※ 宮崎和加子著「認知症の人の歴史を学びませんか」より転用。
今日は、午後から認知症グループホーム協議会の定例の研修会に、職員とともに出席した。三重県総合文化センターで開催された研修へ向かう道中、車内で、その職員との会話の中で「施設長は今、幸せですか?」と問われ、一瞬不覚にもドギマギしてしまった。
今の自分自身の状況を不幸と言ってしまうことに対し、罰が当たるよね!と答えながら、どう切り返せばよいのかに迷ったのである。
介護職員さんたちに比べると、僕は出勤時間も休日に関しても自由がきく。スケジュールで徹底的に管理され、決められた時間配分を勤め上げなくてはならない職員さんに比べると自由気ままであるという意味である。普段から、僕は、自分自身の言い訳として、僕自身は時間に制限を設けていない代わり、逆に時間の制約も受けない。つまり、一日8時間労働と言う制約にもあたらず、それ以上の時間を事業所で過ごすことも多い。また、休日も何かひとつ事が起きれば、休日に関係なく出勤する義務も持ち合わせている。
だが、しかし、それだから職員さんと同等と、視点を同じくして評価することにも引け目を感じてしまうのも確かである。
さて、立場は兎も角として、今の自分が幸せかと言えば、どうなんだろう・・・?
なに不自由ない生活、物質的にも恵まれた環境。何の苦悩もない毎日。選りすぐりの優秀な人材に恵まれ、まったく問題のない職場環境。それらすべての、僕を取り巻く環境には感謝しているし、幸せだと感じている。では、本当に人間として幸せなのか?って問いに対しては、自信をもってYES!と言いきれない点。これは、単なる我儘なんだろうな・・・・!
人間だれしも、いつかは死ぬ。死ぬときは、それまで自分自身が稼いできたお金も、資産も何も一緒にあの世には持っていけない。この体も火葬場で荼毘に付され灰となって消え去る。残るのは魂だけ。物質的な富や築き上げた施設や業績は、その時点で誰かに残していかなければいけない。
そう考えると、僕は今までの人生、魂を磨き上げてこれたのだろうか?生まれた時よりも人間的に成長して死んでいけるのだろうか?そう考えてみると、自分の今までの人生、果たして満足のいく行いを遂行してきたのだろうか?甚だ疑問ばかりが残ってしうのである・・・・
暑い!と、毎年、今頃のブログを読み返してみると、必ずこの言葉でスタートする書き込みが存在する。
玄関先の植え込みに水を撒きながら、アプローチにも十分な水を散水する。太陽の光で水が反射して、きらきらと輝いている。まるで、クリスマスツリーにまとわりつく小さな氷の粒のように輝いている。
オリーブの木にも花のつぼみが小さく開花準備をしている。毎年、この小さな花から、オリーブの実に成長していく。一度、塩漬けにしてはみたものの、食べれるようには加工できなかった。オリーブオイルを絞ろうにも、絞るだけの収穫がない。だから、いつもオリーブの実は、そのまま木につけたまま朽ちていくのを待つしかない。もったいないけど、ほかに調理の使用がない。
西の山から吹き降ろしてくる鈴鹿おろしの時期は、水が冷たくて洗車するにも苦痛が伴っていた。
しかし、この時期は子供でなくとも、水で遊んでみたくなる、そんな陽気についつい余分な水を庭にもまいてしまう。
僕は、このハーブを使った料理が好きだ。魚料料理にも肉料理にも添えたり、一緒にローストしたりして使っている。特に白身の川魚などにはお腹の部分に詰め込んで、オリーブオイルでソテーして食べたりしているが、このハーブの香りが魚などの臭みを消してくれて、とてもおいしく食することができる。じゃがいもをブロックに切って、このハーブとバター、オリーブオイルでソテーする。塩・コショウでいただくのだが、とてもおいしく肉料理の添えにうってつけである。
これから気温の上昇とともに、夏野菜がおいしい季節になる。夏野菜は特別にドレッシングなどをつけずに。単純に少し冷やした物を上質の岩塩で食するのがうまい。暑ければ暑いように、その季節を楽しむようにしたい。
御在所岳が呼んでいる。ここのところ日曜日ごとに雨の日が続いており、なかなか山登りに出かけることができない。ちょい昔なら、雨が降ろうと槍が降ろうとお構いなしに、御在所登山を行っていたが、この業界に籍を置くようになって、とんと山登りから遠ざかっていた。登山ブーツも使わなくなると、靴箱の中でも劣化していくのです。ゴムの部分が朽ちていき、とうとう一足は捨ててしまった。残る一足も、まだ確認はしていないものの、同じように朽ち果てているような気配。
御在所岳は、三重県と滋賀県の間にそびえる1000メートルを少し超える標高の山で、いろいろなパターンの登山道を有する面白い山である。僕の好きなコースは、中道と呼ばれる登山道で、初心者も少し注意を払えば登頂できるルートである。
山頂までの中間地点に、展望の開ける格好の場所があり、断崖絶壁だから少し恐ろしいのは恐ろしい場所ではあるが、それなりに天気さえよければ景色を堪能できる。
それと、今の時期はつつじが有名。どうだんつつじや皐月の木の間を縫って、登山すると、何処からともなく鶯の声が聞こえてくる。いろいろな鳥が飛び交い、その鳴き声が、息切れした登山者の清涼剤のように、疲れを一掃してくれる。
登山はシンドイ。途中で上ることを止めたくなる程疲れる。しかし、登山途中に中腹で食べるおにぎりの味と澄んだ空気が、気持ちを上へ上へと導いてくれるような気がする。天気の良い一日、汗びっしょりとかきながら、山頂を目指してすすむことは、とてもリフレッシュの意味でも良い機会である。
天候さえよくなれば、今一度、御在所をのぼってみるつもりだ。
やはり暑くなってきました。いよいよ日本の夏が近づいてきた様子。汗がジンワリと滲み始めます。汗かいて夏痩せするのなら、それはそれで大歓迎なのですが、僕は夏も秋も冬も、季節に関係なく痩せない人間なので大変です。汗臭くなるだけ・・・う~んン、痩せない!といつも体重計に乗るのが恐ろしくなってしまいます。
体重計に乗らないまでも、パンツを買いに行って試着すると太ったことが分かります。行きつけのブティックでは、僕の過去のデータ管理を必ず行っています。黙っていても僕のサイズとおぼしきものを選んで試着室まで持ってきてくれます。
試着してみるものの前のボタンがはまらない。ジッパーも上がらない。・・・もう最悪!でございます。
そう呟きながら、毎回、運動するぞ!と固く(?)決心するものの、始める前からギブアップ。
そのような暑い今日は、グループホームの婆さんを伴って、えんどう豆をとりに行った。なじみの畑にお邪魔して、グリーンピースをとらせてもらった。できるだけ太っちょのものをとってくださいね!とお願いする。最初は太っちょばかりを狙って、採取してくれるものの、次第に何でもかんでも、目につくものを全て採取してしまう。おまけに葉っぱも蔓も・・・
でも、皆さんとても満足げで、行って良かったって感じています。
最近、自分の書いたブログを読み直している。2009年から始まったブログ。ブログの更新回数も1000回に近くなってきた。遠い昔のような気がするけど、実際の年月の過ぎ去る速度は、本当に早いものである。最初の一ページから読み直してみると、微妙ながら年を経るごとに、文章が少しづつ変化してきている。
最近は、読み手を意識して書いていることが想像できるような点で、以前のような荒削りなイメージは薄らいできている。良いのか悪いのか?は、読み手の好みによるけど・・・しかし、相変わらず書き下ろしの文章には誤字や脱字、つながりの悪い文章は継承されている。
良いところが継承されるならまだしも、悪いところが改善されずに維持されるって、どうなの・・・?
それと、僕のブログを書く行為ってのは、これでいて結構自分のためにも役立っている面もある。つまり、公言してしまうことで達成しなければいけなくなる。(まあ、禁煙はそうはならなかったけどね・・・へへへ)目標設定というより、行動自体がブログに書き込むことにより、矯正されていくこともあるということ。認知症の人への理解に関しても、僕は呼んでくれる介護職員さんに話すように書いてはいるが、結構これでも自分自身の考え方の確認を行っているのです。
また、職員さんへの想いってのも、ここに冷静な気持ちで書き込みながら、スーパービジョンを実践していることもあるのです。
インターネットを使ったコミュニケーションってのは、単にメールだけではなく、このような公の場において意見を述べることにより達成される場合もあるのです。逆に、このような媒体を利用して、悪用することも簡単に可能としてしまう。そういったデメリットも存在はするのですが。
昔、日本福祉大学で学んでいる頃、学生の間でネットを使った交流サイトがあって、その交流サイトでいろいろな体験をしたわけです。時に、言葉は文字になると勝手に独り歩きし、誤解を招くことも多くあった。文字の使い方の難しさは、その時に学んだのだが、しかし、今でも文字の扱い、感情のコントロールでは、学び切れていない、そんな経験を今でもしている。
後悔先に立たずです。
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