太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/6/30
食の誘惑に弱い自分・・・

ジャンクフードと呼ばれる食べ物が溢れるこの頃、分っちゃいるけど止まらないのがジャンクフードの魅力でもある。今日の太陽の家では、ガーデンパーティーと称して、炭火で魚を焼いて食べて頂いた。僕は、勝手ながら一人で外食をさせてもらった。さて、何を食べようと太陽の家の近辺を歩いて散策。幸運なことに、太陽の家の界隈、食べる場所には困らない。ステーキハウスあり、うどん屋あり、中華あり、お好み焼き、寿司、ラーメン、インド料理など、結構色々な食事が楽しめる場所なんである。その中にも、ファーストフードのお店が数店舗、ハンバーガー、チキン等。

 僕の食事は完全な欧米食が中心であり、その結果、コレストロールと中性脂肪が高く、ドクターから食べ物に要注意と言われている。それにもかかわらず、今日は、隣のバーガー専門店で、バーガーを食べた。

 何故うどん、そばを選択せずバーガーに走ったのか・・・・?これには特に理由など無い。自分自身の心の要求に従ったらこうなってしまった。と言う結果である。これを繰り返すから体調に大きく影響を及ぼしてる。分かっちゃいるけど止められない。脳梗塞や心筋梗塞の危険性が高まると言うのに、これも僕の中のバイアスが、俺に限って脳梗塞なんて・・・・と思う部分があるからだろう。実際、脳梗塞の怖さと言うより、その苦しさや不便さを考えると、やはり自分の身体だけに養生すべきであり、今後の反省を充分に行い、このような意志の弱い、食の誘惑に負けない。そんな屈強な精神力を養わないと本当に後になって後悔するぜ! 

2011/6/29
原発問題について

僕は極端に偏った思想家でも活動家でもなんでもない。単なる普通のおじさんで、何処にでも居そうな車好きなおっさんですが、原発に関して、この震災以降、度あるごとにブログ上で原発の存続に異議を唱えてきた。反対か?賛成か?の二者択一ならば反対派に属すると思う。だって、原発に一旦事故が発生した場合の被害の大きさや深刻さは福島が証明している。そして、その事故の被害者に対する補償を考えても、其の補償額の莫大な額は、日本の国家予算に匹敵するほどの額面であり、今回の福島のレベルの事故が、今後近い将来の日本でもう一箇所でも起こってしまえば、日本の財政は破綻する。財政破綻は、そのまま国民の税負担につながり、私達国民が被害者の受けた損害と精神的ダメージへの償いを、平等に分かち合っていくこととなる。

 同じ日本に住む国民として、被災地の人々を支えるために「分かち合う」事は苦ではない。福島や宮城やという東北の県民が、出来る限り早く、元の平安な生活を取り戻せるなら、その為に出来る協力は日本人として行うべきであり、それに反する気持ちは皆無である。しかし、実際にこれらの事故の根本に、一部の電力会社の利権や、一部の経済人や政治家の野心や野望または富に対する貪欲な欲求の為に原発が推進されているとしたら・・・・それは話しは別の問題を抱えることとなる。東京電力も、中部、関西も軒並み、電力会社が株主総会を開催し、原発の破棄に関する議案を否決している。電力会社は、事故を越さない自信に溢れ、今回の東京電力の事故は青天の霹靂と言わんばかりの、万に一回の事故であるようだ。原発は設置自治体に多額の経済的支援を継続しており、地元としては共存してきた意識は強い。また、今まで自己も無くすごせてきている。これから先、少なくとも今の町長や町の住人が生きているうちは事故も無いだろう。そんな安易な希望的観測の元の判断は、「自分だけは災害には巻き込まれない、交通事故にも遭遇することは無い」と同じ理論を元に判断されている。これは、今回の東北の震災における津波被害が拡大した大きな精神的な要因が関係しているのと同じではないか? これは、正当性のバイアスと言う理論で説明されるように、人間誰しも自分だけは助かると言う意識が働き、その時の状況を的確に判断して正しい方向へ自分自身を誘うことが出来なくなる場面がある。原発問題についても、このバイアス心理が関係するのか、それとも原発継続の判断をする者は、確実に直接被害を受けない確約された場所に住む者だからか・・・・?分からないが、とにかく、この日本。どの方向へ将来をシフトしようとしてるのか?とんと理解できない。総理大臣はエネルギー問題に関して、白紙からの再検討をうたい、経済産業大臣は原発の安全性を強調しながら、また、今回可動がストップされている原発の再稼動問題にゆれている佐賀県に対し、原発は国が保証すると約束したそうだ。国が保証するイコール国民の税金が大量に必要となる。この人たちは、他人のフンドシで相撲をとる。言ってみれば無責任な連中であり、其の軽はずみな発言はいったい何処から発せられるのか?

 この糞あつい夏。本当に日中に屋外に出ると、とても不快になるほどの熱気を感じてしかたない。これも、全ては建物を取り巻く環境が土ではなく、アスファルトまたはコンクリートとなり日に光を充分に溜め込む能力を持ち合わせていることが要因の一つである。それなら、周りを土や緑で固めるほう真意転換すればよい。もちろん時間はかかるが、それでも何もせず手をこまねいているよりは有効な手立てではないだろうか? デイサービス等の利用者の要介護者。この人たちの若かりし頃の日本の夏も暑かったろう。しかし、周りに土がいっぱい。緑もいっぱい。縁側に打ち水するだけで気温が数度下がった時代である。今の時代のように中途半端なうち水は、逆に界隈の湿度を高めることとなり、余計に蒸し暑さが苦になる。まず住環境が其の当時と今では違いが有りすぎる。扇風機や団扇には、それから発する風だけではなく、団扇や扇風機の風を生かすことが出来る生活様式があった。それらの細かな様式を含めて、私達は考えかた、住み方、暮らし方を変えていかなければ、この電力ショートリッジは乗り越えることが出来ないだろう。

2011/6/29
七夕前の共同作業を見てください。

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写真は今日の夕刻、デイサービスの提供時間終了後の太陽の家1階デイルームの職員の様子を撮影したものです。何をやっている最中か、説明をした方が分かりやすいと思います。この様子は、次回の七夕の日に予定している寸劇の練習をするために集まってきた職員が、お互いに協力しながらデイサービスの定番、その日のうちに終えなければいけない業務、例えば洗濯、掃除等を行っている様子を撮影しました。 ただ皆が協力してと言うだけなら普通です。しかし、この人員の中にグループホームの職員が混じっている点に僕は感動したので撮影しました。 グループホームの職員に助けを求めたわけでもなく、全ての職員が自発的に業務をわけあって、早く練習に入ろうという気持ちの表れと思いますが、グループホームとデイサービスの職員の交流というか、このような気持ちの共有ってところが、僕としては大きな感動を味わい、同時に職員間の思いやりに感謝してる。七夕もさることながら、明日のガーデンパーティーへの職員の熱い気持ち。太陽の家の全ての利用者に非日常性を強調してあげたいと願い、そんな特別な日を味あわせてあげたい、彼女たち職員の気持ちを大切にしてあげたいと思っています。

 それと、言い忘れましたが、この練習の為に一旦自宅に帰った職員も、今日が公休の者も参加してるのです。本当に頭が下がる思いです。

皆さん、ご苦労さまでした。寸劇の練習は、当日までに後3回程予定してるそうです。

2011/6/29
B型肝炎訴訟が決着。

ある意味、決着を見ることができて良かった。反面、社会保障の枠が無限に広がりを見せており将来的に私達の子供たちへの負担が増加してるとも言える今の政治に疑問も残る。民主党政権となって以降、ばらまき風政治は、以前の自民党政権よりも遙かに多く実施されているように思える中で、今回の東日本大震災の保障や原発事故の有形無形で広範囲の保障問題までも抱えての社会保障費の増加に、歳入よりも歳出の方が大きい不均衡な財政支出は、将来の日本国の担い手達に、大きな税負担を残す結果は懸念されないのか? 民主党が政権維持のために万面にゴマすり行政を行うつもりなら、それは行政とは言わないだろう。祀り事を行うものとして、公平性の追求は当然であるが、物事には計画性と順番づけが欠かせないのでは無いか?「今」一番優先されるモノから率先して国力を投入していく、又、それだけではその場しのぎの場当たり的政治と言われるので、ある程度の将来的な展望をもって計画的に、日本社会をリードする等、多面的な行政の指導や統治が必要とされる。

 今回の震災以降、災害復興に手間暇かけられ、もうすぐ4カ月が経過しようとする今も現地の状況改善は進んでいない様である。私達の地域に置き換えてみれば、この災害発生から4カ月、地域の震災復興は進まず、未だに大型体育館でのプライバシーの欠除した避難所暮らしが続いているとしたら、そこに強いられる精神的な負担に、疲れ果て傷つき、そして希望を見失う。そんな厳しい現実に耐えられるか不安である。市町村の可燃物処理場から出る放射能汚染は、全国規模で大なり小なりの影響が表れ、汚染ダスト等の処理に行政機関も頭を悩ませている。原発の恐ろしさを端的にあらわしているが、それでも、原発事故現場に隣接する市町村で無い限りは、ある程度、他人の火事場である。 今の政権にしても、担当する大臣のい頭を挿げ替えても何も変わらない現状に、日本国民はなぜ黙っていれるのか?60年安保や70年安保の最中にエネルギーを出し切った団塊の世代は、その活動ですら蛮行として悔い、または、その時の行き場所のない不満も時と共に色あせ骨抜きにされ、その挙句がこの国民性か?と不安になってしまう。僕は、はっきり言って学生運動には直接的には関係していないし、その時代から数年はずれている年代としては、先輩の誰それが活発な活動をしてたよね!と横目で見ながら時代を生きてきた。

 自分自身もソーシャルワーカーとして、日本の社会福祉を担う者の一人として、国民の生活の質の向上や環境の改善には、前向きに思いをはせている。しかし、社会保障の根本には豊かな財源が不可欠であり、この財源は国民の血税である。民主党が色々と社会保障の枠を広げ、そこに必要な財源の理論を話し合うこと無く、無秩序に施策を実行して不足する財政を既成事実として国民の眼前に放りだし、結果として消費税率のアップに世論を持っていくつもりなら、僕には国民不在で、完全な政党主義の保身行政とでも言うべきか・・・・?要するに、民主党政治のやり方も「ずるい!」既成事実の後の問題提起では、話し合いとて公平ではない。そう思いませんか?

2011/6/29
眠い!眠い! 今の時間が一番眠いのです。

この時間となると、毎日、非常に強く睡魔が襲ってくる。そして、この時間にブログ更新に着手することも多く、当然、頭は働かずまぶたは重く、思考能力は低下し、だから誤字脱字が増える。何で、そこまでしてブログを更新するの・・・?!?!?!と問われそうだけど、今の僕は眠いのにも関わらず眠れない。そんな格闘の日々なのです。 これだけ蒸し暑く、窓を開けっぱなしていても息苦しい夜に、それこそテレビの民放をみても、おっさんには楽しめる番組が無い。NHKでは、日本人の出場しないウインブルドンしか放送していない。どのチャンネルも見れる番組ではない。若い人なら笑えるかもしれないバラエティー番組も、年寄りにはまったく意味プーな番組だらけ。テレビからもれ出てくる音も耳障りなだけ。だからブログを更新するわけではないけど、唯一、自分に残された時間つぶしが「ブログへの書き込み行為」である。

 さて、それでは、このブログについて。このホームページ上におけるブログの意味はと言えば、当初は、認知症介護を専門職とする自分が、広く一般の方々と認知症や加齢について語る場所を想定して このコーナーを作った。片側通行なので、ブログを読んでくれた人の意見は聞こえてこない。あくまでも僕(施設長として)の個人的主観をお話する場であり、だから話題として創造された「丸子さん」だったり、A子さんで、この人物に認知症を紹介していただき、社会の人々に認知症を理解してもらえるよう、部分的な諸症状を紹介してきました。そして、次第とブログの方向性に変化が生まれ、その視点は職員に向かいました。職員の意味プーな行動や利用者を誤解してる点をピックアップしては紹介する。其のことによって、職員が自分で介護の現場作業に疑問を持ち、考えてくれることを望んだ。

 そんなブログが、今では施設長の近況報告に近く変化しており、毎日の僕の気分や考えに浮かぶ状況などを正直に書き連ねることで、職員に僕を知ってもらいたいという欲求を託してのブログ作成となっている。このように今の施設長の部屋は、思ったことを文章化して読み手に理解を求める方式で書かれている。そして、これも、日々考え方も変わり、同時にブログの内容も変化していくものとすると、今の施設長の部屋も現在進行中といえるかもしれない。


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