タイトルのような状況って皆さんはどう思いますか? ・・・・特に何も・・・?
僕は、とてもうれしく、そして ほのぼのと優しい気持ちとなります。就業前の職場って、緊張の直前。もしも仕事自体に苦痛を感じることがあれば、その作業の直前に笑いは生じませんよね! 職員が作業準備にはいり、各々が分担して準備に余念がない時、ふとした冗談や会話に、その場にいる同僚たちが声をあげて笑う状況。良いじゃあないですか?
これを不謹慎とする経営者や管理者が居るとすれば、それこそ分からずやのトウヘンボクですよ。分からず屋と言うより、心狭いぞ!って感じかな!僕は、その笑いの中には入っていけないのですが(特に職員が嫌な顔をするわけではないのですが、自然な流れとして自粛しているだけです)、遠まわしに皆の笑い声に、ニタニタして一人で呟くのです。「いいんでないの!」と。
職場のありかたって、その場所によって随分と違います。うちはどんなのか?自分ではよくわからないのですが、ただひたすら心掛けているのは、出来る限り職員の思うように運営を任せようと考えてはいます。ただ時には、余計なことにまで忠告や口出しをしてしまうのですが、ゆくゆくは、この口出しも辞めてすべてを職員の手にゆだねたいと考えています。そして、職員さんには更なる自立を目指し、皆が同じレベルで利用者のお年寄りを見つめることができれば良いと考えています。
皆さん、頑張れ!それと、このHPの職員紹介ページをリニューアルするように事務長に指示しました。近々、写真の撮り直しや紹介コメントの書き直しがあると予定してください。よろぴこ!
目がみえない、耳も聞こえにくい。そんなデイサービスの利用者が若干名居る。デイサービスとして、この太陽の家に来てもらっている以上、何かの形で役に立ちたい。ただ単に時間が過ぎていく中に身を置いているだけで、特に何も接すること無く、感ぜず、体験することも無く、飯食って、風呂は入って、トイレに行って終わりという一日にはしたくない。
しかし、参加に制限が加えられている。ICFで言う身体機能の低下から参加に制限を受ける障害である。理屈からすれば、この方の障害となっている見えない、聞こえないという阻害因子を削除すれば、参加は可能となる。しかし、身体機能を医者でも無い我々介護の職員が治療することはもちろん改善することすらできない。それでは、ICFの理念は絵に描いた餅か?
いや、治療は無理でも参加できるように支援することは出来る。この時の「支援」とは?何を意味するのか?である。極度な難聴の高齢者の耳の代わりに?目の代わりに?介護職員がなると言う意味では無い。この場合の支援と言う言葉には、要介護者にその気になってもらえるように促す、働きかける、その気にさせる何かを探す。などの選択肢を提供する。それにより、要介護者の自身の行動の選択肢が増える。僕は、これらの支援が、実際のところ大半の高齢者に必要なサービスであると思っている。風呂に入る、食事する、トイレに行く。この三大介護は重要であり、人の人生において健康を維持するためにも充分なケアが必要な部分であるが、高齢者特に在宅の要介護者には、生きる喜びまでは求めなくとも、生きる目標や理由付けをしてあげたい。とかく生きることに苦痛や不安を抱えて、いつ迎えが来るのかと不安な気持ちで自分の死期を待ち続けることは、高齢者だから当然といった風潮が家族の中に潜在するなかで、我々介護職として、その一連の不安感や苦痛を緩和できる立場にいるのではないか?と思う。言ってみれば「緩和ケア」であり、緩和するための支援。緩和するために個別機能訓練であり、レクリエーションではないか?と考えている。
福島と宮城の震災被災地のグループホーム協議会空の連絡では、テレビのニュースで報道されるとおり、普段の生活の中で必要な物品が不足してる。市場に出回る前に欠品する。必要なところに、必要な物品が届かない。震災直後にペットボトルの水や乾電池が品切れとなって、この近辺でも品薄な状況は長く数ヶ月も続いていた。あの震災から4ヶ月が過ぎようとしている。あと二ヶ月で半年。もうこんなにも時間が経過してしまったのか?それともまだ4ヶ月なのか?は、その人のおかれた立場によって違う。しかし、4ヶ月が経過して尚、商品、物品の流通が回復していない。と言うよりコントロールされていない。 復興担当大臣が辞任し、新たに大臣が選任されて活動を開始したが、原発事故の影響で電力供給量が減少している中で節電や省エネルギーの必要性に躍起にならざるを得ない状況に、エアコンではなく扇風機やその他の冷却アイデアが切望される。東北地方も梅雨はまだ開けてはいないものの、連日30度を超える暑い日が続いている。じいさん、ばあさんも感覚は鈍ってくるけど、エアコンも扇風機の風も無い部屋に居れば熱中症にかかりやすい。
本当にすべてを急いで、超特急で行うことで、少しでも被災地の生活のレベルが普通に戻るなら日本国も精出して助けてほしい気がする。認知症のばあさんや爺さんは暑くっても温度はわからない!と決め付けていないとは思うが、この被災地の高齢者を救えない行政または日本の社会福祉は、とても大きな荒療治をもって改善されていくのかもしれない。