今日のMr.サンデーを観た。この夏の節電に関わる突然の大停電を想定したシュミレーション映像を放送していた。はっきり言って、今回の大停電のシュミレーション映像は最低の番組構成であり、低俗な不安扇動型番組である。確かに東京都内で大停電は起こりえる。可能性から言えば、何だって少なからず可能性を持っている。しかし、今回の番組で紹介されたシュミレーションまで被害が拡大するには、かなりの部分で偶然が重なり、最悪のケースの連続的コンビネーションが連結しなければ起こりえない。そんな状況を、テレビ番組を作る方法として、大きく、幅広く、恐怖心も煽るだけあおって、一つの事象をデフォルメするやり方。原子力を使わない発電を押し通すには、それなりの電力供給に不足が起きても仕方ない。ある分で社会全体がお互いに補い合いながら、電力のショーテージを緩和できるようにお互いが協力することこそが必要ではないのか?
今回のテレビ放送で取り上げられた課題は、社会を不安にさせるだけで、なんの解決策も提示できていない。こんな問題意識の提示は避けるべきではないのか?それとも、これは、低俗で偏った、特定の目的を内包したプロパガンダなのか?原発を手放すことによる電力供給の不安定さが、日本全土を巻き込んだ大停電への恐怖。大停電という事態も非常事態と言えば非常事態かもしれないが、番組の中で強調されていたような恐怖観念こそ、人間の思考をマネイジメントし、原発の必要性、重要性を暗に促しているように思える。
イタリアで原発の是非を問う国民投票が実施されている。だから、日本も国民投票で決めるべきだとは言わない。ただ、誰の扇動も受けずに独立した考え方で、原発問題を考え自分なりの判断が出来るように考えてもらいたいと願っている。
東京都庁も段階的ではあるがサマータイムの導入に踏み切った。通常より一時間早く業務時間を繰り上げて都民サービスを開始し始めた。そして、この4時40分。明日の三重県の日の出の予想時間である。朝の4時40分って、普通の健康的な人の生活リズムの中で、目覚めているべき時間なのか?って言う疑問が出てくる。人生に悩みを抱えている者や高齢者で昼夜が逆転してるような人ならともかく、普通、この時間はまだベッドの中。もう暫くの惰眠をむさぼりたい・・・・そんな重要な時間ではないか・・・・・? そんなトキ、すでに日の出が始まっている。 惰眠をむさぼる頃に4時40分である日本の時の基準をどのように判断するか? これを勿体無いから一時間早く基準点を繰り上げて、日の出を5時40分としてあげれば、日の出とともに仕事をはじめ、日の入りと共に就寝する。そんな生活が可能となる。人は自然の明かりと共に寝起きし、仕事や余暇を費やし、宇宙規模の回転のサイクルに人間の生活を沿わせることが可能となる。とても自然ではないか・・・・!
徳島県についで、東京都庁もサマータイムを導入。不ぞろいな国民性なのか?決断力の無い政治家なのか? 何度も言うようだが、世の中、いっぱい頭の良い人が多く居るにもかかわらず、なんでこんなにも訳分からない、説明もつかない、全てのシステムが不ぞろいでかみ合わないのだろう・・・・?
もったいない!
個々数ヶ月、しっかりとブログの更新が出来ている。月の日数以上のブログ更新は出来ている。とても優秀である・・・・(?)しかし、ブログを書いていると、結構時間の経過に驚くことがある。それ程の長文でもないのに、良さ公開ボタンを押して時間を見ると深夜の一時を回っていたり、「ありゃ・・・・・!」って感じで、逆にブログのお陰で眠気まで飛んでしまい、今更眠りにつくということが難しい状況。こんなことをやってると不健康そのもの。前のブログでないけど、朝の僕の顔を見るなり「顔色、悪いよ!大丈夫???」と言われそうである。
また今晩も、眠り損ねるといけないので、そろそろ寝ることにしよう!それでは、皆さん、おやすみなさい。
「顔色、悪いよ!・・・大丈夫?」って言葉掛けはNGだろう! 本人が顔色悪い事実を認識できていない場面ってのはごく限られた場面であって、其の大半の部分で本人は自分で体調不良って分かっている場合が多い。分かっていると言うより、本人には気分が優れない何がしかの理由が有って、それなりに最低の気分を必死に我慢して、不安な思いで一杯のときに「顔色悪いよ!」と声かけられてうれしいわけが無い。
年寄りに対しては、特に気を付けてもらわねばなんねえけど、元来、年寄りってのは、タダでさえ不安な気分に陥りやすく、常に死との恐怖の毎日を過ごしているといっても過言ではない。当然、夜も良く眠れない。気分はミズラブル!目ははれぼったい!血圧も幾分普段よりも高そう・・・!そんなときに、顔色わるいよ!と言われると、暗示にかかってしまいそうになり、更に自分自身が病気を作ってしまいがちである。
どうか。顔色悪くても、様子がおかしくっても、その状態の悪化したことを本人に告げたところで何の解決にもならない。其のことを理解して、それなりに適切な処置の出来るラインにつなげたほうが正しいと思うのです。高齢者の場合は、担当のケアマネジャーや看護師などに・・・・病は気から!と言う部分が大きく作用するのが高齢者。年寄りには逆に常に健康的な嘘八百でも並べ立てて励ましていくほうが、精神的にも安定した日々を送れそうである。
玉ちゃんのたわごと-2を書こうと思い立った。月も新しく変わり、これからさらに面白いネタを公開するにふさわしいきっかけを、このテーマに絞り込んでみたい。さて、今回は、どんなたわごとか・・・・って。
たわごとでも呟くには、それ相応の気力と言うモノが必要となる。自分の気持ちがブルーの時には「たわごと」なんて一切出ることは無い。考えてみれば当然のことで、気持が滅入っている時に、楽しい夢について語る事は出来やしない。そして、例にもれず僕自身も、このタイトルを書いたものの、なかなか本題に触れることができずに保存エリアに仕舞い込まれていた。
うちの職員さんにも色々な人生、色々な経験を強いられ今に至る人が多い。個人的な問題である為に、なかなか一緒に悩んであげることも出来ずに、ただ単に少し遠巻きに心配そうな顔をして見守るだけしかできない時が多い。ただ単に見守るだけと言いながらも、実際に深く自信を喪失し、悩みの底を低迷する人に、軽はずみな声かけはしない方が良い。もちろん、声がける方は軽はずみな意識は全くないようであるが、それが悩める人には、何でも無い言葉の一言がずっしりと重くのしかかる場合がある。僕の場合も、幾多かの体験をしている。例えば、自分の中でも心配で心配で、考えれば考えるほど頭の中に痺れを生じさせ、このまま神経の束が音を立てて切れてしまいそうになる時などに、わざわざ、触れられたくない部分に触れ、おまけに強い痛みを感じませんように!と祈られた時には、これは完全に逆作用。勇気づけるどころか、逆に痛みや苦痛に対する不安感を増幅させるだけになってしまっている。そうでしょう!少しでも痛みを感じないで済みますように!と祈ってくれているのは、逆説的に判断されがちだ!と言う事で、通常、痛みは強いものだ!と言われているのと同じなのである。かくなる私も、この手の励ましに胸を痛めて、さらに不安になり、夜も眠れず、マイナススパイラルの罠にはまってしまうのだった。
まあ、そんなわけで、「たわごと」は、その人の精神状態が健康であることを絶対条件とし、まずは健康であること。それに尽きるのである。何度も言う様であるが、高齢者に限らず、人が人を介護するには、介護する側は健康であること。精神、肉体の両面で健康でなければ介護は出来ない。自分が病気の悩みを抱えながら、他人さんの体、精神の不調まで関与し、出来るようなサポートなんて想像できないではないか。
僕も今年になって入院を経験してきた。生まれて初めての入院である。男がこんなに気弱な生き物なのか!、僕も偉そうなことを言いながら、とても気の小さな小市民ではないか! そんな自戒的な言葉でさらに落ち込む日々だったが、本当に沢山の人達に助けられてきた。特に5月、6月には、色々な支援を頂戴し、気持ち的にもかなり前向きな発想が可能となってきた。皆の前で、また能天気に「たわごと」について語れる日が近づいていると嬉しい。