アメリカ合衆国やカナダの中華に限定されるのか?と言う点で考えると、そこには食事に対する考え方の国民的な相違があるからだと思うのです。僕もグルメを自称し、美味しいものには目が無い者ですが、食事という観念が普段の三度の食事に無いのが本音の部分です。意外と言えば意外です。自分で食事を作って食べるにもかかわらず、その食事は欧米人の食事に掛ける時間とは雲泥の違いが有ります。僕は、ただ単に満腹になればよい。また欲を言えば満腹にするのに、美味しいもので満腹になるほうが、尚のこと良い。と言うレベルなのです。しかし、欧米人は、美味しいものは当然、健康的であるのも当然。しかし、さらに食事にかける時間と空間、そして雰囲気までも重視します。この食事にする評価はトータル的に行われ、その評価次第でレストランの繁盛に大きく影響を及ぼします。

 クッキー一個がもらえるからサービスが良いと言う判断には直結しませんが、良く考えてみれば、レジでお金を支払って店を出る日本式に比べて、テーブルで清算をして、その場にクッキーが運ばれてくる。食事を終えてお腹は大満足な客も、そこでクッキーを食べながらひと時の会話が、中に入っている「おみくじ」で楽しめるではないですか! ほんの数分の余裕というか、食後のひと時を与えてくれる役目が、このクッキーには存在するのです。日本人の食事の感覚の貧しい点は、まさしく満腹にするための食事である点です。欧米人のように食事の味、時間、空間、や会話を楽しむ、食事=人生を楽しむ。この違いを考えて、日本人には、もっともっと食事を優雅に楽しんで暮らせるようになってもらいたい。このフォーチュンクッキーの写真を見ながら、日本の食の文化を考えていました。

2011/6/16
雨です! Singing in the Rain!

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やはり梅雨ですね。雨が降っています。この雨が災いする地域もあったりして、降り方、量によっては恵みの雨であったり、災いの雨であったり複雑です。雨も視点を変えれば、標題のように雨に打たれても歌まで飛び出してきて、それでいてとてもハッピーな気持ちになれるという有名な映画のタイトルのように、要は気持ちの持ちよう!ってわけです。太陽の家の建物横では、毎年の熱い夏を彩る「ノウゼンカズラ」が、今年も咲きました。この梅雨空の中でも、赤い花びらを空に向けて大きく開いています。昨夜は月食の見れる夜だったのですが、生憎の曇り空。空一面に薄らとかかる雲によって、この鈴鹿では月食は見ることが出来ませんでした。

 雨にぬれた路面は、鏡のように地上のモノを受け止め、静の風景を映し出しています。ちょっと芸術性を求めてシャッターを切ったのですが、やはり素人の撮影する写真です。どんなものだか・・・・?

2011/6/16
地震発生回数の減少。

今年3月の大震災から3ヶ月がすぎ、ようやく余震といわれる地震がここ数日減少してきているようである。3月11日以降、ネットの地震サイトの情報は常に確認してるが、当該地域の住人の皆さんには気の毒なくらい、頻繁に余震にゆれる毎日が続いていた。平均的に一日30から40回程の余震が毎日あった日々。寝ても起きても地面が揺れると言う経験したことない自分には、想像するだけで胸が悪くなる、そんな嫌な気持ちになる地震の余波であった。それが、ここ数日、一日に発生する余震が数回程度まで頻度が減少している。ようやく大震災の影響も含め、今回の大震災も収束に向け動き始めたのか・・・と現状に少しだけど安心できる材料が出てきた。

福島、宮城、岩手の東北地方の甚大な被害を被った被災地の方々、これ以上の精神的な負担や不安材料が一刻も早く消滅することを心から祈っている。そして、この災害から復興できるよう、心の傷を乗り越え前向きに生きてもらえることを切に望んでいる。簡単な気持ちで「東北がんばれ!」と言えないが、同じ日本人として、何とかしたい!なんとか立ち直ってほしい!なんとか痛み軽減したい!と願って止まない。

2011/6/16
企業活動におけるリスクマネージメントの重要性。

一頃、食中毒事件で大きな事件を引き起こした焼肉屋チェーンの会社が事業を清算する手続きにはいったそうである。死者まで出した取り返しのつかない食中毒事件の結末は、会社の滅亡というエンディングで終了と言う。被害者家族としても、なんだかスッキリしない、突然降って湧いた悪夢のようで気持ちの整理がつきにくい事件ではなかったのか?確かに今回の事件(事故?)の経過を見ていると、肉を卸販売する業者と一般消費者の口に直接入るレストラン側の二社では、やはり直接消費者の口に入るレストラン側に責任の全てが偏っているように思える。いずれにせよ、食品を扱う業者として、食品の安心、安全を確実に担保して商売を継続しなければ、ただの一回でも失敗すれば、その責任は業者自身が負わなければいけないのは当然である。

今回の事件の社会的責任は大きく、事業の存続なんて考えることは出来ないほど重大な結果をひきおこしていた。もちろん現場の従業員の中に、食中毒を軽視し重大な事件への可能性までは考えていなかっただろう。しかし、悪いことは重なり合って、より事態を重篤な方向へと発展させた。その昔、伊勢の赤福が製造日を改ざんして、本来なら廃棄処分にすべき商品を再販していた事件も、とても大きな失態であり、その社会的責任の大きさから赤福の存続も危ぶまれたほど。同じ頃、有名老舗割烹が同じようにコンプライアンス違反を重ね、最終的に店を清算した。

社会でサービスを提供し、その代価として代金を徴収する以上、何がしかの社会的責任がついてまわる。高齢者福祉にしても同じである。相手は生きている。命を預かる重要な仕事をさせてもらっている。そんな重大なことを日常的に行っている事の重大さを経営者は理解しなければいけない。同時に職員の全員が同じ気持ちを共有して、遊び半分な軽率な気持ちで介護することの無い様に努めなければならない。

今日機会あって、損保会社のコーディネーターの話を聞いた。損害保険として起こりえる事故に対する保障は当然ながら、不慮の事故ではあるものの、ちょっとした気持ちの緩みから発生した前述の焼肉店での食中毒事故が元で会社自体の存続が難しくなるような、そんな事故に対応する損害保険は無いのか聞いてみた。当然ながら、答えは無いですね!と一言で終わってしまった。損保の場合、特に高齢者介護に関する賠償責任保険の中に俗に言う営業保証を扱う商品が無いということである。つまり、介護保険の事業の中でこうむる可能性のある営業損益を保証する保険は無いということである。

僕は常にうちの職員さんに言うが、業務中に起こりえる事故や事件などの全ての責任は経営者である自分が負う!と。しかし、これも通常の業務を通常の精神状態で行ってもらう中での事故、事件を想定した場合を言うのであって、故意にまたは意図的に事業所に汚名を着せるような行為をした場合には、この限りではないのである。つまり、僕が背負うリスクと同じように、職員の皆さんには、それぞれにリスクは背負ってもらった上で、責任は経営者が取る。事業活動ってのは、金銭的な目的をもって行われる以上、それに見合った結果や成果が求められる。私達は、それらの結果や成果を提供する立場である以上、確実に目に見える何かを提示できるよう、常に自分自身に言い聞かせながら仕事に励まねばならない。それが、企業活動におけるリスクマネージメントではないかと考える。

 

2011/6/16
何が恥ずかしい~って・・・・!

世の中いろいろと恥ずかしい思いってのを、嫌でも経験するもんだ!言い出したらきりが無い程、恥ずかしい思いをしてきたが、このケース、結構誰もが体験してることかも知れないっす!

まあ、僕は着道楽と言われるくらいお洒落が好きで、自分のお小遣いの大半をファッションにつぎ込みます。そんな自分のストレス解消方法の一つにブティックめぐりがあります。名古屋が多いのですが、デパートを中心に色々なブティックを覗いては、お気に入りの一品を探して歩くのです。本当、お金さえあれば、もっと色々とお洒落が楽しめるのに・・・・と思えるほどお店には沢山の素晴らしい洋服が陳列されています。洋服の魅力ってのは今更、皆さんに説明する必要も無いと思うのですが不思議なものです。ぼくの体型と顔立ちで、いくら頑張ってもファッション雑誌の中のモデルのように着こなせるはずが無い。それでも、同じような格好をしたくなる。これは羨望なのか、単なる物欲なのか?いずれにせよ、ファッションに興味ない人に言わせれば、無駄なお金を使ってると批判されそうですが。

 さて、それで、何が恥ずかしいかと言えば、そんなファッションにうるさい。また自分では似合っているつもりの人間が、ある日、行きつけのブティックの店員さんに、着ていったジャケットの首元から値札がのぞいてるのを教えられたとき。これは、とても恥ずかしいでしょう! その店員さんに指摘されたことはまだしも、襟元から商品タグや値札をみせたままデパートのエスカレータにのり、通路を歩き・・・と一般の沢山のお客さんお前を歩いてきたのですよ。他の人には見えてても、自分には見えない背中の商品タグ。ファッションを気取る分、恥ずかしさも倍増します。 この商品タグと同様のケースで、コートやジャケットの裾のベンツにバッテン印の糸留をそのままで着てる場合。ぼくはサイドベンツが好みなので、ジャケットの両端にスリットが入っていることが多いのですが、この両方のスリットが白い糸で×印にとめてあって、それに気づかず着てる場合。これも恥ずかしいですね。

まあ、こんなたわいの無いことを考えてブログにしてみました。日本は平和です。 え~っ、ぼくだけですか?平和なのは・・・・・?


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