先日、三重県総合文化センターにおいて研修が開催される都合で、太陽の家を早めに出て道中に早い目のお昼ご飯を一人で食べることがあった。通り沿いの全国チェインのハンバーガースタンドで昼食を食べた時のお話をしたい。
回りくどい前置きは抜きにして、幼子を同伴の若いお母さんが同じようにハンバーガーを注文して、私の向かいの席で食べ始めたことから説明したい。子供を椅子に座らせ、子供に食べやすいようにセットした母親は、自分自身の食事を食べ始めたわけだが、食事を食べ始めると同時に母親は携帯電話を取り出し、メールを書いている様子。子供は黙々と黙って自分の食事を遂行している。おおよそ15分程で私自身が食事を終え立ち上がるまでの間、その家族には会話は一つも無かった。子供は食事という行為を遂行していると言う表現がまさしくフィットする状況がそこにはあった。
また、ある時、うちの職員数人と一緒に車に乗り合わせて、ある寄合に出向く事があった。4人が乗り合わせた車の中で一人が携帯でメールを実施している。目的地に行く道中の大半がメール操作に明け暮れている。当然、会話は行われない。その様子はあたかも公共交通機関に乗り合わせた赤の他人同士のような状況である。電車に隣り合わせた他人さんが携帯メールを行っている環境が、その車の中に有る。これは、現代人としてすこぶる自然な発想かもしれないが、前回の私の書いたブログにも関連するが、やはり介護に携わる人々の意識改革は必要と思ってしまう点である。
家族ではないが、職場の同僚の間でも会話が少なくなりつつある現代。この波は徐々に個々の人間に波及しお互いの深層心理に触れられないよう厚い壁を作るかのごとく孤家族化(個人の集まりであり、単なる集合体としてだけの家族を意味して)している社会をもう一度考え直さなければいけないと思う。
高齢者介護の専門職とは何ぞや?社会福祉を学んできて、思う事はその歴史の浅さに驚くばかりである。世界に先駆けて社会保障を手掛けてきたイギリスにしても19世紀から始まり、ある程度の骨格がそろい始めるのは20世紀に入ってからである。日本にしてみれば、世界水準に足並みをそろえることとなるのは戦後の混乱が一段落してからのことであり、まだまだ浅い歴史の中で行きつ戻りつして形作っているのが介護保険制度という状態である。公平な分配と言われ続けながらも、富める者と、貧しい者との格差は大きく、今でも日々の食事に困窮する人達は大勢存在する。
資本主義社会の中で富の公平な分配を論じても、大きな抵抗は避けきれない。働かざる者食うべからず式の考え方が根強く今でも貧しさには、自己責任を問われてしまうケースも多いようである。社会福祉には、優れた理念が存在する。しかし、日本の国民性が、これらの欧米の理念が受け入れにくい場面を作っているようにおもう。欧米人のような生活環境や社会の中から発生してきた社会福祉理念は、農耕民族で島国の単一民族の日本では、なかなか「ホスピタリティー」という言葉は理解できない。
ここで、別の視点から高齢者福祉を見つめてみれば、このホスピタリティーという考え方、宗教の及ぼしている影響は大きいように思う。生活困窮者に対する経済的支援と言う点で見れば、日本人気質にも欧米人と同じように存在する。例えば四国のお遍路さんをお接待する地元民のように、全国からの訪問者に対して、色々な支援を今でも実施することで功徳を積むと言う考え方である。ただ、この功徳を積むために「物」を分け与えることを中心軸に外部の者たちを受け入れている。ところが、欧米人の考える奉仕とは、物的支援ではなく、精神的支援が大きいのではないかと考える視点である。ボランティア活動自体が根本的に考え方に違いがあるように感じる。要するにキリスト教思想と仏教思想の大きな違いがボランティア思想に影響を与えているように感じる。 だからと言って、日本の仏教思想から発生しているボランティアの考え方を否定するものではない。むしろ、無償で施しや援助を行っている人々に感謝と敬意を表しているほどである。ただ、日本の文化と共に仏教思想と欧米発の社会福祉論の融合がなされていない点に今後の日本における社会福祉を考えてしまうのである。
つまり、日本でなぜ欧米式の社会福祉が成功しないで、数々の問題が際限なく生じえくるのか?と考えるときに、一番の問題は日本人の気質と文化の違いが大きい。欧米人の考える社会福祉を取り入れようとすればするほど、単なる模倣に終始し、公平な分配につながる社会福祉に到達しないように思えるのである。
私達の将来に向けて(私達の世代の老後だけに限らず)日本の社会福祉を見つめなおす時が今きている。社会福祉法人や営利法人などの法人格によって制度を分けることに意義を感じると同時に、今の日本の全ての施設の提供するサービスの質に格差があることは事実として考えなければならない。制度として社会保障が構築され、それを民間の力で制度の枠をこえるサービスの拡大が求められている今、私達はより深く専門職を育て、社会に戻していかなければならない。
そのために今、私達がやらねばならない行動は、社会全体の意識改革である。一般介護職員の意識改革はもちろん、それらの施設を経営する経営者から管理者にいたるまで、社会福祉の歴史と文化を学び、それをベースに新たなるサービスを考え、運営していかなければならない。今、意識改革なくして日本の福祉に希望は無いかもしれない。これは、事業所だけの問題ではなく行政サイドも同様に意識改革を遂行する必要があると思う。
一日も休まずブログを書け!と職員に言われて、その気になって毎日書くようにはしているものの、やはり毎日、それなりにハプニングは起きるものの、それらすべてを文章化するには少し世間体をはばかる。毎回、ブログを書く時と言うのは、何かしらの想いがひらめき、一気に書き上げてしまうわけだが、そのひらめきの前には、これは書いてはまずい!とか、これは書くと角がたつ!などと自分の中で整理している事は確かである。そして、そうこうしてるうちに書きたい物が消えてしまう。そうなると、ブログってのは書けない物である。
さて、今日のブログは、雨の高速道路の話である。今日は学校の用事で知多半島道路を走っていたが、このところの異常気象のためかどうかは定かではないが、報道番組でよく取り上げられるゲリラ豪雨ってやつに高速道路を走行中に遭遇してしまったことについて書いてみたい。
高速道路は通常時速100Km程度から120Km程度の速度で走る人が多い。今日も、湾岸、知多半島道路とかなり快適なクルージングを行っていた。空は少々厚めの雨雲。何時降り出しても文句は言えない。そんな空模様の中。それでも順調に半田を横目に、セントレア行きのバスを追い越し、そろそろオービス(自動スピード検知器)の設置されている場所に差し掛かった時。突如とした大粒で激しい雨。
車についているワイパーが全く役に立たない程の雨。それまで高速で走行していた自分も流石にこのような大雨の中では恐怖を感じる。スピードを80Kmにおとすが、まだ前方の視界が確保できない。さらにスピードを下げながら周りの状況を把握しようと努力するが、雨のカーテンは、自分自身の車から前後左右の車も確認がしずらい状況。路面にも多量の雨水が流れて、その様相は川のごとく。車のタイヤが水をかき分けて進む。大量の水しぶきと背後には大きなウオータースクリーンが出来ている。
このような大雨にも関わらず、ヘッドライトも点灯せず走る車が居る。あちらは良くても、私の方から視認性が悪いことを知らないのか、とても危険な運転をするドライバーの多さに驚く。これだけ、自分の車から雨の影響で視認性が悪い時には、例えそれが昼間であっても各車ヘッドライトは転倒(ヘッドライトを転倒させてどうするの・・・・?点灯でしょ!)してもらいたい。また、当然のことながら、大雨の中の車線変更も危険極まりない。それら雨の中のドライブに対して鈍感なのか、無知なのか、非常識なのか、それとも素晴らしいテクニックの持ち主なのか知らないが、私のような素人ドライバーからみると恐ろしくて、そんな連中のそばには寄りたくもない。とっとと追い越して行ってくれ!と祈りたくなる。
これから、このような局地的な豪雨の発生しやすい天候の毎日。車を運転するドライバーの皆さん、どうか雨降りはヘッドライトの点灯を早い目にお願いします。『こちらから、貴方はみえてないのですよ!』
私んちは「なめくじ」を飼っていると職員は言う。それ程大量のナメクジが一緒に生活しているわけではないが、やはり、この大雨の影響かしら、大型のナメクジが沢山、ベランダに登場していた。そして、雨にぬれたウッドデッキをウネウネと這いまわっていた。奴らも生きるために餌を食わねばならない。僕の大事なバジルの葉をねらっている。
このバジルの葉は、イタリア料理には欠かせない食材で、僕は結構好んで料理のアクセントとして利用する。なんせ、香りが良い。・・・・だからナメクジも好んで食べているのでしょうが・・・・
しかしこれだけ暑いと、ナメクジではないが、汗でネチャネチャ、ぬるぬる(汗でヌルヌルという表現は無いか・・・・!?)。非常に気持ち悪い感じ。仕事を終えて一番にシャワーでも浴びて、冷えたビールを・・・・お茶を(僕はアルコールを好まないので)くいーっと一杯飲み干したくなる気分です。
「ブログの内容が前後してしまいました。」このブログに書かれている内容が、今日の夕方にまず行った事。
シャワーを浴びる→冷えたお茶を飲む→洗いざらしのシャツとパンツに着替える→パスタを食べに外出する→パスタを食す→車まで走る、ドタドタと→雨にぬれる→玄関のカギを車内に忘れる→もう一度車まで走る→雨にぬれる→シャツを着替える。
このような状態が、本当に起こった事実なのです。ナメクジから大雨まで、本当、いろいろと不都合な事が多い一日でした。
これぞ日本の夏と感じるような蒸し暑い一日となりました。夕方には滝のような大雨も降り、尚の事湿度でいっぱい。襟首にジットリと汗がにじみ、いや~な感じです。これだけムシムシすると、食べ物も腐りやすく、冷蔵庫に入れておかないと一日でカビが生えそうですね。
うちでも頂き物の『モモ』を一個、自分でこっそりと食べようと(太るので、食べる行為にうるさく制約がはいるので・・・)デスクの下の本棚にかくしておいたのですが、腐らせてしまいました。・・・・本当、勿体ない!!!! どうせ腐らせるくらいなら、僕の腹の中に早くから入れておけば良かった!と嘆いても、すでに遅しです。仕方なくゴミ箱へ直行です。
モモを食べ損ねて、お腹もすいてきたので行きつけのパスタ屋さんへ出かけ、一人でパスタとサラダを食べました。今日は生ハムののったペペロンチーノとグリーンサラダを食べたのですが、美味しかった!お金を払って外に出てみると大粒の雨。それも中途半端な降りで無く、それこそバケツをひっくり返したような雨。『しまった・・・傘を持ってこなかった・・・仕方ない、車まで走るか・・・・!』と一気に車まで走ったのですが、寄る年波に勝てず、走る姿はガラパゴスのイグアナのごとく、ドタドタと!お陰で、車の中に入った頃には、頭からシャツの肩にかけてびしょぬれ!
こんな大雨の夜は、車の運転にも慎重にならざるを得ない。ワイパーが利かない。前がみえない。路側帯がみえない。対向車都のすれ違いに冷や冷やする。ほんと、こんな雨の日は運転に気をつけなくてはなりません。
事故も無く、無事に家にたどり着き、また駐車場の中をイグアナよろしくドタドタと走って家の玄関へ。そこで、車の中に玄関のカギを入れっぱなしな事に気づく。自分自身をののしりながら、地団太踏んでも誰も助けてはくれない。自分で取りに行かなくては!と、また、例のドタドタを繰り返し、車から鍵を取り出して家に中に。お陰でシャツ一枚、パンツ一枚が洗濯直後の状態となりはててしまった。
でも、雨が夕方に強くなっただけで良かった。デイサービスの利用者の送迎やらグループホームの入居者さんのお散歩には影響がなかった点で最高にラッキーでした。僕なんかが雨にぬれても特に問題は無いが、これが高齢者の場合、即肺炎または高熱。そう考えるだけで良かった!良かった!と安堵のため息がでるのです。沖縄県では、早くも梅雨明け宣言が出たらしい。この地方が梅雨明けするにはまだ半月はかかる。後半月、こんなジメジメ・じとじとな日々を過ごさないと真っ赤に燃えた太陽は拝めないのか・・・・と少々嫌になってしまいそう。