僕が、この仕事を始めた頃は、自分自身でも一番仕事に張りがある時代だった。
働けば疲れるのは、何歳でも同じで若かった僕も一日働くと
ど~っと疲れていた。
でも、疲れていても、やむにやまぬ理由でさらに働かなければならい時
無理が効いた。要するに徹夜して寝ていなくてももう一日働けた。
それが、僕の40代の頃。
東京ディズニーランドまで子供たちを乗せて車で走って行けた。
50歳になると、まだ長距離運転も可能だったが、運転途中で
眠くなることが徐々に増えていった。
仕事も根を詰めて、数時間集中して書類に向かうことができた。
食事も、底なしに食べて、呑んで、大騒ぎできた。
気持ちが乗れば、イタリア料理を食べながら、ワインを3本ほどあけ
酔っぱらっていても、次の店に行って、また飲むことができた。
60歳になる頃に、それまでの暴飲暴食が祟って病気になった。
この病から復帰するのに約一年かかった。
この一年のブランクから以降、体力がぐーーーんと低下した。
以前のように量を食べられない。食べた後から腹が張る。胸が焼ける。
この頃から、良質の食材を少しだけ食べたい。という嗜好に変わった。
それまで駅前の肉屋さんが揚げて打っているコロッケが美味かった。
今、同じものを食べても胸焼けがする。
車を運転すると、駐車場に真直ぐ車を止められなくなる。
枠内に斜めに停めてしまう。
雨降りの夜間の運転は、前が見えにくく
とても運転自体がおそろしくなっている。
50代の初めころは、名阪国道を名古屋~鈴鹿インターまでを
15分で走り切ったこともある。今では、100キロで走っていても
めまいがする。手に汗かいて、非常に危なっかしい運転だ。
高速道路で思い出した。40代の頃は、高速道路のサービスエリアにある
鉄棒で蹴上がりができた。
50代では、鉄棒に上に上がれなくなる。蹴上がりなんてとんでもなくなる。
これでも学生の頃は鉄棒で大車輪もできていた男なんだよ!!??
現在65歳、筋力は衰えて、眼も老眼がすすみ、腰はやたらと痛む。
畑仕事で腰を曲げて作業したあとなど、腰が痛くで真直ぐな姿勢で歩けない。
腰を曲げて歩いている。まるっきり爺さんだ!
それと、一番大きな違いが、若い女性をみて「美」を感じなくなってきた。
それよりも40歳、50歳の年代の女性に色気を感じてしまう。
やはり爺の域に片足突っ込んだ。
いろいろな著名人や施設のホームページを見せてもらっているなかで
ブログや書き込みページのスタイルは
それぞれ特色があって面白い。
本来ならば、そこの事業所の専門性をアピールする場で
この『施設長の部屋』のように、私のクダラナイ日常を書き連ねるスタイルは
逆に言うと少ない。とにかく、ホームページが完全に企業PRを兼ねて
読み手の視点で、求められる情報を掲載している。
そして、そのような視点で作られたホームページは
呼んでいても格好いい!記載されている言葉自体が格好いい。
とてもよく考えられている。僕の様な誤字、脱字で思いつきの文章ではない。
それから比べると、この僕のブログは、完全に私個人の視点で
つれづれなるままに書き込み、思いつきだから読み直しも、訂正もなく
その時の思いが、そのまま公開されている。
僕は、正直なところ「直管」な男で、 嘘偽り、きれいごとは得意ではない。
直管だから、こころの声が、フィルターも通さないでストレートに出る。
自分の気持ちを押し殺してでも融和を望むタイプではない。
結構、そこらじゅうで地雷を踏んでいるタイプ。(笑える)
ええ歳して、アホやろうと言われることもある。
しかし、これが僕のスタイル。アホなんやな~
今日は2月1日。午後から演芸ボランティアの訪問があった。
1時間、みっちり利用者の皆さんたちを笑わせて頂きました。
聞けば、ほぼすべての福祉施設をまわってみえるらしく
その筋では有名な方のようです。
この太陽の家には、突然、飛び込みでみえて
演芸ボランティアをやらしてください!とお越しになったのが、
先月初旬。約束どおり、2月1日の午後1時、ちょうどに来ていただき
開演も準備から、上演、後片づけ、撤収を全てお一人でされて
帰って行かれた。
何も求めず、人が楽しむことだけを求め、非常に奇特な方です。
お名前と写真の公開許可を取っていないので
ブログではご紹介できませんが
非常にありがたかったです。また、お越しください。