パラリンピックが市民権を得たように、多くのパラスポーツが
メディアに取り上げられ、同時にパラスポーツのアスリートが表舞台に出始めている。
障害をもつ人々が昔のように、家の中に閉じこもる時代でなくなりつつある。
これは、社会にとってとても良い傾向で、この機に認知症の人も
思いっきり外に出て、自分を主張する好機だと思う。
社会全体が偏見と差別をなくし、「普通」と言う言葉を変えてしまう、そんな時代になる。
以前にも書いたが、車いすでも歩行器でも、すいすい屋外を歩き、自分で思う方向に移動できる道路
道に迷っても誰かれなく助けてくれる社会ができるかもしれない。
社会全体が障碍者を、何の抵抗もなく受け入れるような社会となれば
逆に障害を理由に弱音を吐くことができない社会となりうる。
何にでもネガティブなバイアスってのが生じる。
障害者をかばっていく活動が活発となると同時に
障害にやさしい思いやり社会だから、支援は不要と考える方向に傾く。
もっとわかりやすく言えば、優先席が用意されている車両だから、
そこに座らない老人には席を譲る必要はないと言う思考を言う。
障害をもつものが、健常者と同じレベルで生きていくには
まだまだ改革すべき点は多い。
認知症となっても普通のように生きることを掲げて
僕は認知症啓蒙啓発活動を自分のライフワークと考えている 。
認知症徘徊模擬訓練など先進地域として大牟田市や大府市などの取り組みを見て
今一つ、鈴鹿市ってのは熱い思いが伝わっていきにくい土地なんだと感じている。
今日は天気予報通り雪となった。
昼から夜にかけて結構吹雪いた。
車の上に数センチほどの雪が積もった。
寒い日は、温かいものが恋しくなる。
そう言えば、戸棚の中に小豆の缶詰があったことを思い出し
急にぜんざいを作ろうと思った。
缶詰を開けて、中の小豆を鍋にいれ、水をいれて沸騰させるだけ。
ムッチャ簡単!2~3分煮立てて、オーブンレンジで焼いたお餅をいれて食べてみた。
・・・・・甘いけど、なんだか鉄臭い!!
ちょっと変だぞ!と気づき、缶詰に書かれている賞味期限を確認した。
2017年3月・・・・・・・・
二年前で期限が切れている。
お椀一杯分は胃袋に入れてしまった。
でも、流石に残りは捨てるしかなかった・・・・
物を粗末にしてはいけませんが、缶詰の賞味期限は気にするべきなんでしょうね。
近年、これだけ大量のブログ更新はなかったのですが、
過去のブログを見ていくと、結構、書いているのですね。
たとえば、
2010年の7月の記録が52本。
一か月に52本のブログを囲おうとすると、一日に2本を毎日書いているパターンです。
今月は、何を血迷ったのか、ここまで毎日更新を続け
多い時には一日に3本書いたりしているのですね。
ただ、写真が少ない。
以前、このホームページを管理してくれている会社のスーパーエキスパートが
(彼は、本当にパソコンのことに詳しく、当たり前のことかもしれないけど
おそらく部本さえあれば、自分でパソコンを作ってしまえるのではないかと思うくらい
そんなすご技の持ち主なんです。 前置きが長い…?!笑)
文章ばかりのブログよりも写真を挿入していくと、更に読みやすく親しみがわくよ!と
アドバイスしてくれたのですが、なかなか、毎日、ブログ更新のために写真を撮影する時間もなく
最近のブログは、読んでもらいにくい作りなのかもしれませんね。
先ほどのネブラスカの話でも、文章では想像しにくいでしょうし、
写真があれば、僕がいいたいこともさらにリアリティをもって伝える事が出来そうです。
今後はできる限り、色々な関連する写真を撮影して貯めておくこととします。
さて、そんな過去のブログを読み直してみると
結構笑えるブログが潜んでいるものです。
自分で書いた文章を読んでみると、その当時に感じていた色々な気持ちや思いが
思い出されて結構笑えます。
そして、ところどころで誤字や変換ミスがあって
この変換ミスの文字は何を言いたかったんだろう・・・?と考えてしまう
そんな面白さも残っていました。
劇的に変化してきたなと感じるところは
発送が前向きでなくなってきたところが年齢を感じさせます。
昨日のブログで、最近雪が積もらないね!と言っていた矢先、
明日の三重県北部は雪だと。
特に三重県の内陸部では、積雪10~15センチ?!
明日、明後日と雪の予報ってことは、日曜の朝は路面凍結。
日曜日の朝から出勤の人には、車の運転、気を付けてもらわないと・・・
僕は会社員の頃、アメリカのネブラスカって州で働いていたことがあって
ネブラスカの冬は、非常に寒くって雪も多いけど、日中に溶けた雪が凍って
道路はすべてアイスバーン。そのアイスバーンの上にまた雪が積もって、溶けてを
繰り返しているような地域で。冬になると、車を運転するのも、皆がとても慎重で
ゆっくりと運転していた。アメリカの田舎の話だから、車の量も少ないし、国土は広く
道路幅も日本の三倍も四倍もある広い道を走ってるわけで
冬でもオールウエザーと言うか、ノーマルタイヤで走っているんです。
僕はその当時、白色のサンダーバードを運転してて
信号で止まる時には、ポンピングブレーキをかけながら、横滑りして
ようやく信号で止まり、青信号となっても直ぐに進めない。ぶるぶるお尻を振り振りしながら
前に進むって毎日を過ごしてたんですね。
それはそれで、とても楽しい冬の運転でした。
そんなわけで、明日の雪の予報、結構楽しみなところでもあるのです・・・
しかし、今日のニュースで山形県の介護施設の送迎車両が雪でスリップして
7メートルの高さの崖から落ちたそうで、残念なことにお一人の利用者が亡くなってる。
雪道のドライブを楽しむってのは、不謹慎なのかもしれないですね。
この地域は、冬ともなると「鈴鹿おろし」って呼ばれる冷たい西風があって
冬場には雪よりも、鈴鹿山脈の雪で冷やされた風が吹いてくるのです。
日本全国、太平洋側では、なんとかおろし って呼ばれる
山から吹き降ろす冷たい風が吹く地形が多いのですが、
そんな鈴鹿市でも、昔は、もっと沢山、雪が降り、積雪も多かったのですね。
私の家は、純和風の二階建ての家でした。
四はちと呼ばれる田舎の家の特徴のように、八畳の和室があって
その周囲を廊下が回っている家でした。
廊下と和室の間にもガラス戸があるので、昔の和風建築でも
冬場は炭火のこたつでも、それなりに温かいものでした。
夜に、冷たい鈴鹿おろしが吹きすさび、窓ガラスが音を立てはじめると
雪がふるぞ!と言われたものでした。
朝起きると、案の定、家の外は一面真っ白。
それも10や20センチくらいの厚みの雪が積もっていたものです。
私は、雪を茶碗にいれて、練乳をかけて食べるのが好きでした。
夏のかき氷のようなものですが、かき氷より柔らかく繊細な雪は
どちらかと言うとソフトクリームを舐めているような感触でした。
そして、雪の日は車も動かず(もとから車なんて、ほとんどの家庭にはなかった時代ですから)
町全体が死んだように静まり返っていました。
家の前の道を歩く人が雪を踏む音が聞こえてくるほどの静けさでした。
そんな時代から50数年。
この冬はまだ一度も積雪を経験していないのです。
年末に薄らと雪が乗った屋根を見た程度ですか・・・
雪が降ると交通事故は増えるし、結構煩わしいことも多いので
降らないにこしたことはないのですが
それでも、時々、子供の頃に体験した雪の日の我が家のぬくもりと
町全体が静まり返った白銀の世界を懐かしく思う時があります。
今週から来週にかけてインフルエンザのピークらしいのですが
空っ風ばかりで、空気が乾燥しているから余計に風邪が流行るのでしょうね。
皆さん、インフルエンザには注意しましょう。
手洗いとうがい。出来れば鼻うがいも徹底しましょう!