


利用者同士の世間話から、ちょっとした誤解が生じいろいろな副作用的弊害がみうけられる!と連絡があった。なんのことは無い、受け手側の誤解、要するにその時の気分によって受け取り方が「逆」に作用してしまった。という事らしい。言った方は、特に悪意もなく意図するものもなく、いたって普通の会話のつもりであったろう。それが、右から左へ、左から右へと話が伝わるにつれて、元々の言葉は自然に歪められ、当初の言葉とは異なる意味合いを持ってしまっている。
さて、介護施設としてこの現象をどのように捉えるか・・・?
皆さんなら、どのように対処するだろうか?勝手に一人歩きする言葉を昆虫ネットを持って追いかけたとしても捕まるわけがない。一度、人の口を出た言葉は、もう何処にも戻らない。覆水盆に戻らず!である。それでは、どうすれば良いのか?
このようなケースでは、どのみち当事者に別室に来てもらって事情説明したところで何の解決にもならない。それにも増して、そうすることで両者間の距離を広げ、荒らし、お互いに壁を作ってしまいがちである。もうこうなると、職員は何があろうとも「無視」するのが一番である。ただ単に聞き流すのである。
介護施設にしたって、人間が集まるところであり、そこには種種雑多な考え方が存在し、色々な解釈の仕方が存在する場でもある。言ってみれば、一つの小さな社会が形成されているわけで、そのような社会には規模の大小に関係なく、常に壊れやすい人間関係が存在し、扱いに苦慮する場面は必ず存在する。
人間として生きていく上において、人とのトラブルは避けようがなく、それらのトラブルのすべてに神経を使っていては、解決できるものも余計に傷が深くなろうと言うモノ。この際、「へ~っ、そうなんや!」と聞いてあげるだけにしておけば、そのうちに消えてなくなるだろう!それよりも何よりも、僕たちがその現場に遭遇したら、解決方法を模索するより、このような複雑な人間関係に発展する以前に、利用者自身が楽しんで個人の生活を継続しながら、適度の関わることのできる場の創造に全精力を費やす方が良いのではないか・・・と考えている。
この足元写真は、太陽の家デイサービスセンターを利用される方の写真である。ご本人にホームページ上で掲載する許可をいただいて公開させてもらっている。
以前から、僕は研修のたびに受講者の方々にお話ししていることの一つに、自分自身の着ている服に対して敬意を払うことが「気づき」につながるのです!と説いている。特に履物に関し、毎日、毎日、この僕の全体重を一手に受け止め、衝撃や危険を緩和してくれている履物に対し、愛情をこめお手入れをすることは、自分自身の感性を豊かにすると言う理屈を説明している。毎日の感謝をこめ衣服や靴に行うと、自然とほかの人の身なり、気遣い、心配りなどが気になり始める。その人が「モノ」を大切にしている姿勢や気持ちが、よく伝わってくるのである。
そんな会話をしながら二人でタバコを吸っていた訳だが、この写真の靴の持ち主は、いつもオシャレに気を配っている。この方にもほかの要介護者のように苦悩も苦痛も存在する。体調の維持も日によって困難な時もある。従ってデイサービスの利用に際しても、当日キャンセルってのもある。
この利用者は、歳を重ねたから、病気を患っているからと言った理由で薄汚れた格好に甘んじたくはない!とはっきりと言い切った。僕は、そのような気持ちってとても大切であると思っている。理由に関係なく、僕はファッションの人間に与える影響の大きさを信じている。ファッション、つまりは他人に与える見た目の印象ってのは、年齢に関係なくいくつになっても重要であり、その日の気分を左右するものと思っている。
歳を重ねることは、職業、立場、経歴、資産の額に関係なくすべての人に平等に訪れる。しかし、その人の気持ちの持ちようによって心の年齢は、全ての人によって格差が存在する。心の年齢だけではなく、その人の生きる上の気持ちにも格差が生まれるはずである。
欧米人の高齢者の方々のファッションは、年齢を重ねるにつれ派手になっていく。色使いも派手である。日本人の感性からはちゃらけて写るかもしれないが、そこには海外の気候風土や住民の気質みたいなものが関係して、ド派手なファッションでも堂々と闊歩している社会である。僕も、このデイサービスの利用者の方のように、オシャレは足元からにこだわり、これからの老後を迎えたいと願っている。
先週末は御在所岳の登山。今週は自転車。ともに体力を消耗するはずのエクササイズ。
しかし、その実、自転車をこぎながら10分もすれば、のどが渇く。適当なところに行きつけの喫茶店。まだ、僕の自転車をお披露目してなかったから、ついでだからと理由をつけて立ち寄る。なじみの客が同席してバイク談議に花が咲く。さすがに自転車を炎天下の元、力いっぱい漕いでいると、何か冷たいものでも一杯飲みたい気分である。
アイスコーヒーなら大丈夫!でも、少々疲れた体をいたわる意味でも砂糖シロップを加えて、ミルクも少々!これでコーヒー牛乳のようにまったりと甘く仕上がったアイスコーヒー。やっぱ、旨い!疲れた体には、甘いものが最高に良い。おまけにキリッと冷え冷えの飲み物だから、尚のこと良い。
さあ、ひとしきり休憩を取ったから、自転車を再スタートさせよう!と、潔く自転車のサドルにまたがり、勢いよく漕ぎ出す。結構、この坂って自転車には辛いなあ・・・と息も絶え絶え登り切った先に鈴鹿サーキットのゲート。これさえ越えれば下り坂。人生、やっぱ下り坂は一番!って誰かが言っていたが、何も漕がなくても自転車は爽快に突っ走る。並走して走る一般自動車よりも自転車の方が早い。
この下り坂を利用して、距離だけは伸びた。白子まで下りてきた。それも、大した労力を使わずして・・・・
ここまでくれば、後はチンタラと自宅まで平地走行。大したエネルギーも使わず自宅に帰着。ちょっと自転車こいだだけでも腹は減る。効果覿面。そのまま、夕食となり、いつもの倍のごはんを平らげても。まだ腹が減る。腹が減ることは良いことだ。以前大病を患ったときは、食いたい!気持ちが起きなかった。今日も晩御飯が美味かった!
ってなわけで、結果的に自転車のエクササイズを始める前よりも、終わった後の方が体重が増えている・・・これってどうよ??!!
僕のブログだけでは無いのですが、このホームページを訪れてくれる人の数が増えています。多いと一日数百人の人アクセスが記録されています。本当にありがたい話です。
僕がブログを始めたきっかけってのは、こうやって高齢者介護を行っていながらも、いつも何か気持ちの上ですっきり来ない、イライラした気持ちとなる事柄を感じながら、それらを制度の問題とか、そこで働く人たちの問題とか、とにかく言いようのないすっきりしない何かを感じながら、毎日の業務をこなしていました。その中で、ふとした切っ掛けからホームページの開設話が持ち上がり、友人のソフト開発会社に相談したことがきっかけとなります。まあ、最初は面白半分、高齢者介護とは全く別の、自分自身の趣味の話や取り留めない事柄を中心に書いていました。その理由は単純です。「不特定多数の人を相手に自分の意見を言うことに恐怖感を抱いていた」からです。 福祉業界の中でも新参者のと言われる自分が、超生意気にも福祉について語ることで、色々と辛らつな意見やお叱りを受けることを恐れていたからです。
しかし、こうやってブログを書き込んでいるうちに、自分なりの考えに自信を思って発言することの重要性を感じ始めました。間違っていても良い。その時に自分が主たこと自体を素直に表現することの重要性。そんな風に考え方が変化していきました。それが良いのか悪いのかは兎も角、僕が選んだ道が、正直に自分の想いを書き連ね、そして、読んでいただく人にいろいろと考えてもらえる。それがうれしく思えるようになったのです。
反対の意見は、必ず存在することを受け入れれば、それでは、自分として、その反対意見に対してどのように考えていくのか?福祉に限らず、自分自身の考えを公開することで、逆に自分の気持ちや思いを再確認できるという副産物に気付いたから・・・と言えるかもしれません。
出来る限り、毎日。まめにブログを更新すること。そして、日々行われている太陽の家の様子を克明にお伝えすることが、このHPを訪れていただける方々の求めるものを満たすことと考え始めました。
これからも、思いつきの誤字、脱字だらけのHPを維持していくつもりです。皆さん、よろしくお願いいたします。
東京都の人口は1300万人を超えている日本一の大都市。その大都市の一片を写真に収めると、公のような図になると言う写真を掲載しながら、今回の上京でいろいろな人と会った。一人は、以前に通っていた福祉大学の同期生。今は地元、東京都内において手話通訳を行いながら、聴覚障碍者支援を行っている者。次に古くは僕の青春時代の同級生と、その長男との会食。一番のメインは、上京した当日の夜にあった会合である。この会合では、全国でも著名な方々ばかりが勢ぞろい。レビー小体を発見した医師、認知症高齢者の在宅医療を必死になって守り続けるドクター、高齢者を担当する行政官や放送関係者や専門メディアなどの燦燦たる顔ぶれが集まる場である。
色々な人との出会い、いろいろな意見から新たな発見、気づき、学びを得ている。情報源と言うよりも自己研鑽の場であると捉えている。田舎に引っこんでいると、情報の伝達スピードよりも、伝達過程における鮮度と温度が伝わりにくいのが問題である。田舎に居ても都会と変わらないスピードで、今ではネットを使って情報収集は可能な時代である。言葉だけを得る目的はネットで賄うことができる。しかし、そこには言葉のリアリティ、パッションが含まれてこない。
同じ言葉でも、直接聞くことと話す人の表情が見える事は、相手に与える印象は格段の違いがある。コンサートでも同じである。直接生の演奏を聴くのと、CD等の媒体を通して聴くのとでは、臨場感や迫力の伝わり方に雲泥の開きがある。
たかだか2時間程度の会合のため、わざわざ東京まで出て、一泊して帰るまでの意義。それが、この情報を自分の身に刷り込んで学びを得るためには、とても重要でありお金に変えられない。言ってみれば「プライスレス」な業務なのである。僕は、今、このような会合の場を、地元三重県でも開催したいと願っている。もちろん、東京で開催している面々が三重県にお越しいただいての話ではない。三重県は三重なりに、それぞれ抱える問題は違うはずである。認知症の人と拘わる者たちが、一堂に会し、いろいろな思いの丈を語る場。そして、そこに事故の成長を目指して研鑽できる場を作りたいのである。
いつ実現できるかはまだ未定ではあるが、一部のドクターに興味を持っていただくことには成功した。次は、開催に向けて、もう少し解決していかなければいけない小さな課題を解決しなければいけない。
宿泊しなくとも、日帰りで集まり、忌憚ない意見交換ができ、認知症の人を更に理解できる場。そんな会合を開催できるようになれば、また皆さんにお知らせしたいと思っている。