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ブログ-施設長の部屋

2011/6/7
予防給付と要支援者の自立度の因果関係

予防給付は、果たして高齢者の機能低下を予防することが出来ているか?という課題に対して、特定高齢者から疑わしき高齢者をピックアップして、介護予防サービスを提供し始めると途端と言ってよい程、その高齢者は次第しだいと、それまで出来ていたことも出来なくなり、自力で歩いて散歩できていたのに歩けなくなったり急激な機能低下を起こし、周囲の者達からも「急に老けこんでしまったね・・・・!」と言われるケースもある。本来、介護認定とは年寄りにとって何を意味するのだろうか?僕は、この介護認定こそ介護者と事業所にとって都合の良い仕分けであり、年寄りを分類し世の中から隔絶されている度数であると考えている。認知症高齢者は、其の高齢者を取り巻く社会が縮小傾向にあり、同時に其の社会の中に自分の活躍する場面が減少することから孤立感、孤独感、閉塞感などの将来への希望や展望が閉塞傾向にあることが大きな要因として認知症の諸症状が悪化していく傾向にある。予防給付はまさしく、この認知症高齢者への道を、行政組織や福祉事業者が推し進め、十分なインフォームドコンセントもなくサービスを受けることは、健康な高齢者を維持できるものと信じさせてしまっている。その実、単純な発想で風呂、食事、適度な休息、レクリエーションを目的として、楽しければ良いと信じている無能なデイサービス事業者に絡んでしまい、気がついたら利用者の頭の中には空っぽ、今まで計算できてた足し算もおぼろげに・・・・こんな現象が起こっている。

 要介護認定はともかく、予防給付によって要支援1ないし要支援2などの認定を行うことは、逆に年寄りの機能を認定度数にはめ込む事と同じ意味を持つ。そして、そのように年よりは、想定される身体機能に応じた能力へむけ暗示を掛けられ、次第と機能の低下も「普通」であると思わせられる。そんな恐怖が予防給付を受ける年寄りに存在する。

 私の父は、最近めっきり記憶に問題を抱え始めている。同じ事を繰り返し言う。心気症的な不安感にさいなまれて苦しんでいる。身体機能が低下しており、なんでもない段差にもつまずくことが増えてきている。この現状を聞いて、世間一般としては、即介護認定を受けたほうが良い。と判断されるところである。しかし、家には父と二人で生活する母が要介護認定を受けており介護サービスの一部を利用している。また、定期的に整形外科の受診を余儀なくされており、其の病院への送り迎えには父の自家用車の運転が必須なのである。確かに車の運転はボーダーラインすれすれの危険性をはらんでいる。交通事故のリスクも多く含んでいる。それでも、尚のこと認定を受けずに、突っ走っている。今の父の意識の中に微かでも残っている生きがい、自分の役目としての母の送迎である。他は何も自分が守り通さなければ池にものは無い。特に金銭的に困っているわけでもない。しんどい!しんどい!を繰り返しながらも、母の送迎を行うことによって、家族の中の役割の確立、社会的責任の維持等が、父の認知症の進行を少なからずのんびりとさせているように感じる。

 要するに予防給付による支援度というものは、年寄りや其の家族をそのようなレベルで見てしまいがち。知らず知らずの内に、年寄りを一般概念の枠内に押し込んでいこうとしている。そして、結果として年よりは決められたレールの上を訳分からずにケアマネジャーに言われるまま突き進んでいくのである。

2011/6/6
デイサービスのショッピング

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太陽の家デイサービスセンターでは、今回、向いのショッピングセンターのご理解とご協力を得て、デイサービスの利用者の方々をショッピングにお誘いした。この企画は、単なる物欲を満たすためのショッピングと言うよりは、精神的な満足感を充足させることに重きをおいた企画である。

 スーパーマーケットに並ぶ季節の野菜や果物をみて季節感を感じてもらい、同時に今販売されている物の値段を感じてもらいたく、ついでにご自身の欲しいものを購入して帰ってくる企画である。精神的な満足度を求める以上、ショッピングの時間は、その人のためだけに費やしたいと願い、マンツーマンでの行動を実施した。だから、一日に出かける人数にも限度があり、結構、長期間の日程で、利用者の方々も気長にご自身の番を待って頂く事となってしまった。しかし、今回の企画は、利用者の皆さんにはすこぶる評判も良く、期待度もかなりのものだった。その興奮度は、小学生の子供が遠足を待ち望む、まさしくあの待ち焦がれる感覚だった。

 今回の企画にいたる理由には、以前からショッピングにその日のデイサービス利用者全員を送迎車両に分乗してショッピングセンターまで出かけていた時の反省から端を発している。利用者全員と言えば、何十人と言う団体さんを3人をひと束として職員一名が担当してお買い物にお付き合いする方法が主流であった。 職員も3人の利用者のお付き合い。また利用者も利用者同士が他者のお買い物の付き合い。結果として、相手を思うあまり自分の買いたいものは探せず、いつも不完全燃焼となって時間ばかり費やしてしまっていた。こんな遠慮しながらのショッピングって、辛いよね!という職員の感想が元となり、今回のマンツーマンでお買い物と言う企画に至った。

 マンツーマンは、それなりに贅沢と言えば贅沢である。介護保険の制度から考えれば、良い事だけど余分なこと。的な感覚でしか判断できない事例なのである。つまり、この企画は、蛇足を超えて、その足に靴下まで履かしてあげると言う、非常に贅沢な考えを基本に置いているのである。しかし、そこまでしても、実施する意義は大きいと判断した。デイサービスの利用者の方々は、外出に飢えているわけではない。ましてや、お菓子類の食べ物に飢えているわけでもない。何も飢えているものも無いのに、大きな意義とは?それは、このショッピングが、その人のために準備されたと言う事が重要なのである。

 僕は、その意味に置いて、ショッピングを利用者一人の為に企画したのであれば、それを完璧に成し遂げるためにレジでの支払いは本人にやってもらいたい。と願っている。時間がかかっても良い。時間がかかったら、その都度、後ろに並ぶ一般のお客様やお店の人に付添人の我々が誤れば良い。とまで思っている。こんな素晴らしい企画を実施する以上、最後まで完全にやり遂げてあげたい。

2011/6/6
恐ろしい写真

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悲しい写真ですが、この二枚の写真は太陽の家の敷地の横にある公用の排水溝の現状です。通称「赤道」(セキドウではないですぞ!あかみちと読みます)。田んぼが埋めたてられ土地の高さがかさ上げされ、其の分、あかみちは深い溝となって。それは格好のゴミ捨て場へと変わっていった姿です。誰もゴミ捨て場という認識は無いはずですが、現状は、心無い者達がゴミを捨てていく場所となっています。空き缶は元より、折れて壊れた傘、マクドナルドの空容器、かき氷の蜜、もっと変なものでは数体の人形などが捨てられているのです。

 日本の街の中で、このようなゴミの捨てられている惨状をみると、今の日本の文化レベルと世界の中の位置関係が見えてきます。ひと時、日本はアメリカについで世界第二位のGDPを誇る経済大国でした。しかし、近年の中国やインド経済の発展の影響などを受け、日本の経済成長は鈍化し、それに追い討ちをかけるように今回の東日本の大震災による経済活動の低迷です。国が衰退していく現状を、こんな些細なことですが如実にあらわしているように思えます。この現状を分かりやすく例えてみれば、新車の車を大切に大切に乗っていたある日、気の緩みからブロック塀にぶつけて傷つけてしまった。車両保険にも加入していなかったので、修理も出来ずにそのまま乗り続けていた。一度、緊張の糸の切れた運転は、次第と無意識ではあるが雑になり、それ以降に幾度も小さな事故をおこし、最終的に車の四方をぶつけ傷だらけにしてしまう。こんな例えを思いついたわけですが、とにかく、自分にとって不要なものは放置する。親が何でもかんでも子供に代わって掃除したり、用意したりして甘やかして育ててきた結果、そんな子供が大人になって、ゴミを捨てても誰かが片付けてくれる程度の罪悪感しか存在しない「アホな大人」となってしまうのです。

 先日、スーパーの駐車場でショッピングカートを車の横に放置していく、無頓着で横柄なおばちゃんのことをブログに書いた。そんなおばちゃんが子供を育てれば、他人のことは気にならないアホな子供が更に思いやりも気づきも無い超ドアホな大人に成長していくんです。がんばれ日本! あほな日本のおばちゃん、おじやんに負けるな日本!

2011/6/3
普通のおばちゃんなのに・・・・!

先のブログ「普通のおばちゃん」について補足的に説明すれば、世の中、外見上のイメージで人を判断してはいけないよ!と言う教訓だったように思います。世の中、普通のおばちゃんもおじちゃんも居ないのでしょう。一見○○そうに見える!とか一見、悪そうに見えるなどのように、人は最初の見た目の印象をもとに、その人を判定してしまう。時には、その判定が災いしてしまうこともあったり、その逆に印象は悪かったが、とても良い人と巡り合った。と言うケースもある。兎に角、見た目で判断する事は難しい。そして、スーパーや色々な場所で遭遇するおばちゃん達も、見た目で判断すると痛い目にあう!と言う結論でした。

 太陽の家の職員さん。特に女性職員さんには、決してこのような中年おばちゃんとなって、周りの人に公害をばらまき散らしながら生きることは辞めてくださいね。

2011/6/3
普通のおばちゃんなのに・・・・・!

普通のおばちゃんって何ぞや・・・・?!って叱られそうなタイトルから始めるブログとなるが、本当に一般的な普通の家庭の主婦って感じの中年女性のわがまま勝手な無作法な行動について一言。僕は、ほぼ毎日近所のスーパーマーケットに買い物に出かける。車を使う時もあれば、今日のように天候が良ければ歩いていくこともある。それくらい近いところにスーパーマーケットがある。 このスーパーではレジの担当者とも馴染みになるほど、足蹴く通う場所であり、僕自身もその店の商品構成を結構気に入っている。どちらかと言えば、お気に入りのスーパーマーケットかもしれない。まあ、そんなお気に入りの場所と言う、ひいき目に見がちな視点を差し引いても、このおばちゃんの行動は解せない。

 ちょうど僕が車を駐車場の空きスペースに駐車し、車を施錠して買い物に店内へ。いつものように野菜売り場から、肉、鮮魚と眺めながら、今日の献立を考える。この献立を考えながらウロウロするのが楽しい。一端の有名シェフになったつもりで、食材の鮮度を確認しながら、生きの良い物を中心に献立を組み立てていく・・・・フリ!が楽しいのである。(結構、新鮮と思って買って帰って、包丁入れた途端、中心部分が腐っていたこともあって、あんまり玉ちゃんの見たては当てにならない!笑) まあ、そんな事はどうでもいい。要するに、僕は自分の買い物を終えて、順番通りレジを通り、持っていたショッピングバッグに購入した食材を詰めて駐車場に戻ろうとした。僕の前を歩く中年主婦もショッピングカートいっぱいの商品をもって同じ方向へ歩いていく。その女性、僕の車の真横に停めた車に近寄り、ドアを解錠してカートの荷物を車の中に入れ始めた。真横の車で助手席の方に商品を入れているから、僕は暫く立ち止り自分の車のドアも開けずに待っていた。彼女は、僕が待っている事も承知の上だと思うが、全ての商品を詰め込んで助手席ドアを閉め、何も言わずに運転席に乗り込んで、さっさとエンジンを始動して行ってしまった。僕の車の運転席側に空のカートを置きっぱなしにして・・・・・

 これってどう思いますか?皆さん!腹が立つを通り越して、呆れて物が言えない状況です。この人に限らず、ショッピングカートをカート置き場に戻さずに放置して行く人って多いのです。駐車場のあちらこちら、レジの後の袋詰エリアなど。よほど忙しくって、ショッピングカートをカート置き場に戻す事も出来ないほど急いでるのかなあ・・・・?もうそれなりに立派な年齢となる子供さんも居る事だろうに、そんなお母さんの姿を子供が見たら、どう思うんだろう・・・・?日本人は特に共有部分の使い方にルールとマナーが無さ過ぎる!人を思いやる気持ちが無い!年齢に関係なくマナーまたは躾が出来ていない!そんな恥ずかしい人種なんですか?


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