


こんな文章を書くこと自体、新規の利用者の獲得には程遠くなってしまう事ではあるが、あえてブログとして書き連ねてみたい。
私の役目は、この施設の長として、よりよい施設運営を心掛ける責任があり、それは職員間の人間関係、利用者の受けるサービスの質、家族・地域との関係の構築と維持など、多義にわたる仕事を負っているつもりである。そして、サービスの質に関して言えば、これは、今一番重要かつ早急の改善を必要としている課題である。
その課題とは、利用者全体との交流の時間の使い方である。午前の入浴時間や午後の個別リハやレクの時の進行の仕方に大いに問題がある。どうしても利用者の全員を子供扱いしてしまう職員が多いということである。利用者の病態に関係なく一律に幼稚園の先生のような先導をする職員に問題がある。研修のたびに職員には人間としての尊厳を重視した支援をもとめているにも関わらず、この結果である。事務所で聞いていて非常に腹立たしい場面が多く発生している。
人間の老化について、しっかりと研修を行い、老化は個人に全く責任の無い次元で、平等に全ての人に訪れることを話してきた。そして、その老化現象を発端として、多種多様な疾病や障害を抱えることとなるのが、簡単に言うところの老化現象である。その点をしっかりと介助者が理解する事から、高齢者を人間として尊厳のある関わりが持てる者と信じている。
私達の先人であること。豊富な経験を有している事、その事からも、認知機能は低下している事は「知能の未発達な幼児」を相手にしているような態度こそ改めるべきである。
(毎日新聞記事より)

この新聞記事を読んで、また写真を観て、最近高齢者施設において問題となった人権侵害事件を思った。亀の甲羅に落書きして放つ事に面白さを感じる神経が、高齢者施設入居者の顔に落書きをして楽しむ介護職員達の神経と同じと思う。この行為自体に何が楽しいのか?今の若者世代の『笑い』に疑問を感じる。
時々、私自身、デイサービスの利用者送迎のバスを運転する事がある。送迎バスと言っても、大型のバスではなく、リフト付きワンボックスカーであり、定員も運転手含めて10名をマックスとするバンですが。それでも、普通乗用車に比べてもかなり大きい。横幅も、長さも乗用車をふたまわり大きくしたようなスーパーロングと言われるような車両です。
僕は、このバスの運転を得意としており、おまけに運転技術も、うちの事業所では一番上手と思っている。(・・・・?本当?)そして、送迎の時に一番気を付けている運転方法として、自動車教習所で指導されるままの運転方法である。つまり、交通法規にのっとり、車線変更には後方確認、ウインカー、そしてハンドルを切る。進行方向に障害物があり進路変更を余儀なくされた場合には、必ず追い越し前に後方確認、ウインカー、進路変更、元に戻るために再度ウインカー。といった風にかなり実直な運転ルールを守っている。もちろん、法定速度は絶対厳守。時々、他の車の流れに同じて、多少スピード制限を超えることもあるがその超過幅を10Km程度に抑えている。
また、当然のことながら急加速、急発進、急ブレーキは絶対にかけないよう、心配っているつもりである。
しかし、なぜここまで厳格に交通ルールを守ろうとするのか?この私達の高齢者送迎車両の動く時間帯は通勤ラッシュの時間帯が多く、多分に他の居合わせたドライバーをいら立たせているかと考えると、自分ひとりが安全運転に心掛けても、周りの車両との同調性に欠けることから、余計に事故の危険性が増すのではないかという懸念も存在するのです。しかし、私達の車両に乗っている高齢者の方の中には、走行中に自分自身でシートベルトを外してしまう方も居ます。または、シートベルトを締める習慣のない人に限って、シートベルトが正当な位置にセットされていない場合があるのです、これは、無意識のうちに三点式シートベルトを肩から掛けていたにもかかわらず、自分自身で勝手に通している腕を抜いたり、正常ではないポジションに書かていなかったりすることが多いのです。こんな時に急ブレーキをかけると、腹部だけを圧迫していずれかの骨を折ったり、内臓を傷つけたりしてしまうのです。運転中は前方だけに神経を集中しているため、出来る事なら急ブレーキをかけなくて済むような運転に心掛けることが必要です。だから、ブレーキをかけるときは、ゆっくりと踏み込み、スピードが落ちた時点でブレーキを抜く。そんな小細工まで使います。
まあ、私の運転はスムーズであり、かく安全をもっとうとしているので、乗っていて安心できる運転であると信じています。おそらく自動車運転教習所の教官を横に同乗してもらい点数を付けてもらえば、今でも合格点はもらえると思っています。
通勤ラッシュの途中に私達の送迎車両に出くわして、不幸にも向う方向が同じドライバーの皆さん。本当に急いでいる最中に申し訳ないのですが、どうかこれらの事情を理解して頂き、少しだけ安全運転にご協力ください。
ディーン・マーティン、サミーデイビス・ジュニア、フランク・シナトラ

僕は今はもう亡きフランク・シナトラが大好きで、一番の思い出と言えば、彼が晩年に日本公演を東京武道館で行ったステージを聴きに行った事だ。チケットの代金は非常に高額で、今までコンサートにこれだけの金額を払った事のない程の金額であった。恐らく、値段を書けば、なんでそんな無駄使いするの・・・・!とお叱りを受けそうな金額であるので、ここには記さない。さて、そんなステージは、評論家には声が出ていないとか、色々と酷評が書かれてしまうような内容であった。しかし、声が全盛期のころに比較して出ていないのは当然である。もとより、彼はラスベガスなどのクラブシンガーであり、オペラ歌手でもなんでもない。ある程度限られたエリアのなかでお酒を楽しみながら甘いムードに浸る事を目的としたファンに受けていた。そんな彼の日本における最後のステージ。それは、若いころには無かった嗄れ声で、切々と歌う愛の歌。僕は、感きわまり涙して彼のステージを満喫した。
批評家の酷評などどうでもよかった。自分が感激出来れば入場料なんて安いものであった。アメリカまで出向いて行かなければ聴けない彼を。この日本で満喫できる。そんな唯一のチャンスに高額な金額を支払っているのである。
今でも、彼のCDを時々聞く。お酒をあまり飲めない自分であるが、それでもブランデーの水割りをなめながら。(本当にグビグビと飲んでしまうと酔っぱらってしまうので・・・・)とにかく、酒を片手に目を閉じて耳を澄ませば、そこはラスベガスのクラブの中。彼を愛する初老のアメリカ人のばあさん達に混じって、 Young at Heart を聞く。
そして、今は亡きシナトラの息子が、ニューヨークの街を中心に音楽活動を行っているそうである。父親のシナトラのカバー曲を歌いながら結構、売れているそうである。一度、息子シナトラ・ジュニアの曲も聴いてみたいものである。
太陽の家の職員さんに覚えていてもらいたい。僕がフランク・シナトラが大好きで、そんな彼の歌を聴かせておけば安心するという僕の習性を。将来、僕が認知症となって周辺症状がひどく対処できない時には彼のCDを演奏するだけで、精神的に落ち着きを取り戻すはずである。