野良仕事の最中に耕うん機のガソリンが切れたので、家に予備ガソリンを
とりに戻ろうとした頃、ちょうど桜の木が満開の桜島公園横で渋滞に遭遇した。
いつもはこんな渋滞無いところで、車が動かない。
時間的にも昼の二時頃、お昼ご飯を食べた後に桜を見に集まる車が
駐車スペースを求めて減速して停車する。
そこから後ろに続く車が停車する。
そんな渋滞が発生していた。
野良仕事の場所から普段だと15分で自宅に到着するにも拘らず
今日は倍の30分かかった・・・
ガソリンの携行缶を取りに戻るだけで、このロスは辛い。
まあ、気候も天候も良く、桜がいよいよ満開ともなると
誰しも花見って思うよね!
週末は、ほぼ毎回、畑仕事をやっている。
今日も朝の9時から夕方5時まで、ずーっと畑で野良仕事をしていた。
一日中何をやるか?って、この畑は石が多いと以前からお話しするとおり
いくら取り除いても、土を掘り起こせば、また石が出てくる。
今日、ズッキーニ、ビーツ、ラディッシュを植えるために
畝づくりから始めたが、その前に購入しておいた牛糞、鶏糞の両方を土に混ぜる。
その作業から始めたが、耕うん機で耕せば石が出てくる。
畝を作るまでもなく、石を排除することが先になる。
しゃがみこんで石を拾い、一輪車に集める。
こんな作業をずーっとやっていると腰が痛くなる。
今日中に畝を作らないと、明日、種まきができない。
だから必死で作業を続けた。
一人で作業してても、この広い畑では、作業効率が非常に悪い。
特大の鋤簾みたいなもので機械で引いて集めるようにしないと
すべて手作業ではいつまでかかることやら・・・
夕方の5時近くになって、ようやく種まきができるだけの畝を作った。
最後に畑の作物に水やりをして帰って来た。
そう言えば、3月のはじめ?!頃に植えたジャガイモが芽を出した。
最近の気温の変化に、ようやく目覚めたようである。
僕がブログを書くときの姿や、ネタに迷い苦悩する姿は
今まで何度も書いてきた。
さて、そこで、ふと疑問に思ったのが
読み手の姿である。
このブログを読んでくれている人は、どの様な姿で読んでもらってるのだろう??
パソコンだけではなく、携帯電話やIパッドを使って読む人も居るだろう。
でも、これだけは言っておくけど
このブログを決して、デスクに向かって姿勢正しく読まないでもらいたい。
酒を呑みながら、ポテトチップスをかじりながら
ブログを読みながら、テレビでドラマをながら見しながら、
または、トイレで用を足しながら
とにかく自由気ままな姿で読んでもらいたい。
その理由は、撲自身も書くときに結構無責任な発想で
思いつきも多く、そのひらめきを活字にしてるだけだから
まじめに読んでもらいたくない。
一番うれしいのは、酒やコーヒーを飲みながら
つまみの裂きイカでもしゃぶりながら
姿勢も崩して読んでもらいたい。
気ままに書いているブログだからこそ、読み手にはリラックスして
読んでもらいたい。
なんだかんだと勝手な理由をこじつけて、
世の中では10連休だのと言っている日本。
何度も書いているけど、なぜ、一斉に国民の祝日を
作り出して国民全員が連休を取らなければいけないのか、
理解に苦しむのは僕だけではないと思う。
この業界に限らず、10日間完全に閉鎖することのできない業種は沢山ある。
ここまでしないと仕事を休めない日本人と言わんばかりに
国民一斉に右にならえ式に休みを取る。
ここまでの連休が重なれば、旅行に行く人も増える。
観光地は普段よりも観光客でいっぱいになる。
ついでに、ホテルや交通機関も、特別価格を設定し
いつもよりも割高価格で商いをする。
日本で必要なことは、半強制的に休みを取らせる社会ではなく
いつでも思う時に個人のリフレッシュのためのまとまった休みが取れる社会
そんな社会をつくるよう働きかけることが、僕はもっとも求められている気がする。
有給を最低5日はとりなさい!
10連休にしましょう!
働き過ぎの日本人には、とても大切な号令だけど
このような方法で、本当にリフレッシュできるような休みがとれるのか?
もうすでに昨日の話となるが、4月3日は、母の誕生日である。
この年齢となっても、宗教的な儀式や慣習を全く知らない
非常識な人間極まりなく、おそらくあの世で母も嘆いていることだろう。
こんな育て方をした覚えはないのに・・・と!
かろうじて母の命日には、仏壇と墓参りをするくらい。
盆もお彼岸も関係ない。
そんな不義理を少し反省し、また、放ったらかしにしてことを恥じて
誕生の3日に生花を持参し実家の仏間を訪れた。
線香に火を点け、灯明を点灯し(近年では、油を燃やすことはしない、小さな電球が
灯明の代わりに点灯される)
手を合わせて、じっと仏壇を見つめながら
度重なる親不孝を詫びてきた。
母の死後、誰も済まなくなった実家も
次第次第と姿を変えていく。
ライフラインはそのまま継続してつながっているものの
キッチンや居間は、泥棒が入った後のように荒れている。
探し物をして、部屋の中の物を移動させたからだ。
いつかは、部屋の整理をしなければいけないと思いつつ
中な整理できないでいる。
長年の生活の歴史は、本当にいろいろな物に溢れかえる。
母が住んでいた家にも、処分しきれないほどの物があふれている。
量の問題ではなく、僕の中の心の整理がつかないからかもしれない。