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ブログ-施設長の部屋

2011/6/21
飽食の時代・・・・

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何とでかいエビフライなの・・・・?!と驚きが一番最初目にした時の言葉だった。今日は、外食をする機会があって連れの者が注文したのが大海老御膳と言う名称の海老フライ定食。超特大の海老フライが二尾提供される。写真を見ても、その巨大さは理解できると思うが、本当にこの大きさの海老フライを人間の生理は必要としているのか?!という疑問がわいてくる。以前の自分であれば、そんな疑問も考えることもなく、逆に大きい事はいいことだ!と言わんばかりにお得な気持ちで、むさぼり食っていた事と思う。当然、このお店の一番の売れ筋らしく、この特大海老フライを求めて、常連客が多く訪れるようである。注文した大海老御膳の海老を写真撮ったり、大騒ぎしていた我々の様子を見てたのだろう、帰り際に店の女将らしき人物が、自慢げに私達の後ろの席にいた老夫婦も常連客で、今日も同じものを注文して完食して行った事を自慢していた。

 この海老フライ一尾でカロリーはどれだけだろう?御膳として小鉢やみそ汁などを合わせて、軽く見積もっても一食2000Kcalは超えているだろう・・・。僕は主治医から一日の摂取カロリーの上限を2000Kcalと制限を受けている。この制限を守らないと近い将来に脳梗塞または心臓疾患の危険性が大きいと警告されている。CT画像からも内臓についた脂肪の量が異常な量であるとして、本当に命が大切なら大事にしてください!と。

 僕が今のようなカロリー制限を受けるに至ったかと言えば、結婚と同時に食事内容と質が変わり、ジワリジワリと肥満傾向にすすんで行った。その後、夜遅くまで仕事する事となり、夕食を深夜の12時を回った時間帯にとる生活を長年繰り返し、結果として肝臓の機能障害や中性脂肪の基準オーバー等の問題を抱える事となった。食べることは、人生の最大の喜びであると言い続けている自分であり、今でも食べる事の素晴らしさは何ににも勝る喜びと思っている。自分の健康に異常を示していても、尚さら食事への欲求が継続し続けているのが恐ろしい。若い頃は、心身の代謝も大きく摂取カロリーの消化も簡単に行われていた。食べても太らない!という人もいるが、食べて寝てるだけだと、どんな人でも確実に太る。食べても太らないのは、摂取した分以上にカロリーを消費するような活動があるからだ。だから、若者ならこのような食事を摂っても問題は無かろう。しかし、私の年齢ともなると、一生懸命カロリーを消費しようと運動したところで、摂取分の半分も消費できなく、残りを内蔵周辺に蓄積させてしまうのだろう。

 戦前戦後のモノがない時代に生まれ育った者たちは、食べることに対する執念と思い入れがとても大きなモノとしてある。僕も戦後の人間だが、子供時代には豊かな食事は取れない時代を過ごしていた。この時代の貧乏な生活が、後の飽食の時を形成することとなるのである。食べることが出来ない経済力の反動としてある程度裕福となって好きな物を好きなだけ食べることが出来る自分が嬉しいのであろう。ついつい余分に、過剰に注文してしまい、おまけに食べきってしまう。問題はここにある。

 食事は質素な方が良い。年齢と共に質素でも上質な物を少量とる方が良いのか、普通の食事を腹八分の摂取に制限する方が良いのか・・・・?

2011/6/20
お買い物

色々とお金を使いにショッピングに出かけることの多い毎日である。ショッピングと言っても洋服やアクセサリー類の大型ショッピング(額面が大きいと言う意味でね・・・)から、毎日の食材やおやつを買うためのショッピングやら、とにかく一日足りとて買い物に行かない日が無い程、毎日、財布とショッピングバッグを携帯してお買い物に出かける。

そして、何時も最近思うのは、ショッピングしてる人たちの裕福な顔やそぶり。皆さん決して日々の生活に困窮してるような人は居ないと言い切れるほど、皆さんのものを買うときの買いっぷりが良いのである。迷いも何も無い。これと言うもの、もとよりお目当ての物だとは思うが、目にして値札を考えずにストレートに買い物かごに入れている。そして、皆さんもう一つは、元気だ!ショッピングカートを押す仕草も軽快である。そうそう、ディズニーランドで楽しんでいる人たちの様な、目を光らせて体もウキウキ、弾むようにお買い物を楽しんでいる。世の中は、すでに不景気ではない。東日本大震災後の買い控えムードもなくなっているようでもある。

日本の経済に活気が戻りつつあるのであれば大歓迎である。昨日のブログではないが、原発の放射線不安や世情不安を素因に、国民全体が暗黒の沼の底にはまり込んでいると思いきや、意外と国民はしぶとかった!と喜んでいいのか悪いのか知らないけれど、まあ、元気な日本に向けて、徐々に日本が動き出していると考えるべきだろう。うれしい限りである。何にしても、明るい未来を信じて全てをプラス思考で進みましょう!

と言いながら、今日のお買い物の代金、1663円でした。

2011/6/20
Mr.サンデーという番組に関して

先週末の日曜日の夜、Mr。サンデーという報道番組をみて、その番組の構成に関して僕なりにダメだし(まったくの個人的意見だが)を行ったばかり。そして、一週間後の昨日の夜、同じようにMr.サンデーを見て、また改めてこの番組の構成に疑問をもった。昨日のテーマは福島原発事故に際して近隣住民の内部被ばくを取り上げていた。確かに、放射性物質による内部被ばくは恐ろしい。目に見えない、味も臭いもない。知らず知らずのうちに身体内部に被ばくしていると考えれば、非常に恐ろしい話である。福島原発の事故の発端は巨大地震であり、想定外の津波による被害であり、その被害を担当する専門家達の判断や処理ミスなどの人災とも言われているとても大きな問題を日本全体が抱えているわけである。静岡のお茶が輸出先のフランスで基準値を超える放射能が検出されすべて廃棄処分となるとか言う報道もされているなか、日本政府の処理方法が非常に大きな注目と関心を持たれている。

これほどの国難と言われる事象に対し、行政機関は元より、報道機関としてもある意味、社会的な立場をわきまえた行動が不可欠であると思う。行政機関として総理大臣を筆頭に、パフォーマンスと気合ばかりが目立ち、実質的支援は、震災から3カ月を過ぎた今もなお課題は山積み。そして、このMr.サンデーのように、必要以上の不安感をあおるだけが目的と思えるような報道姿勢。ニュースソースの選択から、報道内容からとても中立的内容とは思い難い。当然のごとく被害者感情に報道自体が偏り過ぎているような気がする。報道とは元来、そのニュース内容をみて、聴いて、自分なりに考えて対処できるように、出来る限り多面的に受け取れるような報道が求められていると思う。しかし、この番組のように、全ての視点が被害者としての視点だけでは、公平性に欠ける、また、原発に対する世間の判断を特定の方向へ扇動しているとも捉えられる。

まあ、小難しい話は別として、この番組と僕の感覚はどうも共通点を見いだせないようである。でも、言い訳ではないけど、テレビの報道番組にしても、全てをうのみにするだけではなく、それぞれ個人の考えをもって個人のジャッジをもって観ることは、とても重要な事と思うのですが・・・・??!!

2011/6/19
開拓民魂とは

ぼくのブログにも何度もアメリカの名前が出てきます。特にカリフォルニア、そしてサンフランシスコは、住み慣れた自分の故郷のようなところです。長年、其の地で暮らす中でアメリカ開拓民のものの考えかたを学びました。第一に自由思想です。何をするにも自由です。それこそピストル持ち出して街中で空き缶に向け発砲することも自由です。(逮捕はされますよ!当然、街中ですから・・・でも日本のように厳しくは無いです)とにかく極端な言い方をすれば近隣社会に迷惑さえ掛けなければ大概のことは許されるのです。自由の国、アメリカですから! アメリカ人がアメリカを表現するとき「 The Big Oppotunity Country 」 と言います。オポチュニティーはチャンスと同じニュアンスの意味を持っていますが、決定的な違いはオポチュニティーには、意味も無く降って沸く幸運のような機会という意味を含まない点がチャンスとはちがいます。だからこの英語を翻訳すればアメリカは大きな機会を有する国となるのですが、もっと的確なニュアンスで伝えるならば「 とても大きな可能性と機会に恵まれた国・アメリカ 」と訳したほうが適切かもしれません。

 兎に角、アメリカは自由で、何でも可能性を秘め、アメリカンドリームも夢ではなく努力次第によっては誰にでも平等に機会が与えられている国なんです。そのような素晴らしい国でも殺人事件や事故、戦争やテロなど、人間の持てる全ての悩みを同じように抱えている国でもあります。この原因として僕が考えるに(あくまでも僕の主観ですから・・・)現代アメリカ社会が自由を求める反面、自己責任を果たせなくなっている点が一番の問題点だと思うのです。これは、日本でも同じ現象で、自由と権利をことさら強く欲求こそすれ、自分自身の果たすべき責任と義務を身勝手にも放棄している国民が多すぎると思うのです。

 広島で原爆被爆者への不適切な発言が話題になっていますが、似たような話はそこらじゅうに転がっています。生活保護受給者が戦後の混乱期の数を超えている現状に、震災の義援金からみで生保を支給しないなど、権利と義務や責任が果たされて居ない現実に、トラブルは減っていきません。僕ははっきり言って自分の憂さ晴らしに爆音を撒き散らし何度も何度も一般道を走り回る暴走族が嫌いです。彼らはとても卑怯だと思うし、その一方的な単純思考回路には哀れみを感じますが、それでも、社会に、自分の人生に甘えた行為は許されるべきではないと思います。私達は辛く苦しい毎日の仕事を行うことで生活を維持してます。そこには責任が発生しますし、同時に守るべきルールと義務があります。全てを自分の自由意志のまま行うことは「自由」とは呼ばないのです。

 日本に住む若者たちが、将来に期待できるような国を作ってもらいたいと願っています。日本には、無限の可能性とチャンスに恵まれた社会があり、自由な発想と夢に溢れる暮らしが保証されている。そんな社会だとすれば、暴走族は居なくなるのでしょうか?

2011/6/19
朝の4時半

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写真は今朝の様子を撮影したものです。朝の4時30分、雨、若干の霧もしくはモヤがあり、遠くの建物が霞みます。薄暗がりと言うよりは、明るいと表現できるほどではないでしょうか?でも、普通の人は、この時間に行動している人は少ないはずです。大半はまだ布団の中でまどろんでいる状態でしょう! 道路を走る車も少なく、歩道を歩く人の姿はなく、でも鳥だけは活発に飛び回っているのです。

 昔、何かの映画の中で東京早朝の映像がありました。主人公が夜を徹して派手にアクションを行い、疲れた体を引きずるように寝静まって誰も居ない早朝の都心の映像です。カラスが残飯を食い散らし、猫がのんびりと車道を闊歩している様な図です。とっても怠惰な重い空気を感じ、ど派手なイルミネーションや人の賑わいや活気に溢れる夜から一転して誰も生活していないような死の街のイメージさえ漂うな朝の情景を思い出しました。

 しかし、一昨日より降り続く雨の影響で空には厚い雨雲が居座ってるので薄暗いのですが、天気さえ良ければ朝陽がまぶしく、街中の街路樹の緑も輝いていることでしょう。この明るさ、ただ単に布団中で固く目を閉じて惰眠をむさぼるだけでなく、もうすこし有効に使えないものでしょうか?今の時間が4時30分。これがサマータイム導入となれば、朝の5時半。それでもまだ早朝です。6時半ですよ!と時間を矯正しなければいけなくなったとしても、この明るさは朝の6時半と指定されるほうが相応しいような気がするのですが。僕が暮らしていたカリフォルニアの朝の5時や6時って、夏でも冬でも暗かったですよ! 朝、暗がりの中をベッドから這い出して顔を洗い、電気をつけた食卓テーブルでコーンミールに牛乳をかけた朝食をたべて、ヘッドライトをつけた車に乗って学校に通ったことを思い出します。そう考えると、日本では2時間の日の光を無駄に使っていると言えませんか?

 この写真が日曜の朝の6時半だとすれば、今日一日、本当に長く有効に楽しむことが出来るのではないでしょうか?サマータイムが導入されていない今の日の入り予定が7時だとすると、ここから二時間先取りしていけば日の入りは夜の9時。陽のあるうちに思いっきり遊んで体を動かして、それだけでも健康的ではないですか?節電規制ばかり声高にし、エアコンの設定温度にばかり神経を集中させているより、もっともっと有効で幅広く省エネルギー効果の期待できる方策を考えてもらいたいですね。ちなみにサマータイムといわれるこの施策、アメリカではDay Light Saving Time(デイ ライト セイビング タイム)と言って、まさしく言葉の通り日の光を無駄にしない時期。としてアメリカでは広く国民の中に取り込まれている政策なのです。

 朝マックを日の光の下で食べるのでは、本当にアメリカのハンバーガー文化に触れたと勘違いしてはいけません。アメリカの朝マックは、外もまだ暗い時間に、湯気のほとばしるコーヒーをすすりながら、眠い目をこすりこすり食べるソーセージエッグマフィンが、本当のアメリカ発祥の朝マックなんですよ!


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