今日は行きつけの美容院に散髪(・・・・なんと古い言葉・・・・今どきはめったと使わないだろうと我ながら思って笑える)の予約を入れ予定の時間少し前に美容院へ入った。入口入ってすぐ、昔聞きなれた声、洗髪台に身をゆだね髪を洗ってもらっている男性。 この美容院をひいきにしている事は聞いていたが、今までその店の中でバッティングする事は無かった。
かれこれ6年程は会って無かった。それこそ年賀状だけのお付き合いとなりつつある方で、久しぶりに元気な姿を見て、とても懐かしく、嬉しく思った。以前は、色々な活動を共に行い、彼からうけた影響も大きい。高齢者福祉の中心的な要件として、地域との関係や友人と言う社会資源の有用性を学んできたが、まさしくそこに私の住む地域であり地元に密着した社会が存在した。
子供から大人になり、地域に生活する中で自然と構築されるその人の「社会」。疎遠で希薄な関係であるにしても、高齢になるにつれ、育ってきた環境と言うのは大事なものである。
年賀状だけのお付き合いで思い出したが、私が知り合ったある法人の代表者から毎年必ず年賀状を頂戴する。その方とは、この福祉ビジネスで知り合った方であるが、その年賀状のあて名が「玉置浩二」と書いて投函され続けている。玉置浩二は最近でも新たな女性との熱愛報道があり、あのプレイボーイとして有名な俳優をして「玉置浩二には負ける!」と言われている人物であり、名前を間違えられ続けている私としては、非常に腹立たしく悲しい話である。
・・・・・・・影の声・・・・・・・
( 毎年、私の方からも年賀状はお送りしし続けていたが、あて名の間違いは訂正されることなく今も送られてくる。 そんな現状に少々諦めの境地で、今年は年賀状をお送りする事は辞めさせていただいたのだが、これを反面教師に、自分がお送りしている年賀状のあて名についても、注意が必要かと思っている)
今はまだ、大学院で研究途中のみであるが故、それほど大きなことは言えないが、それなりに学んだ中から今後の日本における福祉経営の課題を書いてみたい。
あと10年もすると日本の戦後第一次ベビーブームの世代が65歳以上の第一号被保険者の年齢に達し、高齢者人口が一気に増加してしまう時代が来る。私達のような営利法人の経営する介護保険事業所は、その急激な増加に対応するべく設立が認められた軍団である。また営利企業であるからして利益が見込めなくなると、放っておいても勝手に福祉業界から撤退する。要するに行政側から見れば非常に使い勝手の良い業態なのである。必要な時(需要のある時)は増殖し、需要がなくなれば縮小していくわけで、これらの全てを社会福祉法人で賄うためには、増やした分需要が減少して以降の所得保証まで考慮しなければいけなくなる。そう言う意味でも非常に貴重な助っ人である営利法人である。
それはそれで市場と企業経営の問題であるから個々の事業主が考えればよい。数日前の福祉新聞では昨年の介護報酬改定により今年の決算で国内大手の福祉ビジネス企業の増収増益が発表となった。全て全国展開を行っている企業ばかりであり、その年間の売上は数千億という額を計上している。しかし、これら数社の大手介護保険事業所以外の小規模程度の事業所では、前回の介護報酬の改定による増益は期待できないのが現状である。 実際問題として、介護保険ビジネスでも薄利多売の原理が生きているのである。小規模ほど人件費や事務関係費にかかる負担が重く利益を圧迫し、儲けが出せない現実がある。そして、小規模事業所の大半が、多額の設備投資を行った新規事業主が多く、それら投資に対する減価償却費が利益を下げる。そんな負担を背負って市場参入なのである。
だからと言って、小規模にメリットは無いのかと言えばそうでもない。小規模のもつ唯一と言っていい程の第一のメリットとして機動力であり、その展開のスピードの速さである。我々のビジネスは全てに関して行政の方針に頼って運営を行っている。コンプライアンスにしてもリスクマネージメントにしても、その時代の状況に大きな影響を受けながらシステムの変更を迫られて運営を行っているのである。そう言う点では大規模にしても小規模にしても、ほぼ同じように受け入れていかなくてはならない。しかし、大規模には真似のできない点として提供するサービスの質がある。薄利多売方式で事業展開を拡大してきた事業所は、それに応じた職員の管理、サービスの管理が困難な点があげられる。そして、今の介護保険サービスの基本設計である、利用者の応益負担制度が逆に言えば小規模事業所には心強い有利なシステムとして利用できるのである。応益負担とは、全国一律に利用するサービスに応じた定額の利用料金を利用者に負担してもらう事を目的として取り入れられている。この定額という点で、大規模にも対抗できる競争力が小規模にも存在するわけである。薄利多売であり、提供サービスの質に関しても中程度(一般的)内容であって、料金が同じならば利用者は当然のように高品質のサービスを提供する小規模事業所へ流れる。
また別の角度から提供サービスの質を求めなければいけない理由もある。それは、先にも述べたように団塊の世代が高齢者として要介護状態となる時を考えればおのずと納得が出来ることに、この団塊の世代は戦後の高度経済成長の時代に思春期や青春を経験してきた人たちである。その生きざま、考え方、風習、食事など個別の文化をもって育った世代の高齢社会には、個人のニーズは多様化し、それに伴い介護技術や対人援助技術にも専門性や高スキルを求められることと考える。今の戦前派の人々は戦争と言う特殊な社会の中で抑圧され監視され自由な発想に浸ることなく、大半が同じような文化と人生を過ごしてきた。その分、画一的な介護でも十分に対応できているのである。(もちろん、そればかりではない事は当然であるが)
簡単に言えば銀座のクラブのホステスさん達が幅広い教養を身につけていないと商売が出来ない。それと同じ状況が今後の福祉の世界でも必要とされると思うのである。中途半端な暇つぶしさえ行っていれば何も言わない。そんな甘い考え方では事業の運営は継続できない。そんな厳しい時代がすぐにやってくる。そして、そのための職員の育成を今から始めていかないと乗り遅れる時が突然にやってくる。そんな危機感を持って福祉経営にあたらなければいけない時代のである。
うちのグループホームの職員さんの家庭菜園で採れたソラマメを頂戴して、今日の夕食に食べて頂くようソラマメのスープを作りました。本来のヴィシソワーズは、コンソメで煮込んだ野菜を裏ごしして牛乳と生クリームで伸ばして頂くのですが、ここは高齢者の施設ですから、コンソメで煮込んだソラマメと玉ねぎをミキサーでペースト状にしたものをストレートの牛乳だけで引き延ばして冷やして召し上がっていただきました。ただ残念ながら、作った量からデイサービス利用者の方にはお試しいただけなかったので、来年のソラマメの旬の季節には、色々と近隣の農家の皆さんにお声がけをして、ソラマメを頂戴できるようお願いしてみようと思っています。
仕上げに生クリームを少々、器の中に輪を書くように垂らしてみました。とても簡単に出来て、暑い夏には食が進みます。ただ塩加減を間違えるととんでもなく塩っ辛いスープとなりますので気を付けてください。試食した職員さんからは「美味しい!」とほめていただきました。
また、今回ソラマメを提供してくれた職員さんには、それも自宅で採れた「はちく」を煮てもらいました。今日はソラマメのスープとはちくと二品多めに食卓に上りました。
鳩山首相を報道からしか知らないが、首相となってから以降の首相の言葉には空々しい響きが伴う。口調は非常に丁寧であり冷静な口調が目立つ。決し感情を表に出す事も無く、淡々と執務を摂り行っているように見受けられる。しかし、この冷静さや無感情な表情が逆に、この人の考え方を更に狡猾な印象を植え付けているように思える。
沖縄の普天間基地移転問題にしろ、宮崎県の口蹄疫問題にしろ、行動と言動が乖離しているような印象が強い。衆議院選挙までの国民の見方的な言動に対し、今となっては国民の思いを無視して勝手にアメリカと協定を結び、口蹄疫による感染で宮崎県の多くの牛や豚が鎖っ処分された今になっての訪問。日本を代表する首相であるから勝手に決めて国政を自由にまとめることは許されている(厳密にいえば首相の勝手には出来ない)のか、まるっきり大統領のごとくの振舞いに少々興ざめしている。
太陽の家でも、暴君としてのさばる玉ちゃん、子の首相の行動と判断の仕方を反面教師にして、よりよいサービスの提供に努力していく事を新たに決意した次第です。
まあ、とにかくこの写真を見てください!
上の写真はジュレーニアムの写真です。背丈は1メートルを超えてます。この株はこの場所に植えて5年程になりますが年中通して花をつけています。赤の色が艶やかで非常に華やいだ雰囲気を醸し出してくれます。ただ花芽に虫が付きやすく定期的な害虫駆除のために薬剤の散布が必要です。この場所は建物の間であり、直射日光がそれ程当たる場所では無いのですが非常に元気です。
次の写真はデイジーですが、これも育成条件の劣悪な中、毎年、必ず花を咲かしてくれます。ど根性デイジーです。
最後の写真はシクラメンの写真ですが、6月1日現在、花が二輪咲いています。このシクラメンは寒い環境が得意の花です。厚くなるにつれて花の季節は修了となり、例年ですと3月頃には花も終わりになり、分厚い葉っぱだけで夏を越します。今年は例年になく寒い春先を過ごしており、今の時期に花が残っている事が不思議です。