キャットウォークとは、大きな通りの横断歩道の無い場所を横切る猫にたとえてつけられた名称です。車を運転している時に、ハンドルを握るドライバーの直前を猫が失踪する場面に遭遇したことがある人も多いことと思います。本当にびっくり仰天、心臓が喉から飛び出しそうに驚くのですが、流石の俊敏な猫ですら横断しきれずに車と衝突してしまうケースも多い、とても危険な行為の一つとしてニューヨークでは全てのキャットウォークが禁止となっています。
そんなキャットウオークを私は不謹慎にも、この太陽の家の前の中央道路でやってしまうことがあります。今日も雨の中、もう少し先には横断歩道もあるのですが、ついつい車道をクロスしてしまいました。この場合、どのような場面で行われるかと言うと、断然、前のスーパーに用があって買い物を済ませた後、施設に戻ろうとするときに多く見受けられます。ちょうどスーパーの出口を出て広い駐車場を歩いているときに、王だな歩道の信号機が眼に入ります。信号機の色が青色のときに自分がどこを歩いているかによって、その衝動がどう変化するかが変わります。
スーパーの駐車場にいる時に横断歩道が青い色を表示している場合かなりの確立で車道をクロスしてしまいます。その理由は、中央道路の車の流れが信号機で止められ、容易にわたることが出来るからです。車両が信号待ちしているから安全とは限りません。そんな危険性は十分に理解しているのですが、横断歩道の信号が次に青色に変わるまで待つことが出来ないのですねえ・・・一寸無理すればわたることができるという判断の元、私は横着にも法令を無視して危険なキャットウォークをついついやってしまうのでした。 車にひかれて命を落とす前に、先を急ぐことの無いように自分自身を戒め改めます。
「きもい」「まめる」・・・・聞いても忘れてしまうのですが、今の若者言葉にたじろいでしまいます。僕にとっては外国語のような言葉の数々。若者ではない僕の年代では理解しがたい言葉であり、それらの言葉を知らないことが恥のように言われてしまう時代に困惑は隠せないです。そして、「週末婚」という言葉が、高齢者のアセスメントに入り込んでくる世の中に疑問を感じてしまうのです。要介護者のアセスメントを書くのは若いケアマネジャー。担当する要介護者について解説するために週末婚と書き込んでいます。若者言葉を理解できなくとも「週末婚」という漢字から、その言葉の意味は読み取れますが、しかし、この言葉を専門職が情報を共有するためのアセスメントシートに使う言葉では無いように思いますが、これは私が単に年老いてきたと言う理由だけでしょうか?
要介護者のアセスメントとは、関係する社会資源全体でその人を簡易的に理解する情報ツールの一つです。若者にしか理解できない言葉、専門用語ばかりで一部の関係者者しか理解できないようなアセスメント。そんな情報シートをもって情報の共有化などといえるのでしょうか?
うちの職員さんにも利用者の方々との会話の中で、高齢者には理解できないような現代語を使っている話す場面に出くわすことがあります。年老いて社会の情報に疎くなってきた人たちにとって、今の若者の会話は理解できないと思います。僕も時々、無意識に専門用語やカタカナ言葉を使ってしまいまって言い直すことが多々あります。
若者言葉が高齢者を介護する現場で多用されるようになり、あまりにも自由に若者言葉を使える環境となっていることが、若者にとって高齢者介護を職業として、また専門職としての誇りに欠ける行動につながりやすくしているように思います。普段から友人と会話する調子で、高齢者を同じ位置におき友達感覚で接してしまう。職業人であることを忘れ仕事さえも遊び感化でこなしてしまいがちな今の世代は、立場の違いに一線を引くことが苦手なようであり、その結果、高齢者の顔に落書きしたり、恥ずかしい格好をさせて携帯電話のカメラで撮影したりする行為を虐待と思えない錯覚に陥りやすくしていると思えます。単なる悪乗り程度のお遊び感覚で介護を行ってしまった結果なのでしょうね。
介護職員だけのレベルの低下といった問題だけではなく、一応難しいとされるケアマネジャー試験を合格したケアマネジャー自身がアセスメントシートに若者言葉を書き込んでしまう。この事態は、介護の現場をもう一度根底から見直す必要があるように思います。
僕が若い頃に流行った映画に”Love Story”という映画がある。 ライアン・オニール扮するハーバード大学法学部の弁護士の卵とユダヤ系アメリカ人の娘の恋の物語である。家系の違いから二人の結婚は阻まれ男は家筋を捨てて彼女と結婚。素晴らしい新婚生活を過ごすものの、その幸せもつかの間。妻は白血病に犯され死の床につく。という映画である。そして、彼女は臨終のベッドで残されていく最愛の夫につぶやくのです。『Love means never having to say your sorry!』 つまり「愛とは決して後悔しないもの・・・」 妻を亡くして呆然と病院を後にする男の父親が、その時に駆けつけて、息子夫婦の不幸を初めて知ったことを詫びるのです。そして、彼は妻が最後に残した言葉『 Love means never having to say your sorry!」と呟き、その場を去るのです。
このエンディングの描写と共に、あの有名な音楽が流れるのですが、この最終エンディングに観客の全ては涙を流し、目を真っ赤にして映画館からでるのでした。
まあ、この映画ではないですが、今、爆音を撒き散らしながら家の前を行ったりきたりしている若者に、僕が若い頃に勉強をしなかったお陰で、どれ程の不都合が出たのか書こうと思うのです。この文章は、中央道路を走り回る暴走族のアンちゃん達だけではなく、若くして勉強の嫌いな人たち全てに贈りたいと思っているのです。
僕の子供の頃、特に小学生の頃はよく勉強をした。学校の成績も良かった方です。が、しかし、中学から勉強をしなくなってしまいました。そして、勉強をしなくなったお陰で色々な不都合を経験しました。まず、数学をしっかりと学ばなかったことから理論だてて物事を考えることが苦手となてしまいます。理論的に考えることよりも感性を頼りに不足している部分を補うように一部で自然と修正がかかるようになりました。修正といっても、それまでの分の学びを反省し勉学に励んだわけでもないのです。よって、感性といっても、国語もしっかりと勉強をしていないことから漢字や熟語、文法が理解できていない分、正しい日本語は使えないままでした。その当時(若いうちは)そのまま正しい日本語は必要は無かったのです。特に僕の場合は海外に逃避したお陰で日本語より英語を主とした日常があったからです。しかし、英語社会の中に暮らし、顔も姿も日本人でえある私たちには現地の人間達の一部の親日派と言われる人々からは温かな(僕にとっては非常に迷惑な、または恥ずかしい気分となるのですが・・・)質問を沢山浴びせられることがありました。彼ら親日派のアメリカ人の日本に対する知識は、日本人である僕よりも豊富であり奥深く勉強しているのです。僕のような、日本人でありながらそれ程日本に関して知識も教養も持ち合わせていないばか者には、その人たちとの会話すら継続できるはずがありませんでした。 これが、まず一番最初の後悔です。数学や国語や歴史なんて生きていくうえで、まったく用がないと信じていた自分ですが、英語も満足に話せない日本人の留学生の私に唯一振られた母国に関する話題。それは気持ちの優しい親日派の米国人が気遣ってくれた優しさなのでしょうが、僕にはそのチャンスさえ生かしきれなかったのです。
そして、留学先からもどり社会人となって、色々な場面で学校で習った教科に対する後悔ではなく、自分自身に津お手いるはずの教養という目に見えない「服」が、粗末なことに気付きました。人と会話する時、人に自分の考えを表現するとき、取引先の方々を接待し商談に結び付けようとするとき、社会人として全ての行動に際して歴史、国語、科学や道徳という分野の知識がものをいうことに気付きました。その時には、後悔すでに遅し!です。自分自身の不甲斐なさ、勉強に真剣に取り組んでこなかった自分自身の過去に腹が立ちました。
今でも正確な日本語は話せていませんし、起承転結とした文章もかけていません。僕が自分の人生で戻すことが出来ると言われれば、間違いなくもう一度学生時代に戻してもらって勉強のしなおしを要望するでしょう。同級生を蹴落として自分の成績を優先とする勉強ではなく、人間の幅を大きくするために教養を身につけるために勉強したいと願うことでしょう。
若い頃だからこそ出来ること。そんな言葉を言い訳に好きなことに励み、辛い嫌いなことに背を向けていた自分に後悔してしまいます。
何だか妙に普通ではない天気が続く毎日ですが、今日の毎日新聞ニュースに掲載された写真を拝借してブログに貼り付けてみました。老カップルが携帯で写真を撮影してますが、この場に僕がいたら、やはり写真を撮っていたでしょうね。本当に前代未聞と言うか、異常というか・・・・
この寒さで、今年は桜の花が長く楽しめるね!と、うちの婆さん達と話していたのですが、桜の花だけでなく野菜にまで影響を及ぼし始めています。野菜の値段が高騰して家計に大きな影響を及ぼしてるようです。街のスーパーでは、キャベツを塊で買わず、一番外側の開ききっている葉を剥きとって持ち帰るオバチャンも多いらしく、本当に家計を預かる主婦には大変な年のようです。
僕も、時期的に毛布は不要だろうと掛け布団だけにしてしまってからの冷え込みの厳しさに、また毛布を取り出して真冬に逆戻りと言う状態です。うちの職員さんの子供達も風邪を引きなおして熱出したり、その風邪のウイルスをもらって次に職員さん自身が風邪ひいたり。まあ、4月の中旬とは思えないです。昨年なら、ゴールデンウイーク前の今頃、太陽の家の裏になる田んぼには水が張られて、田植えの準備が整っているはずですが、今年はまだそこまで到達していないのが現状です。聞くところによると、今年は柿が不作らしいですね。寒すぎて柿の実が育たず腐って落ちる事態が起きているらしいのです。
春先の異常気象、長引けば長引くほど農作物だけではなく、観光地や衣料品の販売にも影響を与えかねないのですから、なんとか早いうちに何時もの日本の初夏(そろっと蒸し暑く、紫外線が多く、汗ばむ陽気)に戻ってもらわないと・・・・
明日もまだ寒い一日のようです。完全に冬装束で仕事にいかないかん!
国家試験も終了して今は、言わば「鳥の巣症候群」にとらわれているような状態が続いています。要するに目標がなくなり手持ち無沙汰。手持ち無沙汰を通り越して何かやらなければいけない焦りもあったりして、非常に微妙な状況に追い込まれてしまいました。これは、定年退職を迎えた人々が感じる穴の開いた空虚な間隔に似ていることと思えます。こんなときは、今までやりたくて仕方なかった趣味のプラモデルでも作るか!と毎日考えてはいるものの、そのためにワザワザ、模型屋さんへ足を運ぶ手間が面倒くさい。
実は、僕はプラモデルを組み立てる趣味以外に骨董まではいかないけど、ちょっこっと古い物を集めることが好きなんです。例えば、使い古した携帯電話(そんなに古くはないでしょ!?)、昔のバービー人形(新しいバービーも好きです)、ブリキのおもちゃ(この辺になると、少しだけ希少価値が出てくるのですが・・・・もちろん箱つきで集めています)まあ兎に角、ジャンクグッズと言われる、人によってはまったく価値の無いものんを沢山集めています。その中に、古いプラモデルも沢山含まれています。古い発売当初の物で1970年ごろに発売されたフェラーリ ディーノの模型などです。もちろん、組み立てていない物です。
模型屋さんへ行くのが面倒なら、そのコレクションで持っているプラモを組み立てたら・・・・?と思われるかもしれませんが。そんな訳には行かないのがコレクターの辛いところ。ほこり被って薄汚れた箱に入ったフェラーリの模型は。恐らくこのまま僕が死んでも素材のまま残っていくのでしょう! (^ ^) そして、誰か関係者が、僕の死後、家の整理をしている最中に見つけて言うのです。
『こんな古い模型、誰も欲しがる者はおらんわ!』と・・・・そして、ゴミとして放り出されるのでしょうね!
まあ、そんな僕の大切なゴミの話ではなくって、僕らの世代が要介護者となる時はそれ程遠い先のことではないのですが、認知症ケアの中で今叫ばれているパーソンセンタードケアとか、センター方式のケアプランにもあるようにその人の生活暦を大切にした介護。団塊の世代の人々は日本の高度成長の時代の人々ですよね!僕の一つ先の世代に生まれた方々くらいから、世の中は物質文明の初期に思春期を向かえ多趣味な人が多いのです。趣味もそうですが、音楽も多様化しています。邦楽派もいれば、ビートルズ派、ロックンロール派、クラッシック派と本当に多彩です。こんな生活様式のまったく違う中で老いていった人々をケアすることを想像するのですが、今のケアの仕方で大丈夫?と訝しく思うときがあります。
高齢者介護の事業所を訪ねると必ず唱歌や童謡を歌っている場面に遭遇します。まず、このあたりから変化しそうです。歌う唄が唱歌ではなくルイジアナママかもしれません。又は、知る人ぞ知るザ・カーナビーツの一曲かもしれません。そして、何か好きなことを見つけましょうね!という促しには「プラモデルを買ってきてくれ!」と言っているかも知れません。東京が好きで秋葉原に事の他愛着のある者にとっては、家を勝手に脱出して東京の秋葉原まで徘徊するかもしれません。こんな人たちの面倒を見るのですから、これから先に福祉の世界に働く人達は、いろいろと勉強しなくてはいけないことが増えて大変そうです。
まあ、その頃の僕は、ボケボケの老人になってる頃ですから、世間の事など、どうでも良くなってて関係ないですけどね・・・・!と一人ほくそ笑んでいるのでした!!