今日の職員会議の席上でマイナス・スパイラルの話を持ち出した。僕にすれば、人生、ギャンブルのようなもので、一寸先は闇だ!って、何かの映画のセリフのようだが、実際問題、人生って本当に先は分からないものだ。何が要因となって人生を下り落ちるのか?何が功を奏して立身出世があるのか?その人の運命を左右させる行動とは?なんて事を考えていたら、僕はこの事業に関わる職員のすべての生活を維持するための責任があり、同時に職員さんは、この事業がしっかりと利益を持って運営できるように不安の業務に精を出してもらいたい。そう考えると、職員さんには常に心身ともに健康で居てもらわないといけない。
職員の心身ともに健康を維持するためには、ある意味、自分を律することも考えなくてゃいけない。自らを律すること。つまりは「自律」と言う点で、マイナス・スパイラルに陥りやすい人生を如何にプラス方向へむけ、自分の生活や人生の質を向上させるのかを真剣に考えてほしいのです。多くの介護職員さんは子持ちです。子供が居ると言う若いお母さん達なんですが、やはり子供を生むと同時に子供に対する大きな責任が生まれるのです。子供を育てると言う行為は非常に難しく、並大抵の努力では子供は成長しません。子供が大きくなると言うことと、成長と言う意味は、まったく異なる意味があります。教育もしつけも無く食事だけでも与えていけば子供は動物と同じく体が大きく成長はします。しかし、体ばかり大人になり、精神や知能は、教えなければ製r長は無いのです。お母さんもお父さんも若くして子供を授かると、得てして子供の存在が鬱陶しくなることもあり、若年層の両親により虐待やせっかん死、そしてネグレクト(育児放棄)が目につきます。
アクシデントで子供を授かったとしても、授かった子供には人格も感情もあります。痛みや苦しみ、悲しみも感じます。僕は不幸にも子供が居ません。子を持つ親の煩わしさには縁遠いのですが、逆に子供の成長の喜びを知る術がありません。子供が居れば・・・と女房は時々こぼすことがあります。人間がマイナススパイラルに陥ることに、なぜ子供の存在が関係あるかと言えば、子供を育て躾ていくことは大変な作業です。しかし、それなりの責任をもってしっかりとkどもの将来を見据えて日々の生活に一生懸命な家庭に不幸な話は無いといえるのです。何事にも自暴自棄にならない毎日。そして大切に子供を守る親の姿に子供は愛を感じ、親をいつくしむのです。気が向いた時に可愛がり、気が向かないと食事さえ満足に与えて貰えないようでは困ります。世の中、まだまだ愛情をしらないまま育った若者が多い日本です。政府の子供手当の額や社会保障の額に左右される育児保障の充実よりも、子供を持つことに対する倫理感の育成にもっと努力をする必要があると考えています。
貧困からの脱出。社会保障が行き届いた日本の国です。貧困と言う感覚さえ感じることができない時代背景があります。しかし、僕は精神的な富を考えると日本人の精神はとても貧しい。どんな金持ちの社会的立場の高い人にしても、とても貧しいものの考え方の人が多いのは非常に残念です。
とにかく明るくなった。そして、風通しがよくなった。
何がそんなに変わったのか?一昨日、庭師さんが太陽の家の裏庭の樹木剪定を実施してもらった。もう随分と伸び放題に伸ばしてきて、この夏は二回も連続して家の玄関や太陽の家の裏庭に蛇が出没するほど茂みが深くなっていた。小さいほうの写真から見比べても、いかにサッパリと庭が変化したかがうかがい知れると言うものです。何となくですが、剪定してもらってから、建物自体も光り輝いたように感じるのですが・・・・
先日、メジャーリーグの試合をテレビでみてて、ベンチの様子が何度も画像に映し出され、その度に監督やコーチの面々が口に何やら放り込んでは、ペッぺ ぺっぺと地面に吐き出している。この上品では無い行為。アメリカでは、そこらじゅうで目にする光景で、特に芝生の広場や車を運転中など本当に良く見かける行為なんである。
メジャーリーグと言えば、チュウイング・タバコ、風船ガムなども有名で、選手もフィールドに立つときに、いつも口を動かしては、つばを吐いたりして、とてもお行儀が悪いのが特徴のようなもの。今回、ベンチで見かけた行為は、あきらかにサンフラワーシード(ひまわりの種)を食べているんだ。ひまわりの種の言えば、リスやハムスターの類のペットのえさと考えがちだけど、アメリカでは、ひまわりの種のローストして塩味を利かせたお菓子がそこらじゅうで販売されている。本当に、何処に行っても売っていて、尚且つ、安い。日本でもひまわりの種やカボチャの種は販売されているが、アメリカと日本の大きな違いは「殻つきか?殻なしか?」の違いがある。アメリカは、当然殻付きローストで塩味つき。殻のまま口の中に放り込んで、舌と歯を駆使して殻を割って実だけ食べている。メジャーリーガーの選手や監督も同様、口の中で殻を割って実を食べ、不用になった殻を吐き出している。当然、その人の周りには、沢山のひまわりの種の殻が散乱し、とても汚らしい状況となるのだが、それもこれもご愛嬌。実際に食べてみれば、結構おいしい。これは、塩味の効いた殻後と食べるから美味しいのであって、殻無しの実だけを食べていても飽きて来る。実際、僕もひまわりの種は大好きで、アメリカに旅行して必ず第一番買い求めるのが、このひまわりの種の子袋入りだ。
僕の知らないところで、アメリカ式ひまわりの種を売ってるかもしれなが、もしもどこかで販売されている情報をお持ちの方はお教えいただきたい。介護の現場で、お散歩途中に、畑仕事の中で、ひまわりの殻をプッププップと吐き出しながら、あの塩味の効いた向日葵の実をたべてみたい・・・!
ブログを書き始めるためには、まずはタイトルから考え始めるのが私流。タイトルを決めないと、文章がスタートしない。タダでさえ鈍い頭が、誘導式にタイトルをつけて誘い出してあげなければ次に続かない。そんなわけで、今日も、白紙の書き込み画面を見つめつつ物思いにふけるように、文章を考えながら、結局なにも思い浮かばず、コンピューターのディスプレーを見つめながら頭の中は色々な場面や状況が走馬灯のよに回り始め、ただ摂りとめも無く重いが上滑りしている状況だった。
毎日、ブログを書き込むことは、ある意味楽しい。それは自分の可能性にかけるチャンレンジとでも言おうか・・・意地の様なものと言おうか・・・無い頭を振り振り、何とか搾り出すようにブログを書いている。面白いと思う文章もあることは有るが、大半の文章は何を言いたいのかチンプンカンプンな文章が多い。自分でも中途半端な結末だ!と感じる場面も多く、結局僕は屁理屈をこいてるうちに自分の中で論点がずれてしまっていることに気づかないまま終えてしまうことが多くなっている。
この辺が作家の先生方と基本的に差が生まれるところで、文筆家といわれる職業の人たちは、その行為を持って飯を食っている以上、真剣に頑張らないとオマンマを食い損ねる。しかし、僕のブログは一方通行の言いたい放題、それによって日々の生活に困るわけでもない。この緊張感の差が作品(僕のブログは作品と言われるほどの上物ではないけど)の良し悪しに大きく影響を及ぼしているようである。しかし、書く以上は、皆さんが読んで面白いと感じてもらえることを求めているし、自分でも思いを旨く伝えることが出来れば・・・・と期待している部分もある。
我が家のトイレの片隅に散乱する雑貨品をいつも気にしながら、結果的に床に並べたままで過ごしていたのですが、インターネットのショッピングでコーナーシェルフを発見。スチール製の四段棚で9000円ちょい。安いのか高いのか判断が出来ないのですが、僕にとってはトイレの整理が出来て、非常に満足しているのです。まだ、それなりのディスプレーも出来ないまま、ただ単に床に転がっていた雑貨品を適当に棚に並べただけの状態です。ドライフラワーや置物などを飾れば、もう少し雰囲気はでてくるのかなア~と考えています。そのうちに、もっとディスプレーが旨くできたら写真を添えてご紹介します。
次に通販のショッピングで失敗したものもあるのです。それは、某インスタントコーヒーの製造販売を行っている大手有名企業の販売するイタリアンコーヒーやエスプレッソに近いインスタントコーヒーメイカーを特価で7500円程度で購入したのですが、これは最悪の失敗の巻。泡立ちが良くイタリア風のコーヒーが簡単に提供できるマシンとして販売されていたものを実際の現物から出されるコーヒーの味も確認せず、通販の説明だけを信じて購入。使用するコーヒー豆はローストして自分でひいたものではなく、あくまでもインスタントコーヒーを入れてカップに注がれるだけのマシン。やはりインスタントはインスタントの味しか出せない。結果的にインスタントコーヒーを飲んでいることに変わりは無く、誰に聞いても美味しくない!と言われる始末。僕自身も数杯は試しのみをしたのですが、決して想像していたイタリアンカフェの味には程遠い。今では、誰もこのマシンを使ってコーヒーを飲まないので、綺麗に水分を抜き、箱にしまわれ、近いうちに天井裏の倉庫に眠るようです。
今まで色々なものを通販で購入したのですが、結構無駄使いをしてると自分なりに反省をしています。本当に必要でほしい商品は、ある程度の時間をかけて商品を見定めて購入するほうが良いのでしょうね。それでは、また通販で特別なものを見つけたらご紹介します。