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ブログ-施設長の部屋

2010/8/11
Tokyo・・・・・2

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ホテル品川パシフィック東京の来月末閉鎖の話を知って、今回、自分にとって最後の宿泊となろうパシフィック東京の夜を書いてみたい。 最近の僕のブログでご紹介したように、このホテルとの出会いは、僕の就職に関係したホテルとして、其の当時には大きな、真新しい建物で、高級ホテルとしての自信にあふれたホテルとして僕の印象には残っている。1971年の完成したこのホテル。今でも品川駅前に鎮座して、其の景観は、いつも新幹線の窓から品川駅のシンボルタワー的な存在として、東京に向かう時に必ず目に入ってくる建物でした。今回、ホテルのロビーに入り、一番最初に感じたものは「エイジ」でした。今の新しいホテルから比べるとスタイルが古い印象はぬぐえない。そんな年齢を感じてしまいました。もちろん、建物は清潔で美しく保たれていましたが、天井の高さ(天井が低い)、ロビーの広さ(だだっ広い)、売店の取り扱い品目(陳列方法も古臭い)など、昔のイメージにある洗練された感覚は、このホテルからは感じられなかった。(とても失礼な言い方となってしまったが)。添付してる写真は、ホテルの客室、客室からの眺め、ホテルのロビー。

そして、もう一つビックリしたことが、ホテルの荷物タッグ。最近めっきり見かけなくなったホテルオリジナルの荷物タッグ。三角やら丸やら、厚紙にホテルロゴの入ったタグですが、チェックインのときにホテルスタッフに荷物を預けたのですが、その時に僕のキャリーには三角のタグがつけられたのです。今時、珍しい・・・・ので、丁寧にバッグからはずして持ち帰りました。これも僕のコレクションの一つに加えるつもりです。

もう一つ、困ったことのお話です。客室の温度調節のスイッチに強・中・弱の選択しかなく、弱の設定でもエアコンが効きすぎて寒いくらいの温度となっていたことです。部屋でテレビを見ながら飲んでいたのですが、あまりに寒すぎてエアコンのスイッチをOFFにしても、まだ寒い。耐え切れずにバスタブに湯を張り、首まで湯につかってからベッドに入ったくらいです。前回のプリンスホテルでは、温度調節機能は付いていないに等しく、温度を下げようにも設定26度から下に下がらない。そんな不都合を感じたのですが、今回は間逆の環境がありました。お陰で、夜中も熟睡できず、のどが痛く痰が絡む状態でした。

まあ、何だかんだと文句ばかり書きましたが、普段の生活からはかけ離れた環境に身をおけることに感謝して、東京の夜を味わえたことに喜びを感じています。たくさんの人が行き交い、たくさんの人が色々な痴呆から電車で運ばれてきて、また、電車に乗って去っていく。みなさん、それぞれの感想を胸に地元に帰り、またいつもの仕事に戻るのでしょう。人間の営みって、多種多様で面白。東京は人間ウオッチングには最高に適した場所です。と同時に、僕もウオッチングされている一人でもあるのです。人の振りみて我が振り・・・・ですよね。充分に外の空気を吸ってきたののですから、明日からは又、介護の仕事に精出して頑張ろうと思います。

2010/8/11
東京紀行。

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お福の会については、初めてブログに書き込みしますが、この会は数年前から、認知症介護の著名人である和田行男さんを中心に、医師、大学教授、テレビ、新聞や福祉現場の人たち有志が集まり、福祉の将来について語り合う会として、其の当時、使っていた居酒屋の名前をとって「お福の会」と呼んでいるそうです。今では40名~50名程度の著名人が集まり、また厚労省からも参加されていたり、そこの場で取り上げられる話題が、結構そのまま施策に反映されたりと、ある意味、福祉行政や今後の日本の福祉の動向にまで動かしかねない内容が話し合われています。もちろん、私なんぞは、ただただ聞くのみ。発言できるような雰囲気ではないのです。そのような会に参加させてもらえることとなり、今回で2回目。

 8月10日の夜7時より10時まで、大井町のうらぶれた小さな居酒屋に集まった人々は、いろいろな仕事の人が集い、新聞記者、テレビ局のディレクター、福祉関係の大学の教授、医療現場からドクターも参加して、お酒を飲みながら、一分間ルールの下、それぞれが熱い意見交換を行っていました。昨日のテーマは、「回想法」について、回想法が本当に認知症高齢者の心のよりどころとなるのか?について討議されました。回想法は療法ではなく、あくまでも利用者との心の壁を取り除くための手法と言う考えかた。また、人には触れられたくない過去を持つ者も居ることからも回想法によって仕舞い込んだ心の傷をこじ開けてしまう必要性。また、充実した人生を送る人にとって回想法の持つ意味など、色々と意見も別れてしまいました。

回想法も、バリデーションと同じく、記憶に障害を抱える高齢者の心の壁を取り除き、心の安泰を求めていくことに変わりは無いのですが、そこには学問として研究対象としての回想法と、普段何気なく福祉現で行われている昔話の延長線上にある回想法の二タイプが存在するようである。いずれも、ある意味、相手を尊重する気持ちと思いやりを持って昔話の中に、その人の人生を垣間見るきっかけを見つけようとすること。と言うことでした。

 まあ、小難しい理論の応酬でしたが、このお福の会の後、グループホームの全国組織の代表者達との意見交換も興味深い時間となりました。

 

2010/8/11
月夜に釜を抜かれる。

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油断大敵と言うより、自分自身の超特大級ポカミスに呆れると同時に情けない気持ちとなった昨日の事件についてお話しよう。

 昨日から一泊の予定で東京に行ってきたのです。東京には、二ヶ月毎に開かれる『お福の会』という会合が開催され、其の会に、今回で2回目の参加をさせて頂くつもりで新幹線からホテルまで予約を入れて準備はしたのです。しかし、ここ最近、東京への旅行に限らず、生意気なようですが旅行慣れしてきた自分自身が居る。前日から旅行の準備をすることも無く、出発間際に必要な最低限の着替えと諸々の小物をバッグに放り込んで電車に飛び乗ることを繰り返してきました。そして、今までは、何事も無く、近鉄名古屋駅から新幹線の出発までの余裕を5分もあれば充分!と、高をくくっていたこともあります。今回の失敗は新幹線に乗り損ねたと言う話ではなく。白子駅の特急に乗り損ねたのでした。それも、交通渋滞とか、自宅出発が遅れたと言う理由ではなく、僕自身は時間の9分前には白子駅改札に到着していたのです。また生意気なようですが、近鉄電車の利用にはピタパというカードを使って、チケットレスの乗車を利用しているので、カード一枚で改札を潜り抜けるのです。昨日もそのつもりでした。改札口前に来て、カードを取り出そうと財布をカバンの中に探したのですが、まったく見つかりません。

 そうなんです、財布、クレジットカード、免許書、を忘れてきたのです。お金を一銭も無く、クレジットカードも持たずして特急どころか、宿泊すらできません。慌てて自宅に財布を取りに戻り、再出発をし新幹線には一時間送れの便を予約し直して品川まで向かったのでした。

 

2010/8/9
ここ数日、ブログをサボりました。

ここ数日、土日をはさんでブログの更新がおろそかになりました。特に理由は無いのですが、ブログネタに困窮しまして・・・・書くこと無い症候群に襲われ、一時的に筆が止まってしまいました。毎月、月初めには同様の症状が散見され、今月は月のスタートはスムーズに出始め、その後失速傾向にあるという、新たなるパターンに苦しんでおりました。今日も、職員には、ブログ更新の遅延に苦情が出され、僕としては、今日のブログ更新が無い場合は、それこそツーアウト一塁に走者を残し、ボールカウントはツー・スリー。残り一球が勝負と言う状態かもしれません。

 そんなこんなで、今日の私のお仕事ぶりを紹介すれば、午前中には、明日の会議に持参する書類作りに忙しく、昼食後にはレクリエーション会議。其の途中で、職員の家族の相談を受け、午後は鈴鹿サーキットにてこの秋開催のF1グランプリの打ち合わせ。通訳の人数、イベントスタッフの人数等の調整や業務のすり合わせを行い、帰宅後には太陽の家の玄関横の小さな庭に落ちこぼれている落ち葉の掃除を行いながら、また夕方には別の職員の相談を受けて、家に帰って夕食を作り、顧問弁護士と電話で会話し、ようやく自分の書斎(書斎と言えるような高級なモノではないのです。本とメモや筆記用具などが散乱した事務机の上に乗っているコンピュータに向かって、一人カチャカチャとキーボードを叩いているのです。こうやって、話してみれば特に何もやっていない。実態不明の管理職と言えなくも無い、非常に中途半端な仕事をしていたようです。

 さて、そう言いながらも、明日は東京で会議。福祉の関係のお仕事ですが、前回は6月に上京。二ヶ月目の東京となります。今回は品川パシフィック東京に宿泊予約を入れておりますが、今になって知ったのですが、このホテルも来月末で閉館の予定らしいです。僕がアメリカから帰国した頃には、第一線の高級ホテルで有名で、帰国直後に、このホテルでハワイにあるプロダクションの面接を受けたことを思い出しました。あの当時は、日本に帰国したばかりで、また息子がアメリカ(特にハワイ)に赴任することに反対した両親のために就職をあきらめた経緯がありました。そして、次に地元の本田技研関連の企業が採用してくれて、一時サラリーマンを経験することとなったのですが、そんな若い頃の自分の人生の転換期としての舞台が、このパシフィック東京だったのです。

 東京の都心の変化は著しいものがあります。しばらく東京から遠ざかっていると新しいお店がオープンしてたり、新しいホテルが開業してたり、閉鎖されたり。人々の需要と供給のバランスは、店舗ごと、建物ごとが川変わっていくことで保たれているようにも思えます。田舎のようにお店の都合に客側があわせてくれるのではなく、客側をリードしていくためにもお店側が変化していかなければいけない都会では、かかる費用も回収スピードも田舎とはまったく異なっているのでしょう。だから東京はいなかっぺにとっては、「生き馬の目を抜く街」として恐れられるのでしょうね。 しかし、ここにきて閉鎖するホテルに、昔は栄華を誇る日本企業の出資するホテルが多いことに驚きます。プリンスホテルも赤坂から撤退。このパシフィック東京も閉鎖。其の反面、リッツカールトン、コンラッド、マンダリン、ペニンシュラ、ハイアットなど超高級リゾートホテルは、軒並み都内にオープンし、結構盛んに宿泊客を取り込んでいるようにも見えるのですが、実情は如何なものでしょう?景気後退から完全に回復基調とまで行かない現在、ホテル業界も四苦八苦なのでしょうね。

2010/8/8
すみません、ティッシュ下さい・・・・!

 昔、小学校にかよう頃、母親がハンカチと鼻紙を必ず持たせてくれた。僕の時代にはポケットティッシュなどと言う洒落た物は無い時代だったので、本当に単なる白い鼻紙の数枚を持たせてくれていた。大体からして、鼻水は服の袖で拭く。鼻紙を出して悠長に鼻をかむことは、小学生の子供には出来ない。出来ないと言うより、やってる時間が無い。あの当時は、どいつもこいつも、鼻水をたらして生活してたような気がする・・・みんな服の袖がピカピカだった。遊ぶことに必死な時代だった。

 そんな時代を通り越し、今やいっぱしのおっさんとなった自分は、今でも外出の際にはハンカチを持参する。夏の薄着の時には、ハンカチと言えどかさ張るものである。小さめのカバンを持って歩くおっさんも居るが 逆におっさん臭すぎて小さなセカンドバッグなんて物を持つ気にはなれないので、出来る限り手ぶらで歩く。財布、免許書、車の鍵などポケットに入れるのは良いが、これまたポケットが膨らみすぎて格好悪い。だから夏場のファッションは難しい。そんな中、必須アイテムだけでポケットの許容量をオーバーしてるのに、そこにティッシュペーパーは尚のことかさ張る。必然的に、大人になった今は鼻紙の代わりのティッシュペーパーは持ち歩かない。

 子供時代は服の袖が鼻紙の代用品。それでは、大人になると鼻水の処理をどうするのか?それは、簡単なことで、都会では、毎日、いたる所でポケットティッシュをタダで配ってくれている。この便利な無料配布を利用すれば、鼻紙を必要なときは都会の歩道を歩けば貰えるのである。お金は一切不要。相手から気前良く、差し出してきてくれる。こちらは、ただ受け取るだけ。それでも、都会の女性たちは、タダで差し上げますと出されているティッシュを避けるように歩いているのである。くれる!という鼻紙、遠慮なく貰ってくれば、わざわざティッシュペーパーを買う必要も無いのに・・・・と思いながら都会を歩く度に田舎っぺ丸出しの感覚の自分が居る。

 そして、悲劇は突然襲ってくるのである。都心の雑徒を居ている最中に、舞い上がる埃を吸い込んだのか、急に鼻がむずがゆく、思いっきりくしゃみをしてしまった。「は~くしょい!!!」と同時に鼻水が・・・・・流石に半袖シャツでは鼻水はふき取れない。いやア~・・・どうすっぺ~・・・・と考えて、思いついたのが通りでティッシュ配りの兄ちゃんを探すのである。ほんの数メートル歩いただけで、ティッシュを配る若い女の子が居た。其の彼女の前を通過しようとしたとき、ティッシュを持った彼女の手は、僕の目の前を通り過ぎ、すぐ後ろから歩いてくる女性に渡した。良く周りを見回してみると、数人のバイトと思われる若者がティッシュを配って入るものの、渡している相手は若い女性だけ。男は対象外・・・のようである。

 いやア、やばい!! 俺の鼻水、一刻の猶予も無い状態だ!汚い話であるが、ズルズル音を立てて吸い込んでないと垂れてくる。もう、こうなってくると恥も外聞も無い。ティッシュ配りのバイト君に、お願いするしかない。『 すみません・・・・ティッシュ下さい!・・・・』                  都会は便利だ!       


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