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ブログ-施設長の部屋

2010/4/13
奈良公園の鹿を殺した男

 先日、奈良公園の鹿をボウガンで撃ち腹部に矢の突き刺さった鹿が発見され、後に死んでしまった話は記憶に新しい。本日のYahooニュースでは、その犯人が逮捕されたと言う報道が流された。この事件は天然記念物の奈良公園の鹿を殺した大きな事件として報道されたが、天然記念物である重要性よりも何よりも、生き物を単なる好奇心だけの狩猟目的で殺害してしまう神経の持ち主に驚いてしまったニュースであった。

 非常に残念な話であるが、この犯人は同じ三重県の人間で津市に住む青年であった点でも、非常にショッキングなニュースであった。詳しい情報については他の媒体を通じて取得して頂きたいが、普通の精神状態では生き物に向けて矢を射るという考えは浮かんでこないし、実際、いざ対象となる生き物に照準を合わせて危害を加えるという行動自体、私にはまったく理解できんない。それが、ペットとして自分が愛玩する対象物でなくとも、自分と同じように呼吸し、脈を打ち、体中に温かな血液が流れる生き物を殺害するかもしれない行為に及ぶ神経が理解できない。

 随分以前の話であるが、津市の奥にある錫杖湖の湖岸道路を走行中、突然道路脇の山の中から大きな鹿が飛び出してきた。車の前方に突然飛び出し、危うく衝突しそうになった経験がある。その時はスピードも遅く、衝突は逃れたが、次に猟犬らしく犬の大群が表れ、鹿はそれらの猟犬から必死に逃げている途中であったと後になって察した事があった。あの時、鹿は死に物狂いで逃げていた。フロントガラス越しに、私も突然の飛び出しに驚き、相手も猟犬と、衝突しそうな車にも驚き恐怖に引き攣った目がとても印象に残った。

 鹿は、道路を横切り、そのままガードレールを飛び越え、崖を滑り落ちるように湖に落ちて行った。その後、その鹿がどうなったかは知らない。猟犬から少し遅れて鉄砲を持った猟師が湖を必死に泳ぐ鹿を追いながら、仲間の猟師と無線でやり取りしているところで私はその場を立ち去った。今でも、あの時の鹿の恐怖に引き攣った目を思い出すと、人間としてとても残虐な面を悲しく思う。

 山で猟をする人以外の日本人の大半は、動物を趣味として殺傷出来る人は少ないと思う。だからこそ、未経験の領域への興味がわきあがる気持ちになるのかもしれないが、道具を使いこなせる能力を与えられた人間である特権を弱いものに向ける愚かな行為は避けたいものだ。

2010/4/10
高校新入学の生徒に正座約3時間は教育を逸脱しているか?

 今日のYahooニュースに長崎県の県立高校の入学式前のオリエンテーションの場で新入生200人の服装や髪型を検査。校則違反のあった生徒23人のうち足を痛めていた生徒を除く21人に反省文を書かせ、全員が書き終わるまで約3時間正座をさせた。この件に関して、入学式後に学校側は正座させた生徒と保護者に「教育を逸脱した長時間の正座をさせてしまい、不適切な発言もあった」と謝罪したそうである。

 高校に進学する意思決定をし(自発的か否かはこの問題には関係が無いと考える)、その学校の一員となる以上、その学校の決めたルールに従うことは、生徒として当然だと考える。ましてや、学校に教えを請う者の立場として、先生の指導は絶対であるべきである。仮にその指導が自分の考え方と違っていたとしても、それなりに受け入れて、自分にとって何が正しいか仕分けできる技量を養うことも高等教育の目的ではないのだろうか? 自己主張することも重要であり、前回のブログでも書いたように今の若者のファッションである「ずり落ちパンツ」と同様、今の若者のオリジナリティーに対する考え方に疑問を感じてしまう。

 校則を守らない若者流のアウトロー的格好良さをオリジナリティーと考えている生徒は、まったく自分達の姿が客観的に見えていない。暴走族にしても同じで、そこには個性と呼ばれるスタイルは存在しない。タダ単に一般の生徒とは違った考え方の小集団(マイノリティー)でしかない。マイノリティーで居るだけでは、自己主張しているとは言えないと思う。

 どうにもこうにも、日本の若い世代は世界の国から見ても軟弱である。そのくせすぐに切れる。自由思想だけが勝手に先行し、責任と義務が置いてきぼりと成っている。そして、同時にこのニュースには、悲しい今の日本のもう一つの姿として、学校が正座させた生徒と保護者に謝罪していることである。学校として適切と考え、議論して創ったであろう校則。その校則を守れない生徒を、なぜ熱く指導せず弱腰の指導しかできないのか呆れてしまう。確かに生徒の人権は重要であり、将来のある若者である。だからこそ、現状を見て見ぬ振りをしてしまう。自分の人生、道間違った方向へすすんだとしても先生は知らん!と言わんばかりの事なかれ主義。この体制こそ反省すべきではないのだろうか?こんな逃げ腰の教育をしているからモンスターペアレンツなどと言われるアホな保護者がはびこり、ごねた者勝ちという風潮を作り出してしまったのではないのだろうか?

 私たちの子供の頃、学生時代と共に、先生のえこひいき、利不順な叱責、暴言や体罰は日常的に行われていた。このことは自由社会であり人間の尊厳、個人を尊重する観点からも決して正当とは言えない。しかし、そんな学生社会の中に悩み、憤りながらも自分自身で泳ぎきる術を学び、そこから生じる反発エネルギーを糧に別の意味のリベンジに燃えた時代であった。また、先生は先生で、もっと熱のこもった熱い気持ちの師が多かった。もちろん、それにも関わらず、そんな学生生活に馴染めずにドロップアウトする生徒も存在した。しかし、生徒任せの自由気ままな教育指導を行っている現代においても同じようにドロップアウトは存在する。いや、ドロップアウトに関しては昔の数にも勝る大量の生徒が去っていくのが今の時代である。僕は学校の指導姿勢が厳しすぎることは、人間形成を阻害するとは思えない。

 

 

2010/4/10
太陽の家の素敵な写真を二枚。
2010/4/9
新しい高速道路の料金体系

 この6月から高速道路の料金体系が変更になる。平日の時間帯によっての割引制度は廃止。土日祝日の高速道路料金の上限金額が1000円から2000円へアップ。名阪鈴鹿から名古屋西までの高速料金は通常、普通車で1250円。今までのシステムだと土日の場合は半額の750円で走れた。しかし、この6月からは上限が2000円だから、割引は無し。通常の1250円の支払いが必要となる。また、通勤時間帯の半額割引が廃止されることで、夕方の5時以降の高速料金半額も無くなる。結果的に鈴鹿~名古屋西は通常の料金の支払いが必要となってしまう。その反面、伊勢自動車道と紀勢道は社会実験区間として完全無料となる。

 現在の割引制度と相まって、新名神が名阪と合流した以降、関、亀山、鈴鹿、四日市の区間の高速道路が常に渋滞を繰り返していた。伊勢道の無料化、名阪の料金高騰の反作用によって、今後は伊勢から名古屋方面に帰るサンデードライバー達は津インター近辺で一般国道へ降りる事と成るのではないだろうか?すると、これから先、津近辺の国道が渋滞し、高速道路は関より先はスムーズに流れ始めることと成るのだろうか?まったく先が読めない高速道路の状況だが、もう少し、一般道も高速も含めて偏りの無い交通システムは考えられないものか?

 高額の税金を投入して、道路が道路として機能しないインフラ整備に首を傾げてしまう。三重県は縦に長く、尾鷲や熊野から三重県の中心部に出てくるには高速道路網が完成していない今、まだまだ陸の孤島的な孤立した感がある。尾鷲まで距離が離れていなくても、津から鈴鹿間の20数キロに1時間もかかる事態、日本の交通システムの不備と言われても仕方が無い。車社会と言われるアメリカ合衆国においてもロサンゼルス市内のフリーウエイは日本の道路と同様、通勤時間帯の渋滞がひどい。特に海岸沿いを走るフリーウエイであるベンチューラからサンタバーバラなどへの道は片側5斜線もあっても車でいっぱいとなってノロノロ運転が続く。基本的には車の絶対数が多すぎるわけだが、その中でも一台の車に運転手だけという、一人を運ぶために車一台が動く状況が交通渋滞の原因となっていることは事実である。

 1970年代のオイルショックの時代に。この渋滞で有名なロスのフリーウエイですら、一台も車が走らない時があった。ガソリンが手に入らない時代であり、自家用車に乗って移動するなんてことは考えられない時代であった。この頃、アメリカでは、乗り合わせて移動を呼びかける運動が始まった。同じ方向へ向かう赤の他人同士が寄り合って一台の車両に乗り移動する方法である。(生憎、ガソリン不足が緩和されるにつれ、このシステムは忘れ始め、一部のエコロジストが守り続けている程度と成った。)また、ガソリンスタンドの販売にも規制がかかった。車両ナンバーの末尾、偶数・奇数によって給油しても良い曜日を決めたりして、ある一定の制限を設けていた。この規制はある程度のガソリン需要にブレーキをかける役にはたった。 その頃の日本では、一般市民がこぞってトイレットペーパーを買い占めていた頃の話である。 高度成長期の日本の締めくくりに大阪万博が開催され、万博終了とともにオイルショックの到来を経験し、何のすべも無く、トイレットペーパーが無くなる噂や、市場から粉石けんのな消滅する噂に翻弄されていただけの日本であった。

  この時代から30数年。今の日本も同じような究極の選択が今行われようとしている。行財政の無駄をそぎ落とすべく必殺仕分け人が社会機構の隅々まで重箱の隅をつつくように整理整頓を目指している。人間が生きていくうえで無駄の無い生き方は存続できるのだろうか?世の中の全てがガラス張りで見通し良く公平な世界となって、本当にこの世界の過激な競争社会で生き残れるのだろうか?政治家が打ち出す打開策が効力を発揮するでもなく今の日本は混沌とした泥沼の中でもがき苦しんでいるようだ。政権交代が成されてから、僕には尚更、日本の政治が国民から遠ざかっているような気がしてならない。

2010/4/9
また余分な買い物を・・・

  ここ最近、鼻や咽に違和感を感じ頭もいつもより重く感じる日が続いているので、前の薬屋さんへ薬を買いに行った。薬剤師さんに「花粉症かもしれないので、薬ください!」と相談したが、その薬剤師さんは薬に頼り始めると症状が悪化しますよ!と言われるので、もう少し薬に頼らず様子を見ることとした。そのまま、薬屋さんから直行で帰れば良いものの、ついでだからと併設のスーパーマーケットに足が向いてしまった。

 スーパーマーケットってのは、野菜や果物を眺めているだけで食欲がわいてくるように陳列され、物を良く見せるための照明にも配慮が行きとどいた場所なのですが、陳列されたイチゴにしても赤く色づいた美味しそうなイチゴのパックを見てるだけで涎が出そうな・・・本当、美味しそうなのです。イチゴはかろうじて買わずに、鮮魚売り場へ。流石に生魚を見て買いたいと言う衝動こそ涌かなかったのですが、その後にお菓子売り場へ自然と向かってしまった。

 このスーパーの計算された陳列方法が強烈に僕をお菓子売り場へ足を運ばせたようで、チョコレートからクッキー、ポテトチップスなどの商品を眺め、誘惑の魔の手を振りほどきながら出口へと急いだつもり。

 本当に急いで帰るつもりが、とうとう捕まってしまった。あられコーナー。美味しそうなピーナッツ揚げの袋入りに目がとまり、一つくらい・・・いいさ!と勝手な言いわけをしながらレジへ。お金を払ってウキウキ気分で自宅に戻ったのでした。今、その時のお買い上げ商品の袋から一粒づつピーナツ揚げを口に放り込みながらブログを書いている。最近また太り始めた自分を戒める気持ちと、食べ物の誘惑に簡単に負けてしまう自分と二人の自分の葛藤の毎日を過ごしています。


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