ある意味、決着を見ることができて良かった。反面、社会保障の枠が無限に広がりを見せており将来的に私達の子供たちへの負担が増加してるとも言える今の政治に疑問も残る。民主党政権となって以降、ばらまき風政治は、以前の自民党政権よりも遙かに多く実施されているように思える中で、今回の東日本大震災の保障や原発事故の有形無形で広範囲の保障問題までも抱えての社会保障費の増加に、歳入よりも歳出の方が大きい不均衡な財政支出は、将来の日本国の担い手達に、大きな税負担を残す結果は懸念されないのか? 民主党が政権維持のために万面にゴマすり行政を行うつもりなら、それは行政とは言わないだろう。祀り事を行うものとして、公平性の追求は当然であるが、物事には計画性と順番づけが欠かせないのでは無いか?「今」一番優先されるモノから率先して国力を投入していく、又、それだけではその場しのぎの場当たり的政治と言われるので、ある程度の将来的な展望をもって計画的に、日本社会をリードする等、多面的な行政の指導や統治が必要とされる。
今回の震災以降、災害復興に手間暇かけられ、もうすぐ4カ月が経過しようとする今も現地の状況改善は進んでいない様である。私達の地域に置き換えてみれば、この災害発生から4カ月、地域の震災復興は進まず、未だに大型体育館でのプライバシーの欠除した避難所暮らしが続いているとしたら、そこに強いられる精神的な負担に、疲れ果て傷つき、そして希望を見失う。そんな厳しい現実に耐えられるか不安である。市町村の可燃物処理場から出る放射能汚染は、全国規模で大なり小なりの影響が表れ、汚染ダスト等の処理に行政機関も頭を悩ませている。原発の恐ろしさを端的にあらわしているが、それでも、原発事故現場に隣接する市町村で無い限りは、ある程度、他人の火事場である。 今の政権にしても、担当する大臣のい頭を挿げ替えても何も変わらない現状に、日本国民はなぜ黙っていれるのか?60年安保や70年安保の最中にエネルギーを出し切った団塊の世代は、その活動ですら蛮行として悔い、または、その時の行き場所のない不満も時と共に色あせ骨抜きにされ、その挙句がこの国民性か?と不安になってしまう。僕は、はっきり言って学生運動には直接的には関係していないし、その時代から数年はずれている年代としては、先輩の誰それが活発な活動をしてたよね!と横目で見ながら時代を生きてきた。
自分自身もソーシャルワーカーとして、日本の社会福祉を担う者の一人として、国民の生活の質の向上や環境の改善には、前向きに思いをはせている。しかし、社会保障の根本には豊かな財源が不可欠であり、この財源は国民の血税である。民主党が色々と社会保障の枠を広げ、そこに必要な財源の理論を話し合うこと無く、無秩序に施策を実行して不足する財政を既成事実として国民の眼前に放りだし、結果として消費税率のアップに世論を持っていくつもりなら、僕には国民不在で、完全な政党主義の保身行政とでも言うべきか・・・・?要するに、民主党政治のやり方も「ずるい!」既成事実の後の問題提起では、話し合いとて公平ではない。そう思いませんか?
この時間となると、毎日、非常に強く睡魔が襲ってくる。そして、この時間にブログ更新に着手することも多く、当然、頭は働かずまぶたは重く、思考能力は低下し、だから誤字脱字が増える。何で、そこまでしてブログを更新するの・・・?!?!?!と問われそうだけど、今の僕は眠いのにも関わらず眠れない。そんな格闘の日々なのです。 これだけ蒸し暑く、窓を開けっぱなしていても息苦しい夜に、それこそテレビの民放をみても、おっさんには楽しめる番組が無い。NHKでは、日本人の出場しないウインブルドンしか放送していない。どのチャンネルも見れる番組ではない。若い人なら笑えるかもしれないバラエティー番組も、年寄りにはまったく意味プーな番組だらけ。テレビからもれ出てくる音も耳障りなだけ。だからブログを更新するわけではないけど、唯一、自分に残された時間つぶしが「ブログへの書き込み行為」である。
さて、それでは、このブログについて。このホームページ上におけるブログの意味はと言えば、当初は、認知症介護を専門職とする自分が、広く一般の方々と認知症や加齢について語る場所を想定して このコーナーを作った。片側通行なので、ブログを読んでくれた人の意見は聞こえてこない。あくまでも僕(施設長として)の個人的主観をお話する場であり、だから話題として創造された「丸子さん」だったり、A子さんで、この人物に認知症を紹介していただき、社会の人々に認知症を理解してもらえるよう、部分的な諸症状を紹介してきました。そして、次第とブログの方向性に変化が生まれ、その視点は職員に向かいました。職員の意味プーな行動や利用者を誤解してる点をピックアップしては紹介する。其のことによって、職員が自分で介護の現場作業に疑問を持ち、考えてくれることを望んだ。
そんなブログが、今では施設長の近況報告に近く変化しており、毎日の僕の気分や考えに浮かぶ状況などを正直に書き連ねることで、職員に僕を知ってもらいたいという欲求を託してのブログ作成となっている。このように今の施設長の部屋は、思ったことを文章化して読み手に理解を求める方式で書かれている。そして、これも、日々考え方も変わり、同時にブログの内容も変化していくものとすると、今の施設長の部屋も現在進行中といえるかもしれない。
このCMが大嫌いで、見るたびに見なけりゃ良かったと思うTVCM]だけど、今日は、その嫌いな蛇が出た!何処に出たか?それは、太陽の家の裏庭に出た。ひょろ長いシマヘビ。結構獰猛で、裏庭の植栽に水やりをしてて発見した。恐る恐る水道をジェット水流にして、蛇めがけて放水を開始。何とか敷地外へ出て行ってくれればよかったのに、結構はむかってくるのです。鎌首をもたげて、口をあけて攻撃的に脅しを掛けてくるのです。僕は、蛇の映像をテレビで見るだけでも気持ち悪くなり、心拍が増加するのです。それが、実際に自分の目の前に居る。もうこれは拷問です。タダでさえ動機と息切れで苦しいのに、更に息苦しく、最低の夕方の発見でした。
梅雨も明けてない6月の末。厚い雲が湧き上がるように空を覆う今日一日。気温も上昇し、エアコンの効いていない屋外での活動は非常に体力を消耗しやすい一日だった。体のあらゆる部分は、汗ばむ影響でジットリと湿り気をおび、とても不快な気分となりやすい。室内のエアコンの効いている中では、体中が汗でべたつき、シャツが汗で濡れると言う不快感を経験しなくとも済んでしまうのかもしれないが、これだけ汗でベタベタすると、アクシデントでも他人の体に触れたくは無い。相手も同様、触れられたくない気分であろう。日本の夏は、元来、このような夏であったのだ。今朝のみのもんたが言っていた。30数年前まではエアコンは一般家庭に普及されてなく、同じような蒸し暑い日本の夏を、それなりに知恵を使って耐えしのいできた。エアコンを持ってなければ、この暑さにただ単に耐えるしかないわけで、ちょっとでも汗ばむと、即エアコンのスイッチを入れて暑さをしのぐ生活に慣れ親しんだ毎日から、この夏の暑さと電力供給量の低下から節電を余儀なくされている我々の生活。もうすでに番狂わせの連続である。
今日、話は変わるが、一人の職員が腰痛が原因とした利用者への気遣いや気苦労に考えるところありと電話をしてきた。偶然、私が電話の応対を行い、彼女の話を聞くこととなった。この介護の仕事につきものの腰痛。若い体にも老いた介護職にも、この腰痛問題は深刻な職業病の一つと言えるかもしれない。やせた高齢者の介助にも、体重に関係なく介護者の腰にかかる負担は大きいものである。要介護者によっては、一人で介助せず、複数の職員の協力を得ながらの介護が必要となってくる。僕自身、介護の現場を体験する中で、ぎっくり腰のような状態となり病院通いをした経験を持つが、今日の彼女の電話で一番、僕自身がやるせなかったのは、彼女が腰痛が原因で退職を考えていると言う事実ではなく、彼女が正論のように語った言葉に一番憤慨したのである。それは、彼女流にいえば、デイサービス利用者に、自分の腰痛が伝わり、介護を受けている側に余分な配慮と気遣いをされたことに介護職として恥じるという内容であった。
確かに自分のプライベートの話を利用者に聞かせること事態が間違った判断であると思う。私達の都合は、利用者には一切関係ないのが普通であるべきで、利用者がデイサービスを利用してる最中に、其の介護職員のプライベートな悩み相談を行わなければいけない。なんてのはナンセンスだろう。要介護者は自立してそうでも、それなりに問題を抱えている人ばかりである。他人には、自分の抱える苦労や苦痛を見せても仕方ないし、見せても治癒出来ないのなら、お互いが不愉快な思いをしなくても済むように心がけるはずだ。また、職員の誰れ一人として、問題を抱えず順風満帆なものは一人も居ない。それなりに家庭に帰れば、子供や夫の問題、病気がちの親兄弟の心配を抱えて苦労している。生きることは決して楽な行為ではない。生きていくことにも苦痛と妥協を感じながら、自分自身に言い聞かせながら、他者に迷惑を掛けなくて済むように、辛うじて意地をはりながら突っ張っている。
生きることは人間にとって苦痛以外の何ものでもない。そんな現実に、私達は辛くとも自分のなかに、それらの苦痛を受け入れようともがき苦しんでいるのである。腰痛が理由に退職を考えることも結構。僕は引き止めはしない。しかし、其の退職理由に利用者の気遣いに対し心苦しいなどと、きれいごとを並べないでほしい。退職理由は腰痛が辛い。の一言でよい。利用者の気持ちを代弁したように理由作りをしないでほしい。利用者の皆さんに、自分が腰痛で苦しんでいる日々であることを告知することも遠慮すべきだ!弱者である要介護者に心配を掛けて何になる?何度も言うようだが、利用者の皆さんは、貴女のそんな腰痛よりももっと深刻な不安と苦痛と毎日戦っているんだ!君の苦痛が軽いと言っているわけではない。同じように辛い毎日と思うが、あなたの場合はこの仕事から退職すると同時に、腰痛の問題からは開放されるだろう、少なくとも・・・。しかし、パーキンソン病を患う、利用者Aさんは、太陽の家のデイサービスに来なくても、パーキンソン病なのであり、なんとも逃れることの出来ない、かといって自分で自分の首を絞めて殺すことも許されていない、現実を直視しなければいけない。そんな苦しい日々を送っている高齢者を前にして、さぞかし痛い腰痛問題について説明報告するのも辛いであろう。どうぞ、介護の仕事から離れてみて自分自身の体調復帰の為に違った生活をされるほうがよろしいのではないでしょうか?
土曜日、日曜日と両日を花の植え替えをしました。一番上の写真は、ストロベリーポットに植えたハーブの色々。タイム、スープセロリ、パセリ、バジル、チャービルとレモンバームを植えました。この週末はお天気が良く毎日青空が広がり、とても梅雨の最中とは思えない天候でした。もちろん気温は随分高く、少し動くだけでも首筋に汗が浮かび、着てるシャツ全体を汗でぐっしょりと言うほど、汗をかきました。市内の園芸用品店から花苗を購入してきて、裏庭で一人でぼちぼち、植木鉢に買ってきた苗を植えました。
熱射病対策として大型のパラソルを広げて陰をつくり、お気に入りの音楽を流しながら、自分にとってベストな環境を整え、作業に係ったのです。何の変哲も無い素焼きの植木鉢に土をいれ、苗を植えつけていくと花の彩りも良く、元気な緑濃い植物を見てるだけでも、厳しい夏をすごそうとしている私達に生きる勇気をくれます。やはり、毎日、元気な植木をキープすることが。私達に健康を分け与えてくれるのですね。