太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/4/8
時間の重み。

 楽しい時の過ぎ去るのが早く感じられるのは誰にも共通の感覚である。逆に苦しいときや辛いときは時間の過ぎ去るスピードは非常に遅く、その辛い時間が永遠に続くようにも感じてしまう。時計の針は同じスピードで、同じように、時を刻むのにもかかわらず、我々の感情がそのような感覚に差異をもたらす。僕にとって時間を早く感じる時とは「勉強している時」・・・・と言いたいところだが、その逆で遊んでいる時が一番早く過ぎ去ってしまう。特に旅行などは最たるもので、出発までの時間の経過は、本当に亀ほどのろい!目的地に着くまでの道中も、最近の交通機関のスピードアップしているにもかかわらず「遅い!」 以前のブログにも書いたように新幹線のぞみによって時間が短縮されるにつれ移動中の味わいが少なくなって、ただ快適な席に座って到着を待つだけになったことから移動の道中がつまらない。これは高速道路を自家用車で走っていても同じで、日本全国、どこを走っても高速道路は同じような顔をしていて面白みは無い。 そこにおまけに事故が重なり交通機関が途中でストップしてしまうようなアクシデントでもあろうものなら最悪のシナリオとなってしまう。新幹線はまだしも自家用車で移動中の渋滞、通行止めなどに遭遇すると最悪である。運が悪かったと諦めようとするが、生体の摂理には勝てない。こんな時の一分一秒は、さらに長く、次第に苦痛に変わっていく。

 まぁ、そんな訳で目的地に着くまでの時間は、本当に首を長くして待ちこがれ、逆に旅先では時間が超特急で過ぎ去っていく。目的地についてやれやれ!と安堵するやいなや、帰る仕度をしなければならないほどだ。(・・・少し誇大表現ですが・・・)特にめったにこれないような地を訪れている時などは時間の経過が早い。このように、自分の思いによって時間のスピードは違ってくる。

 楽しみの中の時間の経過スピードも早いが、自分にとっては避けたい苦痛が先に見える場合も時間は早く過ぎていく。例えば、数日後に監査が予定され、監査に向けての資料作成の場面では時間が不足気味となる。また試験勉強中の日々は意外と早くやってくる。いずれにしても、時を止めることは出来ないうえに、更なる時間的猶予を求める気持ちが逆に速く時を進めるような感覚としてしまう。理屈は分かっていてもこの感覚に翻弄され、結果的に遣り残したような妙な気持ちとなってしまいがちである。

 人間には寿命と言うものが存在する。若いときには感じなかった自分の持つ時間の尺の長さ。歳を重ねるにつれ尺の長さが減少していくことを痛切に感じる。私たちが普段から接している高齢者の方々は、この私の感じている残り時間感覚の数十倍の意味を持って感じているのだろう。一年の重み。いや!一日の重みが若者のそれとは比較に成らないほど重みを持って高齢者達に圧し掛かっているのであろう。時間をいかに受け止め、生きるのか・・・若い介護職員の方々はもう一度考えてほしい。

2010/4/7
ユースホステル。

 学生の頃にユースホステルという簡易宿泊所(?)を使って安い旅行をした事を思い出した。ユースホステルとは会員制の宿泊施設で、協会の会員となれば全国(全世界だったと思うが・・・記憶は定かではない)に点在する施設利用が安価で出来る点で貧乏学生には非常に使い勝手の良い宿泊施設である。食事は大衆的な家庭料理を食堂に於いて他の宿泊客と一緒に食べる。部屋食なんて高級旅館のような待遇を期待しても無理である。おまけに男女別々の部屋で、時には赤の他人と同室の場合もある。本当に食べて寝れると言うだけの施設ではあるが、これが意外と人とのコミュニケーションや新しい社会を知る上でとても良い経験を積める場所でもある。夕食後の団らんに食堂に集まった宿泊客の方々と施設運営スタッフとの交流も、とても新鮮で色々な事を見聞き出来る場でもあったりする。

 先ごろ、近江八幡へ日帰り旅行をした時に、水郷地帯にユースホステルの看板を見つけた。今どきの若い人たちから、ユースホステルの利用話を聞いたことが無いので、最近では本当に限られた若者が利用するだけに終わっているのかもしれないが、僕は若いうちに一度は経験する事をお勧めする。 僕がユースホステルを利用した理由は、学生時代に自転車で旅行に出た時、宿泊先として事前にルート計画を立て、そのルート近辺のユースホステルを予約してからツーリングに出かけたことから始まる。最初は友人と共に出かけていたが、その内に自分ひとりで宿泊するようになって、次第と新しい出会いが生まれ、とても楽しく貴重な体験が出来たと思っている。

 それ程上質なサービスは期待できない。全てにおいて自分自身が行動に起こさなければいけない。セルフサービスが徹底しており、その分、自分自身が開拓していく力が求められていく。人生に於いて、難問や分厚い壁にぶち当たる時に正面切って当たっていくことが出来るようになったのも、この時の経験が大きな影響を与えていると思う。

 最近では格安に宿泊しようと思えば、カプセルホテルや24時間営業のネットカフェなどの利用で誰にも邪魔されず、誰にも干渉されずに宿泊する事が可能である。昔に比べればプライバシーの確保には苦労する事が無くなった。その分、想定外の他人の干渉に際し、自分自身では処理できない精神的にストレスを感じることとなり、挙句の果てはストレスに負けてしまうような人が増えているように感じる。若いうちに沢山の人と交流を持ち、社会的通念を体験し、人間関係の構築に悩み、社会を如何に泳ぐかを学んでいかないと社会生活を営む上に於いて苦労することとなりそうだ。

 デジタル、ハイスピード、高品質な生活に早くから慣れることも必要ではあるが、また一方に於いて超アナログ的であり各駅停車の生活を経験する事も大切でもある。自分ひとりが誰にも干渉されずに目的地に到着するだけの旅行だけではなく、色々な人の知恵とアドバイスを頼りに各駅停車な旅行をすることも楽しいもんだ!

 

2010/4/6
電話による各種営業活動のお断り!

 毎日、電話を使った営業活動が多い。今日もインターネットのホームページのウイルス管理を請け負うらしき(らしき・・・と言うのも、この手の勧誘は、本当に疑わしい)業者から電話があった。経営者と直接交渉したいと言う。いずれも営業活動の電話を直接、代表者に回す事が出来ないので私が承ります!と言ったが、相手は頑として経営者との直接交渉を譲らない。相手が相手だけに、こちらも意地になって譲らない。相手も相手で、この手の勧誘電話歴も長いのか話口調に自信があふれている。私自身、インターネット上のホームページ管理に関してはど素人であり、専門用語を並べられると、会話がチンプンカンプンで、まったく理解できないが、専門用語を使い相手を煙に巻く戦法は、尚の事、危険な臭いがプンプン漂い始める事を知らないのか、最初からそんな事は無視してるのか・・・相手の顔がみえない事を武器に、電話の先では一方的に話を始める。

 しばらく以前には、電話回線の営業が多かった。それと先物取引の勧誘も多かった。「儲かり話」のあの手のやつである。私なら儲かる話は他人には伏せておくし、自分だけ黙って儲けておくだろうに・・・しかし、それらの勧誘電話はご丁寧に、お人好しにも赤の他人に自分で電話代を払ってまで儲け話を教えてくれる。考えてみれば奇特なお人なのです。

 次に電話回線を光通信に切り替えて電話代金を節約しませんか?!的勧誘電話も多かった。全てが大手通信会社の代理店を名乗って、如何にも大手通信会社の直轄事業のようなニュアンスで話しかけてくる。

 自宅に於いては、外壁塗装の保守メンテナンスを営業してくるところもあった。今なら足場代金ゼロとかを強調し、営業を行っている。本当に多種多様な業界からのお誘いの電話が常にかけられている時代である。どの情報が一番自分に、会社にとって有益であるのか?を冷静に判断していかなければ、とても危険な状況に巻き込まれてしまう世の中である。

 「ご近所まで営業活動で来ていますので、ぜひお時間を頂戴してお話をさせていただければ・・・・」の常説に騙されて直接交渉にでもチャレンジしようものなら、相手はその道のプロ。あの手この手で、こちらに断り難い状況を作る事ぐらいは訓練されている。

 俺オレ詐欺は、今でも被害者が出ている。昔は電話を引いている家庭は限られている時代だった。時と共に人は裕福になり各家庭に電話回線が引かれる世の中になり、とても便利になってきた途端、そのメリットを利用して悪徳な商売に結び付ける輩が増えてくるのは残念であるが、世の中が便利になればなるほど、自己防衛出来るだけの技が必要になってくる。新幹線からリニアへと変わっていくなかで、旅の風情が減少していくと以前のブログにも書いたが、世の中の変化に合わせて自分自身も変わっていかなければならないのもシンドイ!

 

2010/4/6
最後のスペースシャトル打ち上げ

スペースシャトル打ち上げの軌跡

スペースシャトル打ち上げの軌跡

この写真をみてカオス非線形の理論を思い出した。人間の生体は健康であればある程非線形であり、病に冒されて床に伏せるにつれ「ゆらぎ」の幅が小さくなり線形へと変化する。要するに死が近づくにつれ非線形から線形へと変化すると言うホメオダイナミックス理論が成り立つのである。逆にスペースシャトルの軌跡を見てもゆらぎは一切見られない。スペースシャトルの飛行にゆらぎがあればある程、飛行不安定であり危険領域に入ってしまう。全く逆の理論が成立しているのである。まぁ、介護に全く関係の無い話で恐縮ながら、徒然なるままに日暮らしです・・・・。

 

2010/4/6
介護職員さんの苦悩・・・

dsc01416.JPG

太陽の家の夜景を撮影しました。今日のブログは、うちの一人の職員さんに向けて発信します。

 高齢者介護を専門に介護する職員さんの苦労は世間一般にも広く知られています。本当に大変な仕事です。肉体的にも精神的にも重労働です。ご家族の心情を察すれば、高齢者介護の難しさを必要以上に強調する事は差し控えたいのですが、特に若い職員さんは、色々な点で考える事も多く、数ある困難に自分自身が押しつぶされがちです。この介護の世界に働く若者の特徴として、爺ちゃん、婆ちゃんの喜ぶ顔を求めて奉仕する気持ちで働く人が多いのです。実際、うちの職員さんのコメントの中にも、似たような文言が見受けられます。

 一生懸命、尽くして、相手の身体機能の改善や生活の質の改善を追求しながら、何処かの時点で叶わぬ現実に直面する時。自分自身に無力感を抱き、言うなれば絶望の淵に立たされてしまうことも多いのです。この世界ではよく言われる「バーンアウト」です。

 短い文章の中で職員さんの苦悩を解決するだけの文章力も無いのですが、介護の業務に同情は避けるようすすめます。私達は専門職として(資格はなくとも、この世界に働く以上は専門職です)、非常に冷たい人間のようですが、利用者の皆さんを客観的に観察し、公平な視点から必要とされる支援を探し出して提供する事が望まれます。そのためには冷静な判断が必要となります。介護職が相手に同情し、冷静さを欠いて涙する毎日を一緒に過ごすだけだとしたら・・・これは笑い話にしかなりません。介護する現場で共に寄り添うような介護を誤解して、一緒の布団に寄り添って昼寝する職員さんも居るようです。少し距離を置いて、この状態を考えると、その愚かさは誰にでも理解できると思いますが、実際の現場では普通のように理解され実行されている場面があります。寄り添う介護とは、相手の痛みを理解する等、言葉そのものの本質をもう一度考えてみましょう。バイスティックの7原則にある「受容」を「許容」と同じ意味に誤解する人が多いのと同じ問題として、介護職員が学ばなければならない点です。

 とかく介護の世界では資格を重視されがちです。資格を持たないと発言権すらない様に思われがちです。しかし、資格はあくまで、その人の経験してきたスキルの証明だけの意味しかないと考えてください。資格を持つから相手に喜んでもらえる最高の品質のサービスの提供が出来ると言う証明ではありません。現に看護師の資格を持ちながらも入院中の高齢者の肋骨を故意に折るような虐待のニュースもありました。このように資格は、その人の人間性の証明では無いのです。単なる知識として一定レベル以上にある者と言う証明でしかありません。以上のように、今後、今の自分に不足している基本的な知識の習得を目指して頑張ってください。介護の現場とテキストから学ぶ制度や医療の知識を兼ね備えて試験に向かえば、国家資格も一発で合格出来ると思います。いずれにせよ、自分が強く望む事。求めて、それに向かって突き進む事で夢はかなえられます。

 


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