太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/9/20
太陽の家 敬老の日祝賀会の出し物は・・・

今年の太陽の家 敬老の日の祝賀会では、職員による演劇 「 山下清 画伯 放浪記 」を予定しています。山下清画伯に関しては、テレビや映画にもなったほど有名な方で、その創作される絵は、芸術的にも高く評価されるのですが、そんな山下清画伯の放浪の1ページを職員が演じることとなりました。 介護職員の村上が主体となって、ストーリーのあらすじと劇の練習などを行い、最終的に明日の夕方に最終のリハーサルを行い、本番を水曜日の午後に開演の予定です。この演劇に際して、職員全員が幾度も練習を重ね、セリフの確認と調整を行い、場面に応じた振り付けを行っています。それぞれの役柄に応じて、衣装も工夫を行い、それらしい雰囲気をかもし出すことが出来れば成功かな!と思っています。

 この山下清画伯に限らず、演劇とは、普段自分たちが行っていることを、多少大きくデフォルメすることが重要なんです。しかし、デフォルメする際に乗り越えなければいけない事は、恥ずかしさを克服すること。演技すると言うことは、非日常なことで、人前で其の役に成りきらなくてはなりません。セリフ自体、とてもナンセンスで理屈が通らないような言葉が多く、それを人の前で大声で発声するには、普段以上の勇気(?)と言うか、図々しさと言うか、ちょっとした厚かましさが必要となります。職員の真弓くんなんて、普段から客観的に聞いていると、彼の言葉は「あれ?とか 妙だぞ!」と思えるようなことでも平気に言いのけてしまうのに、いざ演劇をするとなると恥ずかしいと言うのです。妙に納得がいかない言葉なのですが、そんな彼にも恥を意識せず、役になりきって演じてもらえれば、見てる側としては非常に面白いキャラクターなのです。

 僕が今、かすかに期待しているのは、いつも真面目な看護師の坂口さんが、太陽の家の職員役で搭乗するのです。結構、ボケたセリフもあって、その辺をどのように取り込んでくれるのかが面白いところです。先日のリハでは、それなりに役になりきって楽しんで演技をしてましたので、結構、演劇はすきなんではないかと思っています。 そして、この山下清画伯役にうちのグループホームのマネージャーである上垣外が担当します。彼独特のセリフの言い回しは、見ている観客に大いに笑いを提供してもらえると期待しています。そして、一番のはまり役は、新人職員の渡辺さんです。彼女の天性と言われるようなボケ役に、会場中が笑いの渦と想像しています。妻鹿さんは、前回の演劇でも発揮しましたが、普段の仕事中の彼女と演劇で見せる彼女のギャップが面白い。彼女も、それなりにはまり役かもしれないですね。そして、森さんの役は、そのまま彼女のキャラクターとして、体中から天性の明るさと楽しさがあふれ出る役で、これまた史上最強のメンバーの一人と言えるかもしれません。そして、今回、何の配役もされていませんが、事務長の高木は、裏方に回って音楽や効果音、写真を担当。太陽の家の新聞「ひだまり」の編集記者として、記録活動に終始します。さて、私は、悪徳な国会議員役。言うなれば民主党の小沢さんのような濃い配役でして、一部の職員からは、特に演技の必要も無く、地でいけばOKと言う、妙な褒め方をされています。

 まあ、このような演劇を行うのですが、最大の難点は、出演者全員がセリフを暗記していない点が心配です。まあ、まだまだ素人劇団員の寸劇です。ひょとすると別の意味で笑われるかもしれません。しかし、それはご愛嬌! 皆さんに笑いがあれば、それで演劇も成功と言えるのではないかと思っています。みんながそれぞれのプライベートな時間を削って参加してくれたリハ。それだけでもありがたいと思いますね。9月22日、山下清画伯の放浪記。ぜひ お楽しみに!

2010/9/20
デイサービスの送迎時間間際となると

 デイサービスも昼の3時を過ぎる頃となると、利用者の方々が、がぜんソワソワしだす。やたらと立ち上がって自分のカバンや持ち物の確認をし始める。ある人は、車いすを自走させて、施設の玄関口まで行ったり来たりを繰り返す動作が出てくる。これらの状態は認知症の特有の症状で、記憶が定かではないなか、『自宅に帰る』という事実だけにとらわれてしまいがちで、通常の我々の場合でも、研修を受けている中で、あと1時間程度で研修も終わると言う頃には、お尻がムズムズしてくるのですが、この状態を想像して頂ければ、良く理解できると思います。そこで、私達と認知症高齢者の違いはと言うと、我々の場合は、時間が来るまでは、ジッとしていよう!と考えることができる。しかし、認知症の高齢者では、それ以外の方法や手段が考えられないので、イライラが始まる。ついつい、職員に向かって『お~い! これなんとかしてくれ・・・!」と叫んでしまうのです。これを、アホな職員は、介護への抵抗と名前を付けて日誌に書き込むのですが、これは、決して介護への抵抗ではありません。いたって自然の行為です。ことが自分の思うように進まなければ助けを求めるのは自然です。

 また、別の人は、送迎バスの出発前の一時間の間に頻繁にトイレに行くのです。極端な場合、今、トイレから戻ったばかりなのに、すぐにトイレに行きたくなる。この原因はトイレに行った事を忘れてしまった。と言うのが真実でしょう。しかし、このトイレに行った事を忘れるという状況は、昨日の夕食のメニューを忘れると言う事とは若干の違いがありそうです。つまり、トイレに行って用をたすことには、色々な状況があります。若い人のように前立腺に全く問題も無く、溜め込んだ大容量の尿を出すと言う場面と、高齢となりひん尿状態の人の排尿では、そこに働く意識レベルに自然な違いはあります。かたやドッとでた解放感を味わえる放尿、かたや出たか出てないのか判別できない少量の方に用では、その分、脳に与える刺激も違います。自ずと、記憶にしっかりと残るか否か・・・と言った点で、放尿に際する記憶が影響を受けてしまうのです。そればかりではなく、送迎バスの中で、以前に排尿のトラブルを経験しているトラウマ的記憶が影響をして、何度も何度もトイレに通い、自分で確認をしているともいえるのです。

 このように、高齢ともなると口数は少なく、他者に自分自身の現状を説明する事も出来にくくなり、その中で自然な行為を行っていても、年寄りという色眼鏡で見られることで、健常な高齢者も「ボケ老人」扱いされる場面もあるのか・・・?と考えるのですね。敬老の日の今日、太陽の家デイサービスを利用される高齢者のみなさんに声を大にしてお伝えしたい。皆さんはボケた廃人では無いのです。少し、お手伝いすれば、それなりに普通の生活は営めます。記憶力の低下はあるかもしれませんが、それが、どのような問題を持っているのでしょうか?とても重要な約束をしていて、それがないと生きていけない場面には関係してこない立場の人です。それ相応に、周りの人が補ってあげてくれれば、まだまだいけます!ね!

2010/9/20
連休中の交通渋滞

 敬老の日を含んで3連休中、東名阪道のぼり四日市インター近辺から亀山までの渋滞が続いていたようです。今日の午後もインターネットで検索してみると、同区間で渋滞。事故も新名神との合流地点近辺2か所で事故の連絡。一般道にも車の多さは、デイサービスの送迎を行ってみると、良く分かります。太陽の家の前の中央道路でも、交通量は多く、車の流れが切れなくて、なかなか中央道路に入れない状態があります。しかし、いずれにしてもイライラ運転は事故の元となります。急いで事故を起こせば、それこそ本末転倒、余計に時間がかかります。ましてや、不運にも事故車両の後方を走っている場合、渋滞が始まります。今の東名阪で起きている渋滞は車両の自然発生的な渋滞ですが、主原因は通行量の絶対数が多いことと、高速道路に不慣れな人のブレーキ操作が、後ろに行けばいくほど影響が大きく出て、完全にブレーキを踏まなければいけなくなることが原因だそうです。目的地にスムーズに、出来る限り短時間に到着したいのは、皆さん同じです。目的地への到着時間を気にするあまり、逆に周りのドライバーに迷惑をかける結果とならない為にも、慎重な運転が必要と思います。車は応接間では無い。リラックスする場所でもない。はたまた、若い二人の世界でもない。色々な人が、同じ道路を使って移動している状況をしっかりと認識して車を運転してもらいたいですね。

 また、中央道路を走る車をじっくりと観察すると、運転手の姿勢が面白いのです。多くのドライバーが、それこそ応接間のソファーに寛ぐような姿勢で車を運転している姿を見かけます。お年寄りを乗せて送迎バスを運転する時は、ハンドルに両手を置いて、自動車教習所の生徒のような気持ちで送迎バスを運転します。片手ハンドルで、くつろいで運転する事なんて不可能です。一番多くの利用者を乗せる場合、送迎バスの走行距離は30Kmを超えます。30Kmを超えると言う距離は、鈴鹿から弥冨くらいまで運転するに等しい距離を移動するのですが、この間、約一時間。緊張に緊張を重ね、ブレーキペダルの操作やハンドル操作にかなりの神経を使います。また、送迎中に遭遇する危険も結構多く、なまじっか荒い運転でもしようものなら、接触事故に発展しそうな場面にも遭遇します。

 ある意味、介護のプロであるだけではなく、運転のプロであることも必須の課題です。大事故につながりやすい高齢者を乗せて車を運転する場合、車間距離も速度も一般車両よりも抑えなければなりません。一般道では送迎車両が原因で車の列が数珠つなぎ。と言う場面も目にします。先を急ぐドライバーのイライラの原因を高齢者送迎バスがつくっているのかもしれませんが、この点については、急発進、急加速、急ブレーキは、車内での打撲などの事故の元。どうしてもゆっくりと運転せざるをえません。一般車には申し訳ないのですが、しばらくのご辛抱をお願いしたいですね。

2010/9/18
自転車との接触事故??

 今日の昼過ぎに、ちょいと用があって仕事車に乗って太陽の家を出ることとなった。太陽の家の前の道路は鈴鹿の幹線道路であり、土日の今日などは交通量も多く、非常に出にくい場所であることは利用者のご家族も充分ご承知のことと思う。そんな環境の中でも、仕事となれば、個々の施設から中央道路に出なければいけないわけで、今日もゆっくりと車を車道に近づけて歩道の半分まで車を進めた。一時停止し安全確認をするが、平田方面への車の量が異常に多く、なかなか車列が切れない。ようよう、車列が切れたので・・・とここからが問題の箇所です。僕は不覚にも自分の右手方向ばかり気にしていて、左手方向はお留守となってしまっていた。行けると!おもいズルズルと車を車道に進めると同時に自転車のブレーキの音。

 其の音にハッとして左前方を見ると、そこには自転車に乗った若者がいた。思わずブレーキをかけて停車すると、其の自転車の若者は、運転手の僕のほうを見ながら必死で転倒を防ごうと自転車を操作していたが、それでも、あの歩道の切れ目と言うか、入り口というか・・・・あそこは車の乗り入れのために車道に向けスロープ状になっているのです。自転車が倒れそうになるので、足を付こうとして足を伸ばすものの、傾斜になっているので足が届かない。彼はスローモーションのように倒れていき、自転車を放り出したように転倒した。(彼は、転倒する前に自転車を放りだしたので、転倒はしていない) ビックリして、そのまま車を降りて安全を確認したのですが、大丈夫!何とも無いよ!と言ってくれて、彼はその場から走り去ろうとしたのですが、今度は、太陽の家の横の側道から飛び出してきた車にぶつかりそうになって、今度は、車道に飛び出していった彼。何だか、僕の車との接触事故らしき状況の直後に別の車との接触ですか・・・・?なんと運の悪い!としか言いようのない事件でした。

この一部始終を信号停車中の中央道路の車の運転手が複雑な面持ちで、この事件を見ていたようです。あ~危ない。 中央道路の交通量もそうですが、この施設の前を通行する自転車も多く。施設への出入りには充分な注意が必要です。皆さんも気をつけてください。僕も気をつけます。

2010/9/18
高齢と認知症

 ここにきて社会全体が高齢社会を いたる所で話題にするのですが、確かに高齢者の占める割合は多くなってきている日本の社会です。そして、にわかに『認知症』という状態がクローズアップされるようになって、先日のNHKのためしてガッテンでも認知症ケアの新兵器と題して、センター方式のその人となりを理解する事やバリデーションが取り上げられていました。この番組のプロデューサーは、前回東京に上京した折にお知り合いになった方が、構成された番組ということで、私も、太陽の家の職員も見させていただきました。 この中で取り上げられていた、認知症高齢者の問題行動に対する改善策として、その人を思う介護者の気持ちが逆に要介護者にとっての心的負担につながるという点。これは、とても重要なことで、認知症=何もかも失った人間の体は残っても感情と頭脳が消えてしまった。と言う誤解に対する大きな警鐘につながったと思います。

 認知症とは大脳気質にいろいろな病気を原因として、細かな脳細胞の変質が原因と解明されてきています。こまかな脳細胞の変質ですから、脳全体がおかされているわけではありません。すなわち、出来る事と出来ない事がはっきりと分かれてしまったと言えるのです。今までお元気な時には、バリバリと色々な作業を行い、家事をこなしてきた人たちが、徐々に物事を完結させる事が難しくなってくる状態が認知症と言えるのです。しかし、これって、よくよく考えてみれば高齢者には当然と言っていい症状では無いのでしょうか? 高齢になると身体的にもいろいろな部分で衰えがでます。記憶にも同じように衰えが出ます。物忘れや心配性になったり、ことさら頑固者になったり。これらの症状はお年寄りにはつきものの症状であり、これらが社会問題化するのは、逆に言えば、それだけ長寿社会となり人間が長生きしてきた証拠のようにも考えられます。

 最近の統計でも年々、日本人の男女の平均寿命が延びております。世界の国の中では、今でも平均寿命が40代後半であったり、60歳まで生きることが難しい国もあります。日本も以前は早くから人が他界していくような社会でした。その当時は、おそらく認知症となる前に人々は亡くなり、今のような認知症でどうのこうの・・・という問題は無かったはずです。

 人間も動物も全ての生きものは、長寿と共に身体・精神の両面から衰え始め、それなりに介護を必要となります。決して長寿がダメだとは言いません。この社会が長寿に対応できていない事が問題であると考えます。介護保険制度自体、この調子で要介護者が増加していくなかで制度の維持は、さらに困難な状況となるでしょうし、政府自身、社会保障を維持するためには消費税の大幅な増額を言いだしています。 実際、非常に財政的に逼迫してきているのは感じます。逼迫する財政にも拘らず、施設整備はまだまだ完璧に満たされていなく、施設入所には長い年月の待機期間を自宅または病院(この病院も、最近では療養型施設の廃止に伴い減少傾向にある)で暮らさなければなりません。ましてや、認知症に特化したグループホームや小規模多機能等は、元々から整備数が限られているために、家族の対応に苦慮する現実の問題が発生してくるのです。

 2050年頃には、老人一人を働く若者一人が支えていかなければいけない時代が来ると言います。これは、まったく物理的に不可能な時代の襲来を予告しているも同然です。家族で支え、地域で支える今のシステムも、もっとスピードアップが必要です。もっとレベルアップが必要となります。さらに、精神的なストレスのケアに至るまで、この社会を構成していく人間全てに対して、しっかりとしたビジョンを持って、高齢社会と認知症への対応策を出来る限り早いうち、それも真剣に議論していくべきです。


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