もともと東京の台場辺りにカジノを造って、広く世界からギャンブル好きな外国人までも巻き込んで観光立国を企んで!という構想からスタートしているカジノ建設構想。それを今回の東日本大震災の被災地復興を兼ねて仙台にカジノを造ろうと考えているらしい。このアイデアを先導してるのが国際観光産業振興議員連盟であり、その会長は自民党の古賀さん。随分と適任者が会長をされていて、そのままカジノのイメージの強い古賀さん。面白いアイデアかもしれないと僕は思います。社会的にはギャンブルを中心に行われるカジノのデメリットとして、犯罪や事件の増加や、勤労意欲の低下、ギャンブル依存症の増加など色々と則犯罪や暗黒の世界に結び付けがち。しかし、アメリカのユタ州では、公的ギャンブルを認めた州であり、日本人観光客も大好きなラスベガスやリノなど、毎日毎日、季節に関係なく世界各国から観光客がどっと押し寄せている。私自身もラスベガスはとても好きな街の一つであり、何度訪れても飽きない。そして、そんなギャンブルの街のラスベガスは、アメリカの他の都市に比べても事件や犯罪は非常に少なく、夜間の街歩きも何処よりも安全な街でもある。私達が日本国内の都市部を深夜に徘徊しても安全である以上にラスベガスでは治安が保たれている。まあ、もっともラスベガスは純然たるギャンブルだけの街では無く、最近の傾向としてはエンターテイメントの街として、あらゆるコンサート、ショウ、国際規模の見本市や国際会議の開催などで注目を受けていることもあり、行政機関が治安維持に力を注いでいる点も重要な素因でもある。
何も東京周辺にカジノを開設して外国人観光客を取り込まなくとも、東京の都心は、その街の魅力だけでも客は呼べる。しかし、仙台等の地方都市に外国人を呼ぼうとすれば、極端だがカジノを中心に世界的なエンターテナーの街として仙台を設計できれば、今までのような単なる田舎の地方都市の仙台ではなくなる。もっともっと、仙台が自発的に世界に向けて情報を発信する事が出来れば、それこそデメリットどころかメリットばかりのアイデアではないか?!もっとも、日本人って結構中途半端が多く、それと利権がらみが多く、いろいろな規制に対して中抜きの意味無い規制も多く、年齢制限や入場制限等の細かな規制が徹底できない弱点もあるにはあるが、そこをしっかりと決めて守らないと、中途半端な悪ガキがはびこって、せっかくのグレートアイデアも陳腐な独り善がりな計画に終わりそうである。
この古賀さん、昨年末に東京に旅した時、麻布のキャンティで飯食ってる最中にデザートの洋菓子を買いに、同じくキャンティを訪れた。食事しながら古賀さんを見てたが、なかなかダンディーな服装で、家族と一緒に高級洋菓子を箱に詰めてもらっていた。やはり自民党の古賀さんらしく、おばちゃん連中にファンが多いのか、店に入ってきて直後から、お店の外には人垣が出来ていた。サインをもらう訳でもないだろうが、それでも一流の映画スター並みの有名人の登場は、ひと時のはじけた明るい雰囲気に辺り一面がなった。
そんな人が中心となって日本にカジノを造ろうとしている。面白いアイデアであり、とても興味深い計画である。地域復興として考えれば、とても有望な計画ではないか?! 堅苦しい理屈だけに振り回され、いたって普通で無難なアイデアに税金投入して被災地復興を計画したところで、そこには過去に展開して散々非難を受けている「箱もの行政」と言われ、無計画でありながら館だけは立派で使い勝手の悪いホールを造るだけに終わってしまうでしょうに!
写真が、そのフォーチュンクッキーと呼ばれる物で、アメリカ合衆国の中華料理店で食後の支払いを済ませたときにもらえるクッキーなんです。このクッキー、日本で言う「固焼せんべい」みたいなもので、生地を折り曲げて焼かれ、中におみくじが書かれた紙が入っています。だからフォーチュン(将来をみる)クッキーと呼ばれる所以なんです。まあ、食べてみて特に味が旨いと言うわけでもなく、味よりも中に入っているおみくじが楽しいのです。 インターネットを広げて検索窓口で「フォーチュンクッキー」で検索してみてください。ウィッキペディアで詳しく紹介されていますから、このクッキーを考えたのが日本人だったり、中華料理に関係するものの当の中国人には有名でなかったり。それなりに面白いネタが書き込まれてました。
さて、僕がこのフォーチュンクッキーを取り上げた理由は、ウィキペディアとは違った観点で、このクッキーを解説したいと思うのです。
このクッキーがなぜ日本の中華料理屋さんでは出てこなくって、アメリカ合衆国やカナダの中華に限定されるのか?と言う点で考えると、そこには食事に対する考え方の国民的な相違があるからだと思うのです。僕もグルメを自称し、美味しいものには目が無い者ですが、食事という観念が普段の三度の食事に無いのが本音の部分です。意外と言えば意外です。自分で食事を作って食べるにもかかわらず、その食事は欧米人の食事に掛ける時間とは雲泥の違いが有ります。僕は、ただ単に満腹になればよい。また欲を言えば満腹にするのに、美味しいもので満腹になるほうが、尚のこと良い。と言うレベルなのです。しかし、欧米人は、美味しいものは当然、健康的であるのも当然。しかし、さらに食事にかける時間と空間、そして雰囲気までも重視します。この食事にする評価はトータル的に行われ、その評価次第でレストランの繁盛に大きく影響を及ぼします。
クッキー一個がもらえるからサービスが良いと言う判断には直結しませんが、良く考えてみれば、レジでお金を支払って店を出る日本式に比べて、テーブルで清算をして、その場にクッキーが運ばれてくる。食事を終えてお腹は大満足な客も、そこでクッキーを食べながらひと時の会話が、中に入っている「おみくじ」で楽しめるではないですか! ほんの数分の余裕というか、食後のひと時を与えてくれる役目が、このクッキーには存在するのです。日本人の食事の感覚の貧しい点は、まさしく満腹にするための食事である点です。欧米人のように食事の味、時間、空間、や会話を楽しむ、食事=人生を楽しむ。この違いを考えて、日本人には、もっともっと食事を優雅に楽しんで暮らせるようになってもらいたい。このフォーチュンクッキーの写真を見ながら、日本の食の文化を考えていました。
やはり梅雨ですね。雨が降っています。この雨が災いする地域もあったりして、降り方、量によっては恵みの雨であったり、災いの雨であったり複雑です。雨も視点を変えれば、標題のように雨に打たれても歌まで飛び出してきて、それでいてとてもハッピーな気持ちになれるという有名な映画のタイトルのように、要は気持ちの持ちよう!ってわけです。太陽の家の建物横では、毎年の熱い夏を彩る「ノウゼンカズラ」が、今年も咲きました。この梅雨空の中でも、赤い花びらを空に向けて大きく開いています。昨夜は月食の見れる夜だったのですが、生憎の曇り空。空一面に薄らとかかる雲によって、この鈴鹿では月食は見ることが出来ませんでした。
雨にぬれた路面は、鏡のように地上のモノを受け止め、静の風景を映し出しています。ちょっと芸術性を求めてシャッターを切ったのですが、やはり素人の撮影する写真です。どんなものだか・・・・?
今年3月の大震災から3ヶ月がすぎ、ようやく余震といわれる地震がここ数日減少してきているようである。3月11日以降、ネットの地震サイトの情報は常に確認してるが、当該地域の住人の皆さんには気の毒なくらい、頻繁に余震にゆれる毎日が続いていた。平均的に一日30から40回程の余震が毎日あった日々。寝ても起きても地面が揺れると言う経験したことない自分には、想像するだけで胸が悪くなる、そんな嫌な気持ちになる地震の余波であった。それが、ここ数日、一日に発生する余震が数回程度まで頻度が減少している。ようやく大震災の影響も含め、今回の大震災も収束に向け動き始めたのか・・・と現状に少しだけど安心できる材料が出てきた。
福島、宮城、岩手の東北地方の甚大な被害を被った被災地の方々、これ以上の精神的な負担や不安材料が一刻も早く消滅することを心から祈っている。そして、この災害から復興できるよう、心の傷を乗り越え前向きに生きてもらえることを切に望んでいる。簡単な気持ちで「東北がんばれ!」と言えないが、同じ日本人として、何とかしたい!なんとか立ち直ってほしい!なんとか痛み軽減したい!と願って止まない。
一頃、食中毒事件で大きな事件を引き起こした焼肉屋チェーンの会社が事業を清算する手続きにはいったそうである。死者まで出した取り返しのつかない食中毒事件の結末は、会社の滅亡というエンディングで終了と言う。被害者家族としても、なんだかスッキリしない、突然降って湧いた悪夢のようで気持ちの整理がつきにくい事件ではなかったのか?確かに今回の事件(事故?)の経過を見ていると、肉を卸販売する業者と一般消費者の口に直接入るレストラン側の二社では、やはり直接消費者の口に入るレストラン側に責任の全てが偏っているように思える。いずれにせよ、食品を扱う業者として、食品の安心、安全を確実に担保して商売を継続しなければ、ただの一回でも失敗すれば、その責任は業者自身が負わなければいけないのは当然である。
今回の事件の社会的責任は大きく、事業の存続なんて考えることは出来ないほど重大な結果をひきおこしていた。もちろん現場の従業員の中に、食中毒を軽視し重大な事件への可能性までは考えていなかっただろう。しかし、悪いことは重なり合って、より事態を重篤な方向へと発展させた。その昔、伊勢の赤福が製造日を改ざんして、本来なら廃棄処分にすべき商品を再販していた事件も、とても大きな失態であり、その社会的責任の大きさから赤福の存続も危ぶまれたほど。同じ頃、有名老舗割烹が同じようにコンプライアンス違反を重ね、最終的に店を清算した。
社会でサービスを提供し、その代価として代金を徴収する以上、何がしかの社会的責任がついてまわる。高齢者福祉にしても同じである。相手は生きている。命を預かる重要な仕事をさせてもらっている。そんな重大なことを日常的に行っている事の重大さを経営者は理解しなければいけない。同時に職員の全員が同じ気持ちを共有して、遊び半分な軽率な気持ちで介護することの無い様に努めなければならない。
今日機会あって、損保会社のコーディネーターの話を聞いた。損害保険として起こりえる事故に対する保障は当然ながら、不慮の事故ではあるものの、ちょっとした気持ちの緩みから発生した前述の焼肉店での食中毒事故が元で会社自体の存続が難しくなるような、そんな事故に対応する損害保険は無いのか聞いてみた。当然ながら、答えは無いですね!と一言で終わってしまった。損保の場合、特に高齢者介護に関する賠償責任保険の中に俗に言う営業保証を扱う商品が無いということである。つまり、介護保険の事業の中でこうむる可能性のある営業損益を保証する保険は無いということである。
僕は常にうちの職員さんに言うが、業務中に起こりえる事故や事件などの全ての責任は経営者である自分が負う!と。しかし、これも通常の業務を通常の精神状態で行ってもらう中での事故、事件を想定した場合を言うのであって、故意にまたは意図的に事業所に汚名を着せるような行為をした場合には、この限りではないのである。つまり、僕が背負うリスクと同じように、職員の皆さんには、それぞれにリスクは背負ってもらった上で、責任は経営者が取る。事業活動ってのは、金銭的な目的をもって行われる以上、それに見合った結果や成果が求められる。私達は、それらの結果や成果を提供する立場である以上、確実に目に見える何かを提示できるよう、常に自分自身に言い聞かせながら仕事に励まねばならない。それが、企業活動におけるリスクマネージメントではないかと考える。