太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/9/25
日本に対する荒波

 尖閣諸島の問題は、想像以上に荒波の様相を呈してきた。報道でも重要課題として必ず取り上げられ、社会の関心も大きい様である。ここにきて、船舶の衝突事故の船長の釈放やら、中国側からの賠償請求など、本当に頭をかしげたくなるような事態に、民主党政権も大変なかじ取りを迫られている。陰謀説やなんやらかんやら、私達には想像も出来ない国政の世界の問題に外交のこじれが一般旅行客などへの影響を考えると恐ろしくなってしまう。

 僕も、上海には一度訪れた事がある。同じ人間の住む世界の一都市としてみると中国は面白い社会構造を持ている。古い封建的な中国と近代的な文化の融合した都市が中国の大きな都市のあちこちに出来あがり、一昔前の見栄えばかりで中身の伴わない粗悪品の街という中国ではなくなってきていた。そこに住む人々は、東京の街中でみかけるような近代的なファッションに身を包み、ヨーロッパ製の高級外車がビュンビュン走り回り、全く六本木や赤坂の街中と変わらぬ様相であった。しかし、やはり共産圏の国として、心なしか開放的な気分で街中を歩き観光するには多少の勇気と度胸が必要であった事を思い出す。ホテルの前を夕食後に散歩する時に、現代風の上海女性二人に声をかけられたことがある。今から3年前の上海である。彼女達は夜のクラブとかディスコなどの若者の集まる場所へ連れて行けとせがんできた。「どうせオイらは、スケベくさい顔した小金持ち風日本人男性さ!」と、半分自分自身の見た目を反省しながら丁重に、お誘いをお断りして散策を続けたのだが、結構くどく誘われた事を記憶している。今どきの上海っ子も、日本の若者と同様、遊ぶ金欲しさにオッサンに群がるのでしょう!

 まあ、そんな上海、滞在期間は短かったが、東洋人は東洋人で同じ肌の色ながら全くの異文化との交流の時間であった。さて、話が本題からそれてしまったが、中国人はしたたかである。長年の歴史の中で、戦に次ぐ戦を乗り越え、その都度トップの考え方次第で世の中が露骨に変化していく社会を生き抜いてきたのだから、精神的にしたたかなのも納得できる。今となっては世界のトップレベルの経済力と軍事力そして、世界的にも大きな国土と人口を誇る国。日本に比べても豊富な人材を使って、今では世界を牛耳る程の力を持っているようである。

 テレビの報道で知る限り、今回の尖閣諸島の問題は、あきらかに中国の国家的な嫌がらせ又は巨大で暗黒な隠れた意図が見え隠れする陰謀を感じさせるようだが、外交は政府のえらいお方に任せたとしても、我々一般庶民の高根の花である海外への旅行が、命の保障も無くなるような、また、日本人であることを恥じるような国にはしてほしくは無いと願っている。

2010/9/25
のどかな昼下がり

 直近に書いたブログでは、この酷暑に対する辟易するするほどの愚痴をたらたら書いているわけですが、それが急転直下、朝夕の気温の急激な低下によって結構毎日過ごしやすい日々が数日続いている。昨晩など、夏物寝具では寒すぎて夜中に目が覚める程の気温の低下に驚いている。さて、そうは言うものの、今日、土曜日の昼中、風が心地よく木陰で昼寝でもすれば、さぞ会的であろうと思わんばかりの天候。まあ、土曜日は利用者の体調の変化さえなければ、電話も少なく比較的事務所はのんびりとした環境で過ごす事が出来る。そんな訳で今日のタイトルを「のどかな昼下がり」と書いてみた。

 先にも書いたように、利用者の体調によってと書いたが、このような老人専用施設ともなると結構急激な体調の変化がありえる。こんなの言わずとも知れた事ではあるが、この体調の変化。一言でいえば簡単ではあるが、意外とその変化に気づくには専門的な知識と経験を要す。そして一番重要な事は、利用者個人の普段の様子観察をしっかりと行っているかが重要な要となる。普段と違う歩き方、普段と違うそぶり、普段と違う顔。高齢者は、人生の達人であり、我々若い者の先を歩く人生の先輩であり、色々な経験を積んでこられた方々である。同時に、細かな事を訴えなくなる。嫌味ではなく、人生の達人ともなると、いつもと変わらん!と自分自身が思い込んでしまい、その結果、多少の痛みも苦痛も外部に訴えることなく、自分の内で処理してしまおうとする。問題はここにあり、認知症ともなるとこの状態が特に顕著に表れる。一つは表現方法が見つからないのだ。

 私達専門職は、これらの寡黙な老人の体調の変化に気づき、適切に医療機関に橋渡しを行うことで、大病を未然に防ぐ事が可能となるのである。うちの認知症グループホームの入居者のお一人ノ歩行が左に傾く事が多い。と言う事で病院受診をした。その結果、やはり小さな脳梗塞の発生が散見されるという所見であった。また、この後に大きな脳梗塞が起きるかもしれないので厳重な見守りと注意が必要と言われたそうである。私達は医療機関では無いので、利用者の方々に発症するかもしれない脳梗塞を未然いとめることは出来ない。しかし、発症する疾患にいち早く気づき、早期加療を行うことによって、人命を救うことは可能である。私達の役目は、早期発見と予後の生活支援である。

 言うなれば、緊急時に備えること。そのために平穏な時には少し要らぬ力を抜いてストレスを開放する。要らぬ力を抜くことは、ただ単にボ~っとすると言う事ではない。細かな目配り、気配りは最低限行う事が絶対条件となる。この技術の習得には時間と経験が必要であり、その点では短期間に介護職の専門性を習得したと思いこむのは危険かもしれない。ましてや資格など、何の役にもたたない。沢山の症例を見てきて初めて、そのスキルが成就するのであり、その点では私もまだまだ中途半端なひよっこなのだ!と考える、今日の昼下がりであった。

2010/9/22
残暑厳しき折・・・・

 本当に残暑厳しい日々が続いております。ナンナンダ?今夜の気温。またエアコンのお世話にならなければ夜も安眠できないではないか!

 私の部屋は二階にあるのですが、一階から階段を上がって二階の踊り場に立つと、オーブンの中のような熱気を感じ、思わず「たまらん・・・!」と叫んでしまうほどである。 今年の太平洋高気圧の勢力がいまだに強く、温かな湿った空気を日本全土に送っているからだそうだが、もうすぐ10月ですよ!と言う時期になっても、真夏日の毎日。例年だと、日が翳った夕刻からは、長袖のジャンパーでもないと過ごせないほど、それ程肌寒くなっていたのですが・・・・どうでしょう、この天気。

 ちょうど10月の第一週の週末は、例のフォーミュラーワン 日本 グランプリの開催される時期なんです。例年、F1の夜は、ダウンジャケットでもほしくなるほど肌寒く、各チームが24時間体制でガードマンを置いて自分のピットを見張っているのですが、そんなヨーロッパ人ガードマンたちも、あまりの寒さに綿入れジャケットに身を包み、温かなコーヒーやスープで段を取るほどなんですぞ!それが、今年はどうなるのでしょうか?これだけ熱いと、短パンにT-シャツで冷たいコーラでしょうか? 

 こんな熱気に、15年間使い続けてきた、うちの冷蔵庫がとうとうねを上げた。おかしな異音をたててプッスン!と其の活動を停止したのです。この熱い毎日に冷蔵庫のない生活は考えられないですよね。冷凍庫のモノは腐る、お茶を冷やすことが出来ない。生物を買い置く事ができない。つまりは、毎食の材料を、其の都度スーパーに買いに行かなければいけない。偶然、我が家のまん前には大きな冷蔵庫が存在するのですが、そこに行くには中央道路を渡ってレジを通らなければいけない。近くて便利ではあるものの、やはり自宅にある冷蔵庫には、少し及ばない。まあ、そんなわけで、今日、やっと新品の冷蔵庫が届いた。10月には新型が店頭に並ぶ時期とあって、量販家電店では、昨年モデルと言われる機種を安く販売しなじめる好機。まあ、値切りに値切り、結構お値打ちに買うことは出来たものの、やっはりまとまった金額の支払いを余儀なくされるのは、家計に響く。15年間も使い続ければ、それもまた元を取っていると言えそうですが・・・・

 今日は中秋の名月。暦の上では明日から秋となるらしい。冬物の衣類も、まだまだたんすの置くに眠ってもらわなければいけないのでしょう。こんな異常なほどの気象。地球温暖化の影響が、じわじわと我々庶民の生活にも影響を及ぼし始めているのでしょうか?こりゃ、車もハアイブッリットに変えてガソリンのばら蒔きに終止符を打つときがきたかもしれません。または、太陽の家の車両を送迎車両以外は、全て自転車にするとか・・・・ダイエットにも有効で、余分な死亡を腹回りに蓄積した軟弱モノの私には健康と省エネの両得かもしれない。

 ひょっとすると、来月の陽だまりで、太陽の家8号車と9号車として写真入で紹介できるのかもしれないですね・・・・・・はははは

2010/9/21
個人情報としての利用者の顔写真の扱い。

このブログをはじめ、太陽の家の発行する『ひだまり』にせよ、沢山の写真が使用されている。もちろん、使用にあたっては、予め利用者家族の承諾を取っているのではあるが、この点で、家族サイドにも微妙な感情の動きがあるようである。つまり、利用者の顔写真はある点で、家庭内における話題性の観点から大いに写真などの掲載を求める反面、そのモノが社会の不特定多数の目にさらされることへの危惧感が存在するという点で、どうしても抵抗があるようだ。自分の家族が太陽の家を利用していると言う事実は、家族側からすれば出来る限り秘密にしておきたい。出来る限り、個人の中だけに封じ込んでおきたい。と言う感情の表れなのであろう。問題は、先にも書いたように、インターネットという媒体が取り持つ情報伝達スピードとカバーする範囲の大きさに恐怖するのである。『 ひだまり 』という新聞発行に関しては、それ程大きな影響力は持っていない。しかし、この新聞ですら、形として文章や写真が残る点で、扱いには厳重な注意が必要であろう。人は、ややもすれば「他人の不幸は 蜜の味・・・」なんて言うほど、他人の不幸を喜ぶ風潮が存在することも確かである。人間、すべからず100%の幸福感を得ることは難しい。すくなからず何かしらの不幸や問題を背負って生きている。他人の不幸を見つけては、自分自身の持つ不幸を同調することで、自分の心の痛手を緩和しようとする自己防衛的な態度として、人の不幸をことさら喜ぶ輩も多い。

 私自身が一番悲しく思うのは、社会的な認知症高齢者に対する誤解である。認知症のとなる老人を持つ家族が、なぜに恥ずかしく、社会から背を向けて生活しなければいけないのか?と言う点である。認知症は何度も言うようであるが、遺伝するわけでもなく、病気でもない。年相応の物忘れなどの機能低下がもたらす諸症状のことであって、決して、その人の血が悪いのではない。 もっと言えば、日本にも古くから知的、精神的障碍者に対する特別な阻害感情が存在し、昔の障碍者は、そのまま見世物小屋に売られ、それこそ「さらし者」として生きなければいけない社会であった。東京タワーを倍以上に超えるスカイツリーと言われる建造物を創造するような時代となっても、今の日本にも少なからずこのような邪悪な出来損ない意識が根底に潜んでいるような気がする。。

 これは非常に寂しいことであり、このような封建的な思想の元で、認知症高齢者を地域で支えることは不可能である。ましてや公助はともかく、共助や自助なんて理論は成立しなくなる。認知症高齢者の行動や言動は、時として一般人が首をかしげる場面にも遭遇する。しかし、そんな人も、その昔には、一般の市民として働き、考え、活動してきた人である。特に狐に浸かれたわけではない。ましてや、認知症だから知的な障害を受けていることにはつながらない。僕は、今の社会が、あまりにも「転ばぬ先の杖」方式の防御策を張り巡らせ過ぎているような気になってしまうのである。認知症だから徘徊する。認知症だから尿失禁する。認知症だから○○する!と決め付けたようなイメージ先行で、其の障害を理解しようとはしない社会のほうが、最終的な末期状態ではないかとおもうのである。

 地域でもって共に助け合う共助がなくては、認知症介護は出来ない。ましてや、これから先の高齢者の増加を見据えても、若年層の減少傾向の中、どうやって高齢者を支えていくのかと考えれば、更なる高齢者心理を市民全体が学び、理解を進めなくてはならない。歳を取れば、頑固になる。人の言うことを聞いてくれない。行動が緩慢になり、若者のスピードからすればあ動くシケインのごとく。邪魔な存在となりかねない。

 ある家族が答えてくれた。「自分の老いた父親さえ居なければ、随分と生活も楽になる!しかし、父親の世話をしていて、父の笑顔をみると、もっと笑顔を増やしてあげたい、みていたい・・・と思う」と! この言葉は、家族の抱える負担は並ではなく非常に重いが、そこに人間を感じることで、邪悪な自分の意識を考え直す。非常に人間味溢れる暖かな思いやりを感じた。うちの職員さんも言います。とてもハードな仕事を求められストレスがいっぱいかかる職場で、利用者の方々の「ありがとう!」の笑顔と言葉で、全ての鬱憤が晴れきってしまう! 僕は、社会の中で、ささやかな生活を守ろうとする高齢者の方々を悪意を持って商売に利用するもの画像化してきた今の社会に苛立ちを覚える。一部の悪意に、自分自身の顔写真を伏せなくてはならない状態、すばらしい笑顔を社会に見てもらえない今の状態を決して文化的に成熟した社会とは呼べないと思っている。個人情報だろうが顔写真だろうが、皆に見てもらって、ここに幸せに暮らす高齢者をうらやんでもらえるようなサービスを提供したい。

2010/9/21
パソコン操作で一番腹が立つこと。

今の僕は50肩らしく、右肩の関節二痛みが伴う。まっすぐ正面に腕を上げられない状態が昨日、今日と続いている。腕が上がりにくいと言うことは、何かにつけて不便で。(まあ、人間の体の、全ての部分で可動制限を受けると不便極まりないが、こうやってPCに向かってブログを書いているときも、自由に右手を動かせない状態では、キーボード操作に時間がかかり、あまけに重要な操作にミスが連発する。先ほども、別のタイトルでブログを書き連ね、いつもよりも筆の進みはよく、沢山の文章を書いたのだが、右手二痛みが伴うお陰で、マウスが変な箇所に触れてしまい、書いた文章を全て一瞬にして削除してしまった。ブログの書き込みページでは、一つ前の作業に戻ると言うことができないシステムとなっており、消してしまった原稿は元に復元できないのです。お陰で、一生懸命考え、頭をひねりながら書き溜めた文章はゼロに!

 ワンクリック詐欺ではないが、ワンクリックで全てが消えてしまう。消滅してしまう恐怖は経験したものでなければ分からないと思う。しかし、考えても見てください。このブログを書く作業というのは、非常にムラがあるのは確かながら、公開するまでに結構な時間を要する場合が多い。それだけ、書く文章に気を使って、出来る限り自分の思いに忠実に読み手に理解してもらいたいと期待して書いているのです。当然、時間も神経もつかいます。そして、ようやく書き上げて、其の苦労の結晶のような文章が一瞬で消え去るのって、がっかりしませんか?

 僕は寂しいと言うより、非常に腹が立ちます。そのような気の緩みと言うか失敗と言うか、とにかく、長い文章となればなるほど、消えた部分を書き足す気には、なれないことが多いのです。そんな、僕の腹立たしい気分を無視するように、今なお、僕の右腕は動かすたびに痛みが走ります。歳は取りたくないものです。そう何時も話してくれる、デイサービスの利用者さんの気持ちを少しですが、自らを持って理解したような気分です。


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