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ブログ-施設長の部屋

2010/4/15
アクセス アナリティックスとは?

 ” Access Analytics ”アクセス アナリティックスとは、簡単に言えば、このホームページに外部からアクセスして頂いた回数データのことである。簡単に言えば、テレビの視聴率みたいなものであって、時間別、曜日別、ページ別、アクセス経路別に回数が記録されるシステムである。太陽の家のHPにも、このシステムは採用されており、これらのデータは色々な形でHPの質の向上を目指して利用されている。とは言うものの、テレビ局にとって視聴率は営業成績の判断材料として重視されているように、私自身にとってもこのHPを訪問してくれる人の数は大きな意味を持っている。例えば、ブログやHPの更新が滞った時などは端的にアクセス数が減少する。また、逆に更新回数が増えるほどアクセス数は増加する。もちろん、単なるアクセス数からは、閲覧者の評価は見えてこない。しかし、ブログを書き込めば書き込むほど伸びるアクセス数は、麻薬と同じで気にし始めると中毒のように気がかりとなり、その分ブログ等の書き込み回数も自然と増えてしまう。

 問題はアクセス数を気にするあまり、自分の書きたい、伝えたい言葉が伝えきれない場面である。今のところ、訪問者を対象としたゴマすり文章は書いてはいないが、これがエスカレートする中で喜ばれる文章を書いてしまうことが一番の気がかりなことである。毒舌とまではいかないが、結構、思いのままの文章を書いている自分が他人から見て面白いのであって、ゴマすり文章は読んでいて飽きが来ると思っている。かと言って、あまりに私的な話は読んでいても楽しくは無い。如何にすれば、読んで面白く、役に立つ新たなる発見を導き出せるかが勝負のポイントだと考えている。

 毎夜毎夜、皆が寝静まった頃、一人でデスクのパソコンに向かって、黙々とキーボードをたたき、睡魔が全身の筋肉を緩めるまで新ネタに考えを廻らせて今日もまた座り心地の悪い椅子と安物の会議机に向かって文書を模索している。

2010/4/15
僕の七つ道具

旅行用の必需品、薬、香水、ハンドクリーム、葉巻、シガーカッター

旅行用の必需品、薬、香水、ハンドクリーム、葉巻、シガーカッター

僕の愛用の孫の手と耳かき

僕の愛用の孫の手と耳かき

 人は、それぞれ自分が普段、必ず持ち歩く物がいくつかあることと思う。私自身も自分のブリーフケースの中に必ず入れて持ち歩く道具類が存在する。手帳、筆記用具、携帯電話、身分証明書の類やクレジットカード、携帯電話の充電器、目薬、アイポットとイヤホン、デジカメ、本(読みもしないのに福祉学の本)などを常に持ち歩いている。そして、普通の人が持ち歩かない物として、「収縮式孫の手」と「耳かき」がある。これは、本当に優れ物の一つなんだ。加齢と共に皮膚が乾燥しやすくなって、別にシラミもいないのに背中がかゆくなる。老人性乾皮症がその原因である。同じように耳が痒くなることも多い。そんなときに孫の手があると非常に便利である。それも携帯用だから必要なときには適度な長さに伸びる優れものである。まぁ、日常的にはこのような「道具」を持ち歩いて、快適な毎日を過ごす努力をしている。(笑)

 さて、この春までは大学に学んでいた学生さんをしていた関係で、頻繁に泊りがけのスクーリングに東京や大阪へ行くことも多かったが、その時の僕の七つ道具は、薬、ありとあらゆる薬をパッケージに入れて持ち歩いていた。例えばアレルギーのための薬、解熱剤、頭痛薬、下痢止め、咳止め、睡眠薬、胃薬、消化薬、、軟膏、抗生物質、降圧剤等である。それとポケットナイフ、折り畳み傘、ビニール袋、風呂敷、特別な物としてシガーカッター(葉巻が大好きで、旅先で葉巻を嗜むことがひと時の安らぎとなる事から、旅行には必ず葉巻を持参する)、そしてノートパソコン、洗顔セット。これらの物にプラスして普段持ち歩く物を携えて新幹線に乗車する。言ってみれば、女性以上に物に溢れ、沢山の荷物を持って身重な旅行を行っていると思える。確かに、私の荷物はたかが一泊程度でも持ち歩く荷物の量は多いし、重量もかなりのものである。目的地に行く前から荷物は重くかさ張っているので、帰り際に職員さんにお土産なんて買えないし持てない!(すごい勝手なこじ付けを理由に、あまりお土産の類は買わないことにしている)

 また、自分で言うのも何だが、自分の着る服に関してはかなり気を使う方である。同じ日の昼と夜では服を変えないと気がすまない。朝から晩まで一緒の服で勉強し、教授と一緒に食事したりするときも時間を見つけて着替えして出かける。だから、上着から下着まで倍の衣類を準備することとなる。必然的に荷物はかさ張り大きめの旅行かばんを持ち歩くことと成る。全然旅慣れていないと言えるかもしれない。時には靴まで履き替えることもある。

 他人さんが聞いたら、さぞや馬鹿らしいと思われることでも、自分にとってはい非常に重要なアイテム達なのである。

 私の七つ道具にしても、他人から見れば無駄であり意味の無い物ばかりかもしれない。しかし、これが私のライフスタイルなのである。高齢者介護を担う者として、この点を十分に理解できるようにしたい。私たちの価値観で判断するのではなく、その人の価値観を理解し、その人のこだわりを理解してあげることが信頼関係の構築(ラポールの形成)に必要不可欠な要素なのである。(って、小難しいことを並べて・・・・単なるごまかしですか?と言われそうである・・・・はははは)

2010/4/14
一生懸命に書き貯めた文章が一瞬で消え去るとき。(><)

 コンピュータの恐ろしい点がここにある。こうやってブログを書き連ね、考え考え、足らない頭脳をフル稼働させて書いた文章が一瞬で消えてしまうことが時として発生する。何も異常な操作を行ったつもりも無く、単にコンピューターの機嫌が悪いときに、突然プログラムが終了していくのである。成すすべも無く、無常にもコンピュータのブラウザは閉じ、元へ戻そうにもすでに一切のデータは消滅してしまった後。

以前に、僕のブログの書き方は、思い付きをひたすら打ち込んでいくハードタイプであり、文章の構成も何も考えることなく、タダ思いついた言葉をキーボードを使って打ち込んでいく、だから、僕の文章には誤字、脱字が多いのだが、それでも記録されブログとして世間の目に触れることが出来れば、書いた甲斐もあるというものである。しかし、突然のブラックアウトには、それまでの苦労と労力は無になってしまうのである。これは悲しい。悲しいと同時に腹立たしい気持ちとなってしまう。思わず汚い罵りの言葉も出てしまう。

 相手は感情の無いコンピューターだ。機械には私の都合など理解できなくて当然なのだが、思わずキーボードを持って壁に投げつけたくなることもシバシバである。

 まぁ・・・悔やんでも仕方ない。もう一度、文章を思い出しながら書き直しでもするか・・・・・

2010/4/14
衰えつつある父親の姿

 今年で85歳になるのか・・・・。と自分の父親の年齢を考えるときがある。日本人男性の平均年齢を軽く超えている今でも、私自身が自分自身の実年齢をしっかりと認識できないように、同じように年老いていく父親をみてても、そのような年齢に達している現実を認められないようなところがある。自分自身の年齢を増しても、父との歳の差は狭まらないことも、何時までたっても父は父であり、僕はその息子のままで今も生活している。そんな父親だが、普通の会話をしている時に最近、とみに老いを感じるときが増えてきた。

 まず、同じことを繰り返し言うようになってきた。父の日々の生活の中で不安に思う点、疑問に思う点に対してしっかりと説明をし理解を求めたつもりが一晩過ぎると、また同じ不安感、疑問を訴えてくる。その都度、同じ説明を繰り返し納得してもらうが、恐らく昔のように軽く了承することは出来ないまま日々を過ごすのだろう・・・。

 それと、両親の家を訪ねると(僕が両親を訪ねて行く頻度は非常に少ないが)、必ず居眠りをしている。それもテレビを大音量で流しっぱなしにして居眠っている。歳とともに聴力が衰え、人の話し声も聞き取りにくい状況があるらしく、テレビの音量は健常な私にとっては耳が痛くなるほどの音量である。それにも関わらず、こんな騒々しい居間でよく眠れるものだと感心してしまう。

 また、私の父は今も車を運転する。先日、免許証の書き換えを行ったらしい。ご他聞にもれず、認知症テストを受けさせられたらしい。何とか今回の更新では取り上げられなかったようだが、次回の3年後の更新は難しそうな感想を話していた。父は、昔から車の運転は定評あるほど上手な運転をしていた人で、子供ながら横に乗せてもらってドライブに行くことが楽しかった。仕事柄、結構色々な車を運転することも多く、(私の父親はホンダの販売店のメカニック兼セールスもこなす何でも屋であった)、あの当時はホンダS600や1300クーペなどのスポーツタイプの車両を矢継ぎ早に発表しているような時代で、それらの最新式のモデルに乗せられて出かけることが多かった。その時代の父親の影響を受けて、僕自身も車は大好きである。そんな、車の運転の上手な父親だが、ここ数年、自分の車を何処かしらに擦り付けてくるアクシデントが増えてきた。妹夫婦は交通事故を恐れるあまりに父の運転を自粛するよう求め続けている。高速道路を逆走した事故のニュースなどを聞くたびに真剣に心配しているようである。

 歳を重ね、老いるという事を認めることは難しい。また、老いを認めた時点でその人の人生が極端に小さくしぼんでいくような気がする。実際、加齢と共に大切なものや人を失っていく人生の終末期には、その人の社会が小さくなっていき、それに伴うように身体機能や精神機能までも小さく小さく萎んで、最後には消滅して消えてしまう。

 まだ私は足腰も気力も旺盛な分、自分の世界はかなり大きいと思う。さすがに徹夜を繰り返すことは出来なくなってきているが、明日、急用で海外に飛部必要性があっても対応は可能である。世界各国へ行くことまでは少々難儀かもしれないが、それなりに持っている社会は大きい。しかし、持病の腰痛が悪化し、常に寝起きも辛いほどの腰痛に悩まされるような年齢となってくれば、今までのように一寸東京へ!などといってられない時はくる。そして、移動手段の自家用車すら運転できなくなってくると、自分の位置に地の生活範囲は極端に小さくなってしまう。せいぜい、自宅から数キロ離れた場所までが生活圏と変化してしまう。今、私の父親は、このような瀬戸際に立たされているのだと思う。

 自宅を中心に半径数キロ。それさえも年々距離が小さくなり、自宅から一歩も外に出れなくなってしまうことを考えるのは辛い。何も考えることがなくなる。テレビだけが唯一の情報源となり、そのテレビですら今時の若者をターゲットとする番組構成で、年寄りが見ててもテンポについていけない。会話の意味が理解できない。・・・・・もう居眠るしか方法がないのです。そして、朝になく、昼になく居眠り惚けているうちに時間と曜日の感覚が薄らいでいく。何でもかんでも、今となってはどうでも良くなってくるのです。そして、次第しだいと記憶力が低下し、脳の萎縮が始まっていくのです。

 子供にとって親が老いる姿を見るのは辛い。寿命が延びるにつれ世の中に同じような気持ちで親を見つめ、将来を不安に感じるひとも多いことともう。しかし、私はこれも自然の摂理であると思うし、その中で如何に楽しい余生をおくらせてあげることができるかを考えてあげたい。と思っている。情けない姿をさらす父をみても叱責したり否めたりしないで、父としていつまでも敬い接してあげたいと思う。

 そして、同様にうちのデイサービスやグループホームを利用してくれる方々にも敬い、尊厳をもって生活できるよう接していきたい。

2010/4/13
奈良公園の鹿を殺した男

 先日、奈良公園の鹿をボウガンで撃ち腹部に矢の突き刺さった鹿が発見され、後に死んでしまった話は記憶に新しい。本日のYahooニュースでは、その犯人が逮捕されたと言う報道が流された。この事件は天然記念物の奈良公園の鹿を殺した大きな事件として報道されたが、天然記念物である重要性よりも何よりも、生き物を単なる好奇心だけの狩猟目的で殺害してしまう神経の持ち主に驚いてしまったニュースであった。

 非常に残念な話であるが、この犯人は同じ三重県の人間で津市に住む青年であった点でも、非常にショッキングなニュースであった。詳しい情報については他の媒体を通じて取得して頂きたいが、普通の精神状態では生き物に向けて矢を射るという考えは浮かんでこないし、実際、いざ対象となる生き物に照準を合わせて危害を加えるという行動自体、私にはまったく理解できんない。それが、ペットとして自分が愛玩する対象物でなくとも、自分と同じように呼吸し、脈を打ち、体中に温かな血液が流れる生き物を殺害するかもしれない行為に及ぶ神経が理解できない。

 随分以前の話であるが、津市の奥にある錫杖湖の湖岸道路を走行中、突然道路脇の山の中から大きな鹿が飛び出してきた。車の前方に突然飛び出し、危うく衝突しそうになった経験がある。その時はスピードも遅く、衝突は逃れたが、次に猟犬らしく犬の大群が表れ、鹿はそれらの猟犬から必死に逃げている途中であったと後になって察した事があった。あの時、鹿は死に物狂いで逃げていた。フロントガラス越しに、私も突然の飛び出しに驚き、相手も猟犬と、衝突しそうな車にも驚き恐怖に引き攣った目がとても印象に残った。

 鹿は、道路を横切り、そのままガードレールを飛び越え、崖を滑り落ちるように湖に落ちて行った。その後、その鹿がどうなったかは知らない。猟犬から少し遅れて鉄砲を持った猟師が湖を必死に泳ぐ鹿を追いながら、仲間の猟師と無線でやり取りしているところで私はその場を立ち去った。今でも、あの時の鹿の恐怖に引き攣った目を思い出すと、人間としてとても残虐な面を悲しく思う。

 山で猟をする人以外の日本人の大半は、動物を趣味として殺傷出来る人は少ないと思う。だからこそ、未経験の領域への興味がわきあがる気持ちになるのかもしれないが、道具を使いこなせる能力を与えられた人間である特権を弱いものに向ける愚かな行為は避けたいものだ。


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